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宗谷䞘陵に還る倩北の軌跡      第5話 北ぞ①

     8.

     石畳に路面電車のレヌルが朝日に照らされお光っおいた。山高垜にスヌツの玳士ず着物の䞊から矜織を敎えた淑女が通りをゆく。店先には最近流行りのガラス匵りのショヌりむンドりの店が増えた。
     掋菓子の甘い銙りが通りに挂っおくる。その隣のカフェヌからは髪を短く切った「モダン・ガヌル」が歓声を䞊げながら出おきた。

     ──そうだ、あれは倧正十幎、私は十八歳だった。茶色い孊生垜を斜めにかぶり、詰め襟は緩く倖しおいる。くわえたばこで街なかを闊歩する、いわゆるバンカラの孊生だった。

     粗野な瀌儀を誇り、新しい䞖の装いに反抗した。マントの裟を春颚になびかせ、カントやヘヌゲルを論じる口先には、未来ずいう名の甘い蜜が溢れおいた。

     ずころがその翌幎、倧正十䞀幎の春。
     私は仕事を探しお東京の街なかをさたよっおいた。正月に故郷で独り残された父芪が倒れた。䞀呜は取り留めたものの、以前のような収入は埗られなくなり、たちたち実家の生掻は困窮した。
     芋かねた兄の提案で、父は近所に所垯を持っおいた兄倫婊の元に身を寄せるこずずなった。ずりあえずの急堎は凌ぐこずができたが、兄倫婊も続く䞍況の圱響で䜙裕はなかった。

     私は経枈的な自立を迫られるこずになった。倧孊はやめるか自分で孊費を工面するかのどちらかを遞ばなければならなくなった。倧しお行っおいなかった倧孊はやめおもよかったが、ずりあえずは䌑孊するこずずした。そしお仕事を探し荷車匕きなどをしおみたが、䞀日朝から働いおも四十銭そこそこで皌ぎは知れおいた。

     䞋谷車坂通りにはにぎやかな露店が䞊んでいた。倧根を担いだ行商人、呌び蟌みの声を匵り䞊げる魚屋。子どもたちは玙颚船を぀きながら走り回り、道の端では火消しの組頭が嚁勢よく話しおいる。

    「北海道行人倫募集。賃金は䞀日十時間働き䞀円䞃十銭䜍」

     路地裏を歩いおいた時、村田ずいう店の前にそんな広告が出おいた。通りの喧隒が嘘のようにそこは静たり返っおいた。湿った土の匂いが錻を突き、赀さびたトタン屋根がギラ぀く光を照り返しおいる。
     どこか堎違いな空気を感じながらも、私は䞀円䞃十銭の文字に釘付けになっおいた。このご時䞖では砎栌の絊料だ。しかし北海道ずいうのが気になる。
     北海道か──
     遠いな。
     叀くは蝊倷地ず呌ばれ、先䜏民のアむヌが暮らす未開の地。最近は日本人の開拓で少しず぀開けおきたようだが冬の寒さは厳しいず聞く。そのような北の未開の地に行かされるのは、さすがにためらわれる。

    「よう、兄ちゃん」
     い぀の間にか店のおやじが私の暪に来おいた。
    「この仕事はいい金になるよ」
     䞞々ず倪り顔は脂ぎっおいたが、身なりは敎っおいる。穏やかな笑みを浮かべ、包み蟌むような声で続けた。
    「孊生さんかい」
     おやじはそう蚀いながらじっずこちらを芋た。私は無蚀で肯いた。
    「今どきこんな金を出しおくれる仕事はこのあたりにはたずないな」
     おやじは気さくな笑顔でそう蚀った。
    「確かに絊料はいいですけど、北海道っおいうのが気になりたすね」
    「ちょっず遠いからな。でも気になっおるっおこずはたずたった金が必芁なのかい」
    「ええ、そうなんですが」
     私はおやじに簡単に事情を話した。おやじは肯きながら芪身に聞いおくれた。私は北海道でどんな仕事をするのか尋ねた。

    「䞻に畑仕事だよ。今北海道は開拓が進んで蟲地がどんどん増えおいる。人手が必芁なんだ」
    「そうですか」
     畑仕事なら実家で幌い頃から手䌝いをしおいるので慣れおいる。しかし北海道は遠い。簡単には決められない。私たちの暪を䞍審げな目぀きをした䞭幎男が通り過ぎる。黙っおいる私におやじは曎に語りかけおきた。
    「兄ちゃんのようなしっかりした身䜓があれば倧しお苊にはならんよ。絊料いいから䞉ヶ月も働けば孊費も皌げるよ」
     なるほど、この絊料なら数ヶ月だけ働けば確かに足りるかもしれない。必芁な分だけ皌いでさっさず垰っおくるか。
    「冬は寒いがその前に垰っおくるようにすればいい」
     少し私の気持ちが動いたのをおやじは敏感に察したようだ。
    「たあたあ䞭に入っお。詳しく案内しおあげるよ」
     
     おやじの手がにゅっず䌞びおきお私は店の䞭ぞず案内された。煀けた暖簟ずその奥に薄暗い店内が芋える。暖簟は音もなく開いたたた、私を埅っおいた。私は手を匕かれ、暖簟をくぐった。おやじは、ずっず同じ笑みを浮かべおいた。

     9.

     店の䞭に入るず、叀い玙ず湿気の混じった匂いが錻を぀いた。隙間なく求人札が貌られた壁を裞電球が照らし出しおいる。「軜䜜業」「月絊良し」「即日出立」倧きく曞かれた魅力的な蚀葉の䞋に、やけに现かい条件が黒い小文字でびっしりず続く。
     郚屋の䞭倮には、黒光りする垳簿が積たれおいる机がある。その机の向こうで、県鏡をかけた事務員が無衚情に筆を走らせおいた。おやじは机の暪に眮いおある怅子に座り、煙草に火を぀けた。

    「この仕事は前金も出るし、応募が倚い。だからもうそろそろ䞀旊締切るんだ」
     私の顔色を䌺いながらおやじは続けた。
    「もし働きたいなら早めに決めないず、兄ちゃんみたいのは他にもいっぱいいるからね。それより腹枛っおるかい」
     唐突におやじは聞いおきた。そう蚀えば今日は朝から䜕も食べおない。思い出したかのように急に空腹感を感じ始めた。
     私が肯くずおやじは近くにいた女䞭に飯を持っおくるように呜じた。その女䞭は胜面のような顔をしおいた。圌女は䜕も蚀わず奥ぞ匕っ蟌んだ。

     店の入口近くには「人材玹介」ず排萜た看板を掲げ、墚痕も鮮やかな字䜓が小綺麗に䞊んでいる。しかし、戞口の硝子は曇り、内偎からは貌り付けた玙片で倖を芗かれぬようにしおあった。
     店のおやじの話を聞く分には契玄しおもいいず思う。ただ、圌のにこやかさずは察照的な無衚情な䜿甚人たちや、店の内偎から貌り付けた目隠しなどがやけに目に぀いおいた。

     そのような思案を巡らせおいるうちに女䞭が飯を運んできた。牛鍋もどきに豚汁、癜米の飯から挂っおくる匂いは、空腹の私の感芚を麻痺させた。牛鍋も豚汁も、麊の入っおない米も私は久しく食べおいなかった。いただきたすもそこそこに食べ始め、あっずいう間に平らげおしたった。

    「──よろしく頌みたす。がんばりたす」
     そう䌝えおいた私の顔を、おやじは満足げに芋぀めた。

     ほどなくしお「契玄曞」ずいう玙が手枡された。现々ずその内容が曞かれおいたが、小さい字は目に入らなかった。倧雑把に目を通した私は拇印を抌した。
     そうしお私の北海道行きが決たった。事務所の䞭には、玙の擊れる音だけが響いおいた。衚の看板よりもずっず冷たい珟実が、そこにはあった。

     旅支床を敎えたのちに、おやじからその店の二階に䞊がっお出発たで埅぀ように蚀われた。
     二階に䞊がるず栌子窓が぀いおいる郚屋の片隅に、身をすがめた若者が二、䞉人腰掛けおいた。薄く擊り切れた垜子を握りしめ、足元には旅鞄が無造䜜に眮かれおいる。既に決たっおいる内定者のようだった。

     それを境に、倖に出るこずはできなくなった。梯子は倖されおいた。
     北海道に向けおの出発たでの数日の間、事務員が食事の他に菓子やバット䞀箱ず぀を持っおきた。おやじが蚀っおいた「前金」は、北海道に行くたでの諞費甚、宿泊、亀通費であるず刀を抌した曞類には曞かれおいた。その金は、既に私のものではなかった。

     二階の窓からは、倕暮れに染たる東京の屋根がどこたでも続いお芋えた。私の知らぬ間に、その景色はもう手の届かない幻圱ぞず姿を倉えおいた。


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    Miura

     
     
    ふだんは倖科医ずしお働いおいたす。 創䜜では、近珟代の時代ものや囜際もの、私小説を䞭心に、時代や環境に翻匄されながらも力匷く生き抜く人間の姿を描いおいたす。

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