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父方のじいちゃん

のぞみんさんの企画、
「教えて!おじいちゃん、おばあちゃんのこと。」
に参加させていただきます。😊


お盆時期であり、先祖について思いを馳せることも一つの供養になりそうなので、父方の祖父について思い出しつつ、記事にしたいと思います。
記事では、祖父のことを「じいちゃん」と呼びます。

じいちゃんは、明治末期の生まれです。
東北の貧しい農家の生まれで、身を立てるために、十代で家を出て、身を刻むような努力の末に海軍に入隊したと聞いています。

私が生まれる前に還暦を迎えていたので、私にとっては好々爺のじいさまでしたが、なかなかのやんちゃさんだったようです。

当時の多くの人が経験したように、じいちゃんも、上長や同僚、友や後輩を大東亜戦争で亡くしました。
戦争で、仲間も仕事もなくし、ゼロの状態で再スタートをした、たくましい人でもあります。
そういう背景もあってか、病床に就くまで毎年、東北から一人で新幹線に乗って、靖国神社に参拝に来ていました。
何回か、父とともに、じいちゃんの靖国神社参拝に付き合ったことがあります。

じいちゃんは、大戦について多くを語りませんでした。
日頃のじいちゃんは、孫には底抜けに優しい人でしたが、靖国神社に行く時のじいちゃんは凛としていて、いつものじいちゃんとは違う雰囲氣を醸していました。
きっと、戦争という命と向き合う場に身を置き、自身は生き残ったものの、多くの親しい人を目の前で亡くした悲しみや怒り、自責の念に身をやつしていたのだと思います。

父とじいちゃんは、あまり上手くいっていないようでした。
二人とも、なんとなくお互いを避けているように感じました。
子はかすがいといいますが、孫である私がいると、なんとなくその場が納まるような感じがしていました。

じいちゃんは、101歳まで生き、大往生を遂げました。
鋼メンタルの人で、自分を生きる人だったと思います。

好奇心旺盛で、なんでもチャレンジする上に、思いついたら、相手の都合もへったくれもなくすぐ行動する、そんな人でした。
それに関して、忘れられないエピソードがあります。

じいちゃんは、毎年、私の実家や叔父たちの家に泊まりにきていました。
じいちゃんが我が家に泊まって、夕食を食べてくつろいでいたある日の20時過ぎのことです。
じいちゃんが突然、言い出しました。
「Yの家に、これから遊びにいくぞー」と。

Yとは、父方の伯父の長男で、私にとっては従弟です。
Yは、じいちゃんと伯父夫妻と住んでいたのですが、大学進学で上京し、一人暮らしをしていました。
ど田舎から出てきて、上京ライフを満喫していたと思います。

私は念のため、Yに話を通してあるのかじいちゃんに聞きました。
「さすがに、夜半に電撃突撃は無理でしょ」と。

祖父からの答えは、いたってシンプルでした。

「関係ない。祖父が孫のところに遊びに行って何が悪いのか」と。
「わしが会いたいのだから、何が悪いのか」と。

かっけーな、じいちゃん。
でもね。
大学生の下宿とあっては、Yにもいろいろと事情があるでしょ?
俺なら絶対いやだよ、じいちゃん。
同じく大学生の私はそう思ったのですが、じいちゃんは頑として聞きません。
「いくぞ」と。

父は、なぜか半笑い状態です。
止めてくれよ、親父殿。

いたって常識人の私の母は。
「Y君もアルバイトなど事情があって、おうちにいないかもしれないから、明日以降に電話をかけて、都合を聞いてから会いに行く方がいいのではないですか」
とやんわりとたしなめました。

でも、祖父はいいから行くのじゃと言って聞きません。

じいちゃんの熱意に押されて、だんだんやる氣になってきた私。
Yの都合が完全に頭から抜けてきていました。
当時大学生の私は夜中のドライブはどんとこいでしたし、父も、思い立ったら行動する人でした。

結局、母の制止を振り切って、何の連絡もしないままに、祖父と父、そして私の三人で車で1時間半ほどかけて、Yの家を電撃訪問しました。
Yよ、ごめんね。。。

予想はしていましたが。
三人でYの家の呼び鈴を押すも応答がありませんでした。

後でYに直接事情を聞いたら、アルバイトで不在だったとのことでした。
でも、めんどくさい、もしくは、都合が悪くて居留守だったかもしれません。
彼は、氣遣いのできる人ですから。

じいちゃんは、22時くらいに孫のYにわざわざ会いに行ったのに会えなかったことをぼやくこともなく。
「あー、残念だったな。まぁ、Yの住む家を見れただけでも満足だ。帰るぞ。」と、飄々として、車に乗り込みました。

改めて、じいちゃんすげー、と思いました。
折れないな、この人はと。

自分がやりたいと思ったことを言い訳なく挑戦し、失敗してもめげない人なのだなと思いました。
やれない理由より、とにかくやることを意識する。
そして、結果を嘆くのではなく、前向きにとらえる人なのだと。

もちろん、自宅に着いた時には、三人とも母からお小言をもらいました。。。
そりゃ、年下の親族とはいえ、なんの連絡や許可もなく夜分に家に押しかけているのですから。。。

でも、じいちゃんの、そういうチャレンジ精神はとても好きです。

そういう人であったからこそ、
若くして家を飛び出して身を立て、家族を養って、
戦争で何もかもなくしても立ち上がり、
死ぬまで興味を持った様々な分野の勉学を続け、
90代中頃まで新幹線で東北から都心まで一人で旅を続けることができたのだと思います。

じいちゃんはその性格や人生により、祖母や子供たちにたくさんの苦労をかけたようです。
父は、そんなじいちゃんに対して思うところがあったようです。

祖父が亡くなって何年も経ち、父も癌で余命がわずかとなり、
父と私で最後に行った旅行でのことです。
一緒に温泉に入っていた際に、父が言いました。

「親父に思うところがあって、実家から足が遠のいてしまった。
親父ともあまり話ができなかったし、お前は俺の兄弟や親戚たちと話をする機会があまりなかったと思う。
そのことをとても後悔している。
俺が亡くなっても、どうか、親族たちと仲良くしてほしいと。」

父は、感情を表に出さない人でしたが、じいちゃんと似ていると言うと、いつも嫌な顔をしていました。
でも、刻苦精励とチャレンジ精神を豊富にもっていた父は、まぎれもなくじいちゃんの血を引く子供だったと思います。

残念ながら、刻苦精励は自分には遺伝しませんでしたが、
でも幸いに、わが子供には宿ったようです。
隔世遺伝ですね。✨

私は、探求心と、ボタンがあったら押してみたくなるいたずら心をじいちゃんから継ぎました。
じいちゃん、素敵な才能をありがとう!

我が人生もあと何年あるのかわかりません。
でも、じいちゃんや父に少しでも誇れるような人生を送り、彼らやご先祖様に胸を張れるような言動を終生つづけていきたいと思います。

見ててね、じいちゃん。

なんか、この記事を書いていたら、文字がにじんできました。😭
きっと、大雨のせいですね。

あなたに龍の祝福のあらんことを。
龍太@龍鍼堂


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