【短編小説】歯医者
歯医者が怖い。
診察台に寝転びながら、あなたは小刻みに震えている。
伸ばした足はつま先まで縮こまっているし、胸の前で組んだ指は力が篭もりすぎて手の甲に白い跡を刻んでいる。
歯医者が、怖い。
人は多かれ少なかれ歯医者に恐怖を抱くものだ。と思う。あなたは歯医者が好きだという奇特な人物を知っているが、その人は寝とられ好きと同じ括りだと思っている。つまり特殊性癖だ。
自分は一般的な人間だと思っているあなたは、一般的に痛い事を嫌い、一般的に歯医者を恐れている。
見るからに怯えているあなたに、歯科医は苦笑しながら告げた。
「痛くないように心がけますが、もし少しでも痛かったら言ってくださいね」
「あい……」
まともな返事もできないほど怯えきってる自分に気付いて、あなたは少し恥ずかしく思った。絶対情けない顔をしている。
顔にタオルが掛けられた。ピクりと肩が跳ねる。歯科医が治療器具を手に告げた。
「口をあけて」
あなたは素直に従いながら、どうしてこんな事になっているのだろうと考えていた。
歯磨きが嫌いな幼少期のツケが今巡ってきただけ。つまりは自業自得だ。あなたはそれを理解している。だというのに、現実を受け入れたくない。何が大いなる力によって不条理な試練を与えられてるのではないかと疑っている。そんなはずはないのに。
「麻酔をしていきますよ〜」
来た。歯茎をガーゼで擦られながら、ふと幼少期に見た麻酔針を思い出した。採血用の針よりずっと太い、拷問用としか思えない巨大な針を。
あなたは思い出した事を後悔しながら閉じていた目を更にギュッとつぶる。震えだしそうだ。
チクリとした痛みと共に、歯茎に異物感を覚える。針が入っている。後は麻酔が入り切れば第一関門突破だ。あなたは少しだけ肩の力を緩めた。
つつがなく麻酔を注がれ、治療は着実に進んでいる。ドリルが回転する音が耳を叩いた。そしてゴリゴリと歯が削られるのが振動で分かる。
痛みはない。麻酔をしているのだから当然だ。だが麻酔の効いていない範囲まで手を伸ばして、ヂクリとした痛みを与えてこないかと気が気ではない。
早く終われ、早く終われとあなたは心の中で唱え続ける。そしてその祈りが天に届いた。
顔からタオルを外され、診察台が起き上がる。
「口をゆすいでください」
言われた通り口内の水を吐き出して、歯科医を見る。彼女は「頑張りましたね〜」なんて言いながらあなたに笑顔を向けている。あなたはようやく終わった苦行にホッとして、渾身の笑みで礼を伝えた。
「ありがとうございました」
そして気付いた。今子供扱いされた?
無事会計を済ませ、麻酔で感覚のバグった頬を撫でながら道を行く。後は帰るだけだ。足取りは軽い。
ふと、通りに並ぶ様々な店の中にドラッグストアを見つけた。しばし逡巡して、大きな決心をしたように足を店へ運ぶ。向かう先はオーラルケアのコーナー。あなたは高級歯磨き粉とマウスウォッシュをカゴに放り込んだ。