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Photo bykinu2690

自分を優先していいとき

    自分の人生そのものと言っていい「お金」。
    お金の使い方の価値観が合わない、他人に合わせなければいけないとき、その場やその人から逃げていい。


    学生時代に付き合った相手(以下A)は、「金がない」を度々口にする人だった。
    その割には大学から贈与型の奨学金でバイクを購入していた。
    親からの仕送りだけで生活できていたので、アルバイトはしていなかった。
    学校終わりには友達と徹夜でカラオケ三昧。
    休日には趣味のバイクを乗り回して、男友達とツーリングに出かけていた。

    有名企業に勤め始めてからも、その生活スタイルは変わらなかった。
    好きなバイクに乗り、仕事仲間と飲み会に行き、時間があれば友人とオンラインゲーム。食事はコンビニで済ませる。

    一方で、Aの実家は両親共に働き盛りにも関わらず、職を失い、アルバイトと貯金で生活している状態だった。
    Aの妹弟の進学費用の一部をAが捻出していた。A自身も奨学金の返済に追われていた。
    経済状態に見合わない生活レベルをしているAはいつも「金がない」とぼやいていた。

    おそらく「お金がない」と答える世帯の中に、こうした人は多くいるのだろう。お金の使い方を、周囲と比較しない、同じような感覚の人とぬるま湯に浸かったままでいいと感じる人なのだろう。
    到底理解できないAと付き合っていた自分は、今でも自分とは別人格が芽生えていたのではないかと考えている。

    そんな中でのAとの月1のデートは自宅。
    必ず私が1時間かけてAの自宅へ行き、家事をひととおりこなすのが日常だった。ゴミ袋で溢れてた、生乾きの匂いが充満する部屋をひたすら掃除した。水回りは黒いカビがヘドロ化して、カビキラーを3回かけないと汚れが取れなかった。
    清潔な場所など一つもなかった。
    もちろんお礼なんかはない。家事代行と交通費はすべて無料。食事も割り勘。

    翌月行くと、1ヶ月前に綺麗にしたはずの部屋は、ゴミ袋と換気されていないこもった空気が充満する汚部屋に元通り。

    この繰り返しだった。
    溜まっていくストレス、疲労そして交通費や日用品の負担額。

    なぜ別れなかったか。

    毒親育ちの適応障害状態だったから。
    なにかに依存していないと自分の存在価値が見出せない状態。
    よりにもよって、こんなクズに依存していまっていた。しかも家事をすれば「ありがとう」と形式的に言われる環境に心地よさまで感じていたのだ。

    「ケチ」と「節約」と「倹約」は別物だ。
    「ケチ」は相手の存在、価値をすべて犠牲にして、自分の利益を優先すること。
    「節約」は無駄な経費を必要な範囲で削ること。
    「倹約」は必要なものだけを厳選すること。

    見た目は似ているようで、全く違う。
    外面いい場合ほど、この3つを混同して自分をよく見せようとアピールしてくるが、行動は浪費型。
    行動がすべてを物語っている。

    私が今でもムカムカするエピソードをご紹介しよう。

    Aは誕生日には毎年高価なプレゼントを要求してきた。Aは「他人にものを買ってもらうこと」に強いこだわりをもっていた。

    当時の私の収入は少なく(手取り13万円)て、高額なプレゼント費用は賄えないと何度も説明した。
    だが返ってきた返事は
    「(私のために)高いプレゼントを買うのだからマイナスにはならない」
    だった。

    要はAが欲しくもない1万円以上するものを購入してあげる見返りに、私にも1万以上のものを買え、ということだった。

    誰かに依存しなければいけないような人間は、大抵メンタルが弱っている。
    そこをつかれ、押し切られるように自転車、その次に時計を購入させられた。
    大切に使ってくれるならいいか、と自分を納得させた。

    だが、現実は残酷だった。
    「思ってたのと違う」「壊れた」と言ってどこかに放置された。というか、目の間で捨てられた。
    ものが溢れかえって足の踏み場もないAの自宅のゴミの山の一角の中に消えていった。

    目の前で自分が汗水垂らして稼いだお金を半ば無理やり奪われ、それで購入したものを目の前で捨てられることは、自分の存在を目の前で否定されることと同じだということをAは考えもしなかったらしい。

    もう一つもなかなかメンタルを抉るものだ。
    高価なプレゼントに加えて、毎年旅行に行くことも勝手に決められた。

    しかも新幹線の指定席を利用したり、飛行機利用も提案された。
    一体どこにそんなお金があるのが疑問だった。
    Aにとっては、年1回の貴重な夏休みなのだから、ボーナスも合わせたお金で経済的に余裕のある旅行したいのだろうが、私の経済状態を考慮する余裕は含まれなかったらしい。

    もちろん反対した。
    「お金がなくても助け合うのが恋人でしょ?」
    「(Aが)行きの交通費(高級夜行バス)を負担するのに、これ以上なにを(Aは)我慢すればいいの!!?」
    まさかの逆ギレである。
    ひるまずに断ろうとすれば、永遠に続く電話。
    「なんで?」「行こうっていったじゃん。」「去年も同じこと(断ること)言ったよね?」「今年しか休み取れないかもしれないんだからさ・・・・。」
    この繰り返し。

    旅行を中止にすることを提案すると、却下された。そしてこのとき、Aが旅行に執着する理由が発覚する。

    「(会社の先輩に)彼女と旅行行くって言っちゃったんだから行くしかないじゃん。」
    Aは個人の見栄だけで、旅行に行きたいだけだった。他人をふりまわして、お金を無理やり取り上げることに罪悪感はなかったらしい。

    ゴネればなんとかなる、そういう人生だったのだろう。

    その後、私は無事正社員として就職した。
    多忙だったが、少しずつ自分の意思を取り戻していった。心療内科にも通い、毒親との関係を清算し、次第に回復していった。

    対照的にAと会う時間は激減した。
    「仕事があって忙しいから」
    といって、会わなくなった。

    そんなある日、会社の研修から帰ってきたAからアウトレットにも進出している某ブランドのバッグと財布が送られてきた。また高額なプレゼントを要求されると思い、電話をした。

    なんと、電話をした日の数日前、Aはバイクで会社から家に帰る途中で事故に遭い、全治3ヶ月の大怪我をしていたらしい。

    周囲に親しい友人や知り合いはいないらしく、汚部屋の中で療養中らしい。
    心の中で、「因果応報」という言葉を繰り返した。

    自分の心や生活を優先した途端、私を縛っていたしがらみ、厄がAへ一気に戻っていったのだ。そう信じたい。

    私はお見舞いの言葉だけ残し、電話を終了した。

    私が感じた「自分を大切にする」ということの答えは、自分が「こうしたい」と思うことを自由にできること。
    相手の主張にばかり意見を合わせすぎないこと。

    正解はひとつじゃない。だけど、自分の意見を押し付ける人との関係をもたないことで、「正解」に近づけるのだ。



    #創作大賞2026 #エッセイ部門

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