異才発掘プロジェクト(ROCKET)の別枠にいた私が、今、行政に提言し続ける理由― 「異才」という看板に救われ、壊された私の話
最近、テレビ東京で異才発掘プロジェクトの特集が放送されていたらしい。
YouTubeのコメント欄では、案の定というべきか、賛否が飛び交っていた。
「わがままを助長している」
「エリート教育だ」
「普通の学校へ行けなくなる」
「天才ごっこ」
そんな言葉を眺めながら、私は少し複雑な気持ちになっていた。
なぜなら私は、かつてそのプロジェクトに、スカラー候補生とは別枠で参加していた側の人間だからだ。
そして今でもなお、あの場所で得たものを、自分の中で整理しきれていない。
当時の私は、「異才」や「天才」という言葉に強く惹かれていた。
今思えば、かなりすがっていたと思う。
学校では浮いていた。
同年代とうまく噛み合えない感覚があった。
発達特性もあり、対人不安も強く、外出困難もあった。
だから、「あなたは変なのではなく、“異才”なんだ」という言葉は、救いだった。
“普通になれない自分”に対して、
初めて肯定が与えられた気がした。
でも、そのラベルは、同時にかなり危ういものでもあったと思う。
多感で、発達途上の子どもにとって、
「異才」という言葉は強すぎる。
自分を解放する言葉にもなるが、
自分を固定化する呪いにもなる。
世間は、ROCKETのような場所を、
「自由な天才たちの楽園」
のように想像するかもしれない。
でも、実際に中にいた私の感覚はかなり違う。
あそこは、むしろ“修行場”だった。
しかも、かなり厳しい。
学校では、ある程度「配慮」があった。
事情を説明すれば、通ることも多かった。
でもROCKETでは、それが通じない。
交通費助成の申請。
別プログラムへの応募。
報告書掲載。
メディア取材の選定。
一生懸命アピールしても、通らないものは通らない。
「選ばれない」という経験を、私はあそこで初めて味わった。
今振り返れば、
あれは研究者文化だったのだと思う。
熱意だけではなく、
「どう伝えるか」
「どう筋を通すか」
「どう申請するか」
まで含めて見られていた。
学校とはまるで違う世界だった。
今でも忘れられない出来事がある。
当時、中学2年生だった私は、外出困難やパニック症状の影響もあり、親に付き添ってもらって会場へ行っていた。
すると事務局スタッフに、こんなことを言われた。
「お母さんと来たの?
もっと小さな小学1年生の子が来たのかと思った」
今ならわかる。
あれは単なる悪意ではなかった。
たぶん、
「中2なら一人で来るのが普通」
という感覚だったのだと思う。
でも当時の私は、かなり衝撃を受けた。
しかも後から聞くと、
自分より年下の参加者たちも、
みんな一人で来ていた。
その時、初めて理解した。
「ああ、これが“年齢相応”なんだ」
と。
私はそこで、
障害の有無や事情を理由に、
社会が永遠に待ってくれるわけではないことを知った。
かなり苦しかった。
でも同時に、
あの経験は、今の自分の土台にもなっている。
ROCKETでは、
研究者が助成金申請を出すような感覚で、
企画書や申請書を書くことを求められた。
参加後には、
お礼や感想をきちんと伝えることも重視された。
最初は面倒だった。
でも、あれによって私は、
「筋を通す」という感覚を学んだ。
そしてその癖は、
今も自分の中に深く残っている。
大学では、
「自分は本当に奨学金を探してまで学びたいのか」
を考える。
行政への提言では、
「段階を踏めているか」
を意識する。
職場では、
「自分のオリジナル」と「組織に求められるもの」のバランスを考える。
ROCKETで得たものは、
単なる“才能教育”ではなかった。
むしろ、
社会との接続の仕方だったのだと思う。
一方で、
私はあの経験によって壊れた部分もある。
ROCKETで培われた
「常に自問自答する」
「もっと正しく」
「もっと筋を通して」
という感覚は、
今の私を支える武器であると同時に、
自分を追い詰める呪いにもなった。
私は、自分の限界に気づくのが遅い。
頑張りすぎる。
疲れていても止まれない。
「まだ足りない」
と思ってしまう。
その積み重ねが、
精神障害の発症にも繋がったと、私は認識している。
だから私は、
ROCKETを単純に礼賛することも、
単純に批判することもできない。
あの場所に救われた。
でも、あの場所によって加速した部分もある。
ただ、ひとつだけ、今はっきり言えることがある。
私は、ROCKETで経験した
「あの厳しさ」や
「社会との接続」を、
本来はもっと公教育が担うべきだと思っている。
特別な場所へ行けた一部の子だけが、
社会との接続方法を学べるのではなく。
「浮いている子」
「不器用な子」
「発達特性のある子」
も含めて、
段階を踏みながら社会と繋がる方法を学べる環境が必要なのではないか。
だから私は今、
行政への提言を続けている。
たぶん、
あの頃の自分を救うためでもある。
正直に言えば、
私は今も「異才」という看板を降ろしきれていない。
外したい。
でも、
どう向き合えばいいのかわからない。
この記事を書いていること自体、
まだその看板の影響の中にいる証拠なのだと思う。
それでも、
昔より少しだけ思う。
私は、
「異才」だから価値があるわけではない。
ただ、
不器用でも、
遠回りでも、
壊れながらでも、
社会と繋がろうとしている、
ひとりの人間なのだと。
