同棲5年目で初めて気づいたこと
「なんで私は離れられないんだろう?」から始まった学び
5年近く、一緒に暮らしていた人がいました。
一緒にいることが当たり前で、生活のほとんどを共有していました。
だから私は、彼のことを誰よりも理解していると思っていました。
彼には彼の事情がある。
彼には私が必要だ。
私が支えてあげなければ。
そんな気持ちが、いつの間にか私の中で強くなっていました。
彼は、病気を理由に仕事を失ったことがありました。
私は本当に病気なのだと思っていました。
実際に病院にも一緒に行ったことがあったので、疑う理由もありませんでした。
だから、「この人には私がついていなければ」と思いました。
私が支えなきゃいけない。
私が彼を救うんだ。
一生支えていくんだ。
そんな使命感のようなものまで感じていました。
でも、別れてから分かったことがあります。
彼が話していた病気そのものが、実は事実ではなかったのです。
私は、まんまと信じてしまっていました。
今思えば、病院に一緒に行ったという事実があったからこそ、余計に疑うことができなかったのだと思います。
当時の私は、彼を疑うよりも、彼を信じて支えることを選んでいました。
「でも、本当はいい人だから」
関係の中で、私が傷つくこともありました。
今振り返ると、モラハラだったと思うようなこともあります。
それでも私は、
「でも、本当は優しいところもある」
「本当はいい人なんです」
「彼にも事情があるんです」
「私には分かる、彼の良いところがあるから」
そう思っていました。
嫌なことがあっても、その人の良いところを思い出して、自分の中で帳尻を合わせていたのだと思います。
もちろん、人には良いところも悪いところもあります。
彼に優しい部分があったことも事実です。
でも、今になって分かります。
相手に良いところがあることと、自分が傷ついていいことは別でした。
当時の私は、その二つを一緒にしてしまっていました。
「もう、この人を逃したら出会えない」
もう一つ、私をこの関係につなぎ止めていたものがありました。
年齢です。
アラサーになって、
「この人を逃したら、もう次はないんじゃないか」
そんな不安がありました。
今考えると、とてももったいない考え方だったと思います。
「この人と一緒にいたい」ではなく、
「この人を逃したら、次がないかもしれない」
という気持ちが、いつの間にか私の中に入り込んでいました。
それでも当時は、それに気づいていませんでした。
私たちは、お互いに依存していたのだと思います
今振り返ると、私だけが彼に依存していたわけではなかったと思います。
彼も私を必要としていました。
私も彼を必要としていました。
お互いに、
「この人がいないと困る」
「この人には自分が必要だ」
という関係になっていたのだと思います。
私は彼を支えているつもりでした。
でも、彼を支えることで、「私は彼にとって必要な人間なんだ」と感じていた部分もあったのだと思います。
だから、離れることがとても怖かった。
苦しいのに離れられない。
傷ついているのに、それでも関係を続けようとする。
その状態を、私は長い間「愛」だと思っていました。
「それ、おかしくない?」と言われて
そんなある時、第三者から言われました。
「それ、おかしくない?」
その一言が、ずっと頭に残りました。
最初は、
「私たちには私たちの事情がある」
「外から見たらそう見えるだけ」
「彼のことを知らないから分からないんだ」
と思っていました。
でも、何度もその言葉を思い返すうちに、初めて自分たちの関係を外側から見てみようと思いました。
そして、私の中に新しい疑問が生まれました。
「なんで私は、こんなに苦しいのに離れられないんだろう?」
「共依存」という言葉を知りました
そこから、いろいろなことを調べるようになりました。
「心理的な支配」
「共依存」
「自己肯定感」
「なぜ人は苦しい関係から離れられなくなるのか」
そんな言葉を知っていく中で、少しずつ自分たちの関係が見えてきました。
もちろん、「私たちは完全に共依存だった」と簡単に決めつけられるものではありません。
でも、今振り返ると、私たちはお互いがお互いを必要としすぎていたのだと思います。
私は彼を救いたかった。
でももしかしたら、彼を救うことで、私自身も救おうとしていたのかもしれません。
「彼には私が必要」
そう思うことで、私も自分の存在価値を感じていたのだと思います。
「私が悪かったのかな」から、「私は何を感じていたんだろう」へ
別れてからも、しばらくは自分を責めました。
どうしてもっと早く気づけなかったんだろう。
どうしてあんなことを許したんだろう。
どうして5年も一緒にいたんだろう。
でも、少しずつ考え方が変わっていきました。
私は、何も分からなかったから5年間そこにいたわけではありません。
その時の私には、その時の私なりの理由がありました。
彼を支えたかった。
彼を救いたかった。
彼の良いところを信じたかった。
一人になるのが怖かった。
そして、彼にも私が必要でした。
そんなものが全部重なって、私はその関係から離れられなかったのだと思います。
そう考えられるようになってから、過去の自分を少しだけ優しく見られるようになりました。
疑問は、自分を責めるためのものじゃなかった
あの頃の私は、「なんで?」という疑問を、自分を責めるために使っていました。
「なんで私はこんなことをされるんだろう」
「なんで私は離れられないんだろう」
「なんで私はこんなに弱いんだろう」
でも、今は違います。
疑問があったから、私は調べました。
人に話しました。
自分の気持ちを振り返りました。
そして、自分が何を我慢していたのか、何を恐れていたのか、何を「愛」だと思っていたのかを、少しずつ知っていきました。
疑問は、知らない自分を責めるためのものではありませんでした。
自分自身を知るための入口だったのです。
5年一緒に暮らしたからこそ、分かったことがあります。
誰かを愛することと、誰かを背負うことは違います。
誰かに必要とされることと、その人と幸せになることも違います。
そして、
「この人しかいない」と思うことと、「この人と一緒にいたい」と思うことも違います。
私は、同棲5年目になって初めて、それに気づきました。
あの頃の「なんで私は離れられないんだろう?」という疑問は、すぐには答えになりませんでした。
でも、その疑問があったからこそ、私は自分自身について学び始めました。
だから今では、あの「なんで?」を悪いものだとは思っていません。
むしろ、あの疑問があったから、私は自分の人生をもう一度考えることができたのだと思います。
疑問は、ときに人生を変える学びの入口になる。
同棲5年目に生まれた「なんで?」は、私にとって、自分を知るための最初の一歩でした。
