
どんなラララ(週記:2025/04/19)
見失うほど小さい自分でもなくて。そんなラララ。
「ワン・バトル・アフター・アナザー」観たい(備忘録)
監督がポール・トーマス・アンダーソンで、レオナルド・ディカプリオにベニチオ・デル・トロ。トロちゃんは大体においてシリアスな役が多いが、ぜひディカプリオと共に「ひどい目に遭えば遭うほど輝く」方向に行っていただきたい。「シン・シティ」はずっと致命的な何かが致命的などこかに刺さってたイメージだし、「ウルフマン」はほとんど画面が黒くて意味不明だったし、「ボーダーライン」は Blu-ray を買ったまま未見だ。どうせシリアスなんだろ。だから今回予告で(地下室から)腕をグッとやって見せてくれただけで嬉しい。おれのトロちゃんのかわいいところをみんなに知ってもらいたい(そういう映画かは分からない)。 でもプリ夫が出てるとプリ夫を観ちゃうよな。プリ夫、とても素晴らしい役者さんです。
「頑張ってるなあ」と思う。50歳になるのかな。この映画では「ディパーテッド」で共演したマーク・ウォールバーグやジャック・ニコルソンを(見ため的に)彷彿とさせる場面がありそうだ。子役からアイドルへ、そして大人の役者へ。「脱なんとか」の連続、イメージに抗う人生だ。それでも愛らしさは失われない。それさえいつか、しなやかに裏切るのかもしれないとしても。しっかし、このゴーグルいいな。おれがこの感じを出そうと思うと、幅を17㎝にして作らなきゃならないけど。12万円かかるなあ。諦めよう。
武蔵野うどん「竹國」
武蔵野うどんにしては柔らかい方じゃないのかな。まだ初心者もいいとこなので分からないけれど。温かい汁には豚肉、シャキシャキ感を残した玉ねぎ、長ねぎ、あぶらげ、水菜。そんな優しい味わいのお出汁で、コシのあるなめらかなうどんを堪能。モデルガンとうどんはキロ越えでお願いします。

ここは並盛(400g)中盛(500g)大盛(700g)特盛(1kg)が同価格。挑戦しやすいですな。で特盛がどうかと申しますと、画像の通り、品の良さを失わないビジュアルです。美味しかったし、おなかいっぱいで幸せです。ただ個体差があるので、食べ切れる量を注文しましょう。食べ残しは禁止、持ち帰りはできない。自分の限界を知っているのがオトナですよ皆さん。

マガジンにご登録いただきました
KP61様が運営されるマガジン「BREAK THE BORDER」に、記事「『うちの息子はたぶんゲイ』おくら著」を追加していただきました。
常識人がひとりも出て来ないギャグマンガは高踏的すぎて、読む人を選ぶものだ。当たり前のことだが、笑いを生むのは常識との落差である。だから社会通念を味方にしないギャグマンガはない。この「うちの息子はたぶんゲイ」というマンガでは、ゲイである少年の両親に「ほどほどに理解がある母親」と「ほどほどに理解がない父親」という非常に分かりやすい人物設定がなされており、そこは正しく通念的である。セオリー通りだと言える。しかし葛藤を感じさせない母親の描き方は、どこかこなれ過ぎており、当世風ではあっても浮世離れした楽観と映らなくもなかった。時折――ロールモデルになりそうな成人ゲイとの出会いで安堵する場面などもあって――これが間断なく重ねる日々の祈りであり、無神経な楽観ではないことを窺わせる描写がないわけではなかったが、あからさまではなかったのだ。そこは最終巻に向けての、作者の辛抱だったといえるだろう。作者のおくら氏にはそれができる力量があって、最終巻では不覚にもホロリとさせられた。一緒に生きて行かなければならないのだ、支え合って。その相手、「この母親が誰の支えを必要としていたのか」が肝であり、それを見せるために物語はあった。これは「ゲイの」マンガではない。「あのザル(かわいくはある)」は狂言回しであって、主人公は母親だ。やはり、そう思う。作中、心を引き裂かれるような悲劇は起こらない――そこもセオリー通りだが、破綻の予感は効果的に差し挟まれ、読者にカタルシスを与えることに成功している。なかなかに高度なことをやってんのよな。良いバネ持ってんなあ、作者。このさりげなさでそれができるのは、愛されますよね。
「うんち見るのに1700円は出せない」と結論
「うんち展」も残り一ヶ月。パートナーと二人、観に行くか悩んでみた。
仮に「トリ・ケラトプスのうんこに腕を突っ込める」などの体感型アトラクションがあるなら、1700円は高くない。それがなくても「1200円なら」行ったかもしれないし、1000円なら絶対行ってたと思う。しかし1700円は高えよ。同意見でまとまってよかった。価値観の一致はパートナーシップにおいて極めて重要であるからして。
まあ、ものすごく資料的価値があるのは分かるんだけどね。聖なる糞ってそういう意味? いやちがうよな。分かってる。
「トリケラトプスのうんこに腕を突っ込む」映画。30年以上前の映画なのに全く色褪せないってどういうことなの。
公然わいせつじゃないっぽい
山火事で財産を焼失した上、保険会社から支払いを拒否されて自暴自棄になったハーレイ・ジョエル・オスメント氏が「公然わいせつで逮捕」というヘッドラインに驚いた。「ああ、もう大人だった」というズレた感想が浮かんだのは記事の「逮捕されたときスキー場のパトロール隊と一緒にいた」という一文が意味ありげに読めてしまうせいだった。「皆が遊んでいるなかで仕事をしている人は非常にセクシーに見える法則」が発動して、オトナコミュニケーションに及んでいたのかと思っちゃったじゃないか。しかし容疑は Public intoxication ということなので「公然わいせつ」ではなく「公然酩酊」であるらしい。あの、日本では氏が「公然わいせつ」と流れてるんですが、マジ大丈夫ですか。心配です。誤報でも、そういう印象は消えないのだ。
公然酩酊なら(私も)してました
時を同じくして(時差と摩擦はないものとする)おれちゃんも公然酩酊はしていたのである。久しぶりに女性から性犯罪者予備軍扱いされて、ウンザリを越えて「おれの人生なんなんだ」レベルで嫌気がさして、飲み屋で酔ってかわいこちゃんたち(30~40代男性)に絡んでいたのである。カミングアウトしなければ女に警戒されて、カミングアウトすれば男から警戒される。どんな人生だよ。もちろんこちらが不適切な働きかけをしたとか、性的に何かしたなら別だけど、おれの罪って外見が平均的日本人男性より男性的であることだけなんだよね。それだって誰かの主観だし、何の罪でもねえわ。ああお望み通り、クソ酔っ払ってたよ。公然酩酊っすよ。
そしてヤケ飲みからのヤケ食い。おれがオトナだなんて誰が言った?

嫌悪と優越
性暴力加害者という前提で警戒されるという経験は、強烈なやつを何度か味わっている。擦れ違いざまに殴られるような経験だが、擦れ違いざまに殴られることはまずないし、「ただ殴られただけでしょ? その人は以前にあなたみたいな外見の人からレイプされたのです。そういう外見が誰かに恐怖心を与えていることをどう思うんですか」と被害を量化/比較してジャッジされ、ついでに非難されるという展開もない。しかし「コイツ後先考えずレイプして来るんじゃねえの」と疑われる経験には、それら全てがセットでついて来る。ポテトか。それゆえ経験としての理不尽さでは、殴られるよりも深刻な面がある。男性はこの点でなんとか正常な発信と、自らを立て直す道を探らなければならない。そうでなければ自らを「状況を支配し暴力をふるうことに長けた性差的優越者」と考え、その自己像に「嫌悪」と「優越」のふたつを覚えるようになるからである。嫌悪と優越、――「ラララ」に書くことじゃねえな。しかしそもそもどこで言ったところで歓迎はされなかった。男をバカで下等な動物扱いしなければ女性の被害が減らないってホントですか。ゲイ差別の本質にだって、根深くヘテロ男性の男性嫌悪(無軌道で統制不可能な性衝動という神話)があるんですが。異質なふたつ以上の経験を同一線上で考えるしかできない、ゼロかイチでしか問題に対処できない人々によって社会は作られていた。その汚れた手に頬をなぜられつつ、男たちは支配者としての自認を育てるのだ。
そういえば痴漢対策で冤罪が増えるのは仕方ないと言ったバカな政治家がいたっけな。誰だっけ。それが不可避な現実なら、なぜ恥も痛みもなく言えるのだろう。おれは信じないね。いつだってできることはある。
……からの散財。
酔ったついでに状態のよい古着でオイルドクロス(ワックスを染み込ませた衣料用生地)の春夏用ジャケットをポチる。酒に慰めを求めたり、荒れてんなあ。でも30歳の頃に BIGLIDUE でひとめぼれしたジャケットがオイルドクロスで、都会でなんちゃって野郎くささを遊ぶには非常によく、以来オイルドコットンの服は好きで、自分でワックスを買って古い綿コートをやんちゃ仕様にしてみたいほどなのだ。おれは無趣味な人間だから、そんなのを趣味にするのも悪くないのかもしれない。平穏な老後とかあるんであれば。
今だと KARAKU が良い感じのジャケット出したりしてるのだが、おれには肩幅が足りない。それでもアイテムによってはかなり好みっぽい予感。原宿か。ハードル高えな。あの街、おれ出禁じゃなかったっけ。大丈夫だっけ。
防水性能を高めるために天然素材にオイルを染み込ませるのは、もちろん古い時代の工夫であって、現代ならもっと機能的な生地など死ぬほどある。求めているのは風合いだ。なんせ野郎っちいのである。オイルドクロスのブランドなら Barbour だが、そこまで本気の機能は求めていないし高すぎる。どうせ遊び、ファッションも、「男らしさ」も。……ただ、そう思わなきゃやってられんのは、どうなのかな。酔いもさめるんである。