
金魚の大和郡山!の巻
奈良県大和郡山市。
大和郡山。
なんで不自然に大和とつけて長い名前になるんかと、長い間ずっとわからなかったけど、福島県にも同名の地域があるからなんですね。
大和西大寺にしろ伊賀上野にしろ、被りが出ると近畿地域のほうが不自然に長い名前にさせられよるなあ。
ともあれこの日は大和郡山市を歩いてみました🦌

でも残念ながら駅前の観光案内所は
?今日閉まってんの?と思うほどに
あんまりやる気を感じんかったに。
近鉄なら、郡山城の目の前で降りれますが、今回はJRの駅から15分ほど歩いて来ました。

大河ドラマ効果で駅前は豊臣兄弟・秀長のノボリが立ってました。たぶん今年は訪問者も多いんでしょう。私はTV見ないんで大河ドラマも人伝にしか内容を把握してません。

↓
筒井順慶の城
↓
豊臣秀長にオーナー変更
↓
柳澤一族で長期経営
というのが郡山城の大まかな変遷だと理解しとります。
筒井順慶って教養も戦略も備わってる人だと思えて、それは島左近という天才参謀がいたからかもしれませんが(島左近は順慶死後は石田三成のとこに行った人)、とりあえず私としては郡山城は豊臣秀長でなくて筒井順慶の城って言いたい気持ち。
お城の詳しいことは城攻めの姫のところで見ていただきたい。
お花やお城の素敵アングルはmhirot様のところで見ていただきたい。
そう、ここらの駅に筒井駅ってありまして、その名は筒井順慶由来だと思われます。私としては、ここら地元的には秀長より筒井でないの?と思わなくもない。
これは滋賀の長浜も、駅に秀吉壁画あるけど、なんとなく地元的には浅井推しな気がするのと似ているように思わなくもない。

アフター関ヶ原で廃城になったのち、
城下町としての再興に貢献した柳澤家。
江戸半ばにこの町を金魚の町にしたのもこの一族。


低い山がずっと続いていくのが、近鉄沿線らしい風景。


石組みの間から覗き込むと、逆さの地蔵さまが見えます‥要するに、地蔵さままで石垣の一部にされてるってことです。流石に罰当たり的な気分になるので、写真は撮りませんでした。
民草を災害から守るための堤防や石垣というならまだしも、時の為政者 秀長くんの権力誇示のための石垣やからちょっとどうなんかと思うんやけど?


‥え?こうゆうテンション(笑)

いや、金魚は江戸半ばに柳澤一族に連れられて
大和郡山にきたんやに。
ようするに
金魚と秀長 関係ないやん。
他人の手柄をドヤ顔で取ったらあかんと思うで。



あちこちに旗。
でもな、

この後 所用がありまして
奈良市内で昼ごはんを食べました。

エトランジェ ナラッド
片仮名弱いんで、どれも日本語にしてほしい。
お店の雰囲気も味も
すべて安心水準ですが

むちゃくちゃ食べづらい!
ナイフで切ってたら
具が全部ピザ生地から外れたわ!

さらっと完食や。
ごちそうさまです。
5月某日の逍遥でした。
お読みいただきありがとうございます🦌