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「RU-ONE」:第一話

    部隊結成

    あらすじ

    潜入捜査の果てにすべてを失った元捜査官・成瀬達也。瀕死の重傷を負った彼を救ったのは、東南アジアを拠点に活動する民間軍事会社VSSだった。だが救命の代償は、莫大な借金と“傭兵として働く契約”。冷徹な教官スペンサー、クセの強いプロ傭兵たちに囲まれながら、成瀬は少年クアンを守るため危険な任務へ身を投じていく。裏切り、銃撃戦、救出作戦――極限の現場で試されるのは戦闘技術ではなく、「誰を守るか」という覚悟。傷だらけの男たちが、不器用に絆を築いていく。おっさん達の青春群像劇。

    プロローグ

    「チっ….ここまでか」

    海からの強風で削られ、蛇行した道をフルスロットルでここまで来た。
    燃料はもう持たない。
    背後には追っ手の車のヘッドライトが迫り、銃口が向けられる。
    成瀬は迷わなかった。
    アクセルを全開にし、バイクごと海へ飛び込んだ。
    咆哮とともに、バイクが重力から解放された一瞬の静寂。
    直後、成瀬の身体は水面に叩きつけられ、激しい痛みが全身を駆け抜けた。
    バイクは海底へと沈んでいき、最後の力を振り絞って、わずかでも遠くへ離れるために水中を懸命に進む。
    だが、痛みと海水が成瀬の肺を焼き、意識が遠のいていく。

    「……死ぬ、かもな」

    意識が途切れる寸前、目に映ったのは、水面に浮かぶ人影と、自分に向かって伸ばされた手だった。

    知らない天井

    目が覚めたとき、視界を支配していたのは、鈍くちらつく青白いライトだった。
    消毒液の匂いと、緩く回るファンの音に、意識が引き戻される。
    途端に全身を激痛が貫く。
    包帯が巻かれ、左腕は感覚がなく、脇腹には太いチューブが刺さっている。
    身体を動かそうとすると、激痛が走り、思わず呻き声を上げた。

    「目覚めたか。しぶとい男だ」

    重い瞼をこじ開けると、ベッドの周りを仕切っていたカーテンを男が開けた。見上げるほどの高身長だ。少なくとも180cm以上はある。
    40歳くらいか。
    細いフレームの眼鏡に、この地区でよく着られているカーキ色の胸ポケット付きのコンバットシャツ、だが、ヒゲはなく、きれいに整えられたブラウンの髪、鼻は高く、彫りも深い。最近はむさ苦しい男達の中にいたから、久しく見ていないビジネスマンの雰囲気。だが、首元から見えているのはドッグタグのチェーンか?シャツの上からでも分かる引き締まった体躯。ということか軍人か?

    男がベッドサイドへ一歩、近づくと、眼鏡の奥にある青い瞳と、一瞬視線がぶつかった。その目は、俺を心配しているのではない。呼吸、視線の動き、包帯の血の滲み具合を値踏みしている目だ。

    「……ここは?」
    「ウチの病院だ。バイクごと飛び込むとは、随分とアクションヒーローだったな。追ってた連中が諦めたので、ウチが拾った」

    監視されていたのか?こいつは誰だ?どうして治療されている?いろんな疑問が一気に頭を過ぎる。だが一番大事なことが口を突く。

    「クアン!……ッ!」
    「ああ。お前が連れてた子供なら、我々が保護した。地元の施設に預けてある」
    「……」

    どこから見ていたんだ。
    体の痛みも相まって、成瀬は男を睨みつけるしかできない。
    だが男は淡々と話を続ける。

    「複雑骨折、内臓破裂、失血死寸前。普通なら死んでるな。ここの医者が優秀で良かった。オペ治療と入院費、その他、諸々。……締めて、この金額だ」

    男が歩み寄り、胸ポケットから折り畳まれた一枚の紙を取り出した。
    そこには、目が覚めるような桁の請求書が表示されていた。

    「……殺してくれ。そんな金ない」
    「それは困るな。だから、返済プランを用意した」

    男は、カーテンの向こう側に向かって、軽く指をふった。

    「……返済?ってなんだ?」
    「あぁ。ウチの社長が君に興味を持ったようだ」

    男の合図で、別の男がベッドサイドに近づいた。
    先程の男より大きい。オールバックの白髪。左目から口元掛けて大きな傷跡。目の動きを見ると義眼か?口元はご立派なヒゲ。
    筋骨隆々過ぎて年齢がわからん。顔のシワからすると60歳ぐらいか?
    だがこんな仕立ての良いスーツはこの辺りでは見かけない。

    「なんだ、スペンサー。あぁ。死に損ないが起きたか」
    「えぇ。ヴィー。現状報告は済みました。殺してほしいそうです」

    ヴィーと呼ばれた男は俺の顔を覗き込み、じっと観察する。
    俺も痛みに耐えながら、睨み返す。
    やがて、ヴィーの口元のヒゲが微かに揺れ、俺から離れる。

    「おい。死に損ない。お前の治療費はオレが建て替えた。働いて返せ。殺しても金に成らん」

    突然のオファーに、顔がピクリと反応した。
    詐欺か?この状態の俺に仕事をしろとはどういうことだ?

    「……断ったら?」

    ヴィーの眉毛がピクリと上がる。だが、すぐに口元がニヤリと笑う。

    「子供はどこにいると思う?」

    眉間に力が入る。
    クアンは、あの組織で一番若く、暇があれば、日本の話をしてくれとせがんだ子供。
    混乱の最中、突如、凶行に及び怯えた目をしたクアンを置いていくことができずに、組織から逃げるときに一緒に連れ出した。

    「脅しか。ただの……悪党じゃねぇか……」
    「預けられている施設は、ウチの管理下だ。あそこにいる限り保護してやろう。もちろんお前の態度次第だが」

    俺はこの男たちを睨みつけるぐらいしかできない。
    いまの俺の状態を考えれば、クアンが保護されているのは行幸だ。

    「交渉成立だ。スペンサー、契約を進めろ」

    ヴィーは俺の態度を肯定と捉えられたようだ。
    スペンサーに目配せし、さっと、背を向けて去っていく。

    強引すぎやしないか。あれを交渉というのか。
    呆れたようにため息が出た。同時に緊張が溶け、痛みがぶり返してくる。

    スペンサーと呼ばれた男は、こちらの意思とは関係なく契約書読み上げ、唯一まともに動く右手にペンを持たせた。

    「書類にサインを」
    「まだ、何もいってないんだが……」
    「答えはどうせ変わらない。ウチの社長が興味を持ったなら、YES or YESだ」

    釈然としないが、腕を上げるのも苦労する様で、どんな契約だろうと生存権は握られてるようなものだ。
    俺は震える手でサインをした。

    「歓迎しよう、Naruse Tatsuya? 日本人か。……もっとも、使い物になるまでだいぶ掛かりそうだが。ようこそ。ビクター・ストラテジック・サービス(VSS)へ。君もこれでPMCの傭兵だ」

    成瀬達也、35歳。彼の、終わりのない返済の日々が幕を開けた。

    リハビリ

    天井で回る錆びついたファンが、湿った熱気をかき混ぜるだけの停滞した空間で、成瀬の「返済」は始まった。

    「……っ、ぐ、あぁ……!」

    リハビリ用の平行棒を掴む成瀬の指先が、白く強張る。
    しびれの取れない左腕と砕けた右膝に体重を乗せるたび、神経を直接ナイフで削られるような激痛が脳髄を焼く。
    冷や汗が床に滴り、視界がチカチカと明滅する。

    「あと三往復だ、ナルセ。歩きながら、次は問題だ。シンガポール港のコンテナターミナルに侵入して、最短で対象まで向かう経路を答えろ」

    部屋の隅でパイプ椅子に座るスペンサーが、机に向かった視線も上げずに冷たく告げる。彼は成瀬の専属リハビリ担当であり、同時に「教育係」でもあった。
    スペンサーが画面に港の図面を投影する。
    成瀬は激痛に耐えながら、歪む視界で複雑な図を睨みつけた。

    「……第三、ゲートの、監視がゆるい。ゲート脇から侵入、対象まではCルートで、単独で7分」

    「正解だ。だが、答えを出すのが遅い。」

    スペンサーは容赦なく次の図面を表示させる。

    「……っ、ぐ……!」

    視界が白く爆ぜ、膝の力が抜ける。
    無様に床へ崩れ落ちようとしたその瞬間、温かい手が成瀬を支える。

    「はい、そこまで。これ以上やったら、せっかく繋いだ神経がまた拗ねちゃうわよ」

    成瀬が顔を上げると、そこには使い込まれた白衣に身を包んだ女が立っていた。
    成瀬のオペを担当したこの病院の医者。
    彼女は成瀬の硬直した筋肉を迷いのない手つきで解していく。

    「リン、甘やかすな。こいつの返済計画は、オレの仕事だ。」

    スペンサーが不機嫌そうに端末を叩く。

    「あんたの計画について行いける人間は少ないでしょう。……ほらナルセ。これ飲んで。泥水よりはマシな味がするから」

    差し出されたのは、ひどく甘ったるい香りのする、どろりとした漢方薬のような飲み物だった。
    成瀬はそれを一気に煽り、ゲホゲホとむせ返る。

    「……毒、かと思った」
    「死なせないわよ。あんたには、私の治療費もたっぷり稼いでもらわなきゃいけないんだから」

    甘やかされてる?この口のどこがだ。

    「おまえら、人の身体をなんだとおもってるんだ……」
    「お給料をくれる金の豚?」「リターンの少ない投資」

    ふたり揃っていい性格をしている。
    ピクピクと眉毛の上辺りが反応する。

    「……次の往復、やるぞ。その代わり、次はもっとマシな図面を出せ」
    「いいだろう。次は、東南アジアのDCの配置図だ。」

    スペンサーが微かに口角を上げ、新たなデータを投影する。
    こうして成瀬は、昼は肉体の苦痛と、夜は資料の迷宮と格闘する日々を送った。
    返済すべき借金は、まだ山のように残っている。

    保護施設

    半年のリハビリのお陰で、成瀬は一通りの回復を見た。
    無理なく走れるようになり、並行して行われている射撃訓練や軍事教練にも徐々に参加している。
    クアンが預けられている施設にも定期的に顔を出し、元気でいることを確認している。

    「タツヤ!今日も遊べる?」
    「今日は先生と話があるから、その後だな」
    「わかった!」

    クアンは同じ年頃の子どもと元気に走り回ってる。
    良かった。
    あんな所にいるべきではなかった。
    きっとこれで良かったんだ。
    そう自分に言い聞かせるのが精一杯だった。

    「ミスターナルセ。今回もご寄付いただきありがとうございます」

    丁寧に頭を下げてくれるこの人は、シスターを名乗っている。
    クアンのいる施設は、街の孤児院だという。
    死にかけたが、VSSに拾われて理不尽な借金を背負ってるが、少ないが給料をもらい定期的にクアンの様子を見に来ている。

    「いえ。オレに出来ることは、このぐらいしか無いので」

    オレはクアンと一緒に、前の組織から抜けた。
    ただの偽善的な行為だ。あのままクアンを置いて逃げる事はできなかった。

    「最初の頃が思い出されます。ひどく怯えて、なかなか話もできず、他の子の輪にも入れない状態は不憫でしたが、あなたが顔を見せるようになってからは、かなり改善が見られましたよ」

    庭先で他の子に混じって遊ぶクアンが年相応に見えた。
    このままクアンが、あそこでの出来事を忘れてくれる事を願うしか無い。

    「ただ、最近不審な車が来ることがあるのです」
    「不審な車ですか…」

    ドキッとした。
    ここは、非公式だがVSSの管理下にある地域で、よそ者は近づきづらい土地柄だと聞いている。

    組織連中か?縄張りが違うからこちらまで来ることは無いと思っていたが、クアンが見つかったか?それともオレか?
    リハビリの間に情報を制限されていたせいで、組織の情報は入りづらくなっている。
    スペンサーからは、組織の座組が変わったとだけ教えられた。
    こちらには目をつけてないと。
    もう一度確認が必要か。

    「VSSの皆様からは良くしていただいてますし、ここのセキュリティは実験的にかなり高度になっていると聞いています。子どもたちが怖がらなければよいのですが」

    シスターがここまでいうのであれば確認が必要だろう。

    「タツヤ!鬼役やって!前に話してたでしょう?影オニってやつやりたい!」
    「おぅ!じゃぁ10数えるから逃げろよ」
    「シスター。オレのほうからも聞いてみます」
    「お願いします」

    子どもたちを必死に追いかけるが、まだ追いつける程回復していないようだ。良いカモにされてるなこれ。

    ある日の日常

    このビクター・ストラテジック・サービス(VSS)は、マレーシアを拠点に現在急上昇中の民間軍事会社だ。俺が助けられたジョホールバルの拠点は、要人救出・回収部隊を担当する、リカバリーユニットという部署が配置されている。スペンサーの教育方針を考えると、どうやら俺もそのユニットの一員になるようだ。

    拠点は中規模だが、隊員の宿舎やヘリの発着所や病院や訓練施設セットされており、街中の治安維持もVSS頼りで、前に居た所に比べれば街として機能しており、ゴロツキも少ない。

    ここに来て半年過ぎたが、病院と訓練所と修道院と宿舎を行ったり来たりするだけで、ほぼどこにも行っていない。
    知り合いは、孤児院のシスター、クアンと子どもたち、主治医のリン、教育係のスペンサーだけ。ほかの隊員とも積極的な交流はしていない。

    俺自身の情報は出来るだけ外に漏らしてはいけない。
    組織が嗅ぎつけ、復讐や襲撃をされる恐れがある。

    クアンを守らなければならない。
    あの子が自分の道を選択できるようにまで。

    まずは、俺の借金返済が先か。

    誘拐発生

    熱帯の豪雨が、宿舎のトタン屋根を激しく叩く音で目が覚めた。
    室内は湿気とカビの匂いが充満し、朝だというのに不快な空気を纏わりつかせる。浅い眠りから起き上がり、まだ傷が痛むのを感じている。

    (歳だな。回復が遅い)

    リハビリは十分、ノーマル訓練もノルマをこなせるレベルまで回復してもまだ足りない。
    特にこんな雨の日は。

    朝の一服と火をつけたところで、携帯が鳴った。
    この番号を知っているのは、会社の人間か施設のシスターか、あるいはクアンだけ。画面に出ている「Unknown」に手が一瞬止まる。
    嫌な予感がした。

    「ミスターナルセ!クアンが、クアンが連れ去られましt……!」

    端末の向こうから激しい雨音とシスターの悲鳴にも似た悲痛な声が、まだ目覚めていない頭を一気に加速させ、通信はそこで乱暴に切れた。
    プツッという音のあと、ツーー、ツーーという無機質な電子音が、クアンが拉致されたという最悪の事実を、冷酷に告げていた。

    俺は携帯を握りしめたまま、ベッドから飛び出した。

    (状況確認…!)

    頭の中が真っ白になりかけた瞬間、この半年間でスペンサーから耳にタコができるほど叩き込まれた教本(ドクトリン)のフレーズが、無意識に脳裏をよぎった。どんなに焦っていても、身体が勝手にプロの動きをなぞろうとする。皮肉なほど優秀な訓練の成果だ。

    あの孤児院は、VSSが「施設セキュリティの開発と訓練」を兼ねて、厳重に監視しているはずだった。ならば、そいつを管理している担当者がいるベースに行けば、何かわかるはずだ。
    部屋を飛び出し、ベースへと向かう廊下を走る。悪天候のせいで照明の落ちた廊下はひどく薄暗く静かで、自分の荒い息遣いと心臓の音がうるさいほどに響いていた。

    BASE

    ベースの入口へ向かう角でスペンサーとヴィクターが同時に姿を現した。
    俺は考えるより先に、スペンサーの胸ぐらを両手で掴みかかっていた。

    「…どういうことだ。保護する約束だろう」

    ここで激昂するわけにはいかない。叫びそうになった自分を抑え込む。
    胸ぐらを揺さぶられているスペンサーも、その横に立つヴィクターも、俺の行動にピクリとも表情を動かさなかった。
    クアンが攫われた事はもうわかっているようだ。

    「セキュリティから話は聞いている。だが、アレが連れ去られたのは施設内ではなく外だ」
    「何……?」

    スペンサーの言葉に俺の手の力がわずかに緩む。すかさず、ヴィクターが冷徹な眼光をこちらに向けた。

    「言っただろう。施設にいる限りは保護してやると。自ら施設を抜け出した者は、我々の保護対象外だ」

    ヴィクターはそう言い放ち、俺の肩を乱暴に押し割り、目も合わさずにさっさと廊下の奥へと歩き去ってしまった。

    「待て!」

    叫ぶ俺の前に、スペンサーが静かに進み出た。
    彼は去っていくヴィクターの背中を一瞥し、深くため息をつく。

    「施設セキュリティ開発のために、あそこには高コストの設備を敷いている。だが、一歩外に出れば完全にザルだ。……だからといって成瀬、お前の現在の資金力じゃ、『奪還パッケージ』の料金を支払うことなんてできないだろ?」

    スペンサーの言葉が、現実の重みとなって俺の頭にのしかかる。 まだ借金もまともに返せていない。それどころか、この半年間のリハビリ代や特注のサポーター費用がクソ高い金利で上乗せされている状態だ。会社を動かす金なんて、逆立ちしても出てこない。 考えろ。考えろ、俺に何ができる。

    奪還準備

    スペンサーは周囲を軽く見回すと、声を一段と潜めた。

    「……ボスは『追うな』とは言っていない。携帯を貸せ。クアンには俺が念のためにGPSを仕込んである」

    手渡した携帯の画面に、スペンサーが素早い手つきでアプリを表示させて突き戻してきた。そこには、旧市街地に向かって刻一刻と移動する、赤く光るひとつの点が表示されていた。 さらにスペンサーは、廊下の壁面に据え付けられているギア・ロッカーの前に歩み寄り、扉を開け放った。

    「全く、うちの連中はだらしないな。誰かが鍵を閉め忘れてるようだ。……紛失したら請求書だな」

    皮肉気な笑みを一瞬だけ浮かべ、スペンサーはそのままベースの奥へと戻っていった。

    残された俺は、開かれたロッカーから必要な装備を取り出し、スマホの画面で動く赤い点を見つめる。 現在地と移動速度。そこから、周辺の地形データとルートが、頭の中で立体的に組み上がっていく。焦燥に駆られながらも、建物突入(CQB)の準備手順を無意識のうちに完璧にこなしている自分に、どこか冷めたプロの感覚を覚えた。

    「クアンは俺が連れ戻す」

    装備の感触を確かめ、激しい雨の匂いと水飛沫が吹き込んでくる宿舎の出口を見据えながら、小さく吐き捨てた。

    宿舎の裏手へと飛び出すと、激しい豪雨が容赦なく俺の全身を叩いた。一瞬で服が肌に張り付く。 そこに駐輪されている、泥に塗れたオフロードバイク。俺はシートに跨り、キックペダルを渾身の力で踏み込んだ。 硬い圧縮の手応えのあと、爆発的な排気音が、激しい雨音を切り裂いて轟いた。 スロットルを限界まで捻る。タイヤがぬかるんだ泥を豪快に跳ね上げ、鉄の塊が前方へと激しく弾け飛んだ。

    前方を白く遮る大雨の中へ、俺は単身でバイクを加速させていった。

    成瀬の経緯

    泥を撥ね上げながらオフロードバイクを加速させる。
    叩きつける雨の中、右膝の鈍い痛みが、俺がここへ来た経緯を思い出させる。

    俺は捜査官だった。

    若くして日本国内の犯罪組織に潜入し、訳あってマレーシアの犯罪組織で剣客のような扱いを受けていた。
    日本側から帰国も撤退が許可されないまま、ズルズルとこちらの組織内で地位を上げることになってしまった。

    元々、潜入していた国内の犯罪組織は、海外とのルートを築くために俺を相談役だといってマレーシアの犯罪ギャング「スカルファング」に押し付けた。スカルファングは日本でいう半グレ組織で「敵の髑髏(スカル)を晒す」を信条にする武闘派だったが、組織が大きくなるにつれリーダーのバラムが壊れていった。
    俺が抜ける直前には、「忠誠心がない」と若い構成員を処刑するまでに至っていた。

    そして、あの日。
    クアンがバラムを殺した。
    俺は、バラムに向けて発砲し震えて固まったクアンから銃を取り上げ、スカルの連中が追ってきているのをわかった上で、もう事切れていたバラムに発砲した。
    身代わり、そんな高尚なモノではないが、クアンが凶行に及んだ理由が「俺」だと知っていた。

    そして、俺は警察官として捜査官としての自分が死んだのを感じた。
    もう戻れないだろうと。

    そのまま、スカルの連中に追われて、事故って、今はここにいる。
    クアンを庇ったのは、浅はかな俺のエゴ。
    クアンを逃がしてくれたのは、VSS。
    だったら守るのは、俺の義務だ。

    ハンドルに固定したスマホの画面に目を落とすと、クアンに仕込まれたGPSの赤い点は、随分と前から動いていない。
    町外れの廃棄された精米工場の中にいるようだ。
    こんな場所にスカルの連中が潜伏しているのか、という疑問が浮かぶ。
    俺が怪我のリハビリで前線の情報から遠ざけられていた間に、奴らの行動パターンが変わった可能性がある。

    人気のない工場に続く道は泥濘んで、2台分の車のタイヤ跡をしっかり残していた。
    沈み込んでいる様子から敵は多くても4人だろう。
    泥濘を噛むタイヤの感触が、小刻みな振動となってサポーター越しに右膝へ伝わる。
    工場まではまだ距離があるが、このまま近づけばエンジン音で気づかれる。
    スロットルを戻し、惰性で進みながら、近くの茂みに入る。

    昼前だというのに、厚い雨雲が陽光を完全に遮断し、激しい雨音が周囲の空間を完全に支配している。
    今ならいける。冷静になれ。

    そう自分に言い聞かせた。

    工場潜入(前半)

    『構造を見ろ。設計者が何を隠そうとしたかではなく、施工業者がどこをケチったかを見抜け』

    リハビリ中、図面を広げたスペンサーが俺の頭を殴りつけたときの声が、脳内で再生される。
    工場の正面や搬入口は、警戒が最も厳重なチョークポイントになるが、突くべき脆弱性はそこではない。

    フェンス沿いに身を低くし、工場の裏手へと回り込むと、予想通り未精米の穀物を運び入れるための投入口と、その脇にある錆びついた非常口を発見できた。
    経年劣化で建付けが歪み、指二本分の隙間が開いている。
    指をかけ自重をかけてゆっくりと引き上げると、キィ...と微かな金属音が擦れ合うが、屋根に叩きつける豪雨が完全に打ち消してくれるだろう。
    工場内部は、日中だというのに厚い雨雲のせいで漆黒に近い薄暗さに包まれている。
    フラッシュライトは、敵に自分の位置を教える自殺行為。
    まずは暗闇に目を慣らす。

    『一歩進むのに三秒かけろ。焦りは音になる。足元を見ずに、空間の歪みを見ろ』

    スペンサーの言葉が思い出される。
    床には錆びたボルトやプレハブの破片が散乱している。
    踵から静かに着地し、足裏全体で地面の感触を確かめながら重心を低く進み、壁のシルエットに自身の影を溶け込ませる。
    ゆっくり、ゆっくり、音を最小限にして進む。

    ふと、人の気配に首筋の皮膚が粟立つ。
    俺は瞬時にコンクリートの柱の影へと身を隠し、息を殺す。
    鉄骨のキャットウォークの上で銃身の金属光沢が動くのを見た。
    ライフルを構えた見張りの足音がカツーン、カッシーンと規則的にこちらに向かって響いてくる。

    (見つかったか?)

    柱の陰に身を隠し、靴音をカウントする。
    1,2,3,4… 戻るまでに約12か。
    スカルの連中にしては、ずいぶんと正確な所作だな。
    もしかしたら雇われの同業か。

    音が遠ざかるタイミングを見計らい、低い姿勢のまま、柱から古い機械の影へと滑り込む。
    こちらに気がついている気配はない。ふぅ…と小さく息を吐く。

    通路の分岐点、古びた工場内配置図が目に留まる。
    クアンにつけられているGPSの座標と照合すると、いるのは電子制御室。 
    キャットウォークからは距離は離れているが、ルートは逃げ場のなく遮蔽物の少ない一本道か、上から回り込んで裏から。いや、上に登った時点で、さっきの歩哨に見つかる。

    しかし、キャットウォーク以外に人の気配がない。
    この規模の工場にしては、敵の数が少ないのが気になる。
    チームがあれば索敵に時間を割きたいが、単独では難しい。
    最短ルートを素早く移動するしかない。

    やがて目的地に続く扉。
    その前に、ダボついたパンツにバスケットのユニフォームを着た巨体の男が立ちはだかっている。
    スカル・ファングのリーダーだったバラムの護衛役達があんな格好をしていたな。
    首元の鈍い光を放つ太いシルバーのマイアミキューバンチェーンが、動くたびにジャラジャラと音を立てるのが不快だった記憶がある。 

    腰のホルスターに手が伸び、サプレッサー付きのハンドガンに触れる。
    だが、この閉ざされた屋内での発砲は、いかに消音されていようとも全体の警戒を即座に招くリスクが高すぎる。
    音を立てずに排除するには、どうすればいいのか。

    『銃がないなら、そこにあるすべての物質を武器に変えろ。相手の身に付けている装飾品すら、首を絞める武器になる』

    再び脳裏をかすめる、スペンサーの容赦ない言葉。
    足元にあった錆びた太いボルトを拾い、男の視界の端、通路の奥にあるドラム缶へ向けて放り投げる。
    カラン、と鋭い金属音が響く。

    「あ? なんだ?」

    男が首を傾げ、音のした方へ向けて数歩、足を踏み出す。
    扉の前から完全に引き剥がされる。 好機。
    潜んでいた死角から、壁伝いに一気に距離を詰める。

    背後から跳躍し、男の首に巻かれた太い金属ネックレスへ両手を伸ばす。
    パームをチェーンの隙間に引っ掛け、全体重をかけて一気に後ろへ捻り上げる。
    チェーンが肉に食い込み、気管と頸動脈を同時に圧迫する。 

    男は声をあげる間もなく、激しく悶える。
    だが、不思議とこちらを殺しにくるような無秩序な暴れ方ではない。
    完璧にチョークが入ったことを理解し、抵抗を諦めるかのように、数歩で巨体が崩れ落ちる。

    チェーンが本物で良かった。偽物だったらちぎれて弾き飛んでいただろう。男を床へ静かに寝かせ、扉の隙間から室内を覗き込む。

    工場潜入(後半)

    部屋の隅では、古びたポータブル発電機が低い駆動音を唸らせていた。
    そこから伸びた作業用クリップライトの白光が、黒い袋を頭から被せられたクアンらしき少年だけを鋭く照らし出している。

    まるで舞台のスポットライトだ。

    その光景を見た瞬間、血が一気に頭へ昇る。
    視線を横へ滑らせると、少年の傍らには目出し帽を被った男が一人立っていた。
    先程の男と同じ系統の装備服。
    手には銃器が握られている。

    (片目を暗闇に慣らせ。ナイトアダプテーションだ。光が落ちた瞬間、動けるのはこっちになる)

    突入前の数秒。
    俺は左目を強く閉じ、右目だけで室内の光景を捉える。
    呼吸を整え、ハンドガンを両手で保持し、照準線を発電機の燃料タンクへと固定する。

    激しい雨音が建物を叩く。その瞬間を狙って、引き金を絞る。
    放たれた一発の弾丸が発電機を撃ち抜くと、ブゥン...と駆動音が途絶え、クリップライトが消え室内が暗くなる。

    暗転の一瞬、男の気配が遮蔽物へと鋭く移動するのを感じる。
    即座に戦闘態勢を切り替えるプロのそれ。

    俺は左目を開き、暗闇へ順応した視界が、残像の中に男の位置を鮮明に浮かび上がらせる。
    一気に間合いを詰め、男が銃口をこちらの予測位置へ向けるより早く、突き出された腕を上方へ弾く。
    そのまま手首を極めて銃器をもぎ取り、胸元へ鋭い掌打を叩き込む。
    姿勢を崩し、床へ倒れ込もうとする男の顎へ、奪った銃の銃床を正確に叩きつける。

    グッ……という低い呻き声を漏らし、男は床へ崩れ落ちた。

    「クアン!」

    床にへたり込んでいる少年の元へ駆け寄り、頭部の黒い袋を一気に剥ぎ取った。

    「……タツヤ」

    掠れた声が、暗闇の中で震えた。

    俺は即座にクアンの全身へと手を走らせる。
    頭部、首筋、四肢の関節。
    大きな外傷はない。
    四肢の拘束もない。
    生命に関わる異常がないことを確認し、俺はその小さな肩を強く抱き寄せた。

    良かった。クアンは問題なさそうだ。
    少年の目元に涙の痕跡はない。
    暗闇の中で、じっとこちらを見据える瞳だけが微かに光を反射している。

    (こんな状況でも泣かないのか……)

    胸の奥に、静かな安堵が広がった。

    ガサリ――。

    背後の闇で、硬質な衣擦れの音が鳴る。
    意識を失ったはずの目出し帽の男が、音もなく上体を起こしていた。

    結末

    ガサリ――。

    男が床から上体を起こすと同時に、工場の天井に設置された高出力の水銀灯が一斉に破裂するような音を立てて点灯した。
    急激な閃光に目が眩み、反射的に片腕で視界を遮る。

    光に慣れた視覚の先に見たのは、目出し帽を乱暴に剥ぎ取る男のシルエット。
    露わになったのは、見紛うはずのない仏頂面のスペンサーの無骨な顔面。
    スペンサーは、銃床を叩きつけられた自身の顎を無造作にさすりながら、歪んだ笑みを浮かべて立ち上がる。

    「……ホールドアップ。終了だ」

    部屋に続く扉が開き、先程で排除したはずの巨漢が、首に巻かれたシルバーチェーンを弄びながら室内に入ってくる。
    その背後から、訓練用のペイント弾ライフルを肩に担いだ男が、軽快な足取りでそれに続く。

    「うわ、怖っ! あの目、マジで殺す気だったろ。なぁベア」
    「……悪くない。いい判断だった」

    歩哨が白い歯を見せてニヤつき、銃口を天井へと向ける。
    ベアと呼ばれた巨漢は、一切の怪我を感じさせない声を出す。

    成瀬の構えていたハンドガンが、銃口をゆっくりと下げ、指先からすべての力を抜けて行く。
    腕の中にいるクアンが、申し訳なさそうに視線を伏せる。

    「ごめんタツヤ、これテストだって……」

    少年から告げられる冷徹な真実で、脳内であらゆるパズルのピースが強制的に噛み合い、張り詰めていた神経の糸が唐突に切断され、膝が床へと崩れる。

    スペンサーが左耳のインカムに人差し指を添え、無造作な手つきでチャンネルをオフに切り替える。 
    作戦開始から今この瞬間に至るまで、成瀬の動向、戦況報告のすべてを、その無線で傍受し続けていた。 
    スペンサーの視線が、床に膝をつく成瀬の頂頭部へと突き刺さる。

    「キャットウォークの歩哨が、規則的な足音をわざと響かせていたことに気づかなかったか。あいつが本格的に気配を消し、死角に潜んでいたら、先に頭蓋を撃ち抜かれていたのはお前だ」

    スペンサーは拾い上げた目出し帽のウールを凝視し、さらに言葉を重ねる。

    「通路の護衛も、あえてお前のチョークに抵抗をせず、意識を失ったフリをしたにすぎない。落とした標的をなぜその場で即座に拘束しない。戦闘可能状態への回復を許せば、その時点で挟撃による確定的な死だ」

    戦術的ミスの容赦のない指摘。 
    一拍を置き、スペンサーの低い声がさらに一段、冷酷な重みを増す。

    「何より、なぜ単独で動いた。VSSが情報を掴んでいた時点で、組織内にバックアップが存在する可能性をなぜ想定しない。周囲への状況共有、協力を仰ぐための通信、あらゆるリスクの排除。そのすべてを怠った。戦場では、その『想定』の1パーセントの差が、そのまま死の深度に直結する」

    徹底的に突きつけられるプロの洗礼。
    成瀬は小さく溜息をつき、錆びついた天井のトタンを仰ぎ見る。

    「……最悪だ。……完全に、はめられた」

    その口元から、自嘲の言葉が静かに漏れ出る。 
    「独善的なヒーロー」は、手のひらの上で完璧に踊らされていた。
    隊員が見せる、圧倒的なプロの余裕。
    成瀬の顔に浮かぶのは、屈辱ではなく、極めて乾いた敗北だった。

    警告

    工場の外は、既に雨が上がり日差しが射し込んでいた。
    成瀬はスペンサーが運転する車の後部座席で、じっと己の拳を見ていた。

    「……あいつらは?」
    「ロコとベアか。クアンと一緒に、お前のバイクを回収しに一足先に出た」

    そうか、と短く返すが会話が続かない。
    ガタガタと揺れる泥道を抜け、舗装された道路に出る。

    「成瀬、お前が入ったその席……後部座席の右側。そこは本来、ヴィクターが座っていた場所だ。奴が現場を離れて以来、そのポジションは空席だった」

    成瀬は、自分が座っているシートの重みを感じた。
    かつてのチームのリーダーであり、今は冷徹な経営者となった男の影だ。
    スペンサーの教育が専門職に偏っていることには気がついていた。

    「お前はヴィクターの補充だ。だが、勘違いするな。お前にまだリーダーの資格はない。当面、現場の指揮は俺が執る。お前の役割はAIC(クライアント担当)だ。戦うことよりも、守るべきものを遮蔽物に押し込み、逃がす。今日のような醜態は二度と許されん」

    「……わかっている」

    結成

    車がネオンの滲む市街地に入り、古びたバーの前に停まった。
    店内の奥、煙草の煙が漂うボックス席に、先ほどの犯人たちがいた。

    「おっ、お帰り。遅かったな、新人!」
    ビールのジョッキを高く掲げたのは、歩哨をしていたロコ。

    「俺はロコ。チームじゃ側方警戒(フランク)とメディックを担当してる。まぁ、お前がヘマして穴が開いたら、俺が縫ってやるよ。麻酔なしでな」

    その隣で、岩のように動かず座っている巨漢が、重厚な声で短く名乗った。

    「……ベアだ。後方(リア)は任せろ。お前がクライアントを連れて逃げる時、背中は俺が守る」

    スペンサーが成瀬の背中を叩き、席へ促す。

    「紹介しよう。リカバリーユニットの第一部隊だ。前方警戒(ポイント)は俺、フランクはロコ、リアはベア。そして、中心でお前がクライアントをガードする。……4人で一つだ」

    成瀬は、差し出された安物のウィスキーグラスを手に取った。
    自分がこの食えないプロたちの「中心」に立つには、まだ少し時間がかかりそうだった。グラスを煽り、喉を焼くアルコールの熱さを噛み締めた。

    決意

    宴は夜まで続いた。
    酒の勢いに任せて、チームの面々はネオンが怪しく明滅する路地裏へと繰り出した。

    「おい、新入り! 戦場の鉄の匂いを消すには、女の子のやわらかい体温が一番だって相場が決まってんだよ」

    ロコが上機嫌で成瀬の肩を組み、慣れた足取りで先導する。
    目指す先は、この街でも有名な情婦館・マダム・ルージュだ。
    一方、スペンサーは店の入り口で足を止めた。

    「俺はここまでだ。明日0600にオフィスでブリーフィングだ。遅れるなよ」

    口調を崩さず、彼は独り夜の闇へと消えていった。

    「あーあ、行っちゃった。あの人、ああ見えて一途っていうか、ドクターに頭が上がらないんだよね。ま、表向きは『規律に厳しい隊長』を演じてるけどさ」

    ロコがニヤリと笑い、成瀬に耳打ちする。

    「ぶっちゃけ、VSSで一番スケベなのはスペンサーだと思うぜ? 抑圧されてる奴ほど、スイッチが入ると……なぁ、ベア?」

    背後から、岩のようなベアがのっそりとついてくる。
    彼は一言も発しないが、ロコの言葉に否定もしない。

    「ベアは『むっつり』だからな。喋らない分、中身は相当溜まってるはずだ。俺みたいにオープンなのが一番健全なんだよ!」

    成瀬は呆れ果てて溜息をついた。
    こっちは、さっきまで命のやりとりをしていたんだが、と思うが、このプロたちの「切り替え」の早さが彼らの生存戦略なのだと、なかば強引に納得させられる。

    喧騒を離れ、薄暗い部屋には安っぽい香水の匂いが漂っていた。
    成瀬は、案内された一人の女性と「やるべきこと」を済ませ、事後の気怠い空気の中で煙草に火をつけた。
    隣に横たわる彼女は、名前も知らない。だが、殺伐とした空気とは無縁の、柔らかく、少しだけ湿った肌の感触が、成瀬の張り詰めていた神経をゆっくりと解いていく。

    「……お兄さん、不思議な体してるね」

    彼女が、成瀬の左肩に残る生々しい傷跡を指先でなぞった。

    「リハビリの成果だよ。……まだ、少し痛むがな」

    成瀬は短く答えた。

    「お仕事、大変なの? さっきの友達、みんな怖そうな顔してたけど」
    「……ああ。最悪の職場だよ。社長は守銭奴で、教育係は嘘つきのサディスト。同僚は、俺をハメるのが趣味のスケベな連中だ」

    成瀬は自嘲気味に笑い、天井を見上げた。
    クアンを救うために必死だった自分。それを「テスト」として見物していたスペンサーたち。怒りはあるが、それ以上に、彼らが自分を「こちら側の世界」に引きずり込んだという事実が、重く体に沈殿している。

    「でも、お兄さん。さっき抱いてくれた時、すごく必死だった。……誰かを守ろうとしてる人の体だったよ」

    彼女の何気ない一言に、成瀬は言葉を詰まらせた。
    プロの傭兵、VSSのAIC。新しい肩書きはどうあれ、あの時感じたのは、クアンを救いたいという気持ちだけだった。

    「……そうかもな」

    成瀬は煙を吐き出し、隣にいる彼女の温もりを改めて確かめるように腕を引き寄せた。
    明日の朝には、また血と硝煙の匂いがする日常が始まる。だが、今はただ、この安らぎに身を委ねていたかった。

    エピローグ

    午前06:00。成瀬はドクターに処置されたばかりの左肩の鈍痛と、昨夜のアルコールがわずかに残る頭を抱えてラウンジに現れた。
    ラウンジの長机には、すでにいくつかの装備一式(キット)が並べられていた。
    ロコはすでに戦闘服に着替え、鏡の前でタクティカルベストの調整をしている。昨夜の「スケベな案内人」の面影はなく、その瞳は獲物を狙う爬虫類のように冷めている。

    「よぉ、お目覚めか。腰、抜かしてねえだろうな?」

    ロコがニヤリと笑い、一丁のハンドガンを成瀬の方へ放り投げた。成瀬はそれを右手でキャッチし、スライドを引いて薬室を確認する。

    「……新品じゃないな」

    「当たり前だ。ヴィクターのケチは筋金入りだ。それは以前、このチームにいた前任者のお下がりだ。可愛がってやれよ」
    「全員揃ったな。……成瀬、座れ。仕事だ」

    奥のドアから、スペンサーが現れた。

    「今回の任務は、隣国の反政府勢力に拘束されているジャーナリストの回収だ。……ヴィクターがどこからか『高く売れる』ネタを掴んできたらしい」

    モニターには、ジャングルに隠された古い軍事施設の航空写真が映し出される。

    「そして成瀬、お前のポジションはAICだ。ターゲットの身柄を確保した瞬間から、お前がその『盾』になれ。俺たちがどれだけ撃ち合おうが、お前の仕事はターゲットを無傷でヘリまで運ぶことだ。……いいな?」

    スペンサーの視線が成瀬を射抜く。それは昨夜、工場で成瀬をハメた時と同じ、冷徹な「教育者」の目だった。

    「……了解だ」

    成瀬は短く応え、支給されたホルスターを腰に固定した。

    「……成瀬、言い忘れていたが、昨夜の代金は、経費では落ちん。お前の借金に加算しておいたぞ」

    成瀬達也の借金が、また増えたようだ。

    スペンサーの深夜の悪巧み

    デスクの上には、ウィスキーのグラスと、成瀬の最新のリハビリデータ、ドクターから預かっている「成瀬の左肩のレントゲン写真」が置かれている。
    スペンサーは、成瀬を正式な隊員へと昇華させるための最終試験を脳内でシミュレーションしていた。

    ナルセには、要人救出のドクトリンを叩き込んだ。
    だが、どうも一人で動きたがる節がある。
    ヒーロー願望か。そんなものVSSには不要だ。
    正しく間違えさせるために、さて、どれが最適か。
    プランは3つある。

    1つ目は、主治医であるドクターがVSSの敵対組織に連れ去られたとしよう。例えばそうだな、買い出しに付き合わせてナルセの目の前で連れ去るのはどうだ?
    ドクターからのリハビリは厳しくても素直に聞いているし、時折見せるコチラへの反抗心も無い。
    なにより、命を救われたと、いうのは、ナルセにとって大きな貸しであろう。
    そんな人物が目の前で攫われたら……
    いや。ドクターはVSSの専属医師として名前が通ってる。下手に動けば、近隣住民からVSSに通報が来る。そうなれば、VSS全体が動いておかしくない。組織的な救出パッケージにヤツ一人の速度が適う事はない。リアリティに欠けるな。
    何より、元カノをダシに使ったら、今度こそ俺の心臓を止められそうだ。

    2つ目は、現場の指揮官、つまり俺が拿捕されたパターン。
    仲間の救出パッケージもドクトリンの一つだ。教本の忠実な実行を促すには最適。
    だが、指揮官が落ちるのなら、その部隊は壊滅的なダメージを負っている状態だ。
    民間軍事会社のVSSにとって、隊員の喪失は最大の損害だが、ヴィクターが救出プランを許可するとは思わない。
    たとえ許可が出ても、ナルセ一人に任せる判断は、経営的にあり得ない。
    これでは演習だとバレるか。

    3つ目は、ウチで保護している子供。ナルセが庇ったクアン。
    アレは、ナルセが一番重きを置いている。
    詳細な事情は知らないが、あそこまでの怪我をしても定期的に目を掛けているなら、ナルセの背負うべき「過去」なんだろう。
    クアンはVSSの正式な保護対象ではない。孤児院にいる限りの保護を約束しているに過ぎない。
    ナルセがヴィクターに楯突いたとしても、孤児院の外で事件が起きたなら、「ヴィクターは『ガキ一人のために、社の兵力は割けない』とでも言うだろう」
    これなら、ナルセは独断専行し、正しく間違えるだろう。

    スペンサーはカルテのリハビリ達成率:82%という数字を指でなぞる。

    「……死ぬ気で努力しやがったのは認めてやる。だが、実戦はどうかな」

    ブリーフィング

    ベースにある会議室の大型モニターには、孤児院の周辺地図と、複数の監視カメラ映像が映り、机には数枚の作戦指示書が置かれていた。
    スペンサーによって召集された隊員のロコとベアが席に座り、その傍らで、主治医のリンが不機嫌そうに腕を組んで立つ。

    「――以上の理由から、このプランで実行する」

    スペンサーがタブレットを操作し、赤色のマーカーを画面上に表示させる。

    「ひゃはっ、相変わらず悪趣味なシミュレーション組むねえ、スペンサー」

    会議机に両足を放り出していたロコが、待ってましたとばかりに身を乗り出した。

    「スペンサー、これいつ考えたの?」

    リンが冷ややかな声を出す。

    「昨晩だ」
    「やっぱりね。あんたが一人で酒を飲んでいる時はロクなことを考えないわー。三十を過ぎてからの重傷は、二十代の頃とは戻りが違う。せっかく拾って治療してあげた素材を、壊すような真似したら、あんたたちの給料から医療費としてがっつり払ってもらうからね」

    リンの視線が、スペンサーを厳しく指摘するが、スペンサーは視線を逸らさず、モニターの数値を指し示す。

    「無理をしてでも、奴が動けることを証明しなければ商品価値はない。さっさと実戦投入し、投資したリターンを回収する」
    「ヴィクターみたいなことを言うのね……」

    リンが小さく溜息をつく。
     ロコが椅子の背もたれに深く体重を預け、白い歯を見せる。

    「なるほど。訓練を見てても、あいつにはヒーロー願望がありそうだと思ってたんだ。それを矯正したいわけだ」
    「成瀬が独断専行せず、最初から俺たちを頼ったらどうするのよ」

    ロコの問いに、リンが反応する。

    「ヴィクターには、できるだけ突き放せと話をつけてある。あの男は演技が下手だからな。言うことを言わせたらさっさと撤退させる。勝手に動きそうなら、多少の手助けも演出のうちだ」
    「VSSが動かない理由として『社長のケチ』を使うわけか。ヒール役は嫌いじゃないぜ」

    ロコがニヤリと笑う。
    スペンサーが、ロコとベアに視線を向ける。

    「対象にはシスターから事情を説明し、ロコ、ベアと共に工場へ移動してもらう。クアンにはGPSを持たせるから、余計な所に寄るなよ」
    「リン。お前はシスターに演技指導をして、成瀬に電話をかけさせろ。緊迫感を煽るんだ。無理なら声色を変えてお前がやれるだろ?」

    リンは不満げに鼻を鳴らす。

    「ロコは歩哨役だ。成瀬の動きがあまりにお粗末なら、ペイント弾で撃って構わない。ベアは護衛役。体格差を考えれば、無策で突っ込むことはしないだろう。正しく動いているなら、適当なところでやられてくれ」
    「……もし突っ込んできたら?」
    「パワーで圧倒しろ」

    わかった、とベアが頷く。

    「それとこれだ」

    スペンサーが、机の上に二組の衣装を置く。 
    派手なバスケットボールのユニフォーム。
    安っぽいシルバーのマイアミキューバンチェーン。
    そして、黒い目出し帽。

    「マジかよ、この格好。笑える」

    ロコがユニフォームを手に取り、肩を揺らす。

    「おい。こっちも不本意なんだ。笑うな。対象に因縁のある組織の人間は、こういう格好を好む」
    「はぁ……あんまりやりすぎないでよ」
    「善処しよう」
    「ロコ、ベア、準備しろ。明朝、ナルセに『最悪の目覚め』をプレゼントだ」

    こうして、成瀬の入隊テストが始まった。

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