
モノにも物心は宿るのかもしれない…
少し前、家のモノ(主に家電)が立て続けにこわれる話をnoteに書いた。
ほとんどは寿命をこえた交換時期であり、そのことにはむしろ「今までよく頑張ってくれました」と感謝すべきかもしれない。
しかし、世の中は物価高である。しかも毎日の生活に根付くものほど買い換える値段はお高い。
ひとつだけならまだしも、それが重なると想定外の出費となる。
そんな中、我が家でついに寿命を迎えたのが給湯器だった。
給湯器がこわれると何がこまるか?
お湯が出ない……お風呂である。
予兆はずいぶん前からあった。
シャワーでお湯を出していると急に温度が冷たくなることがあった。
それから日によってお湯が出ない時があり、それでも時間が経つと再び出るので、しばらくだましだまし使っていた。
ところが、ここ1ヶ月は時間を置くと出ていたお湯がついに丸一日出ない日もあった。
給湯器の交換を家電量販店で決めたのはそれなり前だったが、昨今の人手不足やモノの供給が遅れている事情で交換工事は3週間後という回答だった。
幸い、今の時期は暖かくなったので我が家はお湯をためることはない。基本シャワーだが、さすがに全身を水で洗い流すのはかなり勇気が試される。
最悪お湯は出なくても濡らしたタオルで身体を拭いたり、下半身くらいはそのままシャワーで洗うことができても、上半身や頭をお湯なしでやり切るのはそれなり覚悟を決めなければならない。
奥さんは、週末や時間がある日は近くの銭湯に行っていた(髪が長い人には、水シャワーはかなり厳しいと感じる)。
私と子供は普段と違う体験もかねてお湯が出ないシャワーでブルブル震えながら…修行僧のように滝行(身体や頭を洗う)にチャレンジした日もあった。
でも、それも毎日はきびしい…
仕事から遅く帰った日は、どうしても滝行の気分になれなかったし、実際やると血行が良くなるのか…後で身体が火照って眠れない日もあったからだ。
そんな時、奥さんが購入してくれたのが「ドライシャンプー」だった。
スプレータイプが多いようだが、今回使ったのはシートタイプの方だ。
頭を含めて全身をシートでふける(洗える)ということで何回か使ったが、想像以上にスッキリした。人生初体験でこれは災害など非常時にもあったら良いなと思った。
そんな日がしばらく続き最後の1週間、我が家は「今日お湯が出てくれたらラッキー」の思考になっていた。
交換の前々日もまったくお湯は出ず「もう完全に寿命はつきたのだ…」と皆が思っていた。
給湯器交換の前日、我が家のLI○Eに一件の通知が届く。
「今日はお湯出るよ!!」
奥さんからだった。
ただ最近は一瞬「お湯が出た」としても、しばらく経つと出なくなることも多々あったので期待半分だった(ちなみに、私は前日もドライシャンプーだった)。
帰宅後、お湯が出るかおそる恐る確認すると…
「たしかに出る、アッタカイ!!」
聞けば、その日は今までの状態がウソみたいに、いつ出してもずっとお湯の状態だったそうだ。
しばらく、水シャワー(滝行)とドライシャンプーだった私は、ひさしぶりに温かいシャワーの幸福感を浴びながらふと思った。
「給湯器よ、もしかしたら今日でお勤め終了だから最後の力をふりしぼってお湯出してくれたのか…」
そんな考えが頭によぎると給湯器にも物心があるようで、なんだか少し泣けてきた。
最後を有終の美(お湯)で飾るため「あえて数日間、残りの力を蓄えてたのかもしれない…」とすら思えた。
ふと感じた
給湯器にも物心がある
自分でも妄想が過ぎると思う。
私は曲がりなりにも普段エンジニアとして働いている。毎日物事を論理的に考えることが要求される仕事だ。
そういう視点で考えるなら、お湯が出たのは「たまたま偶然」や「経年劣化で接触悪い回路に運良く電気が流れた」なのかもしれない。
でもその時は、浮かんだ自分の想いを信じたい気持ちがあった。
翌日、無事交換は終わり、今はいつでもお湯が出る生活に戻っている。
普段暮らしていると当たり前で気付きにくいが、その1ヶ月は
お湯が出る有り難さ
を感じた日々だった。
お湯だけではない。
毎日ご飯が食べれる。温度調節できる家で暮らせる。などもそうだ。
私自身、忙殺した日々を生きていると、ついそのことを忘れてしまう…
長年休みなく働いてくれた給湯器に感謝。
我が家は、一通り家電の寿命は一巡したので、これでしばらく買い換えはないと勝手に信じている。
もしくはこの先、物価高がやんわりと落ち着いていって欲しい。
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タイトル画像:スズキアユミさん