
人生をまだ降りたくない――子どもが巣立った後、どう生きるか
「遠藤さん、全部持ってるじゃない。」
仕事で出会い、その後プライベートでも付き合うようになった少し年上の女性が、私の運転する車の助手席で突然言った。
「全部?そんなに大したものは、何も持ってないですよ?」
謙遜ではなく、心の奥底から出た本音だった。
「だって、結婚もしてて、お子さんも2人いるでしょう?しかも、男の子と女の子。」
彼女は、お世辞でも社交辞令でもなく、本心からそう思っているようだった。
そして、続けた。
「北海道なんて、住むのにめちゃくちゃいいところじゃない?そこで好きな美容を仕事にして豊かに暮らしてる。」
とても意外なことを言った。
彼女の言葉が腑に落ちなかった私は、怪訝な顔をしながら、
「え、うちお金持ちじゃないですよ?」と返した。
すると、彼女は次々と私の持ち物を数え上げた。
でも、どれも不思議なくらいピンとこなかった。
当時の私には、持っているものより、持っていないもののほうがよく見えていた。
今頃、2冊くらい紙の本を出しているはずだった。
もっと評価されているはずだった。
もっと遠くまで来ているはずだった。
少なくとも、自分の方向性を変えたいと思いながら、何をしたいのかわからず迷走している時期が2年半もあるとは思っていなかった。
数年前、美容誌の求人に応募したら、「採用になったら東京に住めますか?」と聞かれて断念したことがある。
思い返せば、距離が原因でダメになった仕事は、この12年間で山ほどあった。
政治や経済だけでなく、美容の中心も東京だった。
地方在住。
しかも、名古屋でも大阪でも静岡でもなく、北海道。
距離という壁を、嫌というほど感じてきた。
だからだった。
「北海道に住んでいることが武器になる」という彼女の言葉が、どうしても信じられなかった。
今までずっと、ハンデでしかなかったのだから。
実際のところメディアや企業のインファマーシャルへの出演オファーが来たときは、最終段階になるまで北海道在住であることは言わなかった。
言った時点で話がなくなることが多かったからだ。
それでも、北海道に住んでいることを逆に武器にできる日が来るかもしれないという期待感が残った。
それから北海道に住んでいる美容研究家・美容ライターだからこそできる何かを2年くらい探した。
地元のコスメブランドに声をかけて、もっと北海道コスメの良さを知ってもらうための仕掛け人になろうとリリースを配信したことがある。
記者クラブも回った。
配信した後もやっている最中も、大きな何かに繋がることを想像して、ひとりでワクワクした。
これかもしれない。
きっとそう。
結果は、数万円の赤字を生んだだけで何にもつながらなかった。
学びにもこの2年間で200万円くらい投資した。
新しい資格もいくつか取った。
できないことができるようになる。
戦える武器を増やすだけで、何者かになれるのではないかと思った。
ときには、自分の子どもくらいの年齢の人に混ざって学び、その中で、いかに自分がちっぽけな人間かを知り、打ちのめされたこともあった。
これまで積み重ねてきた経験が、まるで無意味だったんじゃないかと思えたほどに。
それでも、きっと何か掴めて、今までとは違う景色が見えるのではないかという期待を持ち続け、ひたすら学び続けた。
新しい挑戦もした。
でも、どこかしっくりこなかった。
そうやって、また別のことを試す。
また違う。
こっちじゃなかった。
これじゃなかった。
私、一体何がしたいんだろう?
どうするべきか?
何度も迷走しては、振り出しに戻った。
迷子になりすぎて、コンサルも受けた。
それでも、何もつかめなかった。
私はずっと、自分が進むべき道を探し続けて彷徨っていた。
そんなある日、ふと思い出した出来事がある。
6年ほど前、当時高校生だった息子が、40代半ばの私に「マミーさんは、これからどうしたいの?」と尋ねてくれたことだ。
その問いが嬉しかった。
努力さえすれば何者にでもなれる、未来が無限に広がっている息子が、まるで同年代の友人への問いかけのように未来を尋ねてくれたからだ。
私は、答えた。
「1年に1冊、本を出せる人になりたい。」
息子は笑わなかった。
無理だとも言わなかった。
ただ親指を立てて一言。
「いいね。」と言った。
今も忘れられない出来事だ。
ところが、その後の人生は思い描いたようには進まなかった。
noteを始めた。
思いつく限りいろんな記事を書いてみた。
メディアで1記事40万、30万といったPVを数日で獲得してきたのに、よくて4桁にしかいかない。
驚くほど読まれない現実に失望した。
応募通過率5%と言われるVoicyのパーソナリティに2度目の応募で就任できたときは嬉しかった。
1年くらい平日毎日配信し続けた。
それでも、当初思い描いたようにはリスナーは増えなかった。
その過程で数年かけてフォロワー4200人まで育てたインスタのアカウントを乗っ取られた。
一瞬の出来事だった。
取り戻したくて、震える手でググり、あらゆる手段を試してみたけれど、復活することはなかった。
どうすればいいのか、途方に暮れた。
そんな私に大学生になっていた息子が言った。
「正直失ったフォロワーは、もう戻ってこないと思う。でも、これまでやってきた仕事とか実績とか信頼とかが奪われることはないでしょう?だから、仕事には影響しない。また新しく始めればいい。」
そこからの対処のほとんどは、息子主導だった。
涙が出そうなほど救われたけれど、喪失感がものすごかった。
それでも私は諦めたくなかった。
本を出したい気持ちも消えていなかった。
ただ、少しだけわかったことがある。
私がなりたかったのは、「何者か」ではなかったのかもしれない。
手にする報酬の大きさでもなかったように思う。
毎朝、目覚めた途端にワクワクするような人生を、私は探していたのかもしれない。
そして、気づけば49歳になっていた。
人生のちょうど折り返し地点のような年頃。
これまで経験をしたことのない体調不良で、2週間くらい寝込んだ。
もうこのまま元気になることはないのではないかと思うほど不安だった。
そして、自分の前にだけ、いくつもの壁が立ち塞がっているように感じてつらかった。
完全に人生迷子になっていたとき、以前同業者と訪れた2軒の飲食店で素敵な人生の先輩を目にしたことを思い出した。
ひとりは、園芸業を営みながら仲間と飲食店を始めた女性。
厨房に立つ姿が輝いて見えた。
ふたり目は、70歳を過ぎても純喫茶のカウンターに立ち、若いスタッフにパフェの飾り付けを教え、自ら果物を仕入れに行く女性。
取材するような気持ちで、いろいろ尋ねると、キラキラとした瞳でこれまでのこと、今を語ってくれた。
それから、40代で起業し、世界的なブランドを育て上げた女性も知った。
職業も年齢も違う。
でも、3人には共通点があった。
誰も人生を降りていないのだ。
年齢を理由に夢ややりたいことを諦めない。
むしろ社会に現役で参加し続けていて、もしかしたら、若い頃よりも生き生きと輝いているかもしれない。
そういう人を美しいと思った。
そして、ずっと探していたヒントをもらった気がした。
少し前、自分の50歳から先の人生を想像してみたことがある。
子どもたちは巣立ち、気づけば夫と2人暮らし。
慢性副鼻腔炎でしょっちゅう咳払いをし、食後には食器を洗ってくれるものの、なぜか高確率で何かを割る夫。
お腹が空くと不機嫌になり、休日の終盤に急に陽気に転じる夫。
定年になって、顔を合わせる時間が長くなる未来だ。
想像してみた。
そして、正直に言う。
気が滅入った。
いや、もっと正直に言うと、夫と縁側で猫を撫でながらお茶を飲むような老後を想像した瞬間、息が詰まりそうになった。
もちろん夫が嫌いなわけではない。
ただ、私はそんなふうに生きたいわけじゃなかった。
日本中を飛び回りたい。
会いたい人に、いつでも会いに行きたい。
新しい景色を見たい。
知らないことを学びたい。
何歳になっても刺激を受けていたい。
そして、自分の人生を最後まで面白がりたい。
それなのに、50歳から先の私は何を目指し、何に夢中になっているのかが見えなかった。
私の目の前には、まだ靄がかかっている。
50歳からどう生きるのか。
その答えは、まだわからない。
たとえ、夢を明確に思い描けても、叶う保証はない。
それでも、ひとつだけわかっていることがある。
私は、諦めたくない。
生涯現役で好きな仕事をしていたい。
そして、これから巣立っていく子どもたちに、いつまでも夢を追い続け、不器用でも真っすぐに生きる背中を見せられる母親でありたい。