【小説】ヒマリちゃん、作戦会議中です!
【あらすじ】
「クラスメイトの女子は、推しVtuberでした。」
高校1年生の有村正陽の最近のお気に入りは、新人Vtuber日向ヒマリ。 ひょんなことから、クラスメイトの今里聖が日向ヒマリの「中の人」だと知ってしまう。 人気向上のため作戦会議を重ねる2人だったが、ある日、日向ヒマリは事務所からクビを言い渡されてしまう。 なんとか挽回の一手を探すも、"有名な"Vtuberを目指す正陽と、"真面目な"Vtuberを目指す聖は仲違いを起こしてしまい_____
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人は誰かとの別れを経た後、その人を声から忘れていくらしい。
有村正陽がそのような話を友人である内村優太から聞いたとき、それが自分にも当てはまるかどうかを確かめるために過去を振り返った。
まだ十五年しか生きていない正陽は、人との別れをあまり経験していなかったが、試しにひいばあちゃんのことを思い出すと、確かに声を忘れてしまっていた。しかし、それはただ正陽が年に数回しかひいばあちゃんと会っていなかったことが理由であろう。
それに、この数年で最も印象深い別れに関しては、今もその声を鮮やかに思い出すことができる。むしろその容姿__顔が小さくて整っているだとか、身長はどれくらいだとか、よりも、彼女の澄んだ声質や、ラ行を言うときのちょっと甘ったるい発音のほうが記憶に残っている。
このようなことを優太に反論してみたのだが、返ってきたのは「声フェチ?」というからかいを含んだ言葉だけだった。これ以上何を言っても無駄だと考えた正陽は、適当に相槌を打つことで話題を終わらせようとする。
優太のイジリにうんざりしてはいるが、その一方で納得している自分もいた。
正陽は声にこだわりがあるのかもしれない。実際に正陽の最近の推しは声がお気に入りのVtuberだ。トークは正直面白くないが、かわいらしさを前面に出す高めの声や、新人であるがゆえに時折見える地声のような気の抜けた声がとても良い。特に好きなのは彼女の笑い声だ。キャラから少し逸脱した豪快な笑い方や、本気で笑ったときのイルカの鳴き声のような引き笑い。
「っあははは! こんな動画どこで見つけたの。おもしろすぎ! ヒィッ! ヒィッ!」
そうそう、今まさに後方から聴こえたものがそれで……え?
正陽は驚きのあまり硬直してしまう。まさかこのクラスに同じVtuberを見ている人がいるとは! マイナーVtuberでなかなか同志に出会うことのない正陽は、それが知り合いかを確認せずに振り向いた。
「それって日向まわり?」
しかし、後ろにいたのはクラスメイトの女子二人組だった。
二人はおもしろ動画を見て盛り上がっているらしい。まさかこの二人が日向まわりのファン! ……なわけないか。正陽の熱が一瞬にして冷める。それと同時に自らの行動の迷惑さの実感がじわじわと沸き上がっていき、居たたまれななくなった正陽は「ごめんなさい」と謝罪してその場から逃げ出そうとした。
「待って」
二人組のうちの一人が正陽を呼び止めた。
「須賀ちゃんごめんね。あの、ちょっと話したいんだけど」
「えっ?」
正陽と、須賀ちゃんと呼ばれた女子は同時に首を傾げた。
二人から困惑した視線を向けられているのは、南草高校一年三組出席番号二番の今里聖。低めのひとつ結びで、クラスの大半がしているような唇の赤みも付けていない、良く言えば素朴な同級生。クラスメイトの顔と名前があやふやな正陽でも、自分のひとつ後ろの出席番号である聖のことは覚えていた。
しかし、当然ながら関わりはない。
「俺なんかやったっけ?」
「悪いことじゃないけど、その、うーん、ここで話すのはアレだから、ちょっと人気のないところに行きたいかな」
正陽は聖の提案に乗り、人波をかき分ける彼女の少し後ろに大人しくついて行く。すると、前をゆく彼女の耳が赤くなっていることに気がついた。
これは、もしかして、もしかするのか……!
「よし、ここなら大丈夫そう」
昼休みの校内はどこも騒がしく、結局二人が誰もいない空き教室に到着したのは、授業の開始五分前を知らせる予鈴が鳴った後だった。
正陽は五時間目の授業で提出する宿題がまだ残っており、それが優太との会話を断ち切った理由のひとつだったのだが、そんなことを忘れてしまうくらい緊張していた。この十五年間、彼女のいない人生を続けてきたが、それも今日で終わるみたいだ。
「有村正陽くん」
「はい……」
今里聖が初の彼女か……。いや、ずっと告白を受け入れる想定で進んできたが、本当にそれでいいのか? 正陽と聖の関わりは、ほとんどゼロだ。ただのクラスメイト。強いて言えば出席番号が連続しているが、だからといって交流があるわけでもない。確かに入学当初は席が前後だったことから正陽と聖はプリントを渡し合っていたが、それも五月の席替えで終わってしまった。今だって二人の席は離れているし、先ほど正陽の後ろで談笑していたのだって、たまたま正陽の後ろの席が仲良しの須賀さおりだからだ。
ではなぜ正陽を好きになったのだろう……。ひとつ自信があるのは丁寧さだ。男子高校生というのは雑で性にしか興味のない暴れ馬だと世間では思われているが、正陽は違う。正陽は後ろにプリントを渡すとき、ただ手を後ろに回して「お前が取れ」みたいに横暴な態度を取らない。きちんと体を捻って後ろを向いて渡す。これは並の男子高校生にできる技ではない。聖はこういう面を見て好きになったのか。
そう考えると辻褄が合う気がしてきた。先ほど二人で盛り上がっていたのも、正陽の後ろの席仲間として、プリント渡しなどの丁寧さについて話していたのだろう。そんな中、好きなVtuberも同じだった。これはもう運命だろう。だから想いが抑えきれずに……。
「_____ください」
「えっ! ごめん。聞いてなかった」
恥ずかしい妄想に夢中になっていた正陽がもう一度話してくれるように頼むと、聖は一層顔を赤らめて、頭を下げた。
「Vtuberの活動のこと、誰にも言わないでください!」
「え?」
Vtuberの活動……? 誰の?
まったく予想していなかった言葉を受けて、正陽の頭は混乱していたが、それでもこの気まずい沈黙を埋めなければいけない。状況を整理すると、今里聖が、Vtuberの活動を秘密にしろと要求していて、それはつまり、
「今里さんVtuberやってるの?」
正陽はこの文章の意味について考えずに、ただ状況を確認するためにそう聞いた。
それだけの言葉だったのに、今度は聖が混乱し始めた。
「『やってるの?』って、有村くんが言ったじゃん。『日向ヒマリですか』って」
「いや、それは、日向ヒマリみたいな笑い声がしたから、てっきり誰かが動画見てるのかと思って」
ようやく冷静になった正陽が自身の状況を説明すると、赤らんでいた聖の顔から色が抜けていった。なにかを言おうとして、やっぱりやめる、といったことを繰り返して口をパクパクさせる聖を見て、この事態を収拾させて次の授業に出席するには、正陽が直接引導を渡す必要があると察した。
「じゃあ、日向ヒマリの中の人が今里さん、なんですか……?」
「はい……」
有村正陽の小さなオタク心と今里聖の自意識過剰な行動が噛み合った結果、ひとつの大きな運命が動き出した。
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正陽と聖が初めて言葉を交わしてから一週間。その出会いは正陽の生活を大きく変えた……ことはなかったが、少しだけ変化は生じていた。それは、ただのクラスメイト・今里聖の存在が、正陽の認識の内側に入ったというもの。
今まで話したことがなく、そして一度も関わらないという確信があった透明な存在が、急に大きな実体をもって人生に現れたのだ。その新規性に否が応でも注目してしまう。
そんな今里聖について、わかったことが二つある。
ひとつは、彼女のプロ意識について。
今里聖はVtuber「日向ヒマリ」の『中の人』である。つまり、画面の向こうの日向ヒマリのそのまた向こうには聖がいるというわけだ。
正陽が持ち合わせている情報はそれだけで、そこにどんな背景やドラマがあるかはわからない。聞いてもいない。だから秘密を二人で共有して……だなんて少女漫画チックな展開は発生しなかった。
残念と言えば残念だが、教室で聖と二人きりになったときの思考回路の暴走が恥ずかしすぎて思い出したくもないため、現状に満足している。丁寧が取り柄な男子高校生ってなんだよ。
また、その一方で正陽は日向ヒマリのファンを続けている。知り合いの配信となるとむずがゆくなって避けてしまいがちだったが、今里聖と日向ヒマリは今でも信じられないくらい別人のように思えるからだ。
『日向ヒマリ』は、その名の通り向日葵をモチーフにしたビジュアルのVtuberである。金色の髪を編み込んだ二つ結びにしており、青い瞳と合わせて夏空の向日葵を彷彿とさせている。また、彼女の白い肌はそのような真夏の情景には不釣り合いであったが、むしろそのアンバランスさが彼女の透き通った儚さを加速させていた。
彼女は最近新しく生まれたVtuber事務所ゆあちゅーんに所属する新人Vtuberである。明るく天真爛漫な性格で、その素直すぎる性格から、よくリスナーにツッコミを入れられている。活動のメインは雑談配信であり、クセのある(汚くないよ!)笑い声が特徴。同期には、白雪ユリと八乙女ボタンがいる。
以上の文章は有志によってまとめられたヒマリのプロフィールであるが、正陽にはこの文章のひとつも聖に被らないように思う。
正陽の知っている聖は、クラスでも特におとなしくて地味な女子だ。髪の毛は当たり前に黒髪だし、側から見ていて「天真爛漫」であると思えない。もちろんこれは出席番号がただひとつ前であるだけの傍観者から見えている部分であるため、真実かどうかはわからない。しかし、少なくとも正陽がヒマリのファンを続けられるくらいには、二人の存在は隔絶されていた。
正陽の中で今里聖と日向ヒマリは別人だ。だから配信も当然見る。
しかし、数日前、見逃した配信を休憩時間に見ていたときは怒られてしまった。イヤホンをつけていたからクラスにバレることはないのだが、それでも嫌らしい。
正陽が言い訳として「二人が別人のようだから」と言うと、聖は満足そうに口角を上げつつ、柔らかな言葉を使ってもう一度念押しされた。思い返すと、ここ二週間で会話をしたのはそれっきりだ。
そんな中で、二つ目の分かったことがある。
それは、今里聖がオタクであるということ。
正陽と聖の昼休みの過ごし方は同じだ。スマホを片手に友達とおしゃべりを楽しむ。しかも座標もほぼ同じ。だから彼女たちの会話が耳に入ってきてしまうのは不可抗力だ。一時になってしまうと、今まではまったく気にしてこなかった声が急に聞こえてくるから人体は不思議だ。
聞こえてくるキーワードやチラッと見えたスマホの画面から、聖はスマホゲームにハマっていることがわかった。おそらく。正陽が自信なさげにそう思うのは、そのスマホゲームの名前を知らないからだ。SSRがどうとかイベントがどうとかを熱く語っていたため、それがスマホゲームであることは確実だとは思うが、『ポススル』という名前は聞いたことがない。
ここで正陽に誤解が生まれないように断っておくと、決して聖をジロジロと見ているわけではないのだ。あくまで自然にチラリと見えただけだ。だから情報が少ないのは当たり前である。
だが、その怪しい挙動は親友にバレていたらしい。
「今里聖好きなの?」
ズケズケと聞いてくる優太に辟易するも、でままあこういうところが好きなんだよな、と自己完結してうなずく。
それを先ほどの問いへの肯定だと捉えた優太は、大きく目を見開くと、楽しそうなうなり声をあげる。こんな表情はなかなか見たことがない。最後に見たのは、そうだ、推しに名前を呼んでもらったとかで自慢してきたときだ。優太にとって正陽の恋愛は、推しの挙動と同じ場所にカテゴライズされているのだろうか。これ以上コイツのコンテンツになってたまるか、と正陽は誤解を解くために聖への恋心を否定する。
「照れんなよ」
「違うわ。チラッと見えたスマホゲームが全然知らんやつだったから気になっただけだよ」
「なんじゃそれ。お前ゲーム詳しくないから絞り込めんし。でも女向けのゲームじゃね?」
「そうかなー。キャラが女子キャラっぽかったから、どっちかっていうと男向けな気がすんだよなー」
「ま、直接聞いてみればいいんだよ」
「うるさ」
正陽は聖の雑談配信にヒントがあるかもしれないと考えるも、それはあくまで聖ではなく日向ヒマリの話であるため、ないだろう。
日向ヒマリはオタクではない。自身で人生の中であまり漫画やアニメに触れてこなかったと言っていた。しかし、気になって仕方がなくなったので、正陽は直接聞いてみることにした。
「今里さんがずっとやってるゲームって何?」
「……は?」
聖からの告白(恋愛的なものではなかったが……)を受けた場所に、今度は正陽から彼女を呼び出した。しかし時間帯は放課後というところだけは異なっている。優太からのからかいを避けるためこっそりと声をかけたのが昼休みだったからだ。前回は誰もいなかった空き教室は、おしゃべりスペースを求める人たちで賑わっている。もしかしたらこっちが本来の姿で、人がいなかった前回の方がイレギュラーだったのかもしれない。まあこれはこれで集団の中に紛れ込むことができて良いのだが。
「教室でずっとゲームの話してるじゃん。推しのSSRがーって。でも知らないゲームでさ。配信聞いてても話さないし」
なかなか口を開かない聖に対して、正陽はより丁寧に疑問点を説明する。それでも聖は黙ったままだが、顔が青くなったり赤くなったりといった変化は起きていた。それが一周して顔色が元に戻った聖がようやく話し始めた。
「まず、言いたいことが二つあります」
「はい」
「そんなことのために呼び出さないで!」
ワッっと大声を上げる聖。いつも声の小さい聖の全力の咆哮を浴びて、正陽は反射で「ごめん」と謝った。それくらい衝撃的だったからだ。
「なにを聞かれるかと思ってビクビクしてたんだから! 正体ばらしちゃったとか、身バレとか、本当に怖かったんだから!」
「ごめん……」
たしかに物事を大げさにしてしまった正陽には非がある。先程の反射的な謝罪ではなく、今度は本心からの申し訳なさを表すために頭を下げた。
「もう一つ。 配信見るのやめてって言ったよね! なんでまた見てるの!」
聖は怒りのボルテージを下げずに二度目の咆哮を上げた。さすがに二回目ともなると正陽のメンタルに余裕が出てきて余計なことを考えてしまう。こんなにも怒るだなんて、聖はいつも内心に激情を抱えていて、それをうまく隠しているのではないか。いや、それにしては声が裏返っているし、怒ることに慣れていないのだろう。
このような聖の考察のついでに、正陽は反論を行う。
「それは、前も言ったけど、俺の知ってる今里さんとVtuberの今里さんは別人だから、全然気にならなくて」
「気にするよッ! こっちはめちゃくちゃ気になるよ! 中身知られてる人にあの挨拶とか、キャラとしての喋り方見られてるんだとか」
「『みーんなおはようサンサンサンっ!』のこと?」
「ヴァッ!? やめてよ! そういうのが怖いんだから。このコメントの中にいたらどうしようとか」
「まあコメントはしたけど」
「しないでよ!」
正陽と聖の言い争いは平行線だった。
配信活動がバレており、しかも監視されているように感じる聖と、配信活動と本人を切り離して考え、あくまで一視聴者として楽しんでいる正陽。議論がまとまるはずもない。
結局、しょうもない(※個人の感覚)ことで呼び出しを行わないという条約を取り決めたことで、強制的に話し合いを終了させた。
二人が解散しようとしたとき、正陽は当初の目的が果たせていないことに気がつく。
「最後にひとつだけ。あのゲームはなんのゲーム?」
「ゲーム?」
「その、今里さんがずっとやってるやつ」
言い争いを経たことで、聖の慣れていない人に対するこわばった態度からかなり砕けていた。
「これ? パフェクラだよ。『PERFECT=CLASS』っていうやつ。アニメ化したりしてるよ」
正陽が知らないと首を横に振ると、聖はスマホで画像を見せながら説明を始めた。
この説明を通じて、正陽はかなりパフェクラに詳しくなった。なぜなら、聖がそこからノンストップで三十分近くずっと話し続けたからだ。しかも情報量の密度が高く、それが休みなく続くので、正陽は数学の授業を思い出していた。
誤解してほしくないのだが、正陽はそのオタク仕草を悪く思っていないし、むしろそうやって自分の好きなものを語る聖の姿に釘付けになっているということだ。正陽のもつ聖のイメージは、地味でオドオドしている姿である。しかし、好きなものを語る聖はそんな様子を微塵を感じさせないほど生き生きとしていた。
正陽が考えるに、このような『自分の好きなものを語る』という行為は大きなリスクを抱えている。語る本人は楽しんでいたとしても、相手はそれに対して、知らないし、興味を持つかもわからないし、おすすめできるほど優れたものではないかもしれないし、面倒だと感じてしまうかもしれない。パフェクラへの愛を語る聖をはじめとする友人にこれらの感情を抱くことはないが、それでも正陽は怖くて、いまだにできないままでいる。だから、それを聖の持つ大きな魅力だと考えた。
「その話しないの? 日向ヒマリのときに」
「え?」
ようやく解散するといった直前に、正陽は聞いてみた。
「そうやって語るのめちゃくちゃ面白いよ。日向ヒマリのときはそんな話しないけど、本当はアニメとか漫画とか詳しいみたいだし。オタク相手ならなおさらネタになるんじゃね?」
正陽は聖にそう提案する。あくまで提案をしているだけであり、決して批判ではないという思いを込めて遠慮気味に話していたものの、聖が顔を強張らせたことから、その意図はうまく伝わらなかったと察する。今のは忘れてほしいと謝罪しようとしたとき、聖のほうが先に口を開いた。
「この前、有村くんが『日向ヒマリと別人みたい』って言ってくれたとき、すごくうれしかった。わたしの目標が達成できてるってわかったから。地味で根暗でオタクなわたしじゃなくて、明るい陽キャの日向ヒマリ」
その言葉を聞いて、正陽は配信を見たときに抱いた違和感の正体に気がつく。
「それ気になったかもしれない。日向ヒマリとして求められたものを完璧にこなしているというか、人間味がないって言ったら言いすぎだけど」
「それがいいの。それがわたしの求める日向ヒマリなの。裏側なんて人間味なんて一ミリもいらない」
そう自分に言い聞かせる聖に、正陽は同じようなことを言っている人がいたことを思い出す。
「未熟さを餌にして人を呼び寄せたりしない。わたしは強く潔く死んでやる」
その姿はとても美しくて、正陽は強く惹かれてしまっていた。そのギラギラとした輝きを浴びて、本物は見たことがないが、ダイヤモンドはこのように光り輝き、だからあんなにも高値で取引されているのだろうと理解した。
しかし、その輝きも、光源がないと意味がない。誰かに光を当ててもらえないと、輝きは現れないのだ。
日向ヒマリには、誰が光を与えているのだろうか。
3
『相談があります』
正陽の個人LINEに連絡がきたのは、朝のホームルームが始まる直前だった。
正陽はその予想外の人物による通知を見て驚いた。クラス全体のグループがあるから、そこから連絡を入れてきたのだろう。正陽は『今里聖』を不審者ではないと報告し、友達に追加すると、OKとスタンプを送った。
しかし、タイミングに恵まれていてよかった。今はちょうど優太がトイレに行っているからいいものの、彼に通知を見られたらどれほど囃し立てられていただろう。それだけならまだいいかもしれない。もし見られていたのがもっと大人数なら……と考えて、自意識過剰か、と熱を冷ます。二人の関係はみんなの娯楽になるものではない。ただのクラスメイトだ。
高校生活が始まって早八ヶ月。体育祭や文化祭といったクラス単位のイベントをいくつもこなしたこのクラスは段々と色気づいてきており、正陽もその熱波の影響を受けていたようだ。幸い一番の親友である優太は画面上の女の子に夢中だし、正陽も今のところ予定はない。今里聖も……ないような気がする。かなり偏見にはなってしまうが、実際クラスで男と話している姿を見たことはないし、男の中で話題に出ることもない。
しかし、日向ヒマリ自体は以前恋バナ配信を行っていた。その内容としては、リスナーの恋愛相談にのるというものだったが、悲しきかなVtuberリスナーが豊富に恋愛話を持っているわけがなく……。結局見本のようなかわいらしい恋バナを提供してくれた女性リスナーと、若い子との付き合い方がわからないおじさんの相談だけで配信は終わってしまった。
リスナーの少なさは新人だから仕方ないし、正陽だって場を盛り上げる恋愛相談をできなかったため、何かを言える立場ではないが、なかなか厳しい企画だった。それから日向ヒマリは恋愛相談企画をしていない。しかし、諦めずとも、もっといい感じに調理する方法があるのではないか。
「だからさ、もう一度企画を練り直してもいいんじゃないかな」
「怖ッ……!」
冗談ではなく本気で怯える聖に、正陽は自身の親切心を馬鹿にされているようで不快感を抱く。
「なんだよ。せっかく心配してるのに」
「知らないところでクラスメイトが自分の恋愛話聞いてる上に、改善策も提供しようとしてたら怖いよ」
「そうか……」
お節介すぎたか、と正陽は反省する。そのしょんぼりとした姿に、自分のためを思って口を出してくれたのだ、と聖は考えを改め、謝罪と感謝の言葉を述べた。その後十秒近い沈黙が流れ、その気まずい空気を断ち切ると同時に本題に入るため、聖がひとつ咳払いをした。
「えっと、勝手にLINE追加して連絡しちゃってごめん。有村くんに相談したいことがあって」
そういえば相談事があると連絡してきたのは聖の方だった。正陽が恋愛配信についてのアドバイスを送るために、二人は向かい合っているわけではない。
二人は同級生に会わないため、わざわざ学校から少し離れた寂れた公園まで移動している。集合場所を決めるためにLINEで何回もやりとりをしたときや、友達から逃げるように教室を出るとき。さらに疲れた体で公園へ向かうときなど、自分は今なにをしているのだろうか、とわからなくなる場面が正陽には何回もあった。正直LINE上で相談してくれれば楽なのにと思ってしまった。
その思いは、正陽だけではなく言い出しっぺの聖も同じであった。正陽が教室を出てからキッチリ十分後に教室を出たとき、自分はなにをしているのだろうと我に返ってしまった。こんなことしなくてもLINEを使って文面でも通話でもして話せばよかったのに、別に男女二人で歩いていたってカップルだと冷やかされるわけでもないだろうに。だが、完全に指摘するタイミングを逃してしまっていた。
しかし、相談事があるのは事実だ。さっさと相談してさっさと解散しよう。
「流行りの歌を教えてほしいんだ」
「歌?」
「そう。歌枠やるの」
聖、いや日向ヒマリの事情というのはこうだった。
日向ヒマリの所属する事務所から、歌枠のセットリストを考えてほしいとの通達があった。歌枠というのは、カラオケ配信をすることだ。推しの歌声を堪能できてサイコー! その子の選曲から趣味が分かって良い! などと、優太に解説されたことがある。
今回の相談事というのは、その選曲に悩んでいるというものだった。
「好きな曲歌えばいいじゃん。歌枠ってそういうものでしょ?」
「いやいやいや……! わたしの趣味と日向ヒマリは違うから。誰も知らないアニソンとかセリフ有りの曲を歌われても困るよ」
正陽は友達とのカラオケで知らない曲を歌われたときのことを思い出す。たしかに盛り上げるのは難しかったが、新たな曲との出会いがあって面白かったと記憶している。
「好きな曲だから聴いてくださいじゃダメなん。その曲好きなんだ~、みたいな感じで輪が広がる気がするんだけど」
「ダメったらダメ! だから、有村くんのオススメ……というか、今どきの女子高生が歌う曲を教えてほしくて」
今どきの女子高生って、聖だって今を生きる女子高生だろうに。しかし、賛成するかは置いておいて、言おうとしていることは正陽にも伝わってきた。要はオタクではなく、今どき陽キャJKが歌いそうな曲を教えてくれと言うのだ。
それをなぜ正陽に頼むのだろうとは思うものの、漫研に所属し、いつもパフェクラをはじめとするオタク話を続けている聖のコミュニティには難しい課題なのかもしれない。それで、数少ない交流できるコミュニティの外の人間として、正陽に白羽の矢が立った、と。
「女子が歌いがちな曲なんて調べれば出てくるよ。カラオケのランキングでもいいし」
「それだとあまりにもテンプレすぎるというか。理想は王道・王道・たまに『あ、その曲歌うんだ、センスいいねー』みたいなセトリ」
「そんなのわかるわけないだろ」
正陽はそう断りつつ、スマホではカラオケのランキングを調べていた。日々異常な速さで新たな曲が流行るわりには、カラオケランキングの変動はあまりない。これを上から順番に歌っていくだけでも盛り上がるとは思う。しかしそれでは満足できないらしい。おそらく、日向ヒマリのキャラに合った選曲がしたい、ということなのだろう。
「アイドルソングとかどうかな? わたし詳しくないけど」
「あー、めっちゃ流行ってるやつとか入れていい気がする」
「アイドルソングの中でもセンス枠の曲あったりしない? ちょっとマイナーだけど超名曲とか」
「それ矛盾してない?」
「あー、じゃあ有村くんが好きな曲は?」
正陽の痛い指摘をごまかすための聖の問いかけに、正陽は顔を少し歪ませてしまう。
マイナーだけど超名曲。正陽は、その問いへの回答を持っていた。何百回も繰り返して聞いた一曲を思い出し、しかし口には出せなかった。その曲名を人に話したことがなかったため、発声の仕方がわからなかったからだ。
「……ないかな。あ、アイドルソングまとめ見つけたから送っとく」
「ありがとう。.......待って、やっぱりダメだ。アイドルソング歌うなら、そのグループのファンじゃないと」
「今流行ってるって理由だけじゃダメなの?」
「ダメだよ。そんないい加減なことじゃ、ファンの人に失礼」
また振り出しに戻ってしまった、と頭を抱える聖に、正陽は「なんで配信者やってるの?」と疑問を抱いた。
抱いただけだ。聖の気分を害する気がして、口には出していない。
世間の興味は一瞬で過ぎていくし、ネットの世界の移り変わりはまるで光の速さだ。我々はほんの数秒の新たな刺激に夢中になり、そしてすぐに忘れていく。そんな世界で生きようとするには、聖の姿勢は清すぎる。
「じゃあなにも歌えないんじゃない?」
「そうだよねー。歌枠なんてムリですって断ればよかった……」
そう言って肩を落とす聖を見て、正陽は自身の失態に気がつく。もし正陽の言葉で日向ヒマリの活動が縮小してしまったら、ファンへの顔向けができない。どうにかして聖のモチベーションを上げようと考え、そのヒントを得るため、他のVtuberの歌配信を検索する。
「Vtuberの人って結構歌うんだね」
「そうだよ。大きな会場でライブとかもしてる」
「じゃあみんな持ち歌があるんだ」
「うーん、もちろん自分のオリジナル曲がある人もいるけど、歌枠のほとんどはカバー曲だよ」
「それファン的には嬉しいの?」
答えの決まりきった問いを投げかけると、聖は予想の三倍目を輝かせた。
「嬉しい、嬉しすぎる! 普段の喋り声とは違う魅力的な歌声をまるまる堪能できるし、あと選曲も、その人にあったイメソン的なものから、好きなアーティストみたいな趣味がみれるのも嬉しい!」
「じゃあ日向ヒマリもがんばんなきゃな」
カッコつけすぎかな、と自分で小恥ずかしくなりながらも、正陽はそう言った。
最初はキョトンとしていた聖も、意図を理解したようで、先程の自分の発言を振り返りながら満足そうに頷いた。
「そうだよね。楽しみにしてくれる人がいるよね。よし、今回は選曲がダメダメだけど、次は上手くやれるようにがんばる。今はとにかく歌声を届けられるようにがんばる」
聖は自分に言い聞かせるように決意を口に出した。事態が丸く収まったところで、二人は再び選曲をどうするか、という問題に向き合い始める。
最初は流行りの曲だったり、十代に人気の曲をまとめてみたが、歌に自信がないと落ち込む聖を見て、正陽はカラオケで歌いやすい曲を探し始めた。
「音域は?」
「え? わかんない。カラオケとか行かないし……」
「合唱のときのパートは?」
「アルトだった……でも、話せる子がみんなアルトだったから選んだだけだったな。ソプラノ歌う声高めの子ってみんなキラキラしてない? 自分があの集団でうまくやっていける気がしなくて」
「なるほど? よくわからんけど高めの方が今里さんの考えるキャラにあってる気がする」
その日、結局セットリストが完成したわけではないが、世の中にある無限数の歌の中から、それでもある程度までは絞り込むことには成功した。
「本当にありがとう」
「ハイハイ」
何度も感謝の言葉を繰り返す聖。何度目かもわからないありがとうを浴びた正陽は、若干投げやりな返事をしてしまった。それを誤魔化すため、正陽は間を空けずに話を続ける。
「何回も聞いてゴメン。本当に好きな曲歌わないの?」
輝いていた聖の目が一瞬にして曇る。コイツまたかよ……の目だ。もしかしたら先程の自分もこんな表情を作ってしまっていたのかもしれない。
「歌わないよ。オタクって感じの変な歌だし」
「好きな曲のほうが歌いやすくない?」
「それは『日向ヒマリ』じゃないでしょ」
「好きなものを隠したままだと『今里聖』じゃないだろ」
正陽の言葉に、数歩後ろを歩いていた聖が足を止める。ローファーの硬い音が聞こえなくなって、正陽はすぐに後ろを振り向いた。
聖はいつもの猫背をさらに悪化させて俯いていたから、表情がわからなかった。しかし、声は震えていた。
「それのどこがダメなの?」
怒っている。以前聞いた怒号とは真逆の小さな声が、明らかに怒気を孕んでいた。
「いや、ダメじゃないけど。もしかして事務所からキャラについて厳しく言われてたりする?」
「言われてないよ。そこらへんやる気ないから」
「じゃあさ、そこまで厳密にキャラを守んなくてもいいんじゃない? 日向ヒマリってさ、今里聖と二人三脚するみたいに支え合う存在なのかなって思うし」
「今のやり方で十分支え合ってるよ」
聖の言い分は合っている。当たり前だが、日向ヒマリは今里聖が操作するアバターであり、それを支え合っていると表現するのには少しの間違いもない。
しかし、正陽が言いたいのはそこではない。今里聖本人が持つ魅力が日向ヒマリに全く反映されていないことがもどかしいのだ。
「これは友達からの入れ知恵だけど、Vtuberっていろんな設定があるんだろ。それならもっと今里さんの個性とか反映させてさ」
「わたしの? そんなの邪魔でしかないよ。それにね、設定って言ってもそんなに重要視されてないから。わたしの好きな双葉紅子ちゃんはただの女子高生ってだけだけど、めちゃくちゃ人気なんだからね」
「そっか、適当なこと言ってごめん……」
予想の二倍の熱量の反論を受けた正陽は、自分の見識の浅さを反省し、素直に謝罪する。そのしおらしさに対して、ヒマリのことを思ったアドバイスを無下にしてしまった罪悪感を抱いた聖は、悩みつつも、譲歩することを決心した。
「わかった。そこまで言うならやる。本当にやる。知名度のない曲歌って、視聴者をポカーンとさせてやる。失敗したら有村くんのせいだからね。あーなんの曲にしよっかな」
そこまで好戦的になれとは言ってないとツッコミを入れようとしたが、口では嫌がりつつも生き生きとし始める聖を見て、正陽は口を閉ざす。それと同時に、どうして自分があんなにも選曲に口出しをしたのかをようやく理解する。今里聖のキラキラとした魅力を日向ヒマリにも映したいと思ったのだ。この笑顔を自分だけじゃなく、もっと多くの人に見て欲しかったのだ。
結局真面目な聖は有言実行し、カラオケの人気ソングをつらつらと歌い上げる配信を行った。有名ソングや流行りの曲が歌われる中、最後の一曲だけは、正陽の知らないものだった。これが聖の趣味か。
「この曲ね、たまたまYoutubeで流れてきて、めっちゃ良い曲じゃん!ってなったので歌いますねっ」
事情を知っている正陽からすると白々しい言い訳の後、知らないイントロが始まる。どうしてこんなにも回りくどいことをするのだろう。ただ「これが好きなんです」と言うだけでいいのに。その後に聖のマシンガントークが加わればもう百人力だ。
まあこれは俺もできないことだけど……そう考えて、正陽は聖への頑なな態度の意味を知る。聖には自分のできないことをしていてほしかったのだ。自分の好きなものを好きなだけ語るなんて簡単なことを、正陽はできないから、それを難なくやってのける聖に憧れたのだ。なのに、本人はそれを自覚せず、むしろ恥ずかしいものだと人に見せないようにしている。そんな普通なことしないでくれ。正陽にできないことをやってくれ。そうでもなきゃ、正陽は聖のなにがよくて一緒にいるのかわからない。そうでもなきゃ、聖がVtuberになる意味なんてないのに。
ベッドの上で目を閉じていると、正陽のLINEにメッセージが届いた。聖からだ。そこには「ありがとう」と散々繰り返された言葉が再び記されていた。
ちなみに、配信の最後に取り上げた曲はマイナーだと思っていたが、そんなふうに思っていたのは正陽だけで、あるコミュニティの中では超人気有名曲だったらしく、動画配信サイトのMVはミリオンを大きく超えて再生されていた。だからXで検索をかけたところ、ちらほら反応している人が存在したいたし、声の大きそうなファンが取り上げているのも確認できた。
正陽は勝手にその選曲は「誰も知らないけど良い曲」だと思いこんでいたため、一瞬残念に思うも、そこで自分が残念に思う理由がないことに気がつき、それ以上考えることはなかった。
これで聖が自信をもってくれれば嬉しいのだが、そこで大はしゃぎしないのが聖らしいさと魅力であることがわかってきた。しかし、褒められてもあまり喜ばないのがいいだなんて本人に伝えたら、今後のリアクションの仕方を困らせてしまうだろう。
しかし、日向ヒマリのファンは、このような日向ヒマリが持ち得る魅力を見られないのは、なかなか惜しいことだと思う。これを知ればもっと多くの人が日向ヒマリを好きになるのに。日向ヒマリの魅力を出そうとして、今里聖が元来持つ輝きを隠すのは、商売下手としか思えなかった。
正陽は今里聖、というよりも日向ヒマリとの関わりが生じてから、正陽の視野はかなり拡張されていた。正陽は日向ヒマリの活動をより知るためにVtuber について調べるようになった。しかし、動画配信サイトには膨大すぎる数の配信者が溢れており、正陽は勢いに押されて流されてしまった。
そこで、正陽がそもそも日向ヒマリを知るきっかけとなったVtuberファンの優太に聞いたところ、大量の文章と動画が送られてきた。再び情報量に飲み込まれる正陽だったが、優太というフィルターを通したおかげで、それでも許容できる量の情報を得ることができた。
正陽はXで人気Vtuberの投稿を検索してみる。彼らの多くは大きな事務所に属しており、配信を始めるその瞬間から大きな注目や反応を集めていた。何気ない投稿もくすっと笑えるようなものが多い。聖にもこんなユーモアがあれば、とは思うものの、そんなセンスを磨き上げるのは至難の業だし、自分だって何が面白くて面白くないのかわからない。
続いて、聖と似たような小さな事務所や個人で運営を行っているVtuberを見る。フォロワーも再生数も先ほどの集団とは格段に劣ってはいるものの、個性の光る彼らには惹きつけられるものがある。日向ヒマリにも、もっと大きな個性が必要かもしれない。
さらに調べていくと、本人のフォロワーを大きく超えるような話題性を持つ投稿をたびたび目にする。たしかに、動画を見るよりも手軽に摂取できる短文や画像の中で大きな話題を呼ぶことができれば、それをきっかけに一気にリスナーをゲットできるだろう。日向ヒマリにも、このような爆発力が必要かもしれない。
そしてこれらの願いは、今のままでは果たされないという予感があった。聖はなぜそこまで頑なにキャラクターを守り続けるのだろう。事務所から強く指示されているわけではなく、ただの自分の判断らしい。
だが、少なくともXの使い方はより工夫できるはずだ。正陽はそのようなことを、アドバイスにも満たないような低い姿勢で遠慮気味にLINEに打ち込んでみる。いつも通り「ダメ!」と怒られるかと思いきや、「考えてみます」との返信がきた。
なぜなら、それは聖自身が悩んでいたことだったからだ。
聖はXの投稿数を増やさないといけないとは思いつつも、実行できていない。聖の中の『日向ヒマリ』は、SNSを頻繁に更新するし、ファンへの返信もバンバン飛ばしていく。
しかし、聖にはそんな勇気がなかったし、他人と関わろうとする積極性も不足していた。それに、更新が多過ぎて本来伝えたいお知らせが埋もれてしまっては元も子もない。それを防ぐには……サブ垢か。作ったほうがいいのはわかっているが……。
惰性でスワイプを繰り返すと、話題の投稿がいくつも流れてくる。
『生理辛くて仕事休みたいって言ったらバカにされてケンカになって別れたことある。ちょっと指切って血が見えただけで大げさにわめく奴が口出すな。お前も股から血を出せ』
この投稿は数時間前に投稿されたのに、もう一万以上いいねがついている。たしかにこんなことを投稿するならサブ垢を作るしかない。
聖は静かな自身の通知欄を開いて、スマホの画面ごと閉じた。
4
日向ヒマリと今里聖を取り巻く環境が悪化し続けている。
ひとつは登録者数の伸びの悪さ。これはヒマリに限ったことではなく、事務所に所属する三人全員がそうだった。流石に危機感を抱いたため、久しぶりの同期コラボ配信を行うも、普段から関わりのない三人が集まっても盛り上がれるわけもない。むしろリスナーからは不仲なんじゃないかとの悪い疑いをされてしまう結果となった。
もうひとつは、希望的なことであり、聖からすると絶望的なものであった。
同期のひとり、八乙女ボタンの投稿がインターネットで話題になったのだ。
『生理辛くて仕事休みたいって言ったらバカにされてケンカになって別れたことある。ちょっと指切って血が見えただけで大げさにわめく奴が口出すな。お前も股から血を出せ』
この投稿は多くの女性の共感を呼び、大きな反響を生んだ。そのおかげで八乙女ボタンのフォロワーも大きく増加し、さらに女性の整理をテーマにした配信を行うと、普段の十倍近く視聴者が集まった。
それ自体は好ましいことで、聖も素直にそれを祝福した。問題はその投稿だ。ボタンは八乙女ボタンとしてのアカウントでバズったのではなく、サブ垢という日常的な投稿を行うアカウントでバズったのだ。配信者として話題になったのではなく、ひとりの人間として話題になり、それが配信活動にも影響を与えている。聖の思想とは相容れないものだ。
「ああいうのってどうなの? 今までロリっぽいキャラでやってきたのに急に違う配信するなんて。有村くんもそう思うよね!?」
「あー……んん。まあそうかも……?」
鬼気迫る表情で語気を強める聖に対して、正陽は曖昧な反応をした。それは口が悪くなっている聖に引いているのではなく、この会合のルールのようなものに基づいた対応をしているだけだ。
あのカラオケ配信から約一ヶ月。正陽と聖は定期的な交流を続けていた。お互いの趣味が合ってるわけではないが、日向ヒマリという存在を中心にして、二人はなんだかんだ気が合ったのだ。といっても話す話題は主に日向ヒマリのことであったが。
しかし、日向ヒマリという存在は会社のものなので、部外者にペラペラと内情を話すのはいけないだろう。最初はそのようなことを言っていた聖だったが、同期や同じ配信者との交流がほぼないため、募るものを発散できる場もなく、唯一事情を知っている正陽に抽象的な悩み事の話を始めた。だが、そのようなフワッとした話だけで正陽が理解できるはずもなく、正陽もフワフワッとした返答しかできなかった。
その後ついに我慢できなくなった聖は、「ひとりごと!」と宣言し、堂々と話を始めるようになった。あくまで聖の話すひとりごとが聞こえているだけ。正陽は律儀にその設定を守っているが、当の聖はもうお構いなしで、正陽からの返事を求めている。
「あんまり賛成してないね? ボタンの肩を持つんだ。バズればなんでもいいんだ」
「そうじゃないけど」
しかも真面目に返事をしないと怒ってくる。もう設定はどうでもいいのか?
「それで、あ」
聖のスマホが震え出した。正確には聖の、ではなく日向ヒマリのスマホである。
「お疲れ様です。はい」
聖は会釈をして、公園の端に向かいながら電話をとった。食べかけのホットスナックの唐揚げをベンチに置いて駆け出す聖を見送って、手持ち無沙汰になった正陽は、自分の分の唐揚げを食べ進める。
この会合のたびに聖は何かしらのお土産をくれる。申し訳ないから、とお金を払おうとしたが、「いつも話聞いてもらってるからそのお礼。それにわたしお金もらってるから」と断られた。事実、バイトをしていない正陽よりも聖のほうがお金に余裕がありそうなので、素直に甘えておく。
「おかえり」
唐揚げを食べ終わったところで、ちょうどよく聖が帰ってきた。しかし、その顔色はかなり悪くなっており、なにがあったのかと正陽が驚いてしまう。取り出したスマホは日向ヒマリ用のものだと思っていたが、実は本人のもので、身内に不幸があったのかもしれない。
正陽が声の掛け方に戸惑っていると、聖が深いため息とともに電話の内容を説明し始めた。
「わたし、クビになった……」
「え?」
「日向ヒマリ、もうダメだってぇ」
その言葉をきっかけに、聖は涙を流し始めた。女子を泣かせたことのない正陽はスマートな慰め方を知らなかったし、それ以上にクビになったという本人の宣言を前にして、なにもすることができなかった。温かい飲み物でも買ってこようかと思ったが、聖には食べかけの唐揚げが残っており、そこにさらに物を追加するのは違う気がしてやめる。結局話が進んだのは、聖の涙が落ち着いてからだった。
「全然伸びないからもうVtuber事業はもうやめるんだって。でも、ボタンは話題になったから続けるみたい。それ以外の二人はクビ……」
「なんだそれ。こっちだって話題になる可能性あるだろ」
「わたしもそう言ったよ。でも現実を、数字を見ろって。ボタンは数字が伸びたけど、お前はどうだって。でも、それでもって言い続けたら、もしあと一ヶ月で登録者数が五千になったら、続けるって」
「五千人か……」
その数字は人気配信者であればほんの数日で達成する人数だったが、気まぐれでVtuber事業を始めた小さな事務所の売れないVtuberからすると、その数字は遥か高い壁のように見えた。事実、事務所は達成できないと知っていてこの数字を出したのだろう。
「どうしよう。どうしようどうしよう」
頭を抱える聖を落ち着かせるため、食べかけだった唐揚げを渡す。こんなときに、とはわかっているが、混乱したままよりもおいしいものを食べて冷静になるほうがよっぽどいい。
「一応聞くけど、このまま何もしないわけないよな?」
「当たり前だよ。なんとかしてクビを回避しないと」
「どうやって?」
「それは……すぐには思いつかないけど、でもなにかしなきゃ。あ、そうだボタンみたいにバズれば」
聖は八乙女ボタンのやり方に批判していたことを忘れていた。それくらいショックだったのだ。それに対して、正陽はあまりショックを受けていない。なぜなら、日向ヒマリのポテンシャルを信じているからだ。だから、自信の無さそうな聖に声掛けを続ける。
「どうやって?」
「どうやってって、それは! それは……」
正陽は聖の狭い視野を忘れていた。カラオケ配信の件があってマヒしていたが、今里聖は本来頼ろうとしない人間だった。正陽にとっては、ただ一つの言葉をくれればよかったし、今もこうやって誘導しているのに。しょうがないが、少しくさいセリフと一緒に。
「今里さん。俺おでん好きなんだよね」
「突然なに?」
「だから、今度奢ってよ。俺、役に立つからさ。先払いってことで」
「手伝ってくれるの?」
正陽がうなずくと、聖はようやく顔を明るくした。
「日向ヒマリの作戦を、一緒に考えてください!」
一緒に考えてくれと言われたものの、正陽にはすでにひとつアイデアが思い浮かんでいた。
「オタクになろう! 今里さんが好きな作品をノンストップで語る配信をするんだ!」
「ダメ!」
正陽の思惑を瞬時に理解した聖は、両手でバツマークをつくる。
「まだそんなこと言ってんのかよ。この前の歌枠で歌ってた曲、すごい人気の曲だったじゃん」
「あれアニメの曲だし……」
「ああ、俺も調べたよ。アニメのX見たらフォロワー十万人はいたよ。それだけファンがいるなら五千人も夢じゃないって」
正陽はいつかチャンスがあるかもしれないと考え、すでにリサーチをしていたし、あの配信の日に一番反響が大きかったのがその曲であることを覚えていた。もしあの時の輪を大きく出来たら、バズるまではいかなくても、今よりは確実に多くの人に見てもらえるだろう。
「日向ヒマリの活動をやめたいの?」
「やめたくないよ。でも、でもさ。やっぱりイメージと違うのを急に出すのは」
「どうにかしたいんだろ。なら変化がないと」
「変化……」
そこから何時間も話し合いを続けた二人だったが、これ以上アイデアが思いつかないことと街灯がつき始めるほどに時間が経っていたことから、強制的に議論は打ち切りとなった。
オタク作戦に全く乗り気ではなかった聖だったが、正陽の熱意に負け、しぶしぶ首を縦に振った。しかし、タイミングは決めさせてほしいとのことで、一週間以内にオタク配信を行うということになった。
そしてその日からちょうど一週間後、ようやく日向ヒマリの配信があった。
「みーんなおはようサンサンサンっ! 日向ヒマリですっ!」
いつも通りの挨拶。配信の告知もいつも通りの雑談配信であったことに正陽は不安を抱くも、それが聖なりのリスナーに対する配慮なのかもしれない。
「最近もーう寒いねぇ。ヒマリコンビニよく行っちゃうけど、もうレジ横ガン見っ。ホットスナックチェックしまくりっ。特に肉まんねっ。おやつ感覚で買っちゃうのよぉ。もうダメっ」
まだか。
「あったかグッズでおすすめある~? へ~、あ、湯たんぽっ。いいよねぇ湯たんぽっ。電気タイプのとかあるよねぇ。ほんと便利ぃ。カイロとかもそうだけど、進化すごしごだよねぇ。すでに完成されてるのに、努力がすごいっ。ヒマリもがんばろ~ってなるよぉ。え? なにをがんばる? まあ人を温められるようにはなりたいかなっ」
まだか、まだか。
「じゃあ、今日はここまでねっ。次回もひまわり畑で集合ねっ。またあそぼっ」
正陽は画面上の「配信は終了しました」という文字が信じられなくて、茫然としたまま動くことができなかった。
なんとか動けるまで回復した後、X上の日向ヒマリの投稿を確認するも、なにも更新されていなかった。次に聖とのLINEを開くも、そこでも反応がなかった。
正陽は聖に聞きたいことがったが、文章で上手くまとめられなかったため、直接話を聞くことにした。
翌日、珍しく朝早く学校に登校すると、すでに聖が教室にいた。それがいつもの習慣なのか、それとも正陽と同じ理由なのかはわからないが、二人だけの教室は都合が良かった。
「昨日の配信どうしたの?」
聖はバツの悪そうな顔をして口を開かない。
正陽は正直彼女の気持ちがわからなかった。しかし確実なのは、もしかしたらミスだったのかもしれないという正陽の淡い期待は潰え、意思を持って約束を反故にしたことだった。
「今里さんはさ、本当は有名になろうって思ってないの?」
「もちろん思ってるよ」
「ならさ、もっとやることがあるだろ」
「……理解者面しないでよ」
まさか反論されるとは思っていなかった正陽の隙を、聖は見逃さなかった。
「有村くんさ、有名になろうとかバズろうとかいろいろ口出してくるけど、それって有村くんのなりたいことじゃないの。日向ヒマリを通じて自分の欲を果たそうとしてるの?」
「は? 俺は今里さんに協力してるだけだし、そんなこと考えてない」
「有名になるのってそんなに大事? 有名になるには今まで支えてくれたファンのこと裏切っていいの? 今まで嘘ついてましたって言って、それから誰がヒマリを信じてくれるの? ただでさえボタンがキャラ変更して戸惑ってるファンがいるのに、これ以上裏切れない」
聖の言い分は正しかった。リスナーを裏切りたくないから。立派な志だ。
しかし、そのまっすぐで綺麗な思いは、ドブ川みたいな世界では透明すぎて見つけてもらえない。
「そういうさ、純度の話をしてるんじゃなくてさ、単純にそれだけだと目立たないってことが言いたいんだよ。ヒマリを好きになってもらうには、まず知ってもらわないと」
「知ってもらえてるよ。それで、好きって言ってもらえてる」
「その数が少ないのは事実だろ。それをどうにかしろって事務所から言われたんだろ」
頑固な聖の言動を前にして、正陽はついに声を荒らげてしまう。
「だから、ヒマリをもっと知ってもらえるようなことを考えたのに」
正陽は実は先程の聖の指摘にギクリとしてしまっていた。クビの危機にあるとはいえ、とにかく有名になることに躍起になって、聖の意見やリスナーのことを全く考えていなかった。しかし、ヒマリを思う気持ちは本物だった。
「事務所からキャラ守れって言われてるわけじゃないんだろ。なら絶対今のままじゃダメだ。オタクで、臆病で、プライドの高い日向ヒマリも見せたほうがいい」
「そんな姿見せたくない。……やめたっていい。そんなことやるくらいなら、クビになってもいい。やめてやる」
『やめてやる』
その言葉を聞いたとき、正陽の中で何かが切れた。数年前に見た彼女の輝かしい姿に、認めなくなかった感情が溢れてくる。あのときもそうだった。本当の自分になれないならここで死んでやる。そう言い切った彼女を、正陽は応援した。それが正しいと思っていて、それ以外の世間の声は全て間違いだと思っていた。今でも思っている。
だが、本当にそうだろうか?
「そいつらだってさ、人気があるからだろ」
その信念は、自分を支えてくれた多くの人間を裏切る価値があったのだろうか?
「今里さんが好きなVTuberもさ、トークや企画が面白いとか、キャラクター性が唯一無二とか、大きな事務所に所属しているとか、そういう土台がある上で信念があるんだろ。お前がそういう人を好きなのは、信念がまっすぐなところだけじゃない。その他のいろいろな要素があったうえで、その複数の魅力の中で一番輝いてるのがそこなんだ。
比べて現状を見てみろよ。日向ヒマリは、トークも企画も面白くない世の中にごまんといる元気キャラのVtuberで、流行りに乗っかっただけの小さな事務所の大して仲良くない同期の中で、一番知名度がない登録者数2500人同節100人の底辺Vtuberだろ! そんなやつが重いプライド抱きかかえたまま死んでも、誰にも見てもらえない。だったら、せめて今いるファンに報いろよ。意地汚く生きてみろよ!」
そうだ。正陽は大好きな人たちをずっと見ていたかった。死ぬなんて言わないでほしかった。ただ生きていてほしかった。
本当にこの言葉を伝えたいのは目の前のクラスメイトではない。これはただの八つ当たりだ。正陽はすぐさま謝ろうとするも、慣れないことをしたせいで、なかなか息が整わず、何も喋ることができない。
正陽がその状態にある理由を激怒しているためだと勘違いした聖は、怯えた目をして、なにも言えないままでいた。
「ごめんなさい」
数分間の沈黙の後、結局次に口を開いたのは聖のほうだった。ひとりごとのような小さな声だったが、二人の間にある静かな空間を震わせるのには十分だった。正陽も謝ろうとする。
「ごめん。言い過ぎた」
その言葉はどこにも届かなかった。LINEにも既読はつかなった。せめて既読スルーしてくれよと思いながら、正陽は聖とのトーク画面を開く。その感覚が1時間、1日、3日と伸びていき、LINEの奥底へ沈んでいたころ、ようやく返事が返ってきた。
『少し話がしたいです』
正陽はすぐに既読をつけると、『了解』と返信した。
場所も時間も決めていなかったが、二人はその日の放課後にいつもの公園で集合していた。
「これよかったら」
正陽が袋から肉まんとピザまんを取り出すと、周囲においしそうな香りが漂った。しかし、聖はちっとも嬉しそうにしない。間違えたか……と正陽は選択を後悔するも、実はそれは聖も同じだった。
「ベタすぎたかな」
聖は袋から肉まんを二つ取り出した。
肉まんが美味しいことには変わりない。二人は無言のまま肉まんを食べ進める。
正陽が二つ目の肉まんを食べ始めたとき、聖がポツリと話し始めた。
「わたしがVtuberに憧れたのはね、この二人を好きになったことがきっかけ」
聖は二人組のイラストを見せてきた。ロングヘアでつり目の赤い少女と、ショートヘアタレ目の青い少女がいた。ほぼ全てが対照的なデザインで整えられた二人は、説明がなくとも二人の関係性を伝えていた。しかし、正陽は二人のことを知らない。勉強が足りなくてごめん、と謝りながらそのことを正直に伝える。
「昔解散したユニットだから当たり前だよ。でも、見覚えない? よく見てみて。特に右側」
聖のアドバイスを受けて、正陽はもう一度画面越しの二人を注視する。
「あ、これ、双葉紅子?」
「うん、正解。左は双葉蒼子っていう子。二人は双子なの。事務所に属してない個人勢のVtuber」
事務所に所属していないVtuber。正陽はその紹介に違和感を覚える。
「え、でも、双葉紅子はバーチュ所属の」
「今はね。でも昔は個人でやってたんだよ。双葉蒼子とのコンビとして」
正陽が双葉紅子のことを知っていたのは、業界大手事務所であるバーチュに所属する人気Vtuberだからだ。有名Vtuberが多く所属するバーチュの中でも、彼女の登録者数は上から数えて十番目ほどであり、界隈について調べていると自然と目に入るレベルの大物だった。
「二人が解散したのは、まあありきたりだけど、方向性の違いが起きちゃって」
聖は二人の説明をしてくれた。
言動や立ち振る舞い、日常までのすべてをエンタメとして提供するほどに徹底して『双葉紅子』であり続けようとする双葉紅子。対して、人間らしさを曝け出して、自分と同じ境遇にいる人の共感を呼んだり、その不安定さから彼女を支えたいと思わせたりする双葉蒼子。この真反対な二人による『りぃぶず・しぃすた』、通称リブシスは知名度と人気が高まるにつれて、ファン層の分断が進んでいった。
「わたしはそんな正反対な二人のあり方が好きだったし、同じ気持ちのリスナーもたくさんいたの。でも、気づいたら解散してた。学校で授業を受けている時に、好きだった掛け合いが二度と聞けなくなってた」
「でもコンビを解散しただけで、配信やめたわけじゃないんだろ?」
「ううん。二人ともVtuber引退した……でも蒼子はすぐ戻ってきた。名前と見た目を変えて。
本当はもっとリブシスの活動も見たかったし、また配信をするなら引退しなくても良かったんじゃないかとか考えちゃったけど、とにかくもう一度あおちゃんの配信をみれて、それが本当にうれしくて……」
新たに活動を始めた蒼子は、コンビ活動時よりも自由な配信活動を行っていた。二人でいたときよりも登録者数は激減し、視聴者も少なくなってはいたが、元からの根強いファンの存在や新規ファンの増加により、今後の配信活動も安泰かと思われていた。
しかし、ここで大きな転換期が訪れる。
双葉紅子が配信活動を再開したのだ。バーチュ所属の新人、『双葉紅子』として。経緯は複雑だが、後のインタビューにおいて、バーチュ内に熱心な双葉紅子のファンがおり、その人が熱烈なスカウトを行ったと語られていた。
もう一度Vtuberの世界に戻ってきたというのは同じだが、名前と姿の違う存在としてではなく、双葉紅子本人として事務所に所属するという特異な彼女の環境は、蒼子と大きく異なっていた。
そこからの紅子の活躍は凄まじかった。紅子のもつトーク力や企画力が、大手事務所と言う後ろ盾を得たことで、多くの人の目に留まるようになったからだ。そのような新規ファンだけでなく、事務所内の他Vtuberとの交流が増えて新たな一面が現れたことで、既存ファンも大いに満足していた。
しかし、その状況を面白くないと感じる人もいた。
『今話題のVtuber 双葉紅子の暴露をします!』_____そんなセンセーショナルなサムネイルの動画が、蒼子の二度目のVtuber活動で最も再生されたものとなった。
「その曝露ってのは、ただの配信の裏側っぽくて。本人は『紅子の態度悪い!』みたいな愚痴も、むしろ裏でも熱心にやってるって好感を得る感じで。
だから、紅子じゃなくて蒼子のほうが叩かれちゃったの。リブシスを知らない野次馬みたいな人が出てきたり登録者数の差を持ち出されたりして、ほんとに地獄だった。
そのあと蒼子は釈明配信をして、そこで視聴者と喧嘩になって、そのまま引退。でも今もどっかで配信者をやってるらしい」
よく知らないけどね、と付け加える聖。その態度から、現在は双葉蒼子のことは興味がないと察することができた。
「いろいろイヤなことはあったけど、一番ショックだったのは、最後の配信のときに蒼子が『全部嘘だった』って言ったこと。自分のキャラも好きなものも全部全部嘘だって言われて、今までわたしが好きだった蒼子はなんだったんだろうって……応援してきたのもイヤだったのかなって、いろいろ考えちゃって。もちろん生身のままで人前に立つよりは、キャラを作って自分を守ったほうがいいのはわかる。これがエンタメだってのもわかる。でも、だからこそ、最後まで嘘をつき続けてほしかった」
聖は声を震わせ、たどたどしく言葉を紡いでいた。それは双葉蒼子をただ嫌っているからではない。今でも彼女のことが大好きなのだ。あのときの彼女のことが。
「俺、誤解してた。今里さんは、双葉紅子が好きだから、誠実でいようとしているのかと思ってた。逆なんだ。双葉蒼子になりたくなくて、こういう態度をとってたんだ」
正陽が確認するように聞くと、聖が頷いた。
嘘つきで、不誠実で、事務所に所属していなくて、人間味の溢れた双葉蒼子から離れようと作り上げたものが、日向ヒマリだったのだ。
「最初は正直意識してなかったの。ただ興味本位でオーディションに参加して、合格して。どういうキャラでいくかって相談したときに、自分と正反対の女の子を選んだ。わたしそのものは面白味のない人間だから、作り上げなくちゃいけないと思ったから。
そのあと初めての配信とかでバタバタして、少し気の抜けた瞬間に思ったの。蒼子ちゃんもこうやって双葉蒼子を作り上げたんだろうなって。自分と違う人間としての振る舞いにストレスを感じるたびに、蒼子ちゃんに同情する気持ちが出てきて。でも、それと同じくらい、蒼子ちゃんを許せない気持ちもあって、絶対こんなふうにはならないって思って」
「それは。それは、関係ないことだよ。日向ヒマリの活動には」
その正陽の言葉は、ただ聖を慰めるためのものではなく、本心から思っていることだった。蒼子が追い込まれていたのは聖のせいじゃないし、蒼子に傷つけられた者を癒すのはヒマリの役割ではない。しかし、優しい言葉をかけられたのは自分が泣いているためだと考えた聖は、目の周りをゴシゴシと拭いて涙を隠した。
「うん。わかってるよ。これはわたしのワガママ。たくさん駄々をこねて、有村くんに迷惑かけた」
聖は頭を下げた。
「本当にごめんなさい。有村くんはヒマリのためを思ってくれてたのに、意地を張って、言うこと聞かないで。それだけじゃなくて、ずっとヒマリのためにいろいろ調べて、考えてくれたのに。それを無駄にしてごめんなさい」
聖は深々と頭を下げたまま、さらに言葉を続けた。瞳から溢れる涙が、頬をつたわずに直接スカートにしみをつくった。
「あと、お願いがあるの。手伝ってほしい。有村くんにもう一度手伝ってほしい。わたし、まだ日向ヒマリと生きていたい。許されないかもしれないけど、醜くても、それがわたしのできる精一杯の誠実なことだから」
聖が顔を上げて、正陽をまっすぐに見つめて、力強く言い切った。そしてすぐに、お願いします、と再び首を垂れた。
正陽は聖のことをもう一つ誤解していたらしい。聖のことを地味な女子だと思っていたが、これは間違いだった。聖は輝いていた。こんなにも涙を流して顔をぐちゃぐちゃにしていても、瞳の輝きだけは失われず、より一層美しく光っていた。
そんなふうに聖に見とれてしまっていたから、正陽は自分のやるべきことを一瞬忘れてしまっていた。我に返った正陽は、それをすぐに実行に移す。
「本当にすみませんでした!」
正陽はずっとずっと謝らなければならなかったのだ。
「今里さんに八つ当たりして、暴言吐いてしまいました。本当にすみませんでした。俺のほうが絶対に許されないし、許してもらえないと思ってる」
そんなことないよ、と優しい言葉をかけてくれる聖を遮って、正陽はさらに続ける。
「もし今里さんが許してくれるなら、日向ヒマリを手伝わせてほしい。いや、手伝わせてください。お願いします」
先程の聖に負けないくらい、深く深く頭を下げた。許せないから、と強くひっぱたかれても、罵倒されてもいいと思っていたが、今里聖はどうしようもなく優しい人間だった。
「当たり前だよ。手伝ってほしい。こちらこそお願いします」
そう言って正陽と同じ態勢になる聖。お互いに自分の太ももを見つめる時間が何分か続き、もういいか、と頭を上げると、ちょうど同じタイミングで態勢を戻した聖と目が合った。聖の顔は相変わらずぐちゃぐちゃだったし、正陽も同じくらい酷い状態だった。本当はクラスメイトにこんな顔見られたくないはずなのに、お互いの醜い部分を見せ合ったあとには、なにも怖くなかった。
「ひとつ、考えたことがある」
正陽は以前と同様に人差し指を立て、以前よりも丁寧に、聖の意見を聞きながら、アイデアを説明し始めた。
「みーんなおはようサンサンサンっ! 日向ヒマリですっ! 今日はー、ちょっと真面目なお話かも……?
実はヒマリ、みんなにウソついてましたっ。ほんとにごめんなさいっ。
今までゲームとか、アニメとか、全然知らないってい言ってたよねぇ? でもほんとは知ってるの……なぜならっ、お勉強を始めたからですっ!
みんながよく漫画とかアニメの話するけど、ヒマリは知らなくて、それでちょっと寂しいところがあったのねぇ。だから今はいろいろ見たりしてるんだぁ。えらい? えらいよね? ありがとっ!
それでそれでっ、今日の配信では早速ゲームの話をしちゃうよ!
PERFECT=CLASS』略してパフェクラっ。え? チョイスが渋い? まあいいじゃんっ。
めっちゃおもしろいよこれっ。じゃあ簡単なあらすじの説明からいくねっ」
「やっぱりウインナーがうまいよなあ」
「え? おでん好きなら、大根とかはんぺんとかが好きじゃないの? それおでんじゃなくてもいいじゃん」
「わかってないな。この味はおでんに入ってるウインナーだからこそなんだよ」
「ふーん。まあそういうの雑談のネタになりそう」
聖はスマホの配信メモに「おでん」と書き記す。
結局のところ。
日向ヒマリによる『パフェクラ』解説動画は、普段の視聴者だけでなくそのゲームのファン層も取り込むことができ、登録者数が1000人ほど増加し、合計3500人程度になった。そう、結局は目標に届かなかったのだ。しかし、今回の配信でチャンネル登録者が増加したのは事実であり、今後もこの感想企画を続けていくことで視聴者を伸ばしていくことができるだろうと根気強く説得を続けたことで、ヒマリのクビは白紙に戻った。
これはヒマリだけでなく、ボタンが予想以上に人気になりVtuber事業に希望が見えたことや、今後はユニット売りも進めていきたいという要因もあったのだが、とにかく聖は今後も配信を続けることができることになったのだ。
約束通りに聖はおでんを正陽にプレゼントした。好きな具材がわからないから、とコンビニおでん全種盛りを渡された正陽は、食べきれないと言い、二人で食べることにした。
いつもの寂れた公園で並んで座る二人。もっと暖かいところで集合すればいいのに、二人にはもう定番になっていた。
おでんを食べ終わり、体が温まったところで、正陽がひとつ咳払いをする。
「見てほしいものがあるんだ」
正陽はそう言ってYoutubeの検索欄に見知らぬ単語を打ち込んでいく。聖はその意味を推し量ろうとするが、二つの英単語を組み合わせた造語であるそれ自体に意味はない。
正陽は検索結果の一番上に出現した動画をクリックする。最後にその動画を見たのは約二年前で、そのときから大きく再生数は伸びていなかったが、着実に増加はしていた。あのときから見ることができなかった動画。しかし、聖と一緒だとなぜか抵抗がなくなっていた。
空気の読めない広告の後、ようやく動画が始まる。
開幕、画面の中央にいるショートカットの少女がアカペラで歌い上げると、ひとり、またひとりと新たな少女がステージに飛び入り、五人集まったところでドラムのカウントが始まる。この曲のタイトルらしきロゴが大きく現れると同時に、バンドサウンドを背景にして、黒い衣装に身を包んだ五人の少女が、高いヒールをものともせず軽やかに舞い踊る。その一方で歌声は力強く、画面の向こうの熱がこちらに伝わってくるようだった。自分の人生を生きろと叫ぶボーカルに、こちらを射止めてくる視線に、五人の少女から目を離せなくなった。
「かっこいい」
聖がそう呟いた。
思わず感情が零れ落ちてしまったかのように呟かれたその言葉を聞いた正陽は、視線を動画から聖に移す。聖の瞳はキラキラと輝いていて、それが正陽をおだてるための嘘ではなく、本心であると伝わってきた。
聖はなぜこんなにも楽しそうでいられるのか、と疑問を抱く。そしてすぐに気がついた。聖は正直なのだ。自分の好きなもの、楽しいと感じたものに正直に向き合って、そしてそのキラキラとした感情を繕うことなく出力する。
正陽はそれを見て、ようやく自分自身で動画に向き合った。他人の評価が気になるなんて、なんと浅ましいんだろう。でも、最後のひと押しをくれたから、正陽はそれができた。
「すごいカッコよかった! 語彙力無くてうまく言えないんだけど、自分もこうやって強くなりたいって憧れる感じというか……え! な、泣いて……?」
興奮気味の聖の言葉が、正陽の様子を見て驚愕の言葉に替わる。バレずにごまかそうと考えていた正陽も、観念して、ただごしごしと乱暴に目元をこする。しかし、すでに赤くにじんでいた目はもうどうしようもない。
「ごめん」
このように号泣するのは何年ぶりだろうか。正陽は人前で泣くことはおろか、自分だけの空間でも泣くことを久しくしていないので、涙が止まらないときやそれでも会話を続ける必要があるときの対処方法をわかっていなかった。
そう、正陽は泣かなかったのだ。大好きだったものがなくなったあのときも。
「好きだったアイドルなんだ」
『Florays』は新進気鋭の五人組アイドルグループだ。
姉から勧められて何気なくステージを見た正陽は、彼女たちに釘付けになった。その後姉は他のグループを追いかけ始めたが、正陽はずっとFloraysに夢中だった。気高くて、かっこよくて、かわいくて、なにより真面目さが伝わってくるステージだった。
しかし、人気はなかなか上がらなかった。正陽はその理由がわからなかったが、流行りではなかったのかな、と思うことがある。かわいいを突き詰める日本のアイドルや洗練されたパフォーマンスを提供するKPOP、そのほかにもさまざまな個性をもったアイドルがいる中で、彼女たちは『必死にアイドルをやること』が個性だった。ほんの数秒で興味が移り変わる時代で、彼女たちは誠実にアイドルをやった。真面目すぎた。
そして、そのころにはもう、Floraysはナイフのように尖っていた。いつ終わりでもいい、とファンを突き放していく姿にFloraysのファンは心配しながらも熱狂した。そして解散した。
解散が発表された瞬間、正陽はただ「そうか」と思った。自分でも驚くくらいに冷静で、もっとショックを受けると思っていたのに、目の前のニュースをただ受け止めるだけの自分に嫌悪感さえ抱いた。SNS上では悲しみを表明する声が多かったし、ファンとして繋がっているアカウントも、正陽よりはるかに感情豊かに文章をつづっていた。
そんな中、Floraysのファンの中でも有名なオタクが、この解散に対して肯定的なコメントを投稿した。
『普通のアイドルグループならばダラダラと活動を長引かせていただろうに、” Florays”は潔い終わりを選んだ。こんな決断ができるアイドルが他にいるだろうか? 彼女たちは、これで真に伝説になったのだ。』
すると、彼のフォロワーや周りの人がこぞってその意見に賛成し、次々にFloraysの姿勢を褒め称えた。正陽はそのムーブメントの大きさを見て、これが正しいと考えた。今考えると、それは他人の声に委ねて楽しようとしているだけで、心の底にあった寂しさをケアできていなかった。
自分は他人の声ばかり聞いている。そのことに気がついたとき、なにもできなくなった。
正陽は怖くなってFloraysを見ることができなくなったのだ。あれは、周りの人が良いって言ってただけで、実はそうでもないんじゃないか。彼女たちの人気は、彼女たちのパフォーマンスに相応のものだったんじゃないか。もしもう一度見ることで、Floraysの人気のなさは当然だとわかってしまったらどうしよう。正陽は過去を美化しているだけだったらどうしよう。そんなグループが好きな自分まで、ダサいと思われたらどうしよう。
「そんな感じで、俺ずっとダサくて」
「そんなことない。わたしだって、『不祥事を起こしたあおちゃんのファン』って見られるのがイヤだった。でも、それも含めて、双葉蒼子から離れる決断をしたのはわたし。有村くんだって自分でたくさん考えて、決断してるよ」
「違う。今里さんはちゃんと自分の気持ちに向き合ってる。俺はそれすらできてなかったんだ」
「そうかな? ちゃんと向き合ってると思うけどな。だって」
向き合えてないよ、と正陽が反論する隙を与えずに、聖が畳みかける。
「ヒマリのこと、好きでいてくれた。人気はないし、面白くないし、頑固だし、どうしようもない女の子だけど、そんな嫌な部分も包み込んで好きでいてくれた。それって、周りがどうとかじゃなくて、有村くんがヒマリのことを信じていたからだよね。有村くん自身が、自分の中にある、ヒマリを想う心に向き合ったからだよ」
そう言って笑う聖を見て、正陽はなぜか日向ヒマリの笑顔を思い出していた。
そうだ。ただ優太から存在を教えてもらって、なんとなく配信を見始めただけ。そんなふうに考えていたけど、そのときに芽生えた愛情を、正陽は忘れずにずっと胸の中にしまっていたんだ。Floraysだって、今は奥深くに眠っているだけで、ずっと積み上げてきた愛情は捨てていない。
たしかに誰かの意見は気になってしまうが、それでも、自分がどうしたいかという衝動を無視する必要はない。正陽だって、そうやって、自分の感情に向き合うことができるんだ。
「そっか、そうだよな……」
聖の言葉を噛み締めると、正陽はバチンと両頬を叩き、気合いを入れ直す。当然の正陽の行動に戸惑う聖の目を真っ直ぐ見つめた。
「言いたいことがある」
「うん」
正陽は先程の自傷で頬が赤くなっていたが、心拍の速さを鑑みるに、現在頬が赤いのはそれだけではないことを知る。そして、その熱は聖にも伝わってきていた。放課後、男女二人、顔を赤くして自分を見つめる男。聖は生唾を飲む。もしかして彼がわたしの初めての彼氏になるのだろうか。もちろんそういうことは考えなくはないけど、無縁の世界だと思っていたし、正陽も完全に対象外だった……そのはずなのだ。
「今里さん、俺」
「はい……!」
来る! どうする、どうするんだ聖!
「お、俺の好きなアイドルを紹介させてください!」
「__はい……え?」
聖の答えに大きくガッツポーズをする正陽。その反応自体は聖が予測していたものだったが、それ以外で予想外のことが生じている。アイドルの紹介?
「ありがとう! じゃあ改めて紹介する。グループ名はフロレイズって読んで、あ、綴りはこう。花のFlowerと光のRayを組み合わせた造語で」
楽しそうにペラペラと喋り出す正陽の顔は、聖が今まで見てきた中で一番輝いていた。
もしかして、自分もこんな顔だったのだろうか。正陽はずっとこの顔を見てきたから、この輝きがどれほど魅力的に映るのかを知っていたから、ずっとアドバイスしてきてくれていたのか。有村正陽は、今里聖のことをずっと見ていてくれたのか_____
ああ、と聖は心の中でため息をつく。
今芽生えたこの感情にどう向き合っていくかは悩ましいところだけど、少なくとも他の女の子の話を一番楽しそうにしているうちはダメだな。
「__それで……ちゃんと聞いてる? わからないところあったら遠慮なく言って」
「うん。『本当にありがとうっ。有村正陽くんっ』」
「は!?」
正陽は突如目の前に現れた推しの声に驚き、30cmほど飛び上がる。
そんな姿をみて、聖は大声で笑った。
終わり