メインコンテンツへスキップ
見出し画像

そういえば、「この子、最近どう?」という話をしなくなった。

    「りゅう先生なら、わかってくれると思いました!」

    そう言われたのは、保健室へ来た子を教室へ戻したあとだった。

    その日、教科担当の先生が子どもと一緒に保健室へ入ってきた。
    「体調が悪いと言ってるんですけどー…」
    と言って、ちらりと先生がこちらを見る。

    (ああ、きっと教室へ戻したいんだな)

    私はなんとなく、そう思った。

    「わかりました。じゃあ、ちょっとこっちで話を聞いてみますね」

    それだけ言うと、先生は「お願いします」と言って出て行った。
    私は子どもをソファに座らせ、いつも通り問診をした。

    体調について丁寧に話を聞いて、
    いつもはしないバイタルも確認。
    数字にも表情にも大きな異常はない。

    少なくとも今は、「戻る」を考えられそうだった。

    タイミングを見計らって、
    背中を押した。
    結果として、その子は教室へ戻った。

    すると後から、その先生が言った。

    「りゅう先生なら、わかってくれると思いました!」

    そのとき感じたうれしさを、今でも覚えている。

    子どもが教室へ戻れたこともうれしかった。
    でも、それだけじゃなかった。

    言葉にしていない意図を汲み取れたこと。
    同じ方向をむいて子どもを見ていたこと。

    「一緒に子どもを見ている」

    そんな感覚があった。

    たぶん、私はああいう瞬間が好きだった。
    教育の仕事が好きだった理由も、そこにあった気がする。

    子どもについて話す。
    どうしたらいいか悩む。
    意見がぶつかる。
    それでもまた話す。

    そんな時間が好きだった。


    最近、少し苦しい。

    年々、「一緒に子どもを見ている」と感じる瞬間が減ってきた。
    もちろん、先生たちが子どもを大事にしていないわけじゃない。

    むしろ逆だ。
    みんな忙しすぎる。

    授業。
    生徒指導。
    給食指導。

    授業の準備をする間がない。

    会議。
    提出物。
    調査。
    報告書。

    終わらない事務仕事。
    毎日、目の前の仕事をこなすだけで精一杯になっている。

    あるとき、生徒対応が必要な場面で声をかけられた先生がいた。
    でも返ってきたのは、

    「いや、でも今、これ作んなきゃいけないんで」

    という言葉だった。

    その先生を責めたいわけじゃない。
    先生も苦しかったと思う。

    ただ、その瞬間、
    「ああ、子どもより先にやらなきゃいけないものがあるんだな」
    というのもわかってしまった。

    少しだけ寂しくなった。


    保護者対応でも似たようなことがある。

    先生だけでは抱えきれないようなことこそ、組織として支えることが必要だと思う。

    けれど結果として、先生が一人で矢面に立つことがある。

    誰が悪いとか、そういう話ではない。

    ただ、その姿を見ながら、
    「ああ、先生も守られないんだな」
    と思った。

    子どものために必要なことを伝えるには、ときには嫌われることだってある。
    その役割を担う先生が支えられなければ、必要なことほど言えなくなっていってしまう。

    先生が守られない場所では、子どものために必要なことを言い続ける人も減っていくのかもしれない。

    このままではきっと、子どものために必要なことを言う人がいなくなってしまうような気がしている。


    気づけば、子どものことを話す時間より、
    書類や対応について話す時間の方が長い。
    そんな日も増えた。

    だから最近、自分でも考える。

    私は何がしたくて、この仕事を続けているんだろう。

    これからのキャリアのこと。
    環境を変えた方がいいのかもしれないと思うことさえある。

    でも私は、
    教育そのものが嫌いになったわけじゃない。

    子どもと話すことは今でも好きだ。
    どうしたらいいかな、と一緒に悩むのも。
    ときには意見がぶつかることだってある。
    それがきっかけで、自分と子どもとの間に距離ができることもあった。

    それでも、
    その子なりに考えて、
    迷って、
    離れたと思ったらやってきて、
    また一緒に考える。

    そんな時間が好きだった。

    そして何より、

    「この子、どう思う?」
    「次はこうしてみようか」

    と話しながら、同じ方向をむいて子どもを見てくれる仲間が好きだった。

    最近、その時間が少しずつ遠くなっている気がする。


    教育現場は、昔よりずっと丁寧になった。

    記録も残す。
    説明もする。
    トラブルも見逃さない。
    何かあれば、すぐに家庭へ連絡する。

    きっと、そのどれも必要なことなのだと思う。

    でも気づけば、
    「この子、最近どう?」
    「あの子、今日ちょっと表情違ったよね」
    そんな話をする時間が、少しずつ減っている気がする。

    子どものことを語る時間より、
    記録のこと、
    説明のこと、
    対応のことを語る時間の方が長くなっている。

    最近、子どものことを真ん中に置いて話せているだろうか。

    子どものために必要なことを言う人が、少しずつ減っているのだとしたら。

    子どものことを語る時間まで失ってしまった先に、私たちが守りたかったものは、本当に残るのだろうか。

     
     
    養護教諭|セクシュアルマイノリティ当事者|思春期保健相談士 保健室で出会った「言えない声」と、自分自身の「言えなかった」ことを言葉にしています。 もし言葉にしきれなかった違和感があれば、気軽に送ってみてください。 ブログ|https://www.rs-hibi-log.com/

    あなたへのおすすめ