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羨ましがらなくても私にもあるよ


    私はお友達がとても少なくて、
    お休みの日に誰かとお出かけする予定もない。
    だからいつも1人でいる。
    だんだん1人でいることは苦じゃなくて、
    1人でいることの安心感と自由さに
    幸せを感じていた。

    そんな私の数少ないお友達の1人。
    その子といると、人生という大きすぎるテーマを語り合ったりして、楽しかった。
    その子は美意識がとっても高くて、可愛くて、
    自分をちゃんと見つめてる。
    自己分析を怠らなくて、本当にしっかりしている。
    「本をよく読む」というその趣味でさえも羨ましかった。

    そんな彼女を見て、私はずっと「羨ましい」と思っていた。
    私ができないことをして、
    私がないものを持って、
    私がほしいものを手にしていて。

    そしていつからか、彼女のSNSを見ると
    初めに思うのは、「羨ましい」だった。
    「羨ましい」という
    一方的であまりにも自由すぎるこの感情が、
    私を邪魔するようになった。

    人は自分にないものを持っている人を見ると
    完璧な人だと思い込むのが得意らしい。

    その人と一緒に生活していても分からないことを、
    一緒に生活したことのない私が分かった気になって、
    勝手に羨ましがっていた。
    その人がどんな思いをして今を生きてきたかも、
    どんな思いをしてそれを手に入れたかも知らないで、私は分かった気になっていたのかもしれない。

    「羨ましい=理想の自分の投影」
    なのかもしれないと気づいた。
    自分のなりたい姿のように
    相手を見てしまっていたんだ、私は。

    勝手に羨ましがるのはやめよう。
    羨ましがることの代償があまりにも大きすぎる。
    羨ましがる前に私の愛おしくて、
    包み込んで抱きしめたいところを見つけよう。

    私だったら、あごのほくろ。
    ずっと恥ずかしくて仕方なかったけど、
    今では何だか愛おしい。
    あとは小さすぎる小指の爪も可愛いかも。
    あとは、あとは、なんだろう。
    探し続けよう。
    探すことをやめないで。
    あなたにはあふれすぎてる。
    あなたにしか語れない尊すぎる良さがある。

    探し続けよう。
    この世界が終わるまで。

    画像
    朝に咲いて、夕方にはしぼんじゃうって。


    #創作大賞2026
    #エッセイ部門

     
     
    「日常に平穏を」 当たり前の幸せが今なくなるとしても。

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