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あの日のあとに残ったもの

世間が休日になるゴールデンウィークだって、わたしは出勤だった。でもそんなの、ちっとも気に留めなかった。ゴールデンウィークが終わって、少しの時間が流れたら、わたしの2本の足はある場所へ向かうからだ。

とは言え、会社員で二児の母でもあるわたしにとって、向かう数日前に感じているのは高揚感より緊張感だ。第一に子どもたちの体調管理が頭の中のほとんどを占めてしまうが、どれだけ考えて気をつけたところで、風邪をひくときはひくのが子どもだ。ほぼ運まかせの博打に、数ヶ月前の自分の決断をbetする。

ほぼほぼ勝ちが見えた前日夜。自分が着て行く服を考えるより先に、子どもの荷物を準備する。着替えが数枚に、すぐに食べれるお菓子やパン、おしり拭きに、おむつは何枚持って行けばいいだろう。泣いた時に気を紛せるおもちゃに、肌が弱い我が子は薬や日焼け止めも忘れられない。膨れ上がっていく鞄に何を入れて何を入れてないのかわからなくなってくる現象を、最悪何か忘れてたら買えばいいかと自分を安心させたりして。

自分が着る服を考える頃には、明日への高揚感より、既にやり切ったような脱力感を感じている。

眠る前、明日が楽しみで眠れなかった独身のあの日を思い出した、はずだけど気づいたら陽の光がカーテンを照らしていた。

子どもを産んでから、初めてライブに行こうと思った。

ライブはずっと諦める側のもの、だった。

「今のわたしには無理」
そうやって積み上げてきた7年を「託児所設置のお知らせ」の10文字が揺らした。

夫とふたり分、手にしたチケットは7年間を崩した証。

「え、子どもどうするの?」
「託児所?なんか怖くない?」
誰かに話すたびに、何回かけられたかわからないこの言葉に、どこか罪悪感を感じながら。

ライブ中、金髪の大学生くらいの男の子が流していた涙と、わたしが流した涙の色はきっと違っている。

君が好きだ、と歌うあの人の声を聴きながら思い出したのは、明日が楽しみで眠れなかった頃の日々だ。日々も気持ちも直線だったあの頃。まっすぐに何かを感じられなくなったのはいつからだろう。あの頃には響いていたものが今響かないなんて経験は一度や二度じゃないはずなのに。何かが欠けた気がしてしまう。

それでも曲がったり、途切れたりしたわたしの心には、響くというより染みていくのがわかった。血液が身体を巡るみたいに、じんわりと染みていく。

嫌なことは山程ある。やってられねぇなんて思わない日の方が少ないかもしれない。でもあの人が歌う前では、その出来事ひとつひとつがまるで薄い膜のようなもので覆われて、少しずつわたしから遠ざかってる気がした。

ライブが終われば、またいつもの日常だ。

翌日、仕事へ向かいながら、何かが変わるわけじゃないと思った。何かが変わるわけじゃないけど、曲がったり途切れたりした道のまま、歩いていけそうだと思った。もちろん、また嫌なことはあるだろうけど、そう思った今日はたしかにある。

曲がった道の上のあの夜のことを、きっとわたしはこれから何度も思い出す気がした。


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