メむンコンテンツぞスキップ
芋出し画像
Photo bytake_kuroki

Under the river


    そよそよず、時に激しく流れる川の䞭でも、生き物たちは春の蚪れに埮笑み、冬の寒さに耐える、、、

    私の人生を支え、その存圚が倧きな意味をもたらした人物が4人いる。それは父母方の䞡祖父母である。長女ずしお生たれ2人の効をもち、3姉効ずしお育った私たちは、共働きの䞡芪に代わり幌少期の殆どを祖父母達ず過ごした。倧人になった今だから解るが、祖父母に預けなければ家庭が回らなかったのだず思う。

    そしお時は過ぎ、私はハタチを越えた。それず共に圓然のこずながら、祖父母も老いおいった。そう、初めお祖父の死ずいうものに盎面した。お食い初め、習い事の送り迎え、挢字の緎習から倧孊入孊たで、党おを近くで芋守っおきた祖父がこの䞖にいない、信じられなかった。それからずいうものの、䞡方の祖父母ずの䞀刻䞀瞬でさえも思い出そうずするようになった。

    心地よい波に揺られる䞭時々雚颚も打ち぀けるような、川底の思い出の旅にご同行いただく時間はあるだろうか____


    -亀-

    祖父母により思いを銳せるきっかけずなった、父方の祖父。先述したずおり、私がハタチになる頃に旅立った。享幎92歳ず、倧倉立掟な生涯だったず孫ながら誇りに思う。

    孫の私から芋た祖父は、ある䞀面はいわゆる、「おじいちゃん」ずいう感じではなかった。戊時䞭には珍しく高校倧孊ず名門校に進孊し、文孊に長けおいおいた。そんな䞀面から私の読み曞きの習い始めの幌少期、濁点の「䜍眮」で祖父ず倧揉めし、どちらも匕かずに結局私が抌し入れに籠ったこずもあった。孫盞手でも自身の領域では容赊しない、頑固な祖父だった。

    䞀方で茶目っ気ず孫愛に溢れる䞀面も持ち合わせおいた。私たちに䌚いに来る時は、䞃倕には近くで笹を切っお電車に乗っお、季節のフルヌツを持っお、珍しいおもちゃを持っお、䌚いにきおくれおいた。時には門限を砎っお締め出された効ず、怒り狂う祖母の板挟みになっおいた。

    そんな祖父が埐々に老いおゆき、息を匕き取った時、私は党く受け入れるこずができなかった。初めお身近な家族が亡くなったずいうこずもあったず思うが、あたりにも近過ぎお、あたりにも愛を䞎えられ過ぎた。ここで私は祖父に䜕も䞎えられない、ずいうこずに気が぀いた。遅すぎた。

    ---亀


    -゚ビ-

    その父方の祖父をずっず傍で支えたのが祖母だった。祖父の容䜓が良くないずなっおからお葬匏が執り行われるたで、䌚いに行ける時以倖はLINEで連絡を取っおいた。祖父のこずも心配だったが、共に痩せ现っおゆく祖母も気がかりだった。

    そしお数幎経った今、「おじいちゃんはこんな䟿利なスマホを知らずに去ったのね、ざんねヌん。」ずいう調子である。圓時からLINEも䜿えおいたが、最近は〇〇PAYも䜿えおいるらしく、ずおもナむスな祖母なのである。

    そんな祖母はどこずなく「ハむ゜」な雰囲気を醞し出しおいる。なんだかヒラヒラしたセンスを持っお螊っお芋せたり、突然シャン゜ンを歌い出したり、幌い私たち姉効をよく唖然ずさせおいた。そしお最も私ず喧嘩したのもこの祖母である。

    爪の色が気に入らない、砎れたデニムはだらしない、散々蚀われおきた。圓時思春期真っ只䞭の私は真っ向から刃向かい、お互い泣きながらキンキン蚀っおいたものである。

    15幎ほど経った今私も30近くなり、祖母も十六角圢ほどになった決しお䞞ではない。今でも䞀緒に旅行に行くし、祖母の家でご飯を食べたりする。この間は旅通の脱衣所で「おばヌちゃん」ず話しかけたら、補聎噚を倖しおるものだから圓の本人は気づかず、3、4人の知らないおばあさんに返事された次第だった。

    自由奔攟で元気で居おくれおよろしいので、長生きしおほしい。---゚ビ


    -流朚-

    母方の祖父は口数こそ倚くないものの、垞に冷静で逞しく、頌り甲斐のある祖父なのである。幌少期は双子の効2人を前埌巊右蚀われるがたたに抱え、顔にシヌルを貌られようがスタンプを抌されようが、優しく埮笑んでいた。

    そんな祖父の静かな優しさはルヌツは、育っおきた環境ず仕事から埗たものだろう。あたり自分のこずを話さない祖父が昔、山登りに出かけたこずの話をしおくれた。高校生頃のこずだず蚀う。祖父は広倧な山々ず自然が広がる安曇野の方の出身で、私も子䟛の頃祖父の実家に蚪れた際、偎溝を流れる透き通る氎に目を奪われた。そんな祖父は授業を抜け出し、倧犏ず氎だけを持っお山に登ったそうな。ふず山に登りたくなった、ず蚀っおいた。

    私たちに広い背䞭を芋せおいた祖父も90を過ぎ、さすがに最近は痩せおきた。だがしかし倧自然のもずで育ち、倩職だず自負しおいた内装業で身に぀けたしっかりずした倪い骚は、祖父の象城ずしお今もただなお健圚である。ずくに䜕床も私の手を匕き、頭を撫でたその手だけは、痩せもせず厚みあるじヌじの手のたただ。

    埌述する祖母が亡くなっお䞞4幎が経った。本人は100歳たで生きるかず蚀う日もあれば、俺はい぀たで生きるんだ、ず蚀う調子である。解りたいし解りたく無い気持ちもあるが、我が儘を蚀うのであれば、105歳たで生きおほしい。

    子䟛の頃に䜿った「䞀生のお願い」を垳消しにしおでも。

    ---流朚


    -岩魚-

    先ほど母方の祖父の郚分で少しだけ述べた祖母は、私たち3姉効の幌少期、特に私自身の人生の深い郚分に絡み合っおいる。

    祖母はいわゆる街で芋かける優しげな「おばあさん」ではなかった。おしゃべりで、どこぞ行っおもムヌドメヌカヌで、自転車で奔走したかず思えば䜕かに舌打ちしおいる、そんな぀ねに忙しくしおいお面癜い人だった。だが絶察に人ぞの恩や思いやりは忘れず持っおいお、それが盎接的ではなく盎感的なものだからこそ、䞍噚甚な愛だった。

    幌少期私1人で祖母の家に垰省したり、時には倧きくなっおも手玙のやり取りもしおいたこずもあり、祖母が亡くなった時はかなり萜ち蟌んだものだった。

    ある日祖母の買い物に぀いお行ったら、レゞで300円足りないず蚀う。䞀般的なケヌスであれば、䜕か぀返すなどしお察応する。これでも倧分恥ずかしいものである。だが祖母の堎合は違う。「ちょっず埅っおおくださいね、スヌパヌ1呚したらお友達が誰かしらいたすんで、お金借りおきたす」、こんな次第である。実際に本圓にお友達を芋぀けお500円を借りおきたのだ。䌚蚈埌、「あヌ500円オフ刞芋぀けた、したったしたった。」ず蚀う始末。レゞで申し蚳なさに抌し぀ぶされそうになりながら祖母を埅ち続けた孫のこずなど、頭に1ミリも無いのである。垰宅埌無事にお金を借りたお友達に自転車でお金を返しに行っおいた。

    この1゚ピ゜ヌドから祖母のこずは倧䜓ご想像いただけただろう。ただ「愛」の郚分も語らねば、この祖母のこずなら倩から䜕か降っおきそうな具合である。

    先にお䌝えした通り祖母は私の人生に深く関わっおおり、それは時間的にもそうで、高校に䞊がるたでは1番長くそばにいお沢山話をした仲だず思う。

    そんな祖母が急に倒れたのは私が倧孊3幎生の冬のこずだった。ずおも冷え蟌んだ倜だった。郚掻動も最終日の匕退匏の日で、春に向けた就職掻動を進めおいた。着替えお郚員党員でさぁこれから打ち䞊げだず蚀う時に珍しく母から電話がかかっおきた。支離滅裂だが祖母がたずいずいうこずが䌝わった瞬間、荷物を郚員に預けお、花匁が散るのを必死に抑えながら党力で走った。


    「脳出血」


    い぀も冷静な祖父が、薄く笑いながら圓時の様子を話しおいるのが悲しく、䜕故か腹立たしくなったのだった___

    そんな祖母はしばらく意識も戻らなかった。

    ある日の倜、私は音楜を聎きながら詊隓勉匷をしおいた。なんずもない、普遍的な1日を終える倜だった。ひず息぀き携垯の画面を芗くず、祖母の携垯から着信履歎が残っおいた。私は固たった。それず同時に、母や効のいるリビングから悲鳎に近い歓声が聞こえた。やはり、祖母からだった。祖母からの着信だった。

    祖母の声だ。
    私ず意思疎通ができおいる。
    私を芚えおいる。
    「い぀出られるここ。」
     「ただ分からないよおばあちゃん、それより私のこずわかるの」
    「わかるよ、〇〇ちゃんでしょ。」
     「本圓に良かったよ本圓に。」
    「い぀出られるか聞いおみる、お医者さんに。」
     「ただ分からないよたぶん、おばあちゃんが私たちを思い出しただけで嬉しいんだよ。」

    奇跡かもしれない、そう思っおいた傍らで、もしかしたら珟時点ではずっず出られないかもしれない、そんなこずは蚀えなかった。私は我儘なのかもしれないずも思った。倒れた盎埌は呜の回埩を願い、それが叶えば意識の回埩を、蚘憶の回埩を、退院を、、、ず。


    それから玄1幎、祖母はこの䞖を去った。


    あの埌半身麻痺が残った84歳の䜓でリハビリをし、歩行噚があれば歩けるようになり、退院をした。84幎生きた祖母の、最埌の懞呜な1幎だった。


    ---岩魚

    -埌悔-

    祖母が息を匕き取ったのは、私が入瀟匏の代衚挚拶を控えた1時間前だった。

    「おばあちゃん、亡くなったよ」

    䌚堎の隅で新品のスヌツに跡が残るたで泣いた。
    消えおしたうのではないかずいうほどたで泣いお、スッキリしたほどだった。すぐに人事担圓者ぞ経緯を話したが、母ずも話し、入瀟匏の挚拶は予定通り行うこずにした。「祖母も喜ぶだろう」、母にもそう背䞭を抌された。

    それたでの緊匵は嘘のように無くなり、なぜか自分でも驚くほど萜ち着いおいた。代衚挚拶を終えおからの蚘憶はほが無い。䌚堎の窓の倖の朚々が陜の光を济びお、やけに爜やかに芋えたこずだけが今もはっきりず蚘憶しおいる。

    「䌚いに行かねば。」


    熱が出た時は母に代わり付きっきりで看病をし、炎倩䞋でも郚掻で倒れた私の垰宅を埅ち続け、膝が痛いのにも関わらず私の重い勉匷リュックを持っお玄関ぞ芋送りに来お、運動䌚のお匁圓を母ず朝から䜜っお、卒業ず進孊を誰よりも劎い喜んでくれた祖母の最期に、人生を終えようずいう瞬間に、立ち䌚えなかった。

    仲が良いず思っおいたが、おばあちゃん䞍孝の孫で終わっおしたった。

    埌悔だけが残った。
    愛されただけで終わっおしたった。
    䞍噚甚で倧きな愛は、あなたよりさらに䞍噚甚な私を眮いおいっおしたった____


    今日も倉わらず川はそよそよず流れおいる。
    流朚は静かに氎を受け止め、゚ビは軜やかに螊る。

    この倉わりない穏やかな川底こそ私の幞せだ。

    #創䜜倧賞2026 #゚ッセむ郚門

    この蚘事が参加しおいる募集

     
     
    祖父母に支えられた2000幎生たれの小嚘が、 日々芋えおいるもの、考えおいるこずを敎理する堎。

    あなたぞのおすすめ