
開いた鳥かごのなかの母へ
「本当なら、私がやらないといけないんだけどね」
母が電話口でそう言ったとき、小さな危機感を覚えた。
私はいま、愛知県から北海道に帰り、父の介護をしている。 実家へ帰る前も、母はまったく同じことを言っていた。 その言葉は母の口から出たというより、もっと古い時代から響いてきているようだった。
その言葉に潜むもの――「妻」という意識。
もともと母は、父との関係に耐えかねて実家を離れ、姉のいる愛知県へ逃げてきた。長年、母の息苦しさを聞いてきた私は、むしろその生活を応援していた。
そんな母が父の介護のために帰れば、ストレスや身体的負担が増えるだけだ。何より、母自身も手術が必要になるかもしれない病気を抱えている。
それでも母は「本当なら自分がやるべきだ」と口にした。妻である以上そうしなければならないと、刷り込まれているようだった。 本心からそう思っているようにも見えた。「時代」という目に見えない空気感に脅迫されているように思えた。
母が入っていた鳥かご――「◯◯なら」という見えない束縛
昔から、私は「女なら」「男なら」という言葉が嫌いだった。母も私に「女らしく」するよう言ってきた。 それができなければ陰口をたたかれたり、後ろ指をさされたりする風潮は、その当人の能力を否定するものだと不満を抱いていた。
私はそんなことを言う母を「鍵が開いている鳥かごの中に入ったままの人だ」と、憐れんでもいた。人には性別関係なく向き不向きがあるのは当たり前なのだから。
でも今回、その見方だけでは足りなかったと気づいた。 母の抱えていた「女らしく」や「妻ならば」という考え方は、「時代遅れ」という言葉で片付けられないものなのだと、あの一言で実感した。
外部からの批判的な声を、ただ恐れているのではない。母自身が心から「当然だ」と思い込んでしまう、内面化された役割意識なのだ。
「女なら家のことをするもの」
「妻なら夫の面倒を見るもの」
「母なら家族を優先するもの」
そういった前提が、深く根付いている。 母は、その鳥かごを自ら選んだというより、そう生きる以外の選択肢を、十分に手渡されてこなかったのだ。
「本当なら、私がやらないといけないんだけどね」
鳥かごの中に戻ろうとする母の言葉。私は改めて「風潮」というものの、大きな壁を感じた。
しかし、母が「戻るべき」と思っているこの鳥かごの中には、別の問題が詰まっている。母が実際に戻れば、その先に待っている「現実」はもっと厳しい。
「妻として」戻れば――共同生活に待つのは、単なる「介護」だけではない
では、母が実際に戻ったとして、何が待っているのか。私が見た父の現実がある。
父は両足がしびれ、感覚がほとんど残っていない状態だった。 居間からトイレへ歩く短い距離でさえ、フラフラとして不安がよぎる後ろ姿。そして、私が帰ってきたその日の夜、事件は起きた。
父が寝るために立ち上がろうとしても、立てなくなってしまったのだ。口を半開きにし、私に何かを伝えようと声を絞り出すが、ほとんど言葉にならない。昼間は普通に会話ができていたのに、である。私は脳卒中ではないかと不安になり、翌朝、救急車を呼んだほどだった。
これから父の介護に加え、この『見えない病』にどう向き合えばいいのか、私には見当もつかなかった。
ほかにも、記憶力や認知力がところどころ抜け落ちていた。「自分の症状に向き合う」という姿勢は見られず、父自身は「たまにあるんだ」と片付けてしまう。自分の状況を受け入れられないのだろう。私は「どうすればいいんだろう」と途方に暮れた。
こんな状態の父の元へ母が戻れば、「支える妻」である以前に、膨大なストレスと介護の負担を背負うことになる。
母は、私と一緒なら父の介護ができるかも、と考えたかもしれない。だが、母が戻った場合に想定される日常のしんどさは、「本当なら私がやらなければ」という責任感から、より重い負担としてのしかかってくるのが目に見えていた。
それに母は、長年の共同生活に疲れ果て、耐えかねて出て行ったのだ。
だから私は、母に「妻としての義務」という思い込みと、時代の風潮が生んだ見えない鳥かごへ、戻ってきてほしくなかった。
私は母が家を出ていったことを祝福していた。たとえ両親が別々に暮らすことになろうとも、「母・妻の役割」を果たさずとも、私の家族である「母」自身が幸せだと感じているなら、父との別居は正解だと思っているからだ。
母の中の「正解」、娘の中の「正解」
母の中では「妻がやるべきこと」だったものかもしれない。でも私の中では、必ずしもそうではない。
今は、家庭内の関係性や事情に応じて、役割を組み替えてもいいはずだ。
お互い60代後半で、体力的に支え合うのは難しい。体力が衰えれば、精神的な負担も増えるだろう。それに、母は父と顔を合わせるのが怖くても、私はそれほど怖くない。 体力・精神面を鑑みて、その時々に対応できる人がやればいい。私は母より若いし、体力もそこそこある。私がポンコツだから心配だというのなら、それはスマン。
その意味では、鍵はすでに少し開いている。
しかし、長く鳥かごの中で生きた人ほど、開いていても出るのは難しいのだと、少し分かった気がする。
自由になれる条件は整いつつあるのに、心はすぐに追いつかない。きっと母と同じ世代に生きてきた女性たちは、「自分がやらなければならない」と、子供にすら頼らず一人で頑張ろうとしてしまう。どうしても「罪悪感」が心を揺さぶるのだろう。
だからこの文章は、母を責めるためではなく、母がいた場所を見えるようにするために書いている。
鳥かごの中の女性たちへ──責めるためではなく、気づくために
私は、母の中にある「役目を果たせないという罪悪感」まで含めて、時代の重さがようやく輪郭を伴って見えてきた。
母だけでなく多くの女性たちが、それぞれの鳥かごの中で「ちゃんとしなければ」と思い続けてきたのではないか。
「女らしく」。
「母らしく」。
「妻らしく」。
そして、それらを「ちゃんと」できなければ、自分を責め続けてきたのではないか。苦しいと心が叫んでも、ぐっとこらえて。自分の体に無理を言い聞かせて動かして。
世の中が謳う「理想像」と比べて、何度も「ちゃんとできていない」と頭の中で責め立て、また「ちゃんとしなければ」と繰り返して。
でも、人間には向き不向きがあって、人間同士には合う合わないがある。 昔から言われてきた様々な「◯◯なら」「◯◯らしく」は、時代を経て、変わった。
鍵はたしかに開きつつある。
だからせめて、「出てもいいのだ」と、ちょっとだけ「外」を見に行く勇気を持ってほしい。
きっとその時、「罪悪感」が心の中で叫んで震えるだろう。「役割」が怒鳴りつけて、恐怖を使い、かごの中へ引き戻そうとするかもしれない。
それでも、鳥かごの外には、「◯◯らしくできない」ことを受け入れてくれる人や、「私も同じなんだ」と共感してくれる人が、母が生きてきた時代よりずっと多くいるんだと、知っていてほしい。