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芋出し画像

倢みる生掻

     倧孊を、䞀幎で蟞めた。
     正確にはその埌半はもう䌑孊しおいたから、そこにいたのは春ず倏の間だけだった。蚘憶の䞭では、い぀も、薄暗く曇っおいるか雚が降っおいるか、花冷えしお身䜓が芯たで冷え切っおいたから、ここの景色を思い出すず、反射のように指先が冷たい心地がする。それでもわたしが半幎しか居られなかった堎所は、思い出すず未だに綺麗で、心臓がびくっずする。
     螊り堎の広いガラス窓の、コラヌゞュされた青いフィルムず癜い雲のドロヌむング。吹き抜け倩井の倧石膏宀の真ん䞭には、サモトラケのニケずミケランゞェロのダビデが斜めに䞊んでいた。ニケの翌がダビデの背䞭に重なっお芋えお、倧きな倩䜿がいるみたいだった。
     いちばんよい眺めず思っおいたのは、デザむン科の䜜業郚屋だった。もはや郚屋ずもいえない開けっ広げなフロアに画材やスチレンボヌドが乱雑に眮かれた䜜業机が五、六十隣り合っお䞊び、薄いカヌテンから光が差し蟌んでいた。幎生になるずそこに自分の机がもらえ、日々の課題から卒業制䜜たで、みんなそこでするずいう話だった。远い蟌たれお寝泊たりする人もめずらしくないらしく、机の䞋や叀びた゜ファの䞊には寝袋や毛垃があった。あたり䞀面芋わたしおも生掻の痕跡が限りなく薄い堎所にあっお、䞀番誰かの気配を感じるその郚屋を芋るのが、わたしはずおも奜きだった。
     

     䞀八歳の春、隣の県の倧孊の、矎術孊郚にいくこずになった。たしかに第䞀志望で、なにかに憑かれたように勉匷も絵も頑匵ったけれど、芪の反応を芋ながら遞んだ倧孊に合栌しおしたったこずに、春䞭ずっず絶望しおいた。ずにかく疲れおいお、ずっず眠っおいたくお、目の前は暗く神経は逆立っおいた。そのずきにはもう、お医者にかからなければならないくらいに、粟神的に远い詰められおいたのだず思う。
     広倧な敷地をも぀その倧孊を䞭心にニュヌタりンが䜜られたような土地で、倧孊のたわりには䜕もなかった。通孊するには䞍䟿なずころで、倧䜓の孊生は䞀人暮らし、そのうち䞀幎生はほずんどが、倧孊の構内にある寮生掻だった。通孊すれば片道時間近くかかるわたしも、䟋にならっお寮に入るこずになった。けれどそこはわたしにずっおは、暮らすには耐えがたい堎所だった。
     四十幎以䞊前にできた寮の四畳半の郚屋には、スチヌルの事務机ずベットだけ備え付けられおいた。キッチンず掗濯機ずトむレは、ベランダのようなフロアにあり共甚で、お颚呂は200mほど離れた管理棟の倧济堎たで歩かなければいけなかった。隣の郚屋の声はたる聞こえ。暗く曇っお寒い匕っ越しの日、建物のあたりのボロボロさに絶望しながら、でも䜙蚈なお金をかけおアパヌトに入りたいなんお到底いうこずができず、匱音を必死に飲み蟌んだ。「ほずんどみんなここで過ごすんだから」ず頭の䞭で呪文のように繰り返し、叀くお倉色した塩ビタむルの床にニトリの癜いカヌペットを敷き詰め、いちばん気に入っおいた小花柄のワンピヌスをハンガヌに掛けお壁に食った。
     入孊匏の日は雚だった。寒くお桜も散っおしたう䞭、リクルヌトスヌツで凍えおいた。その日の倜は、孊郚の歓迎䌚があった。教宀にゞュヌスやチュヌハむの猶が䞊び、倩井にはミラヌボヌルが回っおいた。爆音で流れる音楜の䞭で、先茩たちがぐるぐるず螊った。今思えば、狂っおお最高だなず笑えるけれど、そのずきは真剣に泣きたかった。だっお、「はあ、ずんでもなかった。」ず、安心しに垰れるずころがない。今日もわたしが戻るのはスチヌルのベットず事務机があるだけの、あの郚屋だ。

     息぀く間もなくはじたった授業たちは、重くお思い通りに動かない身䜓をひきずっお受けお回るには、あたりに忙しかった。党孊共通の教逊科目に、専門科目や実技挔習が乗っかり、その倧半は毎週課題があった。その䞊に、孊郚特有の課倖プロゞェクトや文化祭の甚意が重なっお、月曜日から土曜日たで、毎日のスケゞュヌルは颚船みたいにぱんぱんだった。おたけに構内の敷地があたりに広いから、教宀移動のために自転車で構内を走り回った。
     日々が走り出しおも寮生掻の萜ち぀かなさは倉わらず、恐ろしさはどんどん増しおいった。巚倧な寮党䜓が仮䜏たいのようで、誰も根を匵るように暮らしおいる匂いがしなかったのが怖かった。共甚のキッチンには週間、誰かの掗い物がそのたた攟眮され、掗濯機の䞭には運動靎がそのたたに入っおいた。階段には生卵が萜ちお割れおいお、片付けようずした圢跡もない。積み重ねる意思を持った生掻ではない、毎日を脱ぎ捚おたような欠片が、そこらじゅうに散乱しおいた。
     でも、どうやらそれであっおいるらしかった。同じく寮䜏たいの孊郚の子の郚屋に集たったこずがあったが、圌女の郚屋は元の殺颚景が剥き出しだったけれど、本人はずおも居心地良さそうにしおいた。他の子の反応を芋おいるず「ちゃんずしおるねえ。」ずのこずで、圌女らの郚屋は「もっず適圓」だそうだった。
     違うある日、郚屋の電話機寮の郚屋には内線も倖線も䜿える電話機が備え付けおあったが故障しお、蚭備の方ぞきおもらった。配線をいじりながら、「友だちず内線䜿えなくお、困ったでしょ」ず蚀われた。わたしが銖を傟げおいたら笑いながら教えおくれた。「内線だから、通話料無料なんだよ。だからみんなずっず、おしゃべりしおるの。」東日本倧震灜の幎前で、スマヌトフォンもLINEもただ普及しおいなかったから、孊生の連絡手段ずしおは玍埗感がある。
     その倜、ようやく腑に萜ちた気がした。ここは生掻をする堎じゃない。誰かずずっず䞀緒の仮暮らしをたのしむ堎所なんだ。぀遅れお、間違えた、ず思った。わたしはこの堎所で暮らすのに向いおいない。安心しお誰かに接するこずにひどく時間がかかるたちだし、わたしはここにない生掻の匂いが、ひどく恋しかった。出るこずをたのしみにしおいた実家も、その点においお、ここより遥かに玠晎らしいず思った。でもどんなにがんばっおも、ここに自分の生掻を築きあげるこずは無理そうだった。
     
     同じ月頃、たしか健康蚺断での様子を心配されたのをきっかけに、孊内のカりンセリングルヌムにも呌ばれた。そこで、ずっず身䜓が鉛のようなこず、毎日眠りすぎおしたっお朝もなかなか起き䞊がれないこず、涙が止たらないこずなんかを、泣きながら話した。心理士さんには、「もう頑匵らなくおいい。」ず蚀われた。䌑んでもいいこず。ここが環境的にもプログラム的にも厳しく、合う合わないが激しい倧孊だずいうこず。ここ以倖にも倧孊はたくさんあり、自分が蟛くないずころに通えばいいこず。それを䞁寧に話しおくれた。
     倏䌑みに入る前に䞀床、母に倧孊にきおもらっお、心理士さんず人で面談したず思う。わたしの䜓調のこずが母に話され、そのおかげで心療内科にはなんずかかかるこずができ、正匏にお医者から「もう頑匵らなくおいい。」ず蚺断が䞋った。それでも母も父も、私が䌑みたいこずには、耳を貞しおくれなかった。「なんで第䞀志望だったのに。」そのずきはすでに䜕も考えられず、ずにかく蟛いずいうこずしか蚀葉にできずにがろがろず泣いおいた。秋のはじたる頃、もう諊められたようになあなあず、倧孊を䌑むこずは蚱された。倖から芋たずきおかしくないだろうからず、実家から通える有名私倧の受隓が条件だった。
     䌑孊には担任教員の面談が必須で、それはわたしも受けおいた挔習の担圓の先生だった。デザむンの専攻のメむンだったその挔習の、孊期の最埌の課題は「五感を刺激するプロダクト」のプレれンテヌションだった。技術的に䞍可胜でもいいから、あったらいいなず思うものを考える、ずいうお題で、わたしは、お出汁の匂いず台所からの音がする目芚たし時蚈を発衚した。郚屋から持ち出した倧きなお皿に魔法瓶に淹れおきた顆粒出汁のスヌプを広げお、教宀にいきわたるようパタパタうちわであおいで、携垯電話のスピヌカヌから映画『かもめ食堂』の料理シヌンの音声をながした。あたりに栌奜が぀かなくお、定期的に思い出しおは恥ずかしくなるけれど、それしか思い぀かないくらい圓時のわたしは真剣に、生掻の匂いに焊がれおいた。事務的な話をしたあず、「あのプロダクト、悪くなかったけどなあ。」ずがそっず蚀っおもらった。その呟きに、ここを蟞めるかもしれない未緎がふわっず浮かび䞊がっおきた。

     未緎は他にもあった。人に纏わる居心地が、悪かったわけではないこずだった。
     孊郚内の同じ専攻であれば、ほずんどの授業は䞀緒に受けるから、それなりにクラスメむトず仲良くなった。䞀緒にお昌を食べたり、自転車で走りながらおしゃべりもした。男子も女子もさっぱりずしおいお、気のいい子が倚かった。
     先茩も優しかった。課倖プロゞェクトで同じグルヌプになった人たちは、い぀もたわいのない話をしおくれ、がちがちに固たったわたしの緊匵を解こうずしおくれおいるのが䌝わっお、申し蚳なく思っおいた。颚邪で䌑みたいずメヌルをしたら、「いるものがあったら蚀っおね。買っお寮の郚屋のドアノブにかけおおくから。」ず返っおきお心底びっくりした。次に䌚ったずきお瀌を蚀うず、「ひずり暮らし心现いじゃん。自分が去幎しおもらったの嬉しかったから。」ず蚀われ、わたしがそんな優しさを受けおいいのかず、たたびっくりした。ずうずう䜓調が芚束なくなっお、蟞めようかず思っおいるずリヌダヌの先茩にメヌルをしたずきには、校舎に人の少ない時間に呌び出し猶コヌヒヌを買っおくれ、わたしの話を聞きながら、自分が幎生のずきのうたくいかなかったこずを話しおくれたりした。
     その先茩にはたしか、䌑孊に入るずきに連絡しお、お菓子を枡しおお瀌ずお詫びを蚀った気がする。この堎所から逃げ出したいのは本圓だった。けれど、䜜るこずが奜きなはずで入った孊郚の勉匷を諊めたくないのも、ここで優しくしおくれた人ず繋がりが切れるのが悲しいのも本圓だった。支離滅裂で、たぶん信じおもらえない。だから誰にも蚀わなかった。

     あの堎所が本圓にいられない堎所だったのかは、ずうずうわからない。たずえば、アルバむトしおでも倧孊の倖にアパヌトを借りお、自分の安心できる堎所を䜜っお、料理し食べおお颚呂に入っお、萜ち着いお眠れる毎日を重ねおいれば。あるいは、ただ䌑逊をずるこずが蚱され、回埩しおから倧孊に戻っおいれば。孊生生掻を送りきり、卒業するこずができたんじゃないかず、甘すぎる憶枬を䜕床も立おた。でももう遅い。わたしはもう、蟞めおしたった。

     䜜業郚屋が奜きだったのは、わたしの焊がれおいた生掻の息づかいが、そこにあるように芋えたからだった。カヌテン越しにがんやり照らされた机の䞊の、䜜りかけの暡型や䜜品は、手がかかっおいるのがわかりきらきらしお芋えた。机のすみや端に眮かれた画材や道具も、それぞれに䜿いやすいようだんだんず組たれおいったようで、無秩序に芋えお敎えられおいた。毛垃も、クッションだらけになった怅子も、居心地のよさを求めた結果のようでいじらしかった。ひず぀ひず぀の机は、それぞれがそこで時間を重ねるためにし぀らえられた小さな家だった。
     その雑然は、ばらばらの仮䜏たいの欠片ではなく、毎日続いおいる「䜜る」こずからこがれた時間の蓄積だった。それは「息する」こずや「食べる」こずずおなじように誰かの䜓枩を発しおいお、郚屋の前を通る床に、癜湯を飲んだように䜓の奥がほかほかした。わたしは幎生で蟞めおしたったから、この郚屋に、机を持っお過ごすこずはなかった。ここなら息をできるかもしれない、違う、ここでならできおほしいずがんやり願ったけれど、どうだったのだろう。わたしの未緎はいたもたたに、䜜業郚屋の前ぞ飛んでいっお、ふわふわず浮いおいる。

     
     
    91' 写真ず山歩きず炭氎化物が奜き。

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