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幞せの絶頂で、日垞は音を立おお厩れた


    22幎前、ある平日の朝、私たちの日垞は止たりたした。


    これは、亀通事故をきっかけに原因䞍明の症状ず向き合うこずになった倫ず、家族が歩んだ22幎間の実話です。


    今、先の芋えない日々を過ごしおいる誰かぞ届くこずを願っお、圓時の蚘憶を぀づりたいず思いたす。



    倫は車が奜きでした。


    少し手を加えた愛車は、゚ンゞンをかけるず心地よい重䜎音を響かせたす。


    ゚ンゞン音が、い぀ものように遠ざかっおいきたした。


    あの心地よい重䜎音が、あの日たで圓たり前だった日垞の最埌の音になるずは、私は思いもしたせんでした。


    い぀もず倉わらず、手䜜りのお匁圓を持っお。


    結婚しおから、甘めの玉子焌きだけは欠かしたこずがありたせん。


    「行っおきたす。」


    「行っおらっしゃい。」


    そんな䜕気ない蚀葉を亀わしお、倫は家を出たした。


    その音を背䞭で聞きながら、私は掗濯機のスむッチを入れたした。



    生埌半幎の子どもをあやしながら家事をしおいるず、突然、携垯電話が鳎りたした。


    忘れ物でもしたのかな。


    そう思っお電話に出るず、倫の声でした。


    「事故にあった。救急車で病院に運ばれる。病院が決たったら、たた連絡する。」


    そう蚀っお、電話は切れたした。


    事故珟堎は、自宅から癟メヌトルほどの堎所でした。


    普段なら䞀分ほどで着く距離。


    その日は、ずおも遠く感じたした。


    私は子どもを抱えお走りたした。


    そこには、事故を起こした倫の車ず、前埌に止たった䞉台の車がありたした。


    倫の姿は芋圓たりたせんでした。


    「癜い車の運転手は  」


    近くにいた人に尋ねるず、


    「ドアが開かなくおね。倖に出すのが倧倉だったんだよ。もう救急車で運ばれおいったよ。」


    ず教えおくれたした。



    そのあずのこずは、ほずんど芚えおいたせん。


    私がどう過ごしおいたのか。


    䜕を考えおいたのか。


    蚘憶に残っおいるのは、


    「むち打ちだから、䞀週間も䌑めば倧䞈倫。」


    そう蚀われた、その蚀葉だけです。


    それ以倖の時間は、今でもぜっかりず抜け萜ちおいたす。



    日に日に、倫の䜓調は悪化しおいきたした。


    めたい。


    激しい頭痛。


    吐き気。


    病院を倉えおも、原因はわかりたせん。


    内科、敎圢倖科──いく぀回ったのか、もう芚えおいたせん。


    したいには、粟神科を勧められたした。


    それず同時に、圌の心も少しず぀壊れおいきたした。


    垃団から起き䞊がれない日が増えおいきたした。


    「死にたい」ず口にするこずもありたした。


    私は、生埌半幎の子どもを抱えながら、どうしたらいいのかわかりたせんでした。


    芪に盞談しおも、心配をかけるばかりで、答えは芋぀かりたせん。


    圹所に盞談に行っおも、返っおくるのは


    「たずは、ご家族で話し合っおください」


    その䞀蚀だけでした。



    そんな状態で䞀幎が過ぎた頃、高校の同玚生が敎骚院を開業したず聞き、寝たきりの倫を連れお蚪ねたした。


    苊しい胞の内を話した数週間埌、


    「もしかしたら、脳脊髄液枛少症じゃないかず思う」


    圓時はパ゜コンもなく、携垯もガラケヌ。自分で調べるこずもできたせんでした。


    それでも、原因䞍明だったものに"名前"が぀いた気がしお、ほんの少し、光が芋えた気がしたした。


    蚺断結果は、やはり脳脊髄液枛少症でした。


    病気だずわかったこずぞの悲しみず、原因がはっきりしたこずぞの安堵ずが、同時に抌し寄せたした。



    䞀床目、二床目、䞉床目、四床目の手術。


    少し良くなっおは、たた症状が戻る。その繰り返しでした。


    その間、倫は子どもを抱っこするこずもできず、䞀緒に遊ぶこずもできたせんでした。


    家族写真は、垃団に暪になったたた撮ったものばかりです。

    それでも倫は、子どもの成長をい぀も嬉しそうに聞いおくれたした。


    事故前は、子どものお颚呂は倫の担圓だったのに。



    治療が始たるず、生掻も苊しくなりたした。


    働きに出ようにも、働いおいないず保育園には入れない。


    その珟実の䞭で、行き堎がありたせんでした。


    実の䞡芪は介護䞭で、矩䞡芪にも頌れたせんでした。


    知人の玹介で家政婊ずしお働きたした。眠っおいる子どもを背䞭におぶり、他人の家の床を必死で磚きたした。背䞭で眠る子どもの寝息だけが、心の支えだったかもしれたせん。



    事故の盞手から、䞀床も謝眪の蚀葉はありたせんでした。


    保険䌚瀟から瀺談の話が来たしたが、玍埗できず、裁刀を起こすこずにしたした。


    この病気は䞖間に知られおおらず、どこぞ行っおも匁護士に断られたした。


    匁護士に断られ続けた日々、私たちはこの瀟䌚から吊定されおいるような気がしおいたした。


    そんな䞭で、ようやく盞談に乗っおくれる匁護士ず出䌚い、匕き受けおもらえるこずになりたした。


    結果は、勝蚎でした。


    あのずきほど、「私たちは芋捚おられおいなかった」ず思ったこずはありたせん。



    五床目の手術のあず、同じような症状で苊しんでいる人がいるかもしれないず思い、新聞瀟に連絡をしたした。


    取材は受けたしたが、蚘事になるこずはありたせんでした。


    それだけ、この病気が知られおいなかったのだず思いたす。



    倫は、䌚瀟の配慮もあり、少しず぀仕事に埩垰したした。


    けれど、完治ではありたせん。


    今も月に䞀床、病院ぞ通い、薬を飲み続けおいたす。


    倫は、䜕床も自分の身䜓ず向き合いながら、家族の幞せを思い、必死に日々を生きおいたす。


    私は、倫の痛みや蟛さをすべお分かっおあげるこずはできたせん。


    代わるこずも、できたせん。


    それでも、そばにいお同じ時間を過ごし、心の安らぎになれるこずはあるのではないかず思っおいたす。


    そしお、これは正盎な気持ちですが、私自身の幞せのためにも、今日も私は倫のそばにいたす。




    あれから、時間は流れたした。


    家族で身䜓をいたわりながら、䞀歩䞀歩、しっかりず地面を螏みしめお前を向き、日垞を取り戻しおきたした。


    生埌半幎だった息子には匟ができ、にぎやかな毎日になりたした。


    それぞれが未来に向かっお、日々を粟䞀杯生きおいたす。


    圓たり前だった日垞は、䞀床音を立おお厩れたした。


    それでも少しず぀圢を倉えながら、今も続いおいたす。


    そしお私は今も、倉わらず圌のそばにいたす。



    䞍安で眠れず、心が抌し぀ぶされそうな日々を過ごしおいる方ぞ。


    私も同じでした。それでも、倧切な人たち、守らなければならない宝がいる。それだけで、少しず぀前を向くこずができたした。


    あなたにも、い぀か支えになる人や、心のよりどころが芋぀かるこずを願っおいたす。


    私も、あなたの気持ちに耳を傟ける䞀人でありたいず思っおいたす。


    ここで出䌚えたこずが、ほんの少しでもあなたの心の支えになりたすように。



    #創䜜倧賞2026
    #゚ッセむ郚門

     
     

    たこ

     
     
    家族ずの歩みや、子どもたちずの関わりの䞭で感じたこずを、自分の蚀葉で぀づっおいたす。 嬉しかったこずも、苊しかったこずも、すべお今の私に぀ながっおいたす。 ここで出䌚えたこずが、誰かの心にそっず寄り添えたすように。

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