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AI時代に外国語を学ぶ意味はあるのか——18年間英語を学び続けてきた私が思うこと

おつかれさまです、小林ロコです。久しぶりに投稿することができました。

以前「英語に人生救われてきた話」という記事を書いたのですが、今回はその続きのような、でも少し違う角度のお話をしてみます。

最近ふと思ったんです。AIがこれだけ翻訳してくれる時代に、私が18年間かけて英語を学んできたことって、なんだったんだろうって。そして外国語を学ぶ意味って、と。

今いる職場ではAI活用がとても推奨されていて、周りを見ると、AIに英語のメールを書かせて、AIに翻訳させて、AIに要約させて。それで十分仕事が回っている。じゃあ私が何年もかけて単語を覚えて、発音を練習して、反復しかなかったあの時間は?

正直、寂しいなと思いました。

▼私と英語のこと

前回の記事でも少し書きましたが、改めて。

中学で英語に出会いなぜかハマり、高校でアメリカにホームステイ、大学で1年間の交換留学。英語スピーチコンテストの全国大会にも出ました(途中で飛んで頭真っ白になりましたが笑)。社会人になってからは外資系ホテル、国連NPO法人、大学の国際交流部門、外資系IT企業と、ずっと英語を使う環境で仕事をしてきました。

英検1級、TOEIC 970。数字だけ見ると「英語できる人」に見えるかもしれません。でも私にとって英語は「スキル」というより、社会と自分を繋いでくれた命綱のようなものでした。HSPで不安が強くて、正社員としてコミットし続けることがどうしてもできない私が、それでも社会との接点を持ち続けられたのは、英語があったからなのです。

そんな相棒のような存在が、AIの台頭で「要らなくなるかもしれない」。これは私にとってはなかなかに切実な問いなのです。

▼AIにできること、できないこと

AIは言葉を「変換」することはできます。日本語を英語に、英語を日本語に。それはもうむしほ人間なんかより速くて正確かもしれないレベルです。

でも、私が英語を使って仕事をしてきた中で一番大事だったのは、「変換」じゃなかったんですよね。それは例えば、留学生が言葉に詰まったとき、その沈黙の意味がわかること。またある時は、海外出身の同僚が "I'm fine" と言ったとき、本当はfineじゃないことに気づけること。そして例えば、相手の母語で話しかけたとき、ふっと表情が緩むその瞬間。

これはAIには見えないし、感じられないことなのかなと思います。

▼言語を学ぶことで得たもの

振り返ると、英語を学んだことで得たものは「英語が話せる」ということだけじゃなかったなと思います。

別の言語で考えると、日本語では出てこなかった発想が出てくる。例えば、英語の "It's okay to be different." は、日本語の「人と違ってもいい」とは少し違う温度感をもっています。その温度の違いを知っていることが、私の感覚を広げてくれた気がしています。

そして何より、相手の言語で話すということ自体が、「あなたの世界を大切に思っています」というメッセージになる気がしませんか。これはAIの翻訳を介しては決して伝わらないものだと思うのです。

▼「便利」から「豊かさ」へ

外国語を学ぶ理由が、「仕事に必要だから」「便利だから」だった時代は、確かに終わりつつあるのかもしれません。

でも、「人間として豊かになるために学ぶ」という理由は、AIがどれだけ進化しても残り続けると思っています(少なくとも今時点では)。

効率と最適化のためじゃなく、誰かの世界に近づくために学ぶ。通じればいいんじゃなくて、通じ合いたいから学ぶ。

▼それでも私は

正直、まだ答えは出ていません。AI時代に英語力がどれだけ「市場価値」として残るのか、わかりません。不安がないと言ったら大嘘です。

でも、18年かけて英語を学んできた私の中には、英語がなかったら出会えなかった感覚や、見えなかった世界がたくさんある。それは誰にも奪えないし、AIにも代替できない。だから私は、これからも学び続けるんだと思います。効率のためじゃなく、【私が私であるため】に。

外国語を学ぶ意味がなくなる時代なんて、本当は来ないんじゃないか、少なくとも私はそう信じていたいなと思うのです。

最後までお読みくださりありがとうございますm(_ _)m

#創作大賞2026 #エッセイ部門  

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