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「明治御一新さうし#23」弐拾弐悶着:文明開化と信仰

    明治六年 初夏 信濃国某村

    「撤去せよ、と?」

    村の長老・源蔵は、紙切れを見つめたまま言った。

    「はい」

    答えたのは若い巡査の佐吉だった。

    源蔵はため息をついた。

    佐吉はこの村の生まれである。

    幼い頃はこの道祖神の前で鬼ごっこをし、祭りの日には供えられた団子を盗み食いして叱られた男だ。

    それが今は制服を着て、県庁からの命令を持って帰ってきた。

    二人の前には村はずれの道祖神がある。

    高さ一間ほどの石。

    それは誰が見ても、それは立派な男根の形をしていた。

    旅人は思わず二度見し、子供は笑い、老人は手を合わせる。

    そんな石だった。

    「で、何の罪を犯したんだ、この神様は」

    源蔵が聞いた。

    佐吉は咳払いした。

    「罪ではありません。文明開化のためです」

    「文明開化」

    「裸体禁止令と風俗改正の一環で」

    「神様が裸なのか」

    「いや、その……」

    佐吉は困った。

    県庁で教わった説明を思い出す。

    人前で裸体をさらすことを禁じる。

    混浴を改める。

    刺青を禁じる。

    猥褻な物品を取り締まる。

    欧米諸国と肩を並べる文明国となる。

    理屈は分かる。

    だが問題は、何百年も前から此処に立ち、人々の信仰を集めているこの石がその理屈に当て嵌まるのかと言うことだった。

    「つまり」

    源蔵が言った。

    「お上はこの神様を見て、卑猥と思ったわけだな」

    「いや、外国人が」

    「外国人が?」

    「外国人が見て、日本は野蛮だと言うそうです」

    源蔵はしばらく黙った。

    やがて石を見た。

    それから佐吉を見た。

    「佐吉」

    「はい」

    「お前、この石を見て何かいやらしいことを考えるか」

    「考えません」

    「わしもだ」

    二人は石を見た。

    石は何も言わなかった。

    当然である。

    石だからだ。

    そのとき。

    後ろから声がした。

    「いや、正直ちょっと面白いです」

    振り返ると村の若者・留吉がいた。

    源蔵は顔をしかめた。

    「黙れ」

    「だって形が形ですし」

    「黙れ」

    「子供の頃から思ってました」

    「言うな」

    「皆思ってますよ」

    「思っていても言うな」

    「なぜです」

    「神様だからだ」

    留吉は首を傾げた。

    「神様なら何をしてもいいんですか」

    「そういう話ではない」

    「じゃあどういう話です」

    源蔵は答えに詰まった。

    その様子を見て佐吉が少し笑った。

    すると今度は留吉が巡査に向き直る。

    「佐吉さんはどう思うんです」

    「何がだ」

    「神様なんですか、ただの変な石なんですか」

    佐吉は石を見た。

    子供の頃から見てきた。

    雨の日も雪の日も立っていた。

    旅人が頭を下げるのも見た。

    子供が笑うのも見た。

    「神様だろうな」

    と答えた。

    「少なくとも私にとってはそうだ。小さい頃から村の爺様や婆様。子が出来ぬ夫婦が、この石に手を合わせる姿を見てきた。それにーーー」佐吉は続ける。
    「実は、俺だって何かを願うために、心の中で手を合わせたことがある。」

    そうなのだ。この石が願いを叶えてくれる事に期待をしていた訳ではない。ただ、自分の頑張る姿を見守って欲しい。その想いだけでも伝わって欲しいと思ったことが何回もある。

    「でも、お国は撤去したいんですよね」

    「ああ。」

    「変ですね」

    「変だな」

    三人はしばらく黙った。

    そのときだった。

    村道の向こうから馬車がやって来た。

    乗っていたのは外国人だった。

    金髪で鼻が高い。

    どうやら横浜から東京へ向かう途中らしい。

    男は道祖神を見ると馬車を止めた。

    そして驚いた顔になった。

    「ああ!」

    源蔵が小声で言った。

    「ほら来た」

    男は石の周りをぐるぐる回った。

    手帳を取り出した。

    何かを書きつけている。

    留吉が言う。

    「やっぱり驚いてますね」

    「そりゃ驚くだろう」

    「何を書くんでしょう」

    「日本人は変な石を拝んでいる、とでも」

    男はしばらく観察した後、佐吉たちの方へ歩いてきた。

    そして片言の日本語で言った。

    「コレ、神サマ?」

    「そうです」

    佐吉が答える。

    男はさらに石を見る。

    「フシギ」

    「そうでしょう」

    「ヨーロッパ、ナイ」

    「でしょうな」

    男は考え込んだ。

    そして言った。

    「デモ」

    「でも?」

    「日本人、コレ見テ笑ワナイ」

    三人は顔を見合わせた。

    留吉だけは目を逸らした。

    男は続ける。

    「私ノ国ノ人、コレ見タラ笑ウ」

    今度は源蔵が驚いた。

    「ほう」

    「日本人ハ神サマ見ル」

    男は石を指した。

    「私ノ国ノ人ハ別ノ物見ル」

    しばらく沈黙が落ちた。

    留吉が小さく言った。

    「日本人もそれを見る人がいます」

    源蔵が肘で小突いた。

    「黙れ」

    だが外国人は笑った。

    「面白イ」

    そして続けた。

    「文明トハ何デスカ」

    佐吉が固まった。

    県庁でも聞かれたことのない質問だった。

    外国人はさらに言う。

    「日本ハ文明国ニナリタイ」

    「はい」

    「ダカラ服着ル」

    「はい」

    「混浴ヤメル」

    「はい」

    「石モ撤去スル」

    「はい」

    男は首を傾げた。

    「デモ、ナゼ?」

    誰も答えなかった。

    男は続ける。

    「日本ガ文明国ニナルタメ?」

    「そうです」

    「文明トイウノハ誰ガ決メル?」

    今度は本当に誰も答えられなかった。

    県庁だろうか。

    東京だろうか。

    英国公使だろうか。

    それとも新聞だろうか。

    男は笑った。

    「私ニハ分カラナイ」

    そして馬車へ戻ろうとした。

    だが途中で振り返った。

    「デモ」

    「はい」

    「私ハ残ス方ガ、文明トイウモノヲ理解シテイルト思ウ」

    そう言い残して去って行った。

    馬車の音が遠ざかる。

    残された三人は石を見上げた。

    風が吹いた。

    石は相変わらず何も言わない。

    だが妙に堂々としていた。

    やがて留吉が言った。

    「結局どうするんです」

    佐吉は命令書を見た。

    県庁の朱印が押されている。

    文明開化。

    風俗改正。

    欧米列強。

    不平等条約。

    立派な言葉が並んでいる。

    そして目の前には石がある。

    何百年も前から村を見てきた石だ。

    「どうするんでしょうね」

    佐吉は呟いた。

    「お前が決めるんだろう」

    源蔵が言う。

    「巡査だからな」

    佐吉は苦笑した。

    「巡査にそんな力はありません」

    「じゃあ誰にある」

    「知りません」

    源蔵は大きく笑った。

    「なるほど」

    「何がです」

    「文明開化というのは」

    源蔵は道祖神を見上げた。

    「誰が決めたのか誰も知らんのに、皆が従うことらしい」

    留吉が吹き出した。

    佐吉も笑った。

    石だけは笑わなかった。

    神様だからかもしれない。

    あるいは石だからかもしれない。

    その年の秋。

    県庁への報告書にはこう記された。

    当該道祖神ハ古来ノ信仰ニ関係シ、急激ナル撤去ハ民情ヲ害スル恐レアリ。処分ヲ延期ス。

    県庁の役人は眉をひそめたという。

    だが結局、そのままになった。

    文明開化は進んだ。

    人々は洋服を着た。

    鉄道が走った。

    電信が張られた。

    しかし村はずれの石だけは残った。

    旅人は相変わらず二度見し、

    子供は相変わらず笑い、

    老人は相変わらず手を合わせた。

    そして石は百年後も変わらず立ち続けた。

    文明が何度変わろうとも、

    人が神を見るか、別のものを見るかは、

    結局その人自身の問題で、自分には預かり知らぬ事だとでも言いたげに。

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