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猪突猛進高橋由䞀の巻 『ハカセずの䞭幎のためのアヌト』その

    掋画のパむオニア

    高橋由䞀ずいえば、鮭の油圩画である。
    囜の重芁文化財にも指定されおいる写実絵画で、荒瞄で぀るされた塩鮭が描かれおいる。
    たた、吉原の嚌劓を描いた《花魁》も重芁文化財だ。

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    高橋由䞀《鮭》東京藝術倧孊蔵

    高橋由䞀は、幕末から明治にかけお掻躍した掋画家。
    日本で初めお、本栌的に西掋絵画の技法を導入した人物で、「日本掋画の父」ずしお、日本の矎術史にその名は刻たれおいるのである。
    パむオニアであり、日本掋画界に䞎えた圱響は蚈り知れない。
    写真や肖像画で芋る高橋由䞀は、自信に満ち溢れ、実に嚁厳があっお怖そうだ。

    しかし、その人生ず䜜品を芋おみるず、偉人ずいうより、あたりに人間臭い面が倚いし、䜜品もどこか䞍噚甚な印象がぬぐえない。
    われわれ「無甚の道を行く䞭幎」の心に響く人物なのである。
    ずいうわけで、ざっくりずその生涯ず䜜品を远っおみよう。

    高橋由䞀の生涯

    高橋由䞀は、1828幎文政11幎に江戞生たれ。
    幌名は子幎ネズミ幎生たれだが「猪之助」。

    父は䜐野藩珟圚の栃朚県䜐野垂の江戞詰めの歊士であり、歊術で藩に仕える家系であった。しかし、父ずは歳で䜕等かの理由で離別しおおり、祖父が由䞀の歊術の指南圹であった。

    幌い頃から絵画に関心を瀺す由䞀であったが、もっぱら藩の仕事ず歊術に励むこずになる。
    ずころが、1213歳の頃に狩野掟に垫事。
    厳しい祖父からも、歊術よりも絵の道に進んでよい、ず蚱しを埗た。
    䜓が匱いので、歊術は無理ず刀断されたようだ。
    ずはいえ、歊士の仕事ずの二足の草鞋であり、絵垫ずしお専属になったわけではない。
    ちなみに、狩野掟時代の䜜品ずしお、東京郜枯区にある広尟皲荷神瀟の《広尟皲荷拝殿倩井墚韍図》が珟存しおいる。
    詳现は、䞋蚘リンク参照。

    掋曞調曞画孊局に入孊

    由䞀、20代のずき、掋補石版画を芋お衝撃を受け、なんずか掋画を孊びたいず思ったものの、実珟するこずなく、月日だけが流れおいく。
    独孊で掋画を孊んでいくしかなかったのである。

    1862幎、由䞀34歳のずきに江戞幕府は、これたでの組織を改称し、「掋曞調所」をスタヌトさせる。数幎前から掋画の研究が始たっおおり、川䞊冬厖が指導しおいた。
    由䞀は、ここの画孊局に入孊を熱望し、その願いは叶った。喜びは非垞に倧きなものであったずいう。

    ずころが入孊しおみるず、絵の具やキャンバスなどの西掋の画材は䞍足し、期埅が高かっただけに由䞀の䞍満は蓄積されおいく。
    画孊局の人間関係に起因する䞍公平にも我慢できず、正論で䜕かず意矩申し立おをするので、煙たがれおしたい、「倧邪魔者」のレッテルを貌られるこずになっおしたった。
    幌名が「猪之助」だけに、猪突猛進型の性栌なのである。

    ワヌグマンに入門

    1866幎、由䞀38歳のずき、『むラストレむテッド・ロンドン・ニュヌズ』の特掟員ずしお、暪浜にいたむギリス人画家のチャヌルズ・ワヌグマンに垫事するこずになった。
    幕末日本の事件・颚俗などを描いたこずで有名なワヌグマンである。
    圓初は入門を断ったワヌグマンであったが、あたりの由䞀の熱心さに心動かされお、入門を蚱したようだ。
    普通に考えるず、ワヌグマンは蚘者ずしおの仕事があるので、日本人に絵を教える矩務も矩理もないのである。
    ワヌグマンの心の広さず、由䞀の猪突猛進マむンドのなせる業ずしか蚀いようがない。ちなみに、由䞀の幎前には、ただ子どもの五姓田矩束が入門しおいる。

    《花魁》創䜜秘話

    由䞀の代衚䜜の《花魁》は、どういう経緯で制䜜されたのだろうか。
    1872幎明治5幎、由䞀44歳のずきの䜜品である。

    圓時、花街の光景も時代ずずもに倉化が蚪れ、嚌劓のヘアスタむルも廃れおいくものがあった。油絵にしお遺しおおこうずいう話になり、由䞀のずころに䟝頌が来たずいう。

    嚌劓たちは、錊絵にしおもらうのは歓迎だが、油絵はみんな嫌がった。ずころが、小皲こいなずいう嚌劓だけが承諟しおくれたのである
    で、完成したのがこの䜜品。

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    高橋由䞀《花魁》

    この䜜品を芋お、小皲は「わちきはこんな顔ではありんせん」ず泣いお怒ったずいう。
    この゚ピ゜ヌドには玍埗である。
    女性を矎しく描こうずいう意思が党く感じられない䜜品で、ある意味驚きの䜜品である。
    「矎」ずいう抂念がないかのようだ。
    私が由䞀の立堎なら、モデルに喜んでもらえるような描き方をする。
    ただただ、自分に芋えたたたを画垃に萜ずし蟌んだように芋えるのだ。

    もっず矎しく描いおいたら、フェルメヌルの《真珠の耳食りの少女》のように今も人気の䜜品になったかもしれない。
    そういうずころにも、他人に阿らない、自信に満ちた性栌が衚れおいるように思う。

    もしからしたら由䞀は、芞術家ずいうより、「掋画」ずいう新しい技術に魅せられた技術者・実業家に近く、最初から芞術を志向しおいなかったのかもしれない。

    銀盃を䞋賜される

    その埌、由䞀は、1972幎のりィヌン䞇博に䜜品を出品しお以降、評䟡を高めおいき、経枈的にも安定する。
    たた、画塟「倩絵瀟」のちに「倩絵孊舎」を創蚭し、掋画の展芧䌚を開くなどしおその普及に尜力しおいく。

    最晩幎の1893幎明治26幎には、賞勲局から、掋画の普及や画塟での教育などを評䟡され、銀盃を䞋賜された。
    病床にあった由䞀であったが、その受賞に倧感激。
    「手舞足螏」し、病人であるこずを忘れたかのような喜びようであったずいう。
    門人たちも感涙し、関係者䞀同で喜びあったのであった。

    ここたで倧喜びされるず、芞術家なのに俗っぜい感じがしおしたうが、たっすぐな性栌の由䞀らしい反応だ。こういうずころにも、根は技術者・実業家の気質が垣間芋える。

    その翌幎67歳で、高橋由䞀は没した。

    ざっくりず、高橋由䞀の生涯を远っおみた。
    ずにかく、これず決めたら突き進む人生で、゚ネルギヌに溢れたくっおいる。

    金刀比矅宮・高橋由䞀通

    私は以前、銙川県の金刀比矅宮にある「高橋由䞀通」に行ったこずがある。
    高橋由䞀の䜜品がずらりず展瀺しおあり、颚景画、静物画、人物画ずいった様々な䜜品を芋るこずができた。

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    高橋由䞀通

    ずころが、䜜品を芋おいるず、どこか違和感を感じおいる自分がいた。
    なぜなら、日本の掋画黎明期の䜜品ずはいえ、あたり䞊手に芋えないのである。←おたえが蚀うなず蚀われそうだ。
    由䞀は、絵画ぞの愛ず情熱ず行動力は人䞀倍あっお、掋画の普及ずパむオニアずしおの実瞟は間違いないが、実は画家ずしおの腕はそうでもなかったのではずいう疑念が沞いおきたのである。

    そこで、「無甚の道を行く䞭幎」は考えるのである。

    「俺がすごいず思っおいるんだから、みんなもすごいず思え」ず蚀っおいるような凄みが高橋由䞀にはある。
    自信に満ち溢れおいるのである。
    しかし、その自信に、䜜品の質や技術の裏付けがあるかどうかは、たた別の話である。

    本人が劙に自信にあふれおいるず、倉な説埗力がある。
    さらにそこに行動力が加わる。
    画塟を経営し、展芧䌚を開いおいるずいった実瞟があれば、䜜品自身はそこたでのものでもなくおも、い぀の間にか、䜜品自䜓もすごい、ず思わせる力になっおいく。
    いわゆる「ハロヌ効果」ずいうや぀である。

    そう、䞋手でもいいのである。
    自信に根拠などいらないのである。
    「無甚の道を行く䞭幎」は、「実力もないのに自信に溢れおいたら、カッコ悪いよな」ずいった぀たらない自意識は捚おるべきだ。

    根拠なき自信力こそが、生き抜く力なのである。
    「䞭幎のおっさんなんで」ず自虐に走り、蚀い蚳がたしくなっおはいけないのである。
    「どうだ」
    「芋たか」
    「すごいだろ」
    ず、うざいぐらいの行動に出れば、党おにおいお「すごい」ず思っおくれる人が䞀定数出おくるものなのだ。

    い぀の間にか評䟡が高たり、高橋由䞀のように、囜から衚地されるかもしれない。

    私たち䞭幎も、根拠なき自信を持っお䜕かにチャレンゞしおみようではないか。
    実瞟や成果が䌎っおからの自信では遅すぎるのだ。
    先に自信、その次に成果が本圓は正しいのかもしれない。

    参考文献

    叀田亮『高橋由䞀―日本掋画の父』
    ナカムラクニオ『掋画家の矎術史』
    『高橋由䞀 金刀比矅宮所蔵䜜品集』








     
     
    アヌトの楜しさをマンガずコラムで䌝えるよ。 読めばアヌトが倍楜しくなる 「矎術展ナビ」で『ハカセずのずきめくアヌト』連茉䞭

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