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祈りの鍵盤

    【第一部】国際離婚


    第六章:愛と憎しみの修羅場


    夜も更けた頃、不意にインターホンが鳴った。時刻は十時をとっくに過ぎていた。子どもたちは、すでにベッドの中にいた。
    「こんな時間に、誰?」
    玄関を開けると、制服姿の郵便配達員が一通の封筒を差し出した。
    「電報です」
    その言葉を聞いた瞬間、背中に冷たいものが走った。この時間に、電報? まず東京の実家で何か起きたのではないかと思い、胸がざわついた。震える手で封を開けると、中にはたった数行のメッセージが書かれていた。

    「ここ数日、連絡がないけれど……あなたの気持ちは、もう終わったの? あなたのカタリン」

    その名前を見た瞬間、私はすべてを理解した。夫が関係を持っていた、ハンガリー人女性の名前だった。
    彼女はマルティンと連絡が取れず、不安と焦りに耐えきれなくなって、夜更けに電報を送ってきたのだ。どうしても彼とつながっていたい。その思いが、紙の刃となって妻である私の手元へ届いた。

    私たちが日本にいるあいだ、マルティンは彼女を家へ自由に出入りさせていたのだろう。もしかすると、私たちの寝室まで使わせていたのかもしれない。ところが家族が戻ってきた途端、彼からの連絡が途絶えた。カタリンは、自分が捨てられたのではないかと不安になったのだ。
    この紙一枚に、二人の女と一人の男の関係が、すべて詰まっていた。

    翌朝、といっても正午に近い時刻だった。いつものようにビールを片手にテレビの前へ座るマルティンに、私は電報を突きつけた。
    「これ、誰から?」
    彼は一瞬だけ顔をこわばらせたが、すぐに目を逸らし、いつもの調子で言い訳を吐いた。
    「ただの友達だよ。俺だって迷惑してるんだ」
    その言葉を聞きながら、私は心の中でつぶやいた。

    もう、誤解なんてしない。私は、すべて知っている。あなたが誰を愛し、誰を欺いているのか、そのすべてを。

    そして、家の中から窓の外を歩く二つの影を見たのは、ウィーンの夏の夕方だった。大きな笑い声が風に乗って届き、聞き覚えのある声が耳を刺した。目を凝らすと、そこにいたのはマルティンだった。その腕に絡みつくように

    歩いていた女は、カタリンだった。しかも彼女が着ていたのは、東京で母から贈られた、イヴ・サンローランの上品なクリーム色のセーターだった。その瞬間、心臓の鼓動が大きく打ち、そのまま凍りついた。
    怒りより先に、身体が動いた。私は娘に「すぐ戻るわ」とだけ告げ、サンダルのまま外へ飛び出した。
    二人の姿を見失わないよう、夕暮れの石畳を走った。もう、何も知らない妻のふりをするつもりはなかった。

    二人が入っていったのは、案の定、裏通りにある馴染みの酒場だった。重い木の扉を押し開けると、安ワインとタバコ、汗と香水が混じった、むせ返るような空気が押し寄せた。ジュークボックスから流れる音楽と笑い声の中で、カウンターの奥にいた店主のハッサンが私を見つけ、目を見開いた。
    「おお、亜理沙じゃないか。戻っていたのか。君が留守のあいだ、マルティンはあの女と毎晩のように来ていたよ。明け方までべったりで、誰が見ても恋人同士だったね」
    その言葉を聞いた瞬間、頭の中からすべての音が消えた。けれど、不思議なほど私は冷静だった。
    店の奥へ進んだ。キャンドルの赤い光の下で、マルティンとカタリンは身体を寄せ合い、楽しそうに笑っていた。
    グラスを傾けるマルティンの横顔は、十四年間連れ添った夫ではなく、まるで見知らぬ男のようだった。

    私は二人のテーブルの前に立った。マルティンが顔を上げる。その目に驚きが浮かび、次の瞬間には露骨な苛立ちへ変わった。
    「亜理沙……何しに来たんだ」
    私は答えなかった。テーブルに置かれていた白ワインのグラスをつかみ、彼の顔めがけて一気に浴びせた。

    バッシャーン!

    白ワインが額から目元、頬、口元へ流れ落ち、シャツの襟を濡らした。
    店内の笑い声が、一瞬で消えた。
    私は空になったグラスを、テーブルへ叩きつけるように置いた。
    硬い音が、凍りついた酒場に響いた。
    マルティンは椅子を蹴るように立ち上がった。
    「何しに来たんだ! あとをつけてくるなんて、お前、いかれてるのか!」
    「いかれてるのは、どっちよ!」
    自分でも驚くほど低い冷静な声だった。
    「妻と子どもがいる家に愛人を入れて、私の服まで着せて、まだ私の方がおかしいと言うの?」
    マルティンが何か言い返そうとしたとき、カタリンがゆっくりグラスを置いた。彼女は少しも怯まず、むしろ勝ち誇ったような目で私を見た。

    「殴りたければ殴れば? 私はこの人と一緒になるから。マルティンは、あんたなんかにはもう、うんざりだって言ってる。早く離婚したいって言っているわ。これからは私の家で暮らすのよ」
    その言葉は、焼けた鉄の塊のように胸へ落ちた。けれど、私は声を震わせなかった。
    「この男が欲しいの?」
    私はマルティンを指さした。
    「だったら、くれてあげる。よく聞きなさい。この男は仕事もせず、生活保護と子ども手当で酒を飲み、盗んだ制服を着て警官を名乗る偽物よ。私の両親から家の購入資金だと嘘をついて大金を奪い、妻と子どもを見放し手愛人のあんたの所へ転がり込んだ、そんな最低の男よ!それでも欲しいなら、今すぐ一緒になれば!」
    カタリンの顔から、初めて笑みが消えた。
    私は続けた。
    「ただし、次に騙されるのは、あんたよ!」

    酒場の誰も声を出さなかった。カウンターの客も、グラスを持ったままこちらを見ていた。ジュークボックスだけが、場違いなほど陽気な音楽を流し続けていた。
    長い沈黙のあと、マルティンは濡れた顔を手の甲で拭い、私を憎しみに満ちた目でにらみつけた。
    「カタリン、行こう」
    その顔には、愛などひとかけらもなかった。あったのは、嘘を暴かれた男の焦りと、追い詰められた逃亡者の形相だけだった。カタリンはマルティンのあとを追った。二人が扉を開けると、夕方の光と空気が一瞬だけ店内へ差し込み、すぐに消えた。

    やがて、常連客のバーバラが私のもとへ駆け寄り、何も言わずに強く抱きしめてくれた。
    「もう、あんな男には何の価値もないわ。亜理沙、あなたは子どもたちを守って。そして、あなた自身の幸せも見つけるのよ」
    そう言って、彼女は私の前に赤ワインを一杯置いた。グラスを持つ手はまだ震えていた。
    白ワインを夫の顔に浴びせた瞬間の興奮が、身体の中を駆け巡っていた。けしかし、赤ワインが喉を通り、胃の奥へゆっくり落ちていくにつれ、乱れていた呼吸が少しずつ戻ってきた。

    そうだ。私には、かけがえのない二人の子どもがいる。私がしっかりしなければならない。
    この子たちを守らなければならない。
    ここ、自分の故郷で生きていこう。
    子どもたちと一緒に、この場所で生き抜いていこう。

    あの夜、涙はもう流れなかった。ただ、赤ワインが喉を満たしただけだった。私は心の中で誓った。もう二度と、彼と目を合わせることはない。白ワインを浴びせた瞬間、私の中に残っていた愛も、迷いも、すべて終わったのだ。裁かれるべき過去と、これから手に入れる未来。その狭間に、私は母として立っていた。言葉を交わすこともなく、私たちの関係はそこで終わった。だが、本当の戦いは、むしろこれからだった。

    翌週、私は友人から紹介されたウィーン市内の離婚専門の法律事務所を訪れた。受付で名前を告げると、五十代の弁護士が立ち上がり、丁寧に握手をした。
    「こちらが、ご相談の件の資料ですね。拝見します」
    机の上に置いた封筒には、十四年間の結婚生活の記録が詰まっていた。浮気の証拠写真、新聞に掲載された結婚相手募集広告のコピー、チェコへの旅行を示す領収書、偽警官の制服を着た写真、そしてカタリンから届いた電報。私は、手元に残っていたものをすべて持参していた。

    弁護士は一枚ずつ目を通しながら、何度か眉をひそめた。
    「十分すぎるほどです。本来なら、相当額の慰謝料を請求できる案件です。ただ、ご主人は現在、無職なんですね。残念ですが、ないところからは取れません。それでも、離婚そのものはかなり有利に進められるでしょう。ただし法律上請求することはできます。ですが、相手に支払い能力がなければ、判決を得ても実際に回収することはできませんよ」
    その言葉に、張りつめていた胸がわずかに緩んだ。けれど、弁護士の表情はすぐに硬くなった。
    「ただし、問題は未成年のお子さんたちの親権です」
    その言葉を聞いた瞬間、私は背筋を伸ばした。アンナレーナとノア。この二人の笑顔を守ることだけが、これからの私の使命だった。
    「どんなことがあっても、あの子たちは私の手で育てたいんです」
    弁護士は力強くうなずいた。
    「では、生活環境、経済状況、精神的な安定、教育方針、そのすべてを文書に残しましょう。必要であれば、周囲の方の証言や、お子さんたちの意思も添えます」

    こうして私は、離婚への第一歩を踏み出した。夜、子どもたちが寝静まったあと、食卓の上に証拠の書類を並べた。
    写真、領収書、広告、電報。その一枚一枚が、私が耐えてきた年月の証だった。私は誰もいない部屋で、小さな声でつぶやいた。
    「私は、絶対に負けないから」

    日本とは異なり、当時のオーストリアでは、離婚届に署名するだけで婚姻関係を終わらせることはできなかった。夫婦が離婚に合意していたとしても、裁判所で正式な審理を受けなければ、離婚は成立しない。とりわけ未成年の子どもがいる場合、親権や生活環境について、裁判官が「子どもの最善の利益」を基準に判断することになっていた。

    日本の読者なら、「なぜ離婚するために裁判が必要なのか」と不思議に思うかもしれない。しかし、この国では、離婚は夫婦二人だけの問題ではなかった。子どもがどこで、誰と、どのような環境で暮らすのか。それを第三者である裁判官が慎重に判断する。だからこそ私は証拠を揃え、弁護士を立て、法廷に立たなければならなかった。これは単に夫との関係を終わらせるための手続きではない。私と子どもたちが生き残るための、法的な戦いだった。

    すべての準備を終え、私はついにウィーンの裁判所の扉をくぐった。近代的でモダンな廊下に、私の足音が響いた。
    マルティンは、弁護士が懸念していたとおり、一度も法廷に姿を現さなかった。それが彼のいつものやり方だった。責任を問われそうになると、嘘をつき、姿を消し、誰かに後始末を押しつける。しかし、しかし、彼が出廷しなくても、二回目以降は本人不在のまま審理が進められた。

    私は裁判官の前で、これまでの生活について一つずつ説明した。夫の長期にわたる失業とアルコール依存、子どもの手当を酒代に使っていたこと、偽警官を装っていたこと、複数の女性との関係、家庭内で子どもたちが怯えながら暮らしていたこと、さらに税務署によって家の電化製品を差し押さえられたこと。そして、私がどのように働き、子どもたちを育ててきたか。話しながら、何度も声が震えそうになった。それでも私は、目を逸らさなかった。

    やがて裁判所は、私に二人の子どもの親権を全面的に認める判断を下した。その言葉を聞いた瞬間、胸の奥に張りつめていた糸が、ようやく緩んだ。私は勝ったのだ。夫に勝ったというより、子どもたちを守り抜いたのだと思った。

    しかし、問題はまだ終わっていなかった。離婚が成立した瞬間、私は「オーストリア人の配偶者」という立場を失い、それまで持っていた労働許可も無効になった。永住資格があっても、日本国籍の私には、住む権利はあっても働く権利がなかった。
    「子どもたちを抱えながら、これからどうやって生きていけばいいの?」

    離婚できた安堵と、明日からの生活への恐怖が、同時に押し寄せた。追い詰められた私は地元の区役所へ相談し、生活保護を申請せざるを得なかった。支給額は月に十三万円ほどで、二か月に一度、二十六万円が支払われた。そのあいだ私は、仕事を探し続けていることを証明するため、定期的に労働局へ出向き、書類にスタンプを押してもらわなければならなかった。労働許可が再び認められるまでの日々は、緊張と不安の連続だった。

    それでも、私は負けなかった。朝になれば子どもたちを起こし、朝食を用意して、学校へ送り出した。限られたお金をやりくりしながら、夕食を作り、宿題を見て、眠る前には日本語の本を読んだ。
    贅沢はできなくても、家の中に怒鳴り声はなかった。酒とタバコの異臭もなかった。誰かの顔色をうかがいながら息を潜める必要もなかった。

    離婚が成立し、私はようやく「マルティンの影のない毎日」に身を置くことができた。子どもたちとの静かな日常。朝のパンの香り。学校行事の準備。学芸会の練習。決して豊かではなかったが、まっすぐで穏やかな日々だった。

    その平穏を破ったのは、旧知の友人から届いた、信じがたい知らせだった。「ねえ、亜理沙、聞いた?マルティンが、殺人の疑いで拘束されていたらしいの」
    私は耳を疑った。友人の話によれば、離婚後もマルティンはカタリンと同棲していた。ところがカタリンは、睡眠薬と多量のウィスキーを同時に摂取して亡くなったという。
    死んだ時の状況が不自然だったため、同居していたマルティンも警察の事情聴取を受け、しばらく拘束されていたらしい。

    何が事実で、どこからが噂なのか、私には確かめる術がなかった。近所の人の話では、彼は長期間にわたり留置されていたという。さらに、亡くなったカタリンには二十一歳になる娘がいて、その娘によってマルティンはアパートから追い出されたらしい。
    「全部、マルティンのせいだ!」
    娘がそう叫んでいたという話まで、私の耳に届いた。その瞬間、背中に凍えるような戦慄が走った。
    「あのとき、もし私が彼のそばにいたら、殺されていたのは私だったのかもしれない」

    その言葉が、思わず喉から漏れた。彼の異常さには、幾度となく本能的な恐怖を覚えてきた。けれど、それが命に関わるほどのものだったとは思いたくなかった。私は、自分と子どもたちの未来を守るために下したすべての決断が、間違っていなかったのだと改めて確信した。私は自分の命を守っただけではない。あの子たちの未来を守ったのだ。

    それからしばらくして、マルティンが亡くなったという知らせが届いた。ある日突然、白い封筒が郵便受けに入っていた。差出人は、あの見慣れた田舎町、リリエンフェルトの市役所だった。中に入っていたのは、簡素な書類だった。

    「マルティン・ノイマン。十一月十五日、肝臓がんのため、収容施設内で死去」

    そこに記されていたのは、それだけの乾いた事実だった。私はしばらく、紙を持ったまま動けなかった。悲しいのか、ほっとしているのか、自分でも分からなかった。あまりにも多くの年月が過ぎ、心がすぐには現実を受け入れられなかったのだと思う。
    彼が拘束されているという噂を聞いたとき、ノアが見せた不安そうな表情だけは、今もはっきり覚えている。殺人容疑。どこまでが真実で、どこからが誤解だったのか。結局、彼から直接事情を聞くことは、二度となかった。

    それでも私は思い出す。白いヘルメットをかぶり、ロンドンの街を疾走していた若い頃の私を、静かに見守ってくれたマルティン。雪の朝、黙って薪を斧で割り、暖炉に火をくべていた後ろ姿。第一子の誕生に涙をこぼした夜。入院中の赤ちゃんのために、毎日、母乳を病院へ運んでくれた日々。そして三年後、第二子が男の子だと分かり、再び涙を流して喜んだ日。

    あの瞬間だけは、確かに私たちは家族だった。誰よりも幸せな家族なのだと、少なくとも私は信じていた。

    今、彼はもうこの世にいない。私の胸に最後に残ったのは、怒りでも憎しみでもなかった。ただ一つ、「かつて心から愛した夫が死んだ」という、静かな現実だった。

    私は今でも、彼の誕生日になると、マルティンが好きだったスカルラッティのソナタを静かに弾く。そして鍵盤に指を置きながら、心の中で彼の誕生日を祝っている。

    #創作大賞2026
    #オールカテゴリ部門

     
     

    pacher

     
     
    ウィーンに生まれ、東京で暮らす。 インドと欧州をめぐる海外特派員の旅を経て、現在は東京を拠点に。 異文化と感情の交差点を東京から静かに発信中です。

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