
恋のすすめ方は狩猟型?農耕型?
角田光代さんはエッセイ『恋をしよう。夢をみよう。旅にでよう。』で、恋愛の場において女性は狩猟型と農耕型にきれいに分けられる、そしてそれはもうどうしようもなくそうなわけで、自分に合わない方法を用いても失敗するのだと述べられている。
「伝えたい派」の私たち
私は狩猟型であるとは認めたくなかった。私だって相手を一瞬で仕止める、槍を投げるようなアタックはしない。でも、農耕型ではないという自覚はあった。
狩猟型の友人と話していて思うのは、私たちは「伝えたい派」だということだ。もはや結ばれるかどうかに関わらず、好きだという気持ちを相手に伝えたくてもどかしくなるのだ。はっきり伝えずとも、好意は滲み出ているのではないかと思う。自分のことを好きでいてくれる人がいると知ることは、相手にとっても、いつか励まされるような体験になるかもしれないという思いもある。
「答え合わせ」を急がない農耕型
農耕型の友人から話を聞いた。恋愛において、「これはどういう関係?」と思いながら駆け引きをするのが楽しいのだという。「お互いにどう思っているのかの答え合わせなんて、もっと深い関係にならないとできないじゃん」とも話していた。私なら答えを知りたくてうずうずしてしまうのに。
一緒に耕していく農耕型
もっと農耕型の友人と話していると、農耕型の魅力に気がついた。あくまでも普段の関係性の延長上に、付き合うという可能性があると捉えているという。もう一緒にいられているのだからそれでよく、「この人と上手くいくか」みたいなことを一人で考えなくてもいいのだそうだ。「ありのままの私を知ってほしい。長続きする関係を求めているなら、その方が、自然に進んでいく方が長続きすると思う」という言葉も心に残った。私だって長続きしたいし、飾らない姿を見せたいとは思っていた。でもやっぱり幼くて、好きな人と付き合いたいという目先の利益に目がくらみ、引かれそうなところは見せたくないと思っていたし、自分の弱みも見せていこうとまでは思っていなかった。
今、相手を好きじゃなくなったとかではなく、関係を始める、進めることを一人で突っ走る事に対して、不安が芽生えたのだと思う。「私ばっかり、何してるんだろう」と思うことがあった。遠くから獲得してきた獲物よりも、一緒に耕していった畑の方が安心できる。
耕しながら待つということは、相手に合わせようとしなくても、自分の好きなことをのびのびとしていればいいのだ。自分の趣味をどう説明しようかなんてことに頭を悩ませなくてよく、好きなことをはっきりさせなくてもよく、ふわふわと漂って生きていればいいのだ。なんと幸せなのだろう、農耕型。これこそ人類の進化ではないか。約1万年前に気候変動によって狩猟・採集中心の生活から農耕・牧畜中心の生活になったという大きな変革は、文字の誕生のきっかけとなるほど生活のゆとりを作ったのだ。恋愛においても、狩猟型から農耕型への変化は、心のゆとりを生み出すことができるのかもしれない。
自分のペースで生きられる。好きだけど、無理に追わない。その時々にでてきた素直な自分を見せて、一緒に関係を作れそうなら作っていく。それが農耕型の魅力だと思われた。
狩猟型のいじらしさ
そうは言っても、恋に落ちたとき、好きな人を「取られたくない」と思うのは人間の性ではないか。コントロールできないのが恋ではないのか。
ここで狩猟型の良さも認めてあげたい。槍を持って目指すものを必死に追いかけたからこそ、今地球上には色んなところに人類がいる。狩猟型はエネルギーがあるのだ。なんせ人類史のほとんどは狩猟・採集で生き延びてきたわけだから、人間の本能にもこれがきっと深く刻み込まれているのだろう。周りにくすっと笑われたとしても、真っ直ぐな熱い思いをばかにすることはできない。ばかにしないで、という思いも込めて。
おわりに
農耕型の良さを頭では理解したけれども、心の中の「伝えたい気持ち」が消えるわけではない。これが「もうどうしようもなくそう」ということなのかな。
槍で畑を耕してみるか。
謝辞
それにしても、狩猟型、農耕型という喩えはなんとスマートなのだろう。角田光代さん、ありがとうございます。
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