【怪奇小説】 破れ傘女郎 3
雨降りやまずに、怪への誘い
夢の夢なかかたるは、あやし
雨月の御伽か、めばなの悲恋か
わくらば、くわばら
やむにやまれず
ひゅう、ひゅう、ひゅう
湯浴みの音が幽かとなり、遠のいてゆく。
湯の音が霧消し、雨嵐の轟音が鼓膜に帰ってくる。
うつらうつらと舟を漕いでいた嘉助は、その突然の轟音に否応無く覚醒する。
嘉助は涎を袖で拭い、大きな欠伸をひとつ。
今度は急に嫌な悪寒のような寒気を感じ、ぞくりと身を震わせた。
見ると、赤々と燃え滾っていたはずの炭の焔が、何と見るも寒々しい青色へと変化しているではありませんか。
まるで、陰火のようでございます。
あっ、私も帰還してまいりました。
あとは、あの娘が湯浴みから戻ってくれば、と。
おっと……これはこれは。
「いやぁ。生き返るたぁこの事だわいさ。けっこうな湯だったわいさ。こりゃあ最高だわいね。あんたもひとっぷろ浴びてきたらどうだいね」
おやおや、びっくり仰天しすぎて、嘉助動けません。
金縛りにあったかのように、微動だにしません。
嘉助、娘だったものを凝視したまま、口をあんぐりと開けて固まっております。
まぁ、無理もありませんな。
「なんだい。あたいの顔になんかついてるのかい」
「ああああ、あああ」
「どうしたんだい。そんなに見つめないでおくれよ。照れるじゃないかさ」
お歯黒べったりの口を開けて、娘だったはずの薄汚い女郎姿の女がわらいます。
まぁ、夢ではございますから、何があっても驚く事じゃあないのかもしれませんが。
夢の夢なかから醒めましたのは、ついさっきの事でございまして。
嘉助自身、もう夢なのか現実なのか訳が判らなくなっているのでございます。
一体全体、ここは夢なか、現なか。
はて、どちらなのでござりましょうな。
くちば、くちばな、おいばなや
華を纏いて七変化
浄化の湯に剥がれ落ちるは
嘘か、まことか
女郎花
この老花女郎、嘉助の戦々恐々とした姿を見まして、ようやっと己れの化けの皮が剥がれ落ちておるのを知ったのでございました。
「おや。こりゃあ参ったねぇ。あの湯は見破りの湯だったとみえるねぇ。すっかり華を剥がされちまったよ」
お歯黒べったり女郎は、所々破れて薄汚れた絣の着物を眺めまして、溜め息をついて嘉助に微笑みます。
嘉助は完全に怯えております。
そんな嘉助をみて、女郎が哀しそうに俯きます。
「そんなに怖いかい」
何とも悲哀に満ちた声音でございます。
「そんなに怖がらなくても大丈夫だよ。誰も取って喰やぁしないよ」
再び三度、確かここはへんてこ奇怪な夢なかであったはずだと、嘉助は冷静さを取り戻しまして。
「あんたが、さっきのむすめ、さん、かい」
「そうだよ。騙して悪かったねぇ。あんたの優しさについ絆されちまってさ。あたいも夢をみたくなっちまったんだよ」
そう言って今度は、恥ずかしそうに俯きます。
老い花の恥じらいでございましょうか。
いやはや不気味でごさいますな。
「あんた、あたいを捨てずにいてくれただろ」
と、女郎は土間にある破れ傘を見つめますな。
「あんた。あの傘に見覚えないかい」
嘉助、涙の如き雨垂れを纏う破れ傘を見つめます。
朧げな追憶の影なかに浮かんでは消える傘をさして振り返る母親の後ろ姿。
嘉助は、何とも言えない郷愁の情に襲われる。
嘉助は、朧げながらも覚えていたようでございます。
「おっかさん」
嘉助が、心情深く呟きます。
「あの傘は、おっかさんの忘れ形見だ」
そう。
あれは、嘉助の死んだ母親が嘗て使っていた傘でございます。
破れし傘に我かさね
涙なみだに、暮れて雨なか
わくらば、やみにやみゆきて
おさらば、おさらば
うらめし、かなしや
ひゅう、ひゅう、ひゅう
おとこ、うらめし
おんな、にくらし
「あんたのおっかさん、嘗ては蝶よ華よと持て囃された最上の花魁だったんだよ。でも悪い男に身請けされちまって、借金のかたにまた女郎屋に売られちまったんだよ。運が悪いことに、客の男に病まで染されちまって、あれよあれよと落ちぶれちまってねぇ。病葉女郎なんて揶揄されて、仕舞いにゃあ病みに病みつかれてねぇ。気狂いおこして、自分の頸動脈を、ね」
と、頸を剃刀で掻き切る仕草までくわえまして、事の顛末を嘉助に説明したのでございます。
本当に、余計な事をするものでございます。
恩を仇で返すとは、この事やもしれません。
このものを生み出したのは、この。
あたくしでございますのに。
女郎の頸から咲く血の花よ
骸になみだ、傘に雨垂れ
血花を滲ませ、泣く破れ傘
やぶれ、やぶれて
捨てられ、おさらば
さらばさらば、おさらばえ
おとこ、うらめし
おんな、にくらし
ひゅうどろ
ひゅうどろ
ほんに、人間であろうが、あやかしであろうが。
おんなとは、憎らしいものでございます。
━━━ 第四章につづく━━