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「運」は周期制か?残機制か?それとも…

    アルロン

    「運」にもいろいろある。

    道端で小銭を拾うような小さなことから、宝くじの1等に当選するといった大きなことまで、偶然的に幸せな出来事が起きたとき、人はそれを「幸運」と呼ぶ。

    逆に、行こうと思ったお店が臨時休業だったり、楽しみにしていた旅行が全行程で大雨だったりしたとき、「ツイてない」と思うだろう。これが「不運」である。



    昔から考えていることとして、この「運」というものはどういう性質なのか、というのがある。

    たとえば、

    「最近、めっちゃ運が良いんだよね~」

    という台詞を聞くことはないだろうか。
    ある一定の期間に集中して幸運が発動しているかのような口ぶりである。
    「運は周期的なもの(周期制)」という仮説だ。


    一方で、

    「いや~、運を使い切ってしまったよ」

    というパターンもある。コンサートの席が最前列のときなどだ。
    これは、幸運の総量が決まっていて、発動の度に消費すると考えられている。
    つまり、「運は残機が決まっている(残機制)」というわけだ。


    周期制か、残機制か、どちらが「運」の本質なのだろうか?
    この機会に、思考を巡らせてみた。



    周期制は、割と支持しやすい考え方である。

    たとえば、「厄年」や「大殺界」など、運勢が下がる周期という考え方はすでに確立しているからだ。
    下がるということは、上がる周期もあるのだろうし。

    神仏や占いといったものは眉唾だ、という意見は否定しないが、現代でも僧侶や占い師という職業が成立している以上、あながちキテレツなものとも言い切れない。
    少なくとも、ものの考え方の一つとして認められると思う。


    残機制はどうだろうか。

    実体験的には、大きな幸運が起こった後は、同じくらいの幸運にはなかなか巡り合えない気がする。
    宝くじがそう何度も当選するなら、誰も苦労しないのだから。

    逆に、比較的小さな幸運は、数えきれないほど発動しているのではないか。
    幼少期に一度茶柱が立ったら残りの人生は全部不運、というのはあまりにも悲しすぎる。

    「幸運の大きさと、消費する運の量とは比例する」と言われれば、確かにそうかもしれない。


    これらの仮説は、どちらも正しいのだろうか。
    それとも、また別の説があって、そちらの方で上手くまとめることができるのだろうか。


    よくよく考えてみると、「運」というものは、おそろしく曖昧な存在である。

    道端で小銭を見つけたとしても、それを拾おうとしてしゃがみ込んだ拍子にギックリ腰になってしまったら、結果的にそれは不運となる。

    行こうと思っていたお店が休みでも、その代わりに行ったお店が大当たりなら、これはこれで幸運だろう。

    結局のところ、考え方次第で幸運か不運かは変わるのだから、周期も残機もないのかもしれない。



    「運」について考えたとき、非常に興味深いものがあった。

    大谷翔平選手のマンダラチャートだ。

    マンダラチャート:9×9マスのマス目からなる、思考・発想のためのフレームワークのこと。要素を漏れなく洗い出し、整理し、行動を具体化することができる。目標達成のためのツールとして利用される。

    ※「マンダラチャート」は、一般社団法人マンダラチャート協会の登録商標です。

    参考:https://product.strap.app/magazine/post/knowhow_mandala

    大谷選手は、高校生の頃にこのマンダラチャートを活用していた。

    そこに掲げられた目標は「ドラ1 8球団(=8球団からドラフト1位で指名を受けること)。
    そして、目標を達成するための要素の中に「運」があったのだ。

    さらにその「運」を構成する8つの要素が、次のとおりである。

    • ゴミ拾い

    • 部屋そうじ

    • 審判さんへの態度

    • 本を読む

    • 応援される人間になる

    • プラス思考

    • 道具を大切に使う

    • あいさつ

    大谷選手が野球選手として大成したのは「運」だけではない、ということは世界中の誰もが理解している。

    そんな彼でさえ「運」というものを重要視しているのだから、やはり「運」という概念は蔑ないがしろにできないだろう。

    その上で、彼は「運」を引き寄せるためにすべきことを挙げている。
    この8要素には生活態度や日常の行動などがあり、品行方正を心掛けていることがわかるだろう。


    ということは、だ。
    「運」は、少なからず自分の力で手にすることができるのかもしれない。


    すると、先ほどの周期制と残機制の話にもつながってきそうだ。

    「運」を引き寄せることで、幸運の周期が短くなり、頻繁に幸運が訪れるのではないだろうか。

    また、幸運の残機が増え、大きな幸運の発動回数が増えるのではないだろうか。

    加えて、先ほど「考え方次第」と言ったことを言い換えれば、「幸福への感度を高める」となる。
    小さなことも、一見不運のようなことも、考え方次第で幸運になり得る。大谷選手のマンダラチャートにもあるように、「プラス思考」はやはり大切なのだろう。

    つまり「運」とは、周期と残機のハイブリッド制で、尚且つ幸福への感度を高め、さらに徳を積むことで、ある程度回数を増やすことができるものである。




    ・・・というのが、アルロンの考察結果です。

    あなたはどう思いますか?(やひろさんのパクリになってしまいました。すみません)


     
     
     
    物書き(エッセイや小説)。kindle『不憫男子〜フビダン〜』発売中。商業作家を目指して修行中。 |note創作大賞2025 エッセイ部門 中間選考通過、2年連続ベストレビュアー賞受賞|ポケモンとDOMOTOと特撮とコナンが好き|不憫男子|Amazonアソシエイト参加中

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