
中年男の夢
僕はスポーツトレーナーをしている。
トレーニング好きが講じて、そのまま、
運動学やら栄養学やらを勉強する、ということをし、現在、ジムを立ち上げやっているわけだが、
いつ頃、気が付いたのかどうだったのかは忘れたが、身体について学んでいて、ショックを受けた事柄がある。
それは、
「大胸筋」
についてだ。
大胸筋とは、胸の筋肉のことで、鍛え上げれば、
男性なら逞しく、女性ならバストアップに繋がる、言ってみれば、筋肉の代表格とも呼べる筋肉。
そして、この大胸筋は、主に
「腕」
を動かす時に使うのだが、
ある時、学んでいたテキストに、
「鳥は強く羽ばたいて飛ぶために、大胸筋が大きく発達している。それゆえに、胸が大きく膨らんで見える人のことをハトムネなどと呼んだりする」
と書いてあった。
「ふ〜ん、そうかぁ、だから、ハトはあんなに胸が前に飛び出して見えるんだなあ。インコでさえも、胸は大きいもんなあ」
などとぼんやり考えていた。
その時、
「ん?!まてよ。 ということは・・・」
僕は、あることに気がついた。
よく、天使とか悪魔とか、日本の天狗とかのイラストを見ると姿形は人間のそれと似ているが、背中には翼があり、そして、それは、僕にはとてもかっこよく見えた。
しかし、ハトをはじめとする鳥が強い大胸筋を使って羽ばたいて飛ぶ、ということを考察するに、
鳥が羽ばたかせている
「羽」
は、人間でいうところの
「腕」
にあたる。
天使や悪魔、天狗には、腕がちゃんとあり、そして、背中に羽がある。
じゃあ、天使や悪魔や天狗は、どのようにして、
羽を羽ばたかせるのだろうか。
天使や悪魔や天狗の中で、僕が特に
「カッコいい」
と思っているのは天狗なので、ここでは天狗を例にして述べてみるが、
イラストや想像図で見る天狗は、
マッチョな感じで描かれているものがあったりする。
そのマッチョな天狗は、常識範囲内のマッチョだ。
説明の通り、僕はトレーナーをしているだけのことはあり、世間的には
「マッチョ」
で通っている。
そのマッチョで通っている僕ではあるが、仮に、
腕が従来の腕ではなく、鳥の羽のようになっていたとして、
それを羽ばたかせて空中に浮かび上がり、ましてや、そのまま結構なスピードで前方方向に跳んで行くなど、とてもやれる自信はない。とてつもないパワーと持久力が必要だ。
そして、イラストに描かれている天狗も、僕とさほど変わらぬマッチョ具合なので、浮かび上がりそのまま前方方向に跳んで行くのは、無理だろう。
ハトのような張り出したデカい大胸筋なら可能性は無きにしもあらずだが、そもそも、天狗には、普通に腕がある。
その普通の腕とは別に、背中から羽が生えているのである。
では、その背中から生えている羽で飛ぶのだとしたら、その動力はどこにあるのか。
筋肉は、大きな力を発揮するには、大きくなければならない。
普通の腕がついてる天狗の大胸筋は、その普通の腕に繋がっているものと思う。だとすれば、背中の羽を動かすためだけの筋肉が、身体の何処かになければおかしい。
それも、かなりの大きさがあり、つよい力の出せるものでなければいけない。
身体の前面には腕を動かすための大胸筋が鎮座している。
では、極力、背中に近いところに、大きくたくましい筋肉があるとするならば、それは身体の形として、とてもいびつなものになるのではないか、そういう結論に至った。
いずれにせよ、背中に羽を持つなら、
かっこよくありたい。
僕は、もうじき生まれてから50年が経とうとしているが、
夢は背中に羽を持つことなのである。
「リュックが背負いにくい」
「背もたれのある椅子にもたれにくい」
など、考えれば、いくらでも
「不便」
を思いつく、"背中の羽" だが、
そんなことは、なんとかする。
多少の不便など、そのビジュアルのカッコよさと、
空が飛べる優越感にとっては、微塵たるものだ。
しかし、その羽を羽ばたかせるための
筋肉問題をどうにか解決しないと、
「背中に羽」
を想像し、夢に思う事さえも難しくなる。
トンボやセミみたいな羽なら、軽量だし、
なんとかなりそうだなと考えてもみたが、
なんと言っても、ビジュアルが良くない。
それでいて、飛び方も、いびつだ。
セミなどは、家の窓とか壁とかにガンガンぶつかったりするのをよく見る。
トンボやセミみたいな羽を背中に生やして、
窓や壁にガンガン当たりながら飛ぶ僕を他人が見て、
「あ〜、あの人、天使の羽をあきらめて、トンボタイプの羽にしたんだねえ」
などと思われては、なんとも格好悪いし、
窓や壁にガンガン当たることにより、
迷惑もかけるし、僕も怪我ぐらいするだろう。
トンボやセミみたいな羽は、却下だ。
やはり、もう、人間らしい腕はあきらめて、それでいて、マッチョを通り越したデカい大胸筋を手に入れて、羽と化した腕で羽ばたくしかないのだろうか。そう考えたとき、
羽と化した腕で余生を過ごすのは、
飛ぶこと以外、何一つメリットがないように思う。
箸と茶碗を持って食事をすることさえも難しいだろう。それこそ、ちゃぶ台に置いた茶わんに顔を近づけて、突っついて食べるしかない。
典型的アジア顔ののっぺりした僕の顔でそのように食事をしたなら、きっと、顔中、ご飯粒だらけになる。
そうならないように、僕の顔は進化していき、くちばしのように口がとんがるか、本当にくちばしが形成されるかもしれない。
腕の部分は羽根となり、ご飯が食べやすいようにくちばしが備わる。
それは、もう、完全に鳥である。
僕は、鳥になりたいわけではない。
鳥のような羽根を背中に生やしたいのである。
他にも、
誰かに受けた恩を返すために、
その羽根を紡いで反物を織ったとしても、
僕の腕から羽根へと変貌したそれで織った反物など、誰も嬉しくはないだろう。
美しい女性に姿を変えた、これまた美しい鶴だからこそ、鶴の恩返しは成り立つのだ。
「50歳中年男の腕だった部分で作られた反物恩返し」
は、感動もしなければ、喜ばれもしない。
そこには不快感しかない。
考えれば考えるほど、
羽根問題は、深く僕を悩ませるのである。