軽やかになる許可を、自分に出した。
「軽やかになりたい」と思うようになった。
以前の私は、この言葉を少し誤解していた。
軽やかになるとは、責任を手放すことだと思っていたのである。
でも、今は違う。
三十年間、美術館という組織の中で働いてきた。
広報として、事務長として、多くの展覧会の裏側に立ち会い、責任ある仕事を任されてきた。
だからこそ今、自分に一つだけ許可を出した。
好奇心の向くほうへ歩いてもいい。
そう思えるようになった。
もちろん、現役で働いている。
管理職兼広報として、企画や調整、海外とのやりとりなどの一日の仕事を終える。
帰宅してから夕食をつくり、noteを書く。
次の記事を考え、書いては公開する。
正直に言えば、睡眠時間は少し減った。
以前より忙しいくらいかもしれない。
それでも、不思議と心は軽い。
以前は、勤務先の仕事が自分の世界のほぼすべてだった。
そこで結果を出すこと。
責任を果たすこと。
そのことで精一杯だった。
ところが今は違う。
未来の自分が、少し先で手を振っている。
だから今の仕事は、もちろん本番でありながら、未来へ向かうためのプラクティスにも思えてきた。
軸足は今も職場にある。
でも、心のどこか三割くらいは、その先の未来を見ている。
すると不思議なことが起きた。
肩の力が抜けた頃から、むしろ以前より大きな仕事や、海外との新しい仕事が舞い込むようになったのである。
人生とは、案外そういうものなのかもしれない。
先日、帰り道に新しいキャリーバッグを買った。
前に使っていたものは、とっくに壊れていた。
四年前、一緒に仕事をしていたフランス人写真家が、そのバッグを持ち上げて笑いながら言った。
「もう買い替えたら?」
その言葉を聞きながら、私は買い替えなかった。
使うわけでもないのに、何となく持ち続けていたのである。
今回、新しいキャリーバッグを買ってみて気づいた。
古いバッグの置き場がない。
正確には、置いておく理由がなくなった。
新しいものが入ってきたことで、ようやく古いものが役目を終えたのである。
選んだメーカーの名前は、「イノベーター」。
革新者。
少し出来すぎた偶然に、一人で笑ってしまった。
キャリーバッグは、四年前よりずっと軽く、静かに進化していた。
古いバッグは、処分することにした。
そして、私も少しだけ変わったのだと思う。
最近、自分の中で、こんなことが続いている。
noteを書き始めた。
もともと、海外の読者さんにも読んでほしくて情報発信を始めた。いずれ自分で英訳しようと、オンラインで英語のレッスンも受けていた。
そんなある日、突然「記事が英訳されることになった」というインフォメーションが届いた。
信じられなかった。苦労して自分で訳さなくても、届くようになるのか。それが現実だとわかったとき、心底驚いた。
信じられないことは、時々、本当に起きるらしい。
和菓子の芸術性に惹かれていたある日。和菓子作りワークショップの募集を見つけ、思わず申し込んだ。
体験は、お世辞にもうまくはいかなかった。それでも、その不格好さが面白くて、noteに書いてみた。
すると、すぐにおすすめ欄に、ある和菓子屋さんのアカウントが表示された。読んでみると、親御さんのお店を盛り立てようと、マーケティングの勉強をしていて、そのゼミの課題としてアンケートを取っているという。
その志に共感し、アンケートに答えた。すると、すぐに連絡がきて、「もっとお話を聴きたい」とZoom面談のお誘いをいただいた。
30分ほど質問に答えた最後に、彼女から控えめにオファーがあった。
「今後、商品開発をする際に、モニターになっていただけませんか?」
ちょっとした謝礼もいただき、彼女は私のnoteのフォロワーにもなってくれた。
不格好な体験が、思わぬ扉を開けてくれた。
英訳がはじまったばかりのこのタイミングで、日本の文化をnoteで意識的に紹介していきたい、と思い始めたのは、この出会いがきっかけだった。
「アートの現場外交官」という、情報発信者としての肩書きが定まった。
きっかけは、ひとつ前の投稿にアップした「自己紹介記事」だった。
記事を作る途中、自分は何を発信し、誰に届け、未来にどうなっていきたいのか。読者さんに何をシェアし、何の役に立てるのか。数日間、思案し続けた。
この肩書きが、自分の進む方向に本当にフィットしているか。真剣に考え抜いた末、「今はこれがいい」という結論に達した。
そして、これは自分がなりたい「未来の自分」を、そのまま言葉にしたものだと、あらためて確認できた。
言葉が、後から自分を追いかけてくる。
「文化を通して、人の心を開き、文化そのものも広げていく場をつくる。」
そんな、これからの仕事の輪郭も見えてきた。
新しいものが少しずつ自分の中に入ってくる。
すると、古い価値観も、静かに役目を終えていく。
これは、過去を否定することではない。
三十年間があったからこそ、今がある。
責任を果たしてきたからこそ、新しい景色が見え始めた。
軽やかになるとは、責任を手放すことではない。
責任を果たした人だけが、自分に与えられる自由なのだと思う。
どうやら私の中では、新しい人生の新陳代謝が始まっているらしい。
もし、この記事を読んでくださったあなたにも、「自分の中で何かが変わり始めているかもしれない」と思い当たることがあるならば。焦らなくていいけれど、いつか少しずつでも、言葉にしてみると、何かが動き出すかもしれない。
新しいものが入ってくると、古いものは静かに役目を終える。
軽やかに。
人生には、そんな季節もあるのだと思う。
