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ブン屋のムスコ

    家の中はいつも父の本が山積みだった。

    新聞記者だった彼は自分が興味のあることを徹底的に調べるタイプで、
    彼の本棚を見れば今何に興味があるのかは一目瞭然だった。

    父とキャッチボールをした記憶も一緒にサッカーをした記憶もない。

    花見だけは一緒に行ったことを覚えている。
    彼は花見が好きだった。

    父は職業柄ほとんど家にいなかったし、たまにいる休日は家のソファーで寝っ転がって本ばかり読んでいた。

    そしてたまに美術館に行ったりしていた。

    多分運動は得意ではなかったんだとも思う。

    何かの会話の中で父が

    「おい。お前は足が速いのか?」

    と聞いてきたので、

    「遅い。」

    と返したら、

    「だよな。俺の子の足が速いわけがない」

    と言った。

    それを聞いて、だからこんなに練習しても上手くならないのかと
    なんとなく納得してしまい、入っていた高校のバスケ部を辞めた。

    バスケを辞めたという話をしても彼はそんなに興味を示さず、そうか、と言ってまた画集に目を落とした。

    アンドリュー・ワイエスの画集。
    自分というものを貫き続ける父だった。
    今でもワイエスの絵を見ると父を思い出す。

    そんな父の影響で私は自然と本を読み美術に触れるようになった。

    40歳を過ぎた頃、父の家に行き、自分が買った本を読んでいた時、
    その本を見て彼が笑顔で言った。

    「お前もそんな本を読むようになったか」

    なんだかそれを言われたことがすごく嬉しかった。

    後年車椅子となった父は、その不自由な体で、それでもいろいろな展覧会に行っていた。

    美しいもの、面白いものをこの目で見たい。

    彼の好奇心は彼を動かし続けた。

    車椅子になる前、彼は夜、よく散歩に行った。
    どこに行くかもわからない、ただひたすら田舎の暗い道を歩いた。

    運動をしない彼の唯一の運動は夜の散歩だった。

    いつも、どこまで歩いた、と小さな自慢をしていた。

    その散歩に私はよくついて行った。

    ただなんとなく、どこに行くわけでもなく、二人で歩く夜の道は楽しかった。

    そこで聞く父の話が好きだった。

    散歩の途中、桜の木を見ると彼は必ず一瞬歩をゆるめ、また歩き出していた。

    いつだったか、父とテレビで大きな災害の報道を見ていた。

    泥だらけになりながら必死でカメラの前に立つ報道記者を見て、
    私は何気なく、こんな場所に取材に行くなんて嫌だなと呟いた。

    すると父は、

    こういう世の中が変わる瞬間に立ち会えること、それを伝えられること、新聞記者としてそれ以上に気持ちが高ぶることはない、と言った。

    私はふーんと言ってそのままテレビを見続けた。

    父は一昨年亡くなった。

    最後まで元気で圧倒的な好奇心と豊富な読書量から繰り出される博覧強記な人で、なにより明るい人だった。

    そんな彼が生涯をかけて上下巻に渡る本を刊行した。
    亡くなる数年前のこと。

    ある一つの未解決事件を何年もかけて調査し、年老いた体はしんどかったであろうに、好奇心に動かされ取材に行き、やっと本としてまとめ上げた。

    新聞記者として事件を【言葉】にして世に伝えることを生きがいにした彼が最後に追い求めたものがなんだったのか、最後に紡いだ【言葉】はなんだったのか。

    父が死ぬ間際、病室で誰に最後会いたいかと尋ねた。

    彼は新聞記者だった時代の仲間に会いたいと言った。

    会ってなんと伝えたいのかと聞くと、苦しそうに「ありがたい」と言った。

    「ありがとう」ではなく「ありがたい」。

    私は涙を堪えることができなかった。

    父の本はずっと枕元に置いてある。
    気にはなるが、私はそれをまだ読んでいない。

    いつかその本を読めるようになるその時まで、父の【言葉】は静かに待っていてくれるだろう。

    それまでその本は、どんな季節になっても私の枕元に鎮座し続けている。

    春が来た。

    毎年花粉症に悩まされている。

    点鼻薬が私の手放せない友人になってくる3月。

    ある人が会社を辞めた。

    その人とは何度も飲みにいき、朝まで語り合い、その人の前だけで見せている自分が好きだった。

    その人は営業会社である弊社に入社をしてきたが、私から見ても我々のような営業戦士が火花を散らすような世界には向いていないように思えた。

    長い黒髪はいつも艶やかに手入れされていて、育ちの良さからくる品格を身に纏い、いつも服装に気を遣い、自分を磨き、そしてあまり会社が好きではなさそうだった。

    でもこの会社という世界で生き抜いていくために下卑た笑いもしっかり身につけていた。

    生きるためのセンスを良くしようと努力している人だった。

    その人の【飲み屋でするような品のない話】は、若かった私の想像力を掻き立て、その人の綺麗な長い黒髪と相まって、私は最初すごく邪な気持ちでその人に近づき、飲みに行こうよと誘ってみた。

    数日経つとメールが来た。

    「飲み行きましょう!」

    カウンターに座り、とりあえずなんの話をしようかと考え当たり障りのない話をしながら、最近あった出来事を話した。

    同じ美術展に行ったことがわかり、そこから話は発展した。

    私は文化系の色の強い父の子として育っていたので元来そういう話が大好きなのだが、

    会社のノリは体育会系で文化系ぽい話は同僚にしたことがなかった。

    その夜はいつまでも本や美術や音楽の話をしていた。
    アンドレアス・グルスキーなんて言葉が口から出てくる子だった。

    そこから何度も飲みにいった。
    その人と話をすることがすごく楽しかった。

    色々と噂になるのは面倒なので会社の人にはバレないでおこうと、コソコソしていたのも刺激になっていた。

    この楽しさを続けたいと、私は今まで以上に本を読み、絵を見て、今でもそれは私の日常になっている。

    彼女と一度仕事でたまたま石川県に行くことがあった。
    空いたタイミングで二人で鈴木大拙館へ行った。

    禅に形を持たせたような静謐な建物の中を二人で黙って歩いた。

    思索の間と呼ばれる部屋から正方形に切り取られた借景が見える。
    借景からは水鏡の庭と呼ばれる水面が見え、波紋もなく、ただ静かに水があった。

    私はその空間のベンチに座った。

    そして水鏡を見ている彼女の黒く長い髪を後ろから見ていた。

    四角く切り取られた空間に存在した、白いワイシャツと黒い髪と青い空と、それを映す水鏡が美しかった。

    時間はただ黙って流れていた。

    私はそれからさらに本やアートに触れ、そしてそれらを言葉にしようと考えを巡らせるようになった。

    でもそんな時も終わりが来た。

    その人にパートナーができた。

    「私たちは友達っていうか、ソウルメイトだね」

    何回か飲みにいった時にその人が言った。
    ちょうどいい言葉を見つけてくるのがうまい人だった。

    私は言葉を飲み込んだ。

    その人が会社を辞める時、私にメールが来た。

    会社を辞めることにした。新しい道に進む。ライターになる。

    そんなことが書いてあるメールだった。

    そしてこう書いてあった。

    「やっぱり私は言葉が好き」

    私はその一文をずっと見てしまった。

    【言葉】に好きってつけることができる人に出会っていたんだな。

    桜が咲き始めていた。

    その人が父と、ふいに重なった。

    今日寝る前に枕元の本を開いてみよう。

    飲み込んだ言葉がそこにあるかもしれない。

    そんなことを考えていたらキーボードに鼻水が垂れた。

    私はポケットにある点鼻薬を、ギュッと握りしめた。

    #創作大賞2026 #エッセイ部門

     
     
    夫婦円満を目指す過程で、数々の「地雷ワード」や「無自覚な失言」を炸裂させ、そのたびに妻から痛烈な指導を受けてきた既婚男性です。このNoteでは、私のリアルな失敗談と、なぜ妻は怒ったのか(心理分析)、そして二度と怒られないために実践した具体的な改善策を徹底的に公開します。

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