
なぜ私たちは、調べれば1秒でわかる「クイズ番組」を観続けてしまうのか?
さてAI時代。
仕事がなくなる!とか、効率化だ!とか、こんなことができた!とか、そういう話ばかり見聞きします。
ふと、テレビやYouTubeの「クイズ番組はどうなるんだろう?」と考えてみました。
そこで気づいたのです。「クイズ番組はなくならない」と。
なぜか?
私たちは「クイズ番組にクイズの答えを求めてないから」です。
検索時代でも人気だった「クイズ番組」
AI時代以前、検索時代(と言ってしまいます)から「クイズ番組」は沢山あって人気です。
SNSも一翼を担っているのでしょうが、コンプライアンスが厳しくなって、誰も傷つけない安全なパッケージとしてクイズ番組が重宝されている、というのもあるのでしょう。
番組制作側の事情として、正解・不正解という明確な基準があるコンテンツは、今の時代において圧倒的にリスクが低いですから。
とはいえ、面白くなければ番組は続かない。
むしろ、「クイズ番組」でなくても、クイズの要素が入った番組は多いと思います。
「検索すれば、AIに聞けばすぐにクイズの答えが出るのに」
です。
結論から言うと、「クイズ番組」はAIの時代でも生き残ると思います。
それどころか、むしろ価値が上がっていくのではないか、と。
なぜなら、視聴者は「答え(情報)」が知りたくて「クイズ番組」を観ているわけではないから。
番組の仕組みとしての要素は大きく2点
1.「クイズ番組」は「不完全さ」というエンターテインメント
人間が極限のプレッシャーの中で、脳の引き出しを引っかき回して悩んでいる姿が「クイズ番組」にはあります。芸能人はもちろん、高校生や大学生など、みんな必死です。
あの「必死に答えをだそうとする姿」こそが、視聴者が求めている物語なのではないでしょうか?
がんばっている姿、愚かな姿、聡明な姿、そんな姿に人間を見出す物語。
2.「一緒に体験させる」仕組み
テレビの前で
「あー、あれ何だっけ、喉まで出かかってるのに!」
と、視聴者自身も一緒になって脳に負荷をかける。
答えが出そうで出ない感覚を共有して、正解した時にスッキリする。
答えを見た時に、
「そうそう!それそれ!」
とスッキリする。
これは、ただ情報を消費するのとは違う、極上の参加型エンタメなのかもしれません。
視聴者の感情としてはどうでしょう?
視聴者の心理として、クイズ番組で受け取っている「3つの人間的感情」
1. 不完全さに対する「愛おしさ」と親近感
AIは数秒で回答を導き出します。
だけど、人間が記憶の糸をたぐり寄せながら
「あー、あれ何だっけ……」
と悶絶している姿に感じる、何とも言えない人間味。
以前紹介した、居酒屋の「うろ覚えお絵かき」で、ルフィの関節の数がおかしくなって場が盛り上がるのと同じで、人間の「間違った記憶」や「頼りない脳みそ」という不完全さこそが、私たちに安心感やクスッと笑える心地よさを与えてくれるのかもしれません。
2. 「他人のシーソーゲーム」に伴走するヒヤヒヤ感
クイズ番組のタイムリミットが迫る瞬間、テレビの前で私たちは「早く!」「頑張れ!」と、勝手に心臓をバクバクさせていませんか?
これは、自分に直接関係がないからこそ、純粋にその「プロセス」に感情を乗せて、ハラハラするスリルを消費できる贅沢な時間なのではないでしょうか?
私は娘のハンドボールで散々、楽しませていただきました。
3. 言い訳のない「ドラマ(変化)」への共感とカタルシス
間違えた回答者が、自分の知識不足を素直に受け入れて悔しがったり、プレッシャーを跳ね除けて正解した瞬間に涙を流したり。
そんな姿に私たちは心を揺さぶられるのかもしれません。
仕事の失注報告が「自分のせいじゃない」と言い訳に聞こえるのとは違って、結果を自分のものとして引き受けた人間の姿は「いい物語」になる。
視聴者は、回答者がそのプレッシャーの中で成長し、変容していくドラマを一緒に体験して、最後に大きなカタルシスみたいなものを得ているんだと思います。
AIが「効率的な網羅」を完成させればさせるほど、こういう要約できない人間の「感情の揺らぎ」の価値はどんどん上がっていく。
この矛盾こそが、人間が人間である証拠なのかもしれません。
まとめ
ツラツラと思ったママに書いてみましたが、
結局のところ、人間の物語が最高にアツい。
そう考えると、
スポーツ、LIVE(音楽、映画、芝居etc)、それぞれの脳内で感情が生み出される物語(小説、映画、テレビ漫画)って、やっぱりすごいなと。
今回、「クイズ番組」を考えてみましたが、答えがない「大喜利」というフォーマットはスケールがでかいなと思いつつ。
予測不能な人間ドラマ。何せ、今月末に迫った、国スポ・ハンドボール少女の関東大会が楽しみです。(結局ハンドボールは続く)