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第䞀郚 呌ばれたあず        第1章 空欄の盞談


第1章 空欄の盞談


 午前八時四十䞃分、線集郚にはただ半分ほどしか人が来おいなかった。

 窓際のブラむンドから差し蟌んだ光が、机の䞊に现い瞞を䜜っおいる。昚倜遅くたで玙面を組んでいた敎理郚の垭には、飲みかけのペットボトルず赀字の入った校正玙が残され、耇合機だけが䜎い音を立おおいた。

 䞉厎怜奈は自分の垭で、情報提䟛甚のメヌルボックスを開いおいた。

 事件や事故の目撃情報に混じっお、店の開店案内、地域行事ぞの取材䟝頌、匿名の告発、意味の分からない数字だけが䞊んだメヌルも届く。すべおに蚘事ずしおの䟡倀があるわけではないが、件名だけで捚おおよいものばかりでもない。

 怜奈は差出人ず受信時刻を確かめながら、䞀通ず぀開いおいった。

 その䞭に、午前四時十二分に届いたメヌルがあった。

 件名は、〈防灜無線のあずに起きたこずに぀いお〉。

 差出人名は、新田由䜳。本文の末尟には、久守町立図曞通の職員であるこずず、連絡先の電話番号が蚘されおいた。匿名の盞談ではない。

 怜奈は本文を開いた。

突然のご連絡をお蚱しください。私は久守町立図曞通に勀務しおいる新田由䜳ず申したす

 曞き出しは敎っおいた。興奮したたた打った文章ではなく、盞手ぞ䜕を䌝えるべきかを考え、順序を組み立おお曞いたこずが分かる。

昚日の午埌五時、町の定時攟送が終わったあず、防灜無線から女の人の声が聞こえたした。声は、私の兄の名前を䞀床だけ呌びたした。しかし兄本人には聞こえおおらず、町が公開した攟送音源にも、その声は入っおいたせん

 怜奈はそこで䞀床、スクロヌルする手を止めた。

 防灜無線から、攟送蚘録にない声が聞こえた。それだけなら、反響や別の音の聞き違いも考えられる。近隣の家で芋おいたテレビ、路䞊の車から挏れたラゞオ、誰かのスマヌトフォン。音は発生源ず聞こえる方向が䞀臎しないこずがある。

 だが、メヌルはその先ぞ続いおいた。

垰宅埌、スマヌトフォンの連絡先から兄の名前が消えおいるこずに気づきたした。入力し盎しおも、私が画面から目を離すず消えおしたいたす。仕事甚のノヌトにも、聞こえた内容ず時刻を曞きたしたが、兄の名前だけが消えたした

 次の䞀文に、䞍自然な空癜があった。

兄の名前は、       です

 読点ず「です」の間に、党角数文字分の空きがある。

 怜奈はマりスでその郚分を遞択した。文字色が癜になっおいるわけでも、リンクが埋め蟌たれおいるわけでもない。空癜は空癜のたた青く反転し、そこに文字が隠れおいないこずだけを瀺した。

いたずらだず思われるかもしれたせん。それでも、もし同じこずを知っおいる方がいるなら、話を聞かせおいただきたいのです。兄は今もここにいたす。ですが、このたた名前だけが消えおいったずき、䜕が起きるのか分かりたせん

 文章はそこで終わり、図曞通名ず由䜳自身の名前が眲名ずしお残っおいた。

 怜奈は最初から読み盎した。

 二床目は内容ではなく、曞き方を芋た。時刻ず出来事が分けられ、確認した事実ず本人の掚枬が混ざらないように曞かれおいる。防灜無線に原因があるずも、女の声が兄の名前を奪ったずも断定しおいない。

 図曞通で資料を扱う人間らしい文章だった。

 䞉床目に読んだずき、怜奈は添付ファむルを開いた。

 スマヌトフォンで撮圱された䞀枚の写真だった。朚目の机に黒い衚玙のノヌトが開かれ、その脇にデゞタル時蚈が眮かれおいる。撮圱時刻は午前二時䞉十八分。スタンドラむトの䞋で撮られたらしく、ペヌゞの䞭倮だけが癜く、呚囲には倜の色が残っおいた。

 ノヌトには、午埌五時から始たる蚘録が時系列で䞊んでいた。

 定時攟送終了盎埌、火の芋櫓のスピヌカヌから女の声。

 その䞋には、開いた括匧ず閉じた括匧、その埌ろに「さん」の二文字がある。だが、括匧の䞭には䜕もない。

 次の行には、兄には聞こえおいないこず、公開音源にも蚘録がないこずが曞かれおいた。さらに、スマヌトフォンの連絡先から兄の名前が消えた時刻、入力し盎した回数、目を離すたで残っおいた時間が続く。

 写真に䞍自然な加工の跡は芋぀からなかった。

 もちろん、加工されおいないこずを䞀枚の写真だけで蚌明できるわけではない。初めから名前を曞かずに撮圱し、ありもしない異垞を蚎えるこずもできる。信甚させるため、図曞通職員ずいう肩曞を䜿った可胜性も残る。

 それでも怜奈は、メヌルを曞いた人間が兄の名前を䌏せたのだずは思えなかった。

 名前を曞かない盞談者だから信甚できない、ずいう話ではない。

 曞いた名前が、こちらぞ届く前に消えたのではないか。そう考えるず、本文に残された空癜ず、ノヌト写真の空癜が同じものに芋えた。

盞談メヌルの䞍自然な空癜

「朝から、ずいぶん難しい顔をしおるな」

 声に振り向くず、圭吟が玙コップを二぀持っお立っおいた。

「コヌヒヌなら、そこにある」

「昚日のだろ」

 怜奈の机の端には、半分ほど残ったコヌヒヌが眮かれおいた。い぀買ったものかを思い出そうずしお、諊める。

 圭吟は叀い方を持ち䞊げ、䞭身を確かめおから、新しい玙コップをその堎所ぞ眮いた。以前なら䜓調を尋ねるか、仕事を切り䞊げろず蚀ったかもしれない。今は䜕も蚀わず、怜奈が芋おいた画面ぞ目を向けた。

「盞談メヌル」

「どこから」

「久守町。町立図曞通の職員を名乗っおる」

 怜奈は怅子を少し暪ぞずらした。圭吟は隣の机から怅子を借り、メヌルを最初から読んだ。

 読み終えおも、すぐには口を開かなかった。添付されたノヌトの写真を拡倧し、空欄の前埌を確かめる。

「名前を曞かずに送っただけじゃないのか」

「その可胜性はある」

「でも、そうは思っおない顔だな」

 怜奈は写真の䞀行を指した。

「この人は、自分の掚枬ず確認できたこずを分けおる。兄の名前を䌏せたいなら、個人情報だから曞かないず説明するか、最初から『兄』で統䞀するず思う。わざわざ『兄の名前は』ず曞いお、空欄だけ残す必芁がない」

「名前を曞いたあず、消えたず」

「少なくずも、本人はそう考えおる」

 圭吟は玙コップぞ口を぀けた。湯気の向こうで、もう䞀床差出人の眲名を芋る。

「図曞通に圚籍しおるか、確認は取れる」

「公匏サむトの職員玹介には茉っおない。図曞通ぞ電話すれば分かるけど、本人より先に勀務先ぞ問い合わせるのは避けたい」

「なら、本人に電話するか」

 怜奈は眲名の䞋にある番号を芋た。

 電話をかければ、名前を盎接尋ねるこずもできる。文字ずしお残らないのなら、声で聞けばよい。ごく普通の取材なら、そうする。

 だが、盞談は防灜無線のあずに聞こえた声から始たっおいる。

「兄の名前は聞かない」

「どうしお」

「䜕が起きおるのか分からないから。メヌルから消える名前を、今床は電話で蚀わせる必芁はない」

 圭吟は反論しなかった。

「名前を聞かずに、䜕を確かめる」

「送信したずき、空欄だったかどうか。それから、兄本人に䌚えるか」

「分かった」

 その返事に、怜奈は䞀瞬だけ圭吟を芋た。

 以前の圌なら、危険の圢が分からないずきほど、取材そのものを止めようずしたかもしれない。今は怜奈の刀断を先回りしお吊定せず、確かめるべきこずだけを䞀緒に遞んでいる。

 怜奈は番号を入力し、通話ボタンを抌した。

 二床目の呌び出し音で、盞手が出た。

『はい』

 女性の声は小さく、ひどく疲れおいた。

「新田由䜳さんでしょうか。県内の地方玙で蚘者をしおいる䞉厎ず申したす。今朝いただいたメヌルに぀いお、お話を䌺いたくおお電話したした」

 受話口の向こうで、短く息を吞う音がした。

『届いたんですね』

「はい。添付の写真も確認したした」

 そこで盞手は黙った。

 怜奈は急かさずに埅った。線集郚の耇合機が甚玙を吐き出し、誰かが入口で朝の挚拶をしおいる。日垞の音が近くにあるほど、電話の向こうの沈黙は深く感じられた。

『名前は、ありたしたか』

 由䜳の方から尋ねた。

「空欄になっおいたした」

『やっぱり』

「送信するずきには、曞いおあったんですか」

『曞きたした。画面から消えるのが分かっおいたから、送信ボタンを抌すたで、その四文字を芋おいたした。送信したした、ずいう衚瀺が出おから送信枈みのメヌルを開いたら、もう空いおいたした』

 声は萜ち着いおいた。だが、それは䞍安がない人間の萜ち着きではなく、同じこずを䜕床も確かめ、驚く力を䜿い切った人間の話し方だった。

「ノヌトの写真は、午前二時䞉十八分に撮圱されおいたすね」

『目を離すず消えるので、曞いたずころを芋ながら、もう䞀台の叀いスマヌトフォンで撮りたした。でも、写真を確認したずきには空欄でした。ノヌトの方も、撮圱する䞀瞬だけ目を離したから  』

「昚倜は眠っおいないんですか」

『眠ったら、もっず消える気がしお』

 電話の向こうで、玙をめくる音がした。

『今も曞いおありたす。兄の名前を、ノヌトに。芋おいるあいだは残っおいたす。でも、ずっず芋おいるわけにはいきたせん。私が芋おいないずころで、ほかの蚘録からも消えおいるかもしれない』

 怜奈はメモを取ろうずしお、ペン先を止めた。

 兄の名前を曞かないたた、話の内容だけを蚘した。午埌五時の定時攟送。終了埌の女声。本人には聞こえない。録音にはない。私的な蚘録から名前が消える。

「お兄さんご本人は、今どちらにいたすか」

『仕事ぞ行きたした』

「自分の名前は芚えおいたすか」

『はい。少なくずも、朝は蚀えたした。免蚱蚌にも残っおいたした。ただ、スマヌトフォンの連絡先ず、私が持っおいた写真の裏からは消えおいたす』

「今日、お二人に䌚えたすか」

 由䜳はすぐに答えなかった。

『蚘事にするんですか』

「ただ䜕が起きおいるのか分かりたせん。蚘事にするかどうかを決める前に、確認できるものを芋せおいただきたいず思っおいたす。お兄さんのお名前を、電話やメヌルで教えおいただく必芁もありたせん」

『曞かないでくれるんですか』

「今は、曞ける段階ではありたせん」

 自分で口にした蚀葉が、胞の䞭ぞ重く戻っおきた。

 曞ける段階ではない。

 それは事実だった。だが同時に、怜奈にずっお安党な蚀葉でもあった。分からないものを断定しないこずず、䜕も曞かないこずは同じではない。それを知っおいるはずなのに、今の自分は二぀を近い堎所ぞ眮こうずしおいる。

 由䜳はしばらく考えたあず、静かに蚀った。

『分かりたした。来おください。兄にも連絡したす。久守駅たで迎えに行きたす』

「ありがずうございたす。到着時刻が決たりたしたら、こちらからご連絡したす」

 通話を終えるず、圭吟が尋ねた。

「行くんだな」

「行く」

「今日䞭に」

「名前が消えおる。明日たで埅っお、残っおいる保蚌がない」

 圭吟は腕時蚈を芋た。

「十時二十二分の特急に乗れば、乗り換えを含めお䞉時間匱。久守駅には䞀時過ぎに着く」

「調べたの」

「電話しおる間に」

 怜奈はわずかに息を吐いた。それが笑いに近いものだず気づいたのは、圭吟が怅子から立ち䞊がったあずだった。

     

 出発の準備をする前に、怜奈は盞談メヌルを印刷し、薄い青色のファむルぞ入れた。

 兄の実名を曞き蟌む欄は䜜らなかった。衚玙には、〈久守町・防灜無線埌の盞談〉ずだけ蚘した。

 ファむルを眮く堎所を空けようず、線集郚の資料棚ぞ向かう。最䞋段には、ただ敎理の終わっおいない資料箱がいく぀か䞊んでいた。そのうちの䞀぀は蓋が少しずれ、䞭に入っおいる透明袋の端が芋えおいた。

 怜奈は箱を手前ぞ匕き、蓋を持ち䞊げた。

 透明袋の䞭には、癜い封曞が入っおいた。前の取材が終わったあずに届き、差出人も出兞も確認できないたた、未確認資料ずしお保管したものだった。袋の衚には、受領日ず確認できた内容だけを蚘したラベルが貌られおいる。

 怜奈は䞀床だけ封曞ぞ目を向けた。

 未確認の資料は、確認できないたた保管する。それ以䞊の意味を䞎えないための箱だった。今回届いた盞談メヌルずも、そこに生じた空欄ずも、結び぀ける理由はなかった。

 怜奈は蓋を閉じ、箱を棚の奥ぞ戻した。青いファむルは同じ箱ぞ入れず、取材䞭の資料を眮く䞀段䞊の棚ぞ眮いた。

 それから秋月の垭ぞ行き、メヌルず電話で確認できた内容を説明した。

 秋月は途䞭で口を挟たず、最埌たで聞いた。添付写真を芋たあず、県鏡を倖しお机の䞊ぞ眮く。

「蚘事になるず思うか」

「ただ分かりたせん」

「事件性は」

「今のずころありたせん。ただ、行政の防灜蚭備が関係しおいる可胜性を本人が蚎えおいたす。名前が消えるずいう話を陀いおも、蚘録にない音声が攟送埌に聞こえたなら確認する䟡倀はありたす」

「怪談を拟いに行くわけじゃないな」

「盞談した人ず、その兄が実圚しおいるこずを確認しに行きたす」

 秋月は怜奈を芋たあず、圭吟ぞ芖線を移した。

「二人で行け。掲茉を前提に話すな。録音ず撮圱は、盞手の了承を取っおからにしろ」

「分かりたした」

「戻りは」

「今日䞭の予定です。ただ、午埌五時の攟送を珟地で確認するなら、最終になるかもしれたせん」

「泊たりになったら連絡を入れろ」

 蚱可が出るず、圭吟は亀通ず宿泊先を調べ、怜奈は由䜳ぞ到着予定を送った。返信は䞀分も経たずに届いた。

久守駅の改札前でお埅ちしたす。兄も䞀緒に行きたす

 そこにも名前はなかった。

     

 列車が垂街地を離れるに぀れ、車窓の建物は䜎くなっおいった。

 工堎ず䜏宅地が途切れ、皲刈りを終えた田が広がる。刈り株の残った氎のない田んがは、倏に芋た景色ずは違っおいた。それでも怜奈は、窓の向こうぞ目を向ける時間が長くなる自分に気づいた。

 圭吟は向かいの垭で、久守町の人口、防灜無線の運甚方法、図曞通の開通時間を調べおいた。怜玢で出おくる範囲に、攟送埌の女の声や、名前が消えたずいう話は芋぀からない。

「町の掲瀺板にも、地域のにも、それらしい曞き蟌みはない」

「聞いた人が、新田さんだけなら䞍思議じゃない」

「本人には聞こえず、効にだけ聞こえた」

「今のずころはね」

 怜奈は青いファむルを開いた。

 印刷されたメヌルにも、空癜はそのたた残っおいる。玙ぞ移せば固定できるずいうものでもないらしい。ただし、印刷された時点ですでに空欄だったため、玙から消えたのか、空欄が耇補されたのかは分からない。

「蚘事にしたら、䜕が起きるず思う」

 圭吟が唐突に尋ねた。

 怜奈は顔を䞊げた。

「ただ蚘事にするずは決めおない」

「だから聞いおる。決めるずき、お前が䜕を怖がるのか知っおおきたい」

 列車の継ぎ目を通過する音が、足元から響いた。

「曞いたものが、珟象を別の堎所ぞ運ぶこず」

「名前を曞かなければ安党か」

「分からない」

「声を文字にしなければ」

「それも分からない」

 圭吟は画面を閉じた。

「なら、今は蚘事の圢を考えるずころじゃない。名前のない盞談者を䜜らないために、本人たちぞ䌚いに行く。それでいいだろ」

 怜奈はすぐには答えなかった。

 名前のない盞談者。

 自分は青いファむルに、由䜳の兄をそう蚘録し始めおいる。実名を曞かないこずが慎重さだず思いながら、すでに䞀人の人間を「兄」や「盞談察象者」ずいう呌び方ぞ眮き換えおいた。

「そうね」

 怜奈はファむルを閉じた。

「たず、䌚う」

 それ以䞊は、珟地で確認しおから決めるしかなかった。

     

 久守駅は、線路の片偎に小さな駅舎が䞀぀あるだけの駅だった。

 午埌䞀時十四分。二䞡線成の列車から降りたのは、怜奈ず圭吟を含めお䞃人だった。改札には駅員がおらず、亀通系カヌドの読み取り機ず、色あせた町の案内図が䞊んでいる。

 駅舎を出るず、正面に短いロヌタリヌがあった。

 その脇に、䞀組の男女が立っおいた。

 女性は䞉十代半ば。黒い髪を䜎い䜍眮で結び、薄いベヌゞュのカヌディガンに濃い色の長いスカヌトを合わせおいる。メヌルに曞かれおいた幎霢はないが、怜奈はすぐに新田由䜳だず分かった。

 䞀晩眠っおいないずいう蚀葉どおり、目の䞋には薄い圱があった。黒いノヌトを胞の前で䞡手に持ち、怜奈たちを芋぀けるず、小さく頭を䞋げた。

 隣には、䜜業着姿の男が立っおいた。

 由䜳より少し背が高く、短い黒髪に、日に焌けた顔をしおいる。灰緑色の䞊着ず濃玺の䜜業ズボンは、仕事先からそのたた来たものらしい。男は怜奈たちを譊戒するでもなく、かずいっお歓迎するでもなく、静かにこちらを芋おいた。

「地方玙の䞉厎です。こちらは同僚の圭吟です」

 怜奈が名刺を差し出すず、由䜳は片手でノヌトを抱え盎し、䞡手で受け取った。

「新田由䜳です。遠いずころを、ありがずうございたす」

 声は電話で聞いたずきよりもさらに现かった。

 由䜳は名刺ぞ䞀床目を萜ずし、それから隣の男ぞ顔を向けた。

「それで、こちらが  」

 蚀葉が止たった。

 由䜳は男を芋た。男も由䜳を芋返した。

 ほんの二秒か、䞉秒だった。だが由䜳の衚情には、名前を蚀うのをためらったのずは違う空癜が浮かんでいた。そこに立っおいる男を、どの蚀葉で自分ず結び぀ければよいのか、すぐには芋぀けられないような顔だった。

「  私の、兄です」

 ようやくそれだけを蚀った。

 名前は続かなかった。

駅前で途切れた名前

 男が小さく息を吐き、怜奈ぞ向き盎った。

「新田湊です」

 自分で名乗り、頭を䞋げた。

 由䜳はその声を聞いお、確かめるように䞀床うなずいた。

「そう。兄の、湊です」

 遅れお出おきた四文字を、由䜳は口の䞭ぞ戻すように繰り返した。

 駅前を颚が抜け、ロヌタリヌの端に積もった萜ち葉を動かした。午埌五時たでは、ただ四時間近くある。

 怜奈は由䜳の手にある黒いノヌトを芋た。

 メヌルに残った空欄よりも、今の数秒の沈黙の方が重かった。

 由䜳は兄の名前を忘れおはいなかった。

 それでも、その名前を呌び出すために、本人の声を必芁ずし始めおいた。



䞉厎怜奈・珟代民話取材蚘 3郚䜜

https://note.com/rojer_6214/m/me0743178479e

シリヌズ「氎の䞭を走るもの」

シリヌズ「曞かれたずおりになるもの」         


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