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語孊の散歩道 異囜に没す

    フランス語を孊び始めお幎が過ぎた頃、通っおいる語孊教宀の掲瀺板に初心者向けのスピヌチコンクヌルが開催されるずの案内が貌っおあった。毎幎恒䟋のむベントだが、そのずきは他人事のように玠通りしおいた。

    そんな月のある土曜日、孊通のメディアテヌクを蚪れた際に芪しくなったスタッフの方から、

    「Ryéさん、これ参加しおみたら」

    ず声をかけられた。

    䞭孊生の頃たで趣味皋床でピアノを習っおいたのだが、䜕が苊痛ずいっお発衚䌚ぞの出堎だった。苊手な暗譜に加え、倧勢ずいっおも倧抵は生埒の芪で自分の子どもにしか関心がないのだがの前で、䜕かをパフォヌマンスするなんお、考えるだけで背筋が凍ったものである。倧人になっお再び始めたピアノのレッスンでも、やはり発衚䌚ぞの参加を求められた。仕事が忙しくお暗譜する時間がないから楜譜を持ち蟌んでもいいですか、ず先生に頌んでみたずころ予想通り枋面され、仕方なく必死で緎習しお䜓で芚えた。


    ずころが、発衚䌚圓日、慣れないピアノの前に座るず、最初の音がどの鍵盀だったかわからなくなった。鍵穎もないから䞭心がわからない。そのうえ慣れない鍵盀の反射速床に動揺し、オクタヌブ飛んだ時にどのキヌに着地したらよいのかもわからなくなっおしたった。曲は、シュヌマンの『飛翔』。私の指は文字どおり鍵盀の䞊を飛び回っおいた。

    匟き終わった時、幕裏にいた先生ず目が合った。䌚堎では拍手喝采だったが、先生の衚情からするず「よくお可」ずいった蟛口の点数が぀いおいた。小孊生の子䟛たちず䞀緒に参加した発衚䌚なので䌚堎からの拍手は圓然のこず、先生ずしおはもっず倧人の匟き方をしおほしかったずいう気持ちだったのだろう。ピアニストを目指しおいるわけでもない生埒に察しおかなり厳しい刀定だが、ある意味においおこれは正しい。趣味ずはいえ、どうせなら䞊手く匟けるようになりたいず思うものの、䞊達するためには努力が必芁だ。しかし、発衚䌚に限らず、点数を぀けられおたで䜕かをするのはどうしおも嫌なのだ。


    


    「Ryéさん、これ参加しおみたら」

    この䞀蚀で、これたでの人生の悪倢の数々が忘れおいた蚘憶の奥底から魑魅魍魎のように甊っおきた。さながらホラヌ映画である。

    「私、人前で䜕かするのは苊手だし、暗蚘も苊手だし、フランス語も䞊手くないし、無理ですね」

    ず、そそくさず退散しようずしたのだが、

    「初心者向けのコンクヌルだし、私も昔参加したこずがあるよ。別に入賞を目指す必芁はないわけだし、むベントだず思っお気軜に参加しおみお」

    爜やかな調子で返っおきた蚀葉に釣り蟌たれお、

    「そうですね。じゃあ、やっおみようかな」

    ず、うっかり答えおしたった。この䞀蚀で私の運呜は決たっおしたった。


    コンクヌルの結果はさおおき、私にずっお嬉しいこずがあった。以前から時々顔を合わせおいた䞭囜人の女性ず芪しくなったのだ。これたでもあいさ぀皋床は亀わしおいたが、クラスが違ううえにずりたおお話題もなかったので、ろくに話したこずがなかった。

    今回、圌女もこのコンクヌルに参加しおいた。コンクヌルが終わった埌の打ち䞊げ䌚堎で話しかけられた。私のテヌマが「俳句で芋る日仏文化比范」ずいうものだったので、圌女が興味を瀺したのである。もちろん、審査員だった倧孊の先生ず倧䜿通の方からもあれこれ質問をされた。たるでコンクヌルの質疑応答の延長戊のようだったが、こちらは点数が付けられるわけではないので、ずおも楜しく亀流できた。

    にぎやかな䌚話の埌で、䞭囜人の圌女がこれをフランス語に翻蚳しおくれないか、ず私に䞀枚の玙片を枡しおきた。


     日照銙爐生玫烟
     遙看瀑垃挂前川
     飛流盎䞋䞉千尺
     疑是銀河萜九倩


    唐の詩人、李癜の『望廬山瀑垃』ずいう詩である。䞭囜語はわからないが、字面からずおも矎しい詩であるこずがわかる。

    「うたくできるかどうかわからないけど、やっおみたす」

    ず、これたたうっかり答えおしたった。フランス語を孊び始めお幎半ほどしか経っおいない人間が䜿う台詞ではないず気づいた時にはもう遅かった。圌女はずおも嬉しそうな顔で、

    「それ、い぀でもいいよ。埅っおる」

    そう蚀っお、別の友人たちず連れ立っお䌚堎を去っおいった。


    私は、もう圌女の名前を憶えおいない。圓時のプログラムを匕っ匵り出せば圌女の名前が掲茉されおいるので、思い出すこずはできる。
    しかし、私は圌女の名前を思い出したくないのだ。


    玄束したフランス語の蚳詩が出来䞊がったので、圌女に枡しに行った。私たちは毎週土曜日に授業を取っおいるので、授業の前埌にメディアテヌクに行けば、倧抵お互いに顔を合わせるこずができる。圌女がずおも喜んでくれたので、私も嬉しくなった。


    ある時、圌女が䞀緒に倕食を食べに行こうず誘っおきた。少し浜のほうに行ったずころにある、䞭囜人が経営する䞭華料理店だった。店䞻ず知り合いなのだそうだ。店䞻に限らず、䞭囜人のこずなので、おそらくこの町に䜏む䞭囜人のほずんどず顔芋知りなのではないかず思う。䞭囜人のネットワヌクの匷さは、䞖界䞭にあるチャむナタりンを芋ればわかる。

    圌女が勧めおくれた料理は、どれも笑いが止たらないほど矎味しかった。人間は、垞軌を逞した状況に陥るず、笑っおしたうものらしい。䞭囜語を勉匷したいのだずいうず、圌女が䞭囜語の単語をいく぀か教えおくれた。私が圌女の発音を真䌌お繰り返すず、筋がいいず耒めおくれた。

    しばらくしお、圌女がふず身の䞊話を始めた。


    幎霢は代半ばくらいに芋えたが、掟手ないでたちのため幎霢は䞍祥だった。日本では、医者ずしお働いおいるのだそうだ。圌女の父芪も医者だったが、西掋医孊を孊んでいたため、䞭囜での文化倧革呜時代に家族ずもども新疆ぞ远攟されおしたった。その埌玆䜙曲折を経お日本ぞ枡り、自分は勀務医ずしお働いおいるずいうこずだった。

    文化倧革呜など、私にずっおは日䞭囜亀回埩ずずもに教科曞の䞭の歎史だった。圓時は倧倉だったよ、ず語る圌女は、そうした苊劎を芋せないほど明るかった。


    圌女ず話しおいお圓惑するのは、い぀も日本人の「建前」ずいう文化に぀いおだった。

    「日本人の家蚪問するずき、私、手土産持お行ったね。喜んでくれたから、たた持おったら、少し倉な顔したよ。別の人から、本圓は私の手土産、奜きじゃなかった聞いお、びっくりしたね。なんで嫌いなら嫌いず日本人いわないか。わからなかったら、たた私同じもの持おっおしたうよ」

    やや憀慚気味に語る圌女に、もし断っおしたったらむしろ盞手が気を悪くしおしたうだろう、受け取るのは盞手の心遣いぞ感謝の意を瀺すためだ、ずいかにも建前的な回答をしおみたのだが、圌女は断固ずしお、嫌なら嫌だずいうべきだず䞻匵し続けおいた。

    もっずもな意芋である。建前ずいうのは、日本人にずっおもやっかいな文化だず思う。他人の奜意を䞊手に断るのは実に難しい。笑顔で受け取りながら、私、メロン苊手なのよねぇ、ず思ったりした経隓は䞀床ならずある。

    しかし、こうした圌女ずのやり取り以来、私はできるだけ本音で䞁重にお断りをするこずを芚えた。「ありがずうございたす。でも、メロンは食べられないんです。母が奜きなので、あげおもいいでしょうか」ず、蚀えるようになったのは、圌女のおかげである。


    それからしばらくの間、圌女の姿を芋なくなった。フランス語をやめたのかず思っおいたら、ある日、孊通のスタッフさんからこう蚀われた。

    「圌女、しばらく前に癌が芋぀かっお闘病しおいたのだけど、先月亡くなったの」


    蚀葉を倱った。

    私は、家に垰るず匕き出しの䞭をかき回しお、圌女に枡したフランス語蚳の詩の原皿を取り出した。涙で目がにじんで文字が芋えない。


    母囜を远われ、異囜に生き、その短い生を異郷の地に埋めるこずになった圌女の気持ちは劂䜕ばかりであっただろうか。

    そうやっおしばらく眺めおから庭に出るず、私はその玙片の端に火を぀けた。



    李癜の詩は、现く薄い煙ずなっお小さな癜い竜のように立ち昇り、やがお消えた。
    圌女の名前ずずもに。

    そうしお、圌女ずの思い出だけが残った。



    語孊の散歩道シリヌズ(2)

    ※このシリヌズのマガゞンはこちら↓


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    Ryé

     
     
    旅や語孊のあれこれに関する゚ッセむを連茉。たたに創䜜。2024幎10月 note絶筆 ※䞀郚の蚘事を陀き掲茉終了。(2024幎12月15日付)