なぜ、小売の「売場」を小説の舞台にしたのか──『士魂の商才』創作裏話
「売上は、すべてを癒す」。
小売の世界に長くいると、この言葉を何度も耳にします。売上さえ上がれば、店の空気は明るくなり、会社は救われる。
私は20年以上、流通業に携わってきました。入社したての頃は昇格や昇進が早かった一方で、仕事とプライベートのバランスがうまく取れず、離婚や降格などの経験をしました。不思議なことで仕事がうまく行っているとプライベートも充実してきますし、プライベートがうまくいかないと仕事にも影響します。
『士魂の商才』の主人公・真壁誠司は、そこから生まれました。売場は誰よりも読めるのに、妻が毎朝使っていた一本のボトルの名前を知らなかった男。商品は見えるのに、人が見えなかった男の物語です。
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■ なぜ「発酵美容液」だったのか
作中に登場する「CAMOS」は、地方の小さな糀店が、酒蔵から受け継いだ麹で作る発酵美容液です。
発酵という現象には、不思議な性質があります。表面は白い菌糸に覆われて、何事もないように見える。でもその下では、目に見えないところで、ずっと変化が進んでいる。そして、時間だけは省略できない。急かせば、死んでしまう。
効率と規模がすべてを飲み込んでいく流通の世界で、「時間をかけたものだけが持つ力」を象徴するものとして、麹がふさわしい素材はないと思いました。
時間をかけたものは、最後に嘘を暴く──この一行は、物語全体の背骨になっています。
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■ 「悪役」を悪役にしたくなかった
本作の敵役・財前は、地方の小さな店を次々に潰してきた男です。でも彼は、「日本の流通を世界に通用するものにしたい」という信念から出発し、三十年かけて、その信念がいつしか別のものにすり替わってしまった人間です。
仕事の現場にいると、手段の目的化 のような現象に出会うことがあります。効率、規模、淘汰。それは半分正しくて、半分間違っている。その「仕事の持っている二面性」を書きたくて、この人物を作りました。
間違っているけれど、言い分は分かる──そう感じていただけたら、財前の役割は半分達成です。
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■ 舞台を尾道にした理由
瀬戸内の港町、坂の上の段々畑、潮風と柑橘の香り。効率とは正反対の時間が流れる場所に、全国チェーンの古びた店舗がぽつんと立っている。その対比が、この物語には必要でした。
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■ タイトル「士魂の商才」について
「士魂商才」は、渋沢栄一の言葉として知られています。武士の魂と、商人の才。倫理と利益は、両立できるのか──明治の実業家が問うたこのテーマは、令和の売場でも、まったく古びていないと私は思います。
正しい商売をしようとする意思は、父から子へ、人から人へ、受け継がれていく。そのことを、五話かけて書きました。
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■ 最後に
初婚の際の息子が今年社会人になり、思ってもみなかったのですが、流通業の門を叩きました。ほとんど子育にも参加していなかったのですが、何か伝えられることがないかとこの作品を書きました。
本作は全5話、通勤の行き帰りで読み切れる長さです。売場で働くすべての人へ、そして、仕事に打ち込んでも、大切な何かを見落とさないように。
第1話はこちらから。
→【https://note.com/ryosuke_shiva/n/n1caf3844ced7?sub_rt=share_b】
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