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異物としてのインタビュー――海とカフェのメディアで、僕は市長のロングインタビューをやっている

    #1│海とカフェのメディアで、僕は市長のロングインタビューをやっている


    僕がジャーナリストとして契約している、湘南エリアを地盤とするWebメディアは、海とカフェに相性がいい。

    海辺の小粋な雑貨店。
    古民家カフェの焼き菓子。
    週末に行きたくなるビーチマルシェ。

    都内近郊から遊びに来る人が、心をときめかせながら電車のなかで読む。そういう記事が並ぶメディアだ。

    そのなかで、僕は市長や国会議員のロングインタビューを続けている。

    たぶん、かなり変な構図だと思う。

    週末、鎌倉にしらすを食べに行こうとしている人たちに、市役所移転の課題について、鎌倉市長が眉間にしわを寄せて語る記事を差し出している。

    多くの読者にとっては、異物だろう。

    実のところ、政治家のインタビュー記事はこのメディアではあまり閲覧数(PV)が伸びない。
    彼らに数字がないというより、媒体との相性の問題だと思う。
    その意味で、せっかく協力していただいているのに申し訳ないという思いもある。
    少なくとも数字の上では、あまり誰も得をしていないように見える。

    では、なぜそんなことをやっているのか。

    きれいに言えば、湘南を海とカフェだけのまちとして書きたくないから、ということになる。

    それは本心ではある。
    ただ、それだけでは今の状況を説明しきれない。

    現実はもっと現実的で、身も蓋もない。

    僕がメインで契約しているのが、その、海とカフェのメディアだけだからだ。

    新聞では、フリーのこんな奔放な企画は通りにくいと思う。
    同じローカルメディアでも、もっと報道寄りのタウンニュースでも、同じことは難しかったはずだ。

    そもそもローカルでは、行政や地域課題に関する長文記事を継続して置けるメディア自体が少ない。

    だから、契約しているメディアが総合誌を志向していたことは大きかった。

    グルメ特化でも、観光特化でもない。
    行政情報も、防犯情報も、選挙の候補者紹介も結果速報もやる。
    生活圏を丸ごと扱おうとしている器だった。

    だから、僕のやっていることはギリギリ成立した。
    ただ、成立していることと、伸びることは別だ。

    載せることはできる。
    でも、本流ではない。

    そのギリギリのラインを綱渡りしながら、僕は市長や国会議員のインタビューをやり続けてきた。

    神奈川の、それも注目度の高い湘南エリアだったから、まだ余地があったのだと思う。
    他のエリアでフリーのライターやジャーナリストが同じことをやろうとしても、もっと難しいはずだ。

    だから僕は、理想の場所を選んでこの棚を作り始めたわけではない。
    手元にあった、ほとんど唯一の器のなかで、かろうじて成立する線を歩き続けている。

    その結果、僕は少し変わったジャーナリストになった。


    #2│僕の足元に降りてきたもの①│ジャーナリスト魂


    僕はもともと、自分のことをライターだと思っていた。

    ジャーナリストではない。

    というより、ジャーナリストにはなれないと思っていた。

    ジャーナリストという言葉には、どこか怖さがあった。

    犯罪を追い、報道機関を離れても一人で取材を続ける人がいる。
    戦場で命を落とす人がいる。
    権力と向き合い、誰かが隠そうとするものを掘り起こす人がいる。

    そういう人たちの本を読んできた。

    憧れはあった。
    畏怖もあった。

    でも、自分は違うと思っていた。

    僕は無責任すぎる。
    いい加減すぎる。

    ジャーナリストという言葉を背負うには、あまりにも軽い。

    だから僕は、自分をライターだと思っていた。

    文章を書く人。
    取材して、聞いて、書く人。

    店を書く。
    イベントを書く。
    人を書く。

    それで十分だと思っていた。

    けれど、ある記事を書いたあと、僕はもう、ただのライターではいられなくなった。

    逗子市・葉山町のクリーンセンター広域再整備事業を追った調査記事だった。

    きっかけは、逗子市長にインタビューしたときだった。

    市長の到着を応接室で待っているあいだ、同席していた広報課職員の方と世間話をしていた。
    僕はその翌月、葉山町長にもインタビューする予定があった。

    逗子市と葉山町は、ごみ処理などで広域連携している。
    だから、何気なく聞いた。

    「逗子と葉山って、隣町同士、やっぱり仲がいいんですか」

    本当に、他愛のない世間話のつもりだった。

    すると、相手は少し言葉を選んだ。

    「もともとはそうなんですけど。今はちょっと」

    というようなことを言った。

    その言葉の選び方に、何かがあった。

    報道で見ていた新しいクリーンセンターの工期の遅延が、逗子と葉山のあいだにしこりを残しているように感じた。

    これは、単なる遅延の話ではないのかもしれない。

    翌月、僕は葉山町長インタビューで、この問題に触れた。

    葉山町長は、思いのほか詳しく話してくれた。

    葉山町のスタンス。
    逗子市のスタンスへの疑問。

    その出来事が、僕のなかに引っかかりつづけることになった。

    葉山には聞いた。
    逗子には聞いていない。

    さらに言えば、逗子と葉山だけに聞いても足りない。

    この話には、共和化工という事業者がいる。

    クリーンセンターの建設を葉山町からプロポーザルで受注した、東京の民間事業者。
    工事遅延をめぐる、もうひとつの当事者。

    そのころ、事態はほとんど動いていないようだった。

    工期の延長が決まってから数か月経っても、共和化工と葉山町は、交渉のテーブルにすらついていなかった。
    逗子と葉山のあいだにも、溝があるように見えた。

    行政の資料を読んでも、議会での説明を追っても、何かがつながっていない。

    僕は、企画を始めた。

    逗子市議二人に聞く。
    クリーンセンター再整備特別委員会の議長を務める葉山町議に聞く。

    行政資料を読む。
    議会中継を見る。

    そして、共和化工にも聞きたいと申し込み、三回断られる。

    書く前に、まず調べなければならなかった。

    逗子市議の一人に、話を聞いたときのことを覚えている。

    その人は言った。

    共和化工の情報がない。
    葉山は、ほとんど情報を出さない。
    聞きに行きたいが、葉山を飛び越えて、逗子市議が共和化工と接触することはできない。

    行政には行政の立場がある。
    議員には議員の立場がある。
    自治体の境界がある。

    動きたくても、動けない人たちがいた。

    僕はその人に言った。

    「後日、共和化工にも取材するつもりなんです」

    すると、議会ではいつも語気が強く見えるその人が、こう言った。

    「ぜひお願いします、ジャーナリスト魂を発揮して」

    そして、拝むように手を合わせて続けた。

    「僕は怒っているんではないんです。どうか早く解決してほしい。そう祈ってるんです」

    ぎょっとした。

    ジャーナリスト魂。


    #3│僕の足元に降りてきたもの②│報道の自由


    新しいクリーンセンターは、葉山の旧施設の跡地に建つ。
    契約主体は葉山町と共和化工だ。

    逗子市議は、葉山を飛び越えて、共和化工に直接聞きに行けない。

    でも、僕は違った。

    逗子にも聞きに行ける。
    葉山にも、共和化工にも聞きに行ける。

    そのとき初めて、「報道の自由」という言葉が、自分の足元に降りてきた気がした。

    それは、好きなことを好きに書ける自由ではなかった。

    誰かの立場では聞けないことを聞きに行き、その誰かに話を届けられる自由だった。

    取材は四か月に及んだ。

    ドラフトは二万字を超えた。

    PVは壊滅的だと思った。

    掲載するのは、湘南の、海とカフェのメディアだ。

    湘南の映えるパフェを食べにくる人たちに、僕は、逗子と葉山が生ごみ処理をめぐって揉めている記事を差し出そうとしている。

    さすがに掲載は無理だと思い、担当編集者にSlackで連絡した。

    無理ですよね。
    それなら、ほかの媒体に持ち込もうと思います。

    編集者は言った。

    せっかく書いたので、掲載しましょう。
    ただし、長すぎるので、もう少し削ってください。
    あと、わかりやすいように、各章の冒頭に短いサマリを載せましょう。

    僕は価値の低そうな情報を削った。
    原稿は一万七千字になった。

    記事は掲載された。

    そして、メディア内の週間人気ランキングで三位に入った。

    それ以上、順位が上がることはなかったけれど、十分すぎた。

    読んだのは、湘南の映えるパフェやハンサムな大仏を求めていた人たちではなかったと思う。

    逗子と葉山で暮らし、この問題を自分たちの生活の延長として見ていた人たちだったはずだ。

    その記事を掲載したあと、異変が起きた。

    僕のSNSには、市民から情報提供が入るようになった。

    このイベントを取材してほしい。
    この疑惑を見てほしい。
    この公聴会に注目してほしい。

    それまでとは、届く言葉の種類が変わった。

    「書いてください」だけではなくなった。
    「調べてください」が混じるようになった。

    僕はもともと、ライターだった。

    取材して、聞いて、書く人だった。

    けれど、逗子・葉山のクリーンセンター広域再整備事業を追ったあと、ライターだけではいられなくなった。

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    #4│政治家の変顔はなにを語るのか①│応援


    「すごい市長応援記事ですね」

    最初に鎌倉市長のインタビューを載せたあと、ある市議にそう言われた。

    僕には、そのつもりがなかった。

    第一、僕は鎌倉市民ではない。お隣の逗子市民だ。

    鎌倉市長と会ったのも、その取材の日が初めてだった。

    それでも応援に見えた。

    たぶん、写真だった。

    記事に添えた十枚を超すポートレート。僕が撮った写真だ。

    僕はジャーナリストであり、カメラマンでもある。質問をして、話を聞きながら、その人の表情を撮っている。

    市長を丁寧に撮った。
    公務に同行し、キャンディッド・ポートレートを多く載せた。
    記事も長かった。

    それだけで、読む人によっては「応援」になる。

    政治家を撮るとき、僕はいつも困る。

    良く撮ると、広報になる。

    笑顔。
    真剣な顔。
    柔らかい光。
    市民となごやかに話している場面。

    何枚か並ぶと、危うさは増す。

    そもそも、政治家を取材するという行為そのものが、中立になりにくい。

    取り上げる。
    それだけで、もう「色」がつく。

    どの議会にも、役所にも、親市長派がいる。
    反市長派もいる。

    批判的に書けば親市長派から、好意的に書けば反市長派から、反感を買う。

    僕は、最初に鎌倉市長のインタビューを載せたときから、そのことをよく考えるようになった。

    政治家の写真は、写真だけでは終わらない。

    そこには必ず、見る側の「色」が入り込む。

    写真が意味を作るのではない。
    見る側が持っていた意味を、写真が引き出してしまう。

    写真は、黙っている。

    けれど、見る側のなかで喋り始める。


    #5│政治家の変顔はなにを語るのか②│変顔


    政治家を良く撮ると、広報になる。

    それは、わかる。

    だから、逆に振る。
    そういう写真を見かけることがある。

    瞬きの途中。
    半開きの口。
    しかめっ面をした0.1秒。

    広報には見えない。

    距離を取っているように見える。
    批判的に見える。
    権力を監視しているように見える。

    その感覚も、わかる。

    写真を撮ると、変な顔はたくさん写る。

    それはむろん、政治家に限らない。
    はっきり言えば、ポートレートの失敗の大半はそんな写真だ。

    問題は、撮れることではなく、それを選ぶことだ。

    政治家に近く見られたくない。
    その予防線として、悪く撮れた写真を使う。

    反権力という思想もある。
    権力者をよく見せるべきではない、という考え方もある。

    それも、ひとつの態度ではある。
    ただ、態度である以上、それもまた編集になる。

    悪く撮ることは、中立の証明ではない。

    応援ではないかもしれないが、別の意味を作る点は、応援と同じだ。

    この人は怖い、頼りない、不誠実そうだ、追い込まれている。
    見る側は、そう読むかもしれない。

    それは写真の力だ。

    と同時に、選んだ側の責任でもある。


    #6│政治家の変顔はなにを語るのか③│遅延


    最近になって、自分の記事を見返していて気づいた。

    同じような写真を選んでいた。

    感情が動いている途中。思考が動いている途中。
    言葉が形になる前。

    そんな写真が多かった。

    はじめからそう撮ろうと思っていたわけではない。

    むしろはじめは、自然な表情を撮ろうとしていた。

    政治家にも、人としての顔がある。
    そこを撮ればいいと思っていた。

    でも違った。

    それもまた記号だった。

    親しみやすさ。
    人柄。
    柔らかさ。

    そこへすぐにつながる。

    自然は、中立ではなかった。

    良く撮れば、応援に。悪く撮れば、批判に。
    自然を撮れば、人柄に見える。

    写真は、すぐ意味になる。

    だから僕は、意味を消そうとしたわけではない。

    ただ、少し遅らせたいと思った。

    意味へ行く速度を、少しだけ遅らせる。

    これは写真論ではない。写真を選ぶときの基準だ。

    見た瞬間に答えが出ない写真を残す。

    フィルターは使わないし、トリミングもあまりしない。

    顔だけを切り出せば、もっと印象的になる。
    光を足せば、もっと若々しく見える。

    でも、印象が強いと速くなる。

    決定的瞬間でもなければ、変な顔でもない。
    自然な表情でもない。

    そのどれかになる前の時間。

    そこに、少しだけ読む入口がある。

    写真がすぐに人物を決めてしまうなら、僕はその決定を少し遅らせたい。

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    #7│記者クラブとデニス・ロッドマン①│入口


    鎌倉市長の定例記者会見に、僕は座っている。

    地方自治体が開く記者会見には、その自治体に設置された記者クラブの加盟社でないと参加できないことが多い。そして、記者クラブに加盟できるのは、基本的に報道機関だ。

    僕はフリーのジャーナリストだ。それなのに、そこに座っている。

    記者クラブという存在は広く知られている。
    でも、その実態はあまり知られていない。

    どこにあるのか。
    どんな媒体が加盟しているのか。
    誰が入れて、誰が入れないのか。

    僕も以前は、よくわかっていなかった。

    ローカルの記者クラブは、実のところ、今も普通にある。
    ある調査では、回答した780自治体のうち、217自治体が「記者クラブがある」と答えていた。割合にすると27.8%。

    僕が活動している湘南エリアにもある。

    鎌倉。
    逗子。
    横須賀。
    藤沢。
    平塚。

    葉山は、違うと思う。

    自治体によっては、加盟社一覧をホームページに出している。
    出していない自治体もある。

    僕がまず気になったのは、自分のようなフリーがそこに入れるのか、ということだった。

    鎌倉市役所の広報課にメールした。
    「フリーでも入れますか。鎌倉市長をはじめ、湘南エリアの各首長のほか、神奈川県知事への単独インタビューの実績があります」
    ホームページに、その答えは書いていなかった。

    返ってきたのは、フリー個人はだめという回答だった。
    「ホームページには書いていませんが、内規がありまして」と、広報課の担当が気の毒そうに教えてくれた。

    ただ、鎌倉は少し特殊だった。

    鎌倉市役所には、「広報メディアセンター」という場所がある。ここは、昔ながらの記者クラブとは少し違う。新聞社やテレビ局だけでなく、一定の条件を満たした媒体なら登録できる。

    90年代、朝日新聞出身の市長が、記者クラブの閉鎖性を問題視して進めた改革の結果だと聞いた。

    次に、逗子市役所の広報係にもメールした。こちらはもっと明確だった。
    「一般社団法人日本新聞協会加盟社・一般社団法人日本ケーブルテレビ連盟加盟社・本市が出資するメディア以外は、不可になっております」

    僕は自分が住む逗子市の記者クラブにも入れなかった。

    この時点で、鎌倉の基準がややゆるいことはわかった。
    とはいえ、鎌倉も何でもありではない。

    フリーは入れない。
    「赤旗」も、メディアではなく政党機関紙という位置づけで、登録対象にならないという。

    越えられない線が引かれている。

    では、なぜ僕はいま、鎌倉市長の定例記者会見に座っているのか。

    契約しているWebメディアの名義で出ているからだ。
    僕はフリーの川原リウとしてではなく、湘南エリアで一定の知名度があるWebメディアの一書き手として、記者会見への出席を「許容」されている。

    それで全部が解決したわけではない。

    記者会見の日程や場所は、記者クラブ宛に事前に一斉メールで送られる。

    自治体のホームページに、日程や実施報告、各社に配布された資料が出ることはある。
    でも、それは会見のあとだ。

    フリーは、記者会見に参加できないだけではない。
    日程を知る術すらない。

    僕の場合も、担当編集者が鎌倉市役所から送信されたメールを見て、僕に日程を知らせる流れだった。僕は外部のフリーだから、当然、編集部のメールボックスを見ることはできない。

    担当編集者が確認できなければ、その月の会見には出られない。
    実際、編集部の確認が間に合わず、参加できない月もあった。
    契約ライターは八十名を超えている。そのなかで特例で許されている立場だ。文句の言えようもない。

    今年の三月、少し状況が変わった。
    鎌倉市役所から記者クラブ宛に、年間スケジュールが一斉配信された。

    編集部経由で、一年分の開催予定を手に入れた僕は、今後の予定を把握できるようになった。

    フリーでは本来、入れない。日程も、場所も、知り得ない。
    それでも僕は、フリーのジャーナリストのまま、どうにかそこに座っている。

    記者クラブの内側ではない。

    でも、完全な外側でもない。

    その中途半端な場所に、僕はいる。

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    #8│記者クラブとデニス・ロッドマン②│部屋


    鎌倉市長の定例記者会見は、市議会の全員協議室で開かれる。

    初めてその部屋へ入ったとき、思ったより小さい場所だと感じた。

    長机が並び、パイプ椅子が置かれている。記者席は三十席ほどあるけれど、実際に埋まるのは、その一部だけだ。

    前方には市長が座り、副市長と教育長が並ぶ。司会をするのは広報課長だ。

    記者席の背後には、市役所の各部局の幹部が並ぶ。二列か、三列。

    その日扱われる議題によって顔ぶれは変わるのかもしれないけれど、僕から見ると、市役所の中枢がずらっと揃っているようだ。

    でも、記者席はわりと空いている。
    参加するのは、だいたい八社か九社くらい。
    多い日でも、十社を少し超える程度だ。

    配布資料は長机いっぱいに置かれているけれど、席は余る。

    記者クラブという言葉から、もっと大きなものを想像していた。
    もっと人が多くて、もっとざわざわしていて、もっと閉ざされた強い空気のようなものがあるのかと思っていた。

    でも、入ってみると、そこにあるのは小さくて殺風景な部屋だった。
    顔ぶれも、おおよそ決まっている。

    神奈川新聞。
    朝日新聞。
    東京新聞。
    毎日新聞。
    日経新聞。
    タウンニュース。
    共同通信。

    テレビ局はその時々だ。
    NHKやテレビ神奈川が来ることがあるけれど、毎回ではない。

    各社の鎌倉担当はある程度決まっているのだろう。
    記者同士は、たいてい顔見知りらしい。

    笑いながら世間話をしている人もいる。

    長年このエリアを担当しているからなのか、自治体幹部とも親しいようだった。
    たとえば、高市総理の台湾有事発言が、鎌倉市の中国人観光客数に影響していないかといった会話が、会見前に交わされることもある。

    記者同士で情報交換をしていることもある。
    あの件は取材するのか。
    どこまで追うのか。
    市に聞くなら、どういう導線で行くのか。

    はっきり聞こえるわけではない。
    でも、会話の断片から、そういうやり取りをしているのはわかる。

    記者クラブというと、外からは得体の知れないものに見えた。
    行政と報道機関が閉じたところでつながっている。
    そんなイメージを持っていた。

    でも、部屋のなかに入ると、それは秘密結社というわけではなかった。

    同じ自治体を担当する人たちが、同じ部屋に集まる。
    同じ首長を見る。
    同じ資料を受け取る。
    誰かの質問を一緒に聞く。

    その積み重ねのなかで、顔ぶれが固定されていく。

    僕は、その輪のなかには入っていない。

    挨拶もしない。

    世間話もしない。

    情報交換もしない。

    一番後ろの席に座って、会見が始まるのを待っている。

    窓の外には、御成小学校の運動場が見える。

    部屋のなかには、市長と記者と市役所の幹部がいる。

    外からは、子どもたちの声が聞こえてくる。


    #9│記者クラブとデニス・ロッドマン③│武装


    僕はいつも、鎌倉市長の定例記者会見で、一番後ろの席に座る。

    前へ行かない。
    質問もしない。

    記者会見は、冒頭の市側からの発表部分は、YouTubeの公式チャンネルで誰でも見ることができる。
    でも、そのあとの質疑は公開されていない。

    記者が何を聞くのか。
    市長がどんな表情で、どう受け止めるのか。

    市民は、そのやりとりを知らない。

    僕は、その非公開の後半を見ている。

    市側の発表が終わると、広報課長が「ご質問はございますか」と聞く。

    前列から、質問の形をした別のものが飛ぶことがある。

    なぜ隠蔽しているんですか。
    なぜ癒着しているんですか。

    語尾は問いだけれど、もう答えは決まっている。

    市長はまず、その前提をほどこうとする。
    うまくいかず、回答の軸がずれ始める。

    その間、カメラの連写音が続く。

    機関銃みたいだと思う。

    その人にとって、カメラは武装なのだろう。
    問いで揺らし、表情を撃ち抜く。

    あるテレビ局の記者が、何を聞きたいのかは毎回わかる。
    質問の筋は通っている。

    ただ、市側には趣旨が伝わらない。
    担当部の幹部が答える。
    記者の意図とは少しずれた返答が返ってくる。

    記者は言い方を変える。

    同じテーマの周りを記者と幹部が二人でぐるぐる回る。
    ようやく、中心でめぐり合って終わる。

    それもまた、会見の一幕だ。

    先日の会見で、ある新聞記者が市の不手際について、市長の説明に苛立ってこう言った。

    「あなたね、自分の責任でこうなって、申し訳ないくらいのことを言えないんですか」

    それも、質問の形をしている。
    でも、質問ではなくて、どちらかといえば、答えの形に似ている。

    質問の形をした別のものを、この場所では見かける。

    副市長が表情をくもらせて、市長の顔を見る。
    市長は、副市長の目を見返して、黙って首を振る。

    僕は、そのやりとりを一番後ろで見ている。


    #10│記者クラブとデニス・ロッドマン④│沈黙


    僕は、鎌倉市長の定例記者会見で、質問したことがない。

    元シカゴ・ブルズのデニス・ロッドマンは、チームメイトがシュートを打つあいだ、ボールの跳ね返りを見ていたという。

    リングへの角度。
    跳ね返る方向。
    誰のシュートがどこへ外れるか。

    ロッドマン自身は、シュートを打たなかった。
    でも、誰よりもリバウンドを取った。

    僕は記者会見で質問したことがない。

    できないわけではない。
    しない。

    記者会見は、記者たちの晴れ舞台だ。
    市長に直接、好きな質問ができる貴重な場だ。

    そしてそこは、記者クラブの特権だ。
    記者クラブに加盟していなければ、日程すら知らされない、秘密の場だ。

    でも、それだけではない。

    各社は立場が違う。
    見たいものも違う。
    だから、共同の場に集まるしかない。

    市長が報道機関全社と毎回ロングインタビューをしていたら、行政は回らない。

    だから各社は記者会見の場で聞いて、材料を持ち帰る。

    それは、多数ある報道機関が共存していくための、現実的な「棲み分け」でもある。

    ただ、その棲み分けには代償がある。

    記者クラブに加盟していると、「そこで聞け」になる。
    共同の場があるから、単独で時間をもらいにくくなる。

    フリーにはその縛りがない。

    記者クラブに加盟していないからこそ、単独で聞ける。

    では、なぜフリーの僕が記者会見に来るのか。

    測定するためだ。

    何が聞かれたか。
    何が聞かれなかったか。
    どのボールを、市長がどう捌いたか。

    僕はそういうふうにして、湘南の首長たちに会い、ロングインタビューをしてきた。

    だから僕は、記者会見で黙っている。

    黙りながら、測っている。

    空白を見つけたら、そこへ行く。

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    湘南を拠点に首長や国会議員、文化人への取材を通じて、まちづくりや地域課題、文化の現在地を記録するジャーナリスト/フォトグラファー。 noteでは取材の裏側と、鎌倉・逗子での移住生活について書いている。 ■取材・撮影のご相談/情報提供 riu.kawahara@gmail.com