
第9話:規格外の一葉来復 ― 失うことで見つけた天命
前回の鑑定中、占い師をしているという派手な身なりの若い女性が現れた。しかし、ホロスコープの話をしている途中で後ろの列が長くなってしまい、鑑定を中断せざるを得なかった。今日はその次の鑑定日である。こちら側の都合で中断したため、再鑑定の際は店内での買い物をしなくても問題ないという手はずになっていた。
今日は一日中雨が降っており、客はまだ一人も来ない。今日は多分来ないだろうと思って、久々に自分のホロスコープでも眺めようかとパソコンを開いていると、
「先週はありがとうございました」
と、あの中断した女性客が訪ねてきた。
今日の彼女は、前回のような原色を多用した装いではなく、紺のジャケットを着ていた。髪も茶髪から黒髪に変わっている。席に着くなり、彼女は再鑑定の印が押された「特別鑑定券」を差し出した。
「あれ、別の方かと思いました」
「そうなんです。占い師はやめて、事務員に転職したのです」
「ということは、前回はそのご相談のためだったのですね」
「本当はそうでした。今後のことを迷っていたのですが、実はあの日、先生のお話を聞いているうちに、私には占い師は向かないと気がついたのです。目の前の人の人生を支えることの難しさが、今頃ようやくわかりました」
彼女は少し視線を落として続けた。
「それから前回、樋口一葉の人生が私に似ているというお話を伺いました。それで一葉はなぜ歴史に名前を刻むことができたのか……。そこにとても興味が湧いて、どうしても聞いてみたくてやって来ました」
「そうですか。ありがとうございます。前回はホロスコープのご説明で、『あなたは8ハウスから9ハウスに進む際、とても苦労している。9ハウスへの合格を得た時、神様から一陽来復を授かることでしょう』とお話ししたと思います。樋口一葉の人生もおそらくその流れだろうと想像して、触れてみたのです」
「私は今25歳ですが、彼女と比較することなんて到底無理だと思ってしまいます……。私になにかできることはあるのでしょうか」
私は頷いて言葉を返した。
「確かに、一葉の人生はとても過酷でした。なぜあんなに早く旅立ってしまったのかも、気になるところです。彼女の才能が花開いたのは、そして歴史に名を刻めたのは、本当に死の直前とも言えます。まず、彼女の人生の目的を考えてみますと、もともと優れた地頭を使いながらも、それを遥かに超えた想像もつかない世界を目の当たりにして、そこから素晴らしい作品を紡ぎ出すことだったのだと思います」
目の前の真剣な眼差しは、こちらに迫ってくるほどの圧があった。
「彼女の人生は、本郷の丸山福山町に移るまでは、いわば『削られて失う人生』でした。易経で言うなら『山地剥(さんちはく)』です。移ってからが『地雷復(じらいふく)』、つまり一陽来復となりました。なぜそうなったのか。それは、削られて残ったある一厘のことに、気づくためだったのです。
それは『底辺の人たちの暮らしが身にしみてわかること。そしてそのことを作品にして世に送り出すこと』でした」
「それまでの作品は、上流階級に近い穏やかな生活圏の中で描かれていました。一葉は、彼女の日記にも書かれている通り、図書館に通い詰め、平安文学も深く研究していました。人生の前半で小説家としての基軸を確立し、そこから底辺の世界へと進んでいく。いくら優秀であっても、子供の頃からその世界へ行くことは彼女の人生を狂わせてしまいますので、順番が必要だったのです。学業を諦め、頼みの兄と父を失い、住み慣れた土地を離れる……。大切なものを一つ一つ失っていく過程が、彼女を徐々に『たけくらべ』の世界へと導きました。そしてクライマックスは、貧困で十分な食事すら取れず、まさに『マッチ売りの少女』のように肉体的にも精神的にも絶望の淵に立たされた時です。命が尽きてもおかしくないその状況で、彼女はようやく自分の役割に目覚めました。日記にも記されていますが、自分の利益のためではなく、今行っている事業のためでもなく、国家のため、百代先の人々の幸せのために、可哀想な人々を救済したいという強い願いでした」
「しかし、その崇高な想いがあっても、すでに身体は限界を迎えていました。度重なる頭痛や喉の痛みに耐え、寝込む日も増えていた。その頃にはすでに結核を発症していたのでしょう。それでも、その限界から小説を書き上げるために、おそらく『奇跡の十四ヶ月間』という命を天から授かったのです。そのことが彼女にとっての一陽来復となりました。結局、一葉は多くを失いましたが、代わりに小説家として不可欠な経験を得たのでした。
その中で最後まで彼女を苦しめたのは、その地頭の良さゆえの『抗い』だったのかもしれません。
豊かな知性で別の展開を夢見ることができたからこそ、残酷な現実との狭間で葛藤を続けていました。その後いよいよ自分ではどうすることもできないと悟るまで、運命は容赦なく彼女に試練を与え続けました。
現実の世界でその『試練の神の役目』を果たしたのは、一葉の母でした。学校を辞めさせ、吉原界隈への転居となったのも母親の影響が大きかったのです。けれどその試練の神も、そこでの業績が悪いために日に日に暮らしも悪くなり、やがて母自身の我慢も限界を迎え、再びの転居へ促すことになりました。さらには母親は、その我慢が終わるのであればと期待をこめて、かつては大反対していた小説の師匠のもとへ一葉が通うことも許したのでした。この転居こそ『一陽来復』の始まりでした」
目の前の彼女は、相変わらず集中して聞いていた。
「さて今のあなたにとって一番大切なのは、ご自身が今、どのポジションにいて、なぜこの世界でこの人たちと仕事をし、何を失い何を得たのかを丁寧に確認することです」
私は彼女を真っ直ぐに見つめた。
「あなたはプロの占い師を離れ、事務員として再スタートを切りました。きっと、何かに気づかれたのでしょう」
「……そうです。前回先生にお会いするまでは、間違いなく占い師を続けようと思っていました。先ほどもお話ししましたが、あの日にお会いして、今の私には人を支えるほどの器が足りないと痛感したのです。もっと相談者の立場に立ち、占いだけでなく、多角的な視点から人を救えるようになりたいと考え始めました」
目の前の人は、自分を一度壊して人生の器ごとリニューアルすることに気がついたのだと、私は感じていた。確か前回の話から、彼女自身が自分のホロスコープの8ハウスのテーマである『破壊し再生すること』で8ハウスを卒業し、9ハウス(神々の部屋)に進むことで天から一陽来復の声を聞く――そんな内容の話をしていたことが甦ってきた。
そんな時、店内の隅に設けてあるこのコーナーにも、挽きたてのコーヒーの心地よい香りが漂ってきた。
私は、いくら無料で鑑定を行っていたとしても、お客様がこれほど私の話を大切に聞いてもらえて、そしてご自身の人生になんとかしようと向き合っていることに、驚きを隠せなかった。
「先生、きっと樋口一葉は、文京区に戻ってから『一葉来福』に出会えたのだと思いました。それもとても短い時間だったのですが。私は今後のためにも、もう少し芸術家の生き方についての先生の感じ方を伺いたいです」
彼女の眼光には、澄んでいるけれど熱いものがあった。いったい何が彼女をそこまで向かわせているのだろう。私はこのまま終了するわけにもいかなかった。
「一葉来福。本当にそうですね。わかりました。それでは、もう一度特別鑑定券をお出しください」
私は手渡された券に、再び再鑑定の印を押した。
「またいらしてください」
「本当ですか!」
彼女の瞳は、再び会える喜びで潤んでいた。気がつけば、一時間以上が過ぎようとしていた。
雨はすっかり上がっている。店内の漂う香ばしいコーヒーの香りは、いよいよ私たち二人を優しく包み込んでいた。