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「もういい」と思えた日|家を出てから13年目の秋

この文章を書いている途中、胸の奥にあった言葉が、ひとつ、またひとつと歌になっていきました。

『秋風に解けてく』
 
Lyric/ここね

これは、ずっと握っていたものを手放した日に生まれた歌です。

よかったら、まずこの曲から聴いてください。
そのあとに、この歌が生まれるまでの話を。

二年前、私はこんな記事を書いた。

『家を出てから11年目の春』

あの時の私は、家を出た日のことを振り返りながら、自分の至らなかったところを見つめていた。

「あの時の自分が今の私なら――
離婚という選択肢は、なかったかもしれない」

そう書いた。

あれから二年。

今日、何気なく見ていた二つの動画をきっかけに、ずっと心の中に残っていたものが、突然ひとつにつながった。

その動画で語られていたのは、何か問題が起きたとき、自分の非を認めることよりも「自分は悪くない」と自分を守ることを優先してしまう人のこと。そして、その相手と一緒にいる人が、少しずつ自分の気持ちを飲み込むようになっていくことだった。

それを見ていて、突然、母の言葉を思い出した。

結婚する前、母は私に言った。

「あの子は、ここぞという時に逃げる。ずるいところがあるよ」

当時の私は、その言葉を受け入れられなかった。

なぜなら私には、「この人は、いざという時には逃げない」と信じるだけの、大きな理由があったから。

まだ付き合っていた頃、大きな地震があった。

私の住んでいたアパートは大きな被害を受け、ライフラインも止まった。私は看護師国家試験を控えていた。

そんな中、彼は何時間もかけて私のところまで来てくれた。

そして、親戚の家へ避難できるようにしてくれた。

あの時のことを、私はずっと覚えている。

「この人は、いざという時には逃げない人なんだ」

「この人となら大丈夫」

その出来事は、私が彼を信じる大きな土台になった。

だから、母の言葉を聞いても、私は彼をかばった。

母がなぜそう思ったのかを知ったのは、離婚したあとだった。

父が癌になり、余命を告げられていた頃。私が一時的に実家へ戻ったとき、当時付き合っていた彼を父に紹介した。

私が席を外した間に、父は彼に、私とのこれからをどう考えているのか尋ねたらしい。

私たちはその時、付き合って四年ほど。私は24歳だった。

彼は、私が看護学校に通っていることもあり、すぐに結婚を考えているわけではないこと、そして、

「みっちゃんがどう考えてるかもわからないし」

と答えたという。

母には、その言葉が、自分の気持ちを自分の言葉で引き受けるのではなく、責任を外に置いているように聞こえたのだと思う。

そして今日。

二つの動画の言葉と、あの日の母の言葉と、結婚生活の中で起きたこと、離婚するときに交わした言葉が、一気につながった。

そして私は、泣いた。

信じていたものが、ひとつ崩れたから。

でもその涙のあと、不思議なくらい少しだけ心が軽くなった。

ずっと握っていたものを、ようやく手放せたから。

結婚生活の中で、私は何度も彼と話そうとした。

苦しいことも、しんどいことも、分かってほしいこともあった。

泣きながら話したこともあった。

でも、話を聞いてもらえないまま、彼が別の部屋へ行ってしまうこともあった。

少しずつ私は、話すことを諦めていった。

頼むことも減っていった。

頼んでも伝わらないなら、頼む前に自分でした方がいい。

ひとりでやればいい。

そんなふうになっていった。

彼が最初に私を疑ったとき、彼は話そうとした。

けれど私は怖くて、向き合うことから逃げた。

それまでの経験から、話し合いになれば私は論破されて、結局自分の気持ちをうまく伝えられない。

そんな怖さがあった。

そのことについて、私はずっと自分を責めてきた。

彼を傷つけた。

逃げた。

私が悪かった。

そう思っていた。

時間が経ち、自分のしたことを振り返り、今度は私から話したいと伝えた。

でも彼から返ってきたのは、

「その時期はもう過ぎた」

という言葉だった。

離婚の話し合いでも、彼は私と二人では話せないと言った。

私を信用できないから、誰かに入ってもらう。

そして示されたのは、

一緒にいるか。
別れるか。

二つの選択肢だった。

でも、私の中には四つの選択肢があった。

私は、どちらが正しいかを決めたかったわけじゃない。

勝ちたかったわけでもない。

彼に私の選択を押しつけたかったわけでもない。

私は、地図を広げたかったんだ。

今、私たちはここにいる。

だったら、ここから二人が安心して過ごせる道はないだろうか。

「この道はどう?」

「これは難しいね」

「じゃあ、こっちは?」

そんなふうに、一緒に探したかった。

逃げずに向き合って、お互いが居心地よく、安心して過ごせる選択肢を一緒に探したかった。

でも、地図は一人でも広げられるけれど、一緒に見ることは、一人ではできない。

離婚の話の中で、彼から言われた言葉がある。

「家を建てたのは、お前が建てたいと言うからローンも組んだ。子供だって、お前が育児も家事もするからという約束で、お前が欲しいと言うから作った」

あの頃の私は、その言葉をそのまま受け取っていた。

私が望んだ。

私が言った。

だから私が悪かった。

でも今振り返ると、私はあの言葉に、とても傷ついていたんだと思う。

もちろん、私にも至らなかったところはたくさんある。

彼を傷つけたこともある。

逃げたこともある。

それは今でも変わらない。

でも今日、初めて思った。

傷ついたのは、彼だけじゃなかった。

私も、それまでの時間の中で傷ついていたんだ。

私が話すことをやめる前に、私は話そうとしていた。

泣きながら、分かってほしいと伝えていた。

私が頼ることをやめる前に、私は頼ろうとしていた。

そして少しずつ、

「自分でした方がいい」

「ひとりでやればいい」

と思うようになっていった。

私が傷つけたことと、私が傷ついていたことは、どちらか一つではなかった。

あの二年前の記事を書いた時の私は、自分の至らなかったところを見る必要があったのだと思う。

あの頃の私には、それが必要だった。

でもあの記事を書いて二年経った今、ようやく、自分の痛みも拾っていいと思えるようになった。

ずっと自分だけに向けていた厳しい目を、少し緩めてもいいと思えた。

「家族が壊れたのは、私が悪かったから」

その言葉も、もう握り続けなくていい。

あの時の私は、あの時の私なりに、精一杯頑張っていた。

そしてもうひとつ、今日気づいたことがある。

私は彼を、少し美化していたのかもしれない。

でもそれは、彼との時間が全部嘘だったという意味ではない。

地震の時、何時間もかけて助けに来てくれたことは、本当だった。

一緒に笑った時間も、本当だった。

家族として過ごした幸せな時間も、本当だった。

不器用だったけれど、彼が私を愛してくれていたことも、今の私は分かっている。

そして、彼は私に、

「自分が変わらんと周りは変わらん」

ということを教えてくれた人でもあった。

落ち込んだ時、背中を押してくれたこともあった。

だから私は、信じていた。

一緒にいた時だけじゃない。

離婚したあとも。

出会ってから、30年近く。

心のどこかでずっと、

「この人なら、きっと」

と思っていた。

人には、一つの側面だけじゃなく、いくつもの面がある。

二年前の記事にも、私はそんなことを書いた。

今日、それをまた違う形で感じている。

優しかった彼も、本当。

逃げない彼を見たことも、本当。

私が傷ついたことも、本当。

彼を傷つけたことも、本当。

どれか一つだけを本物にしなくてもいい。

長女を亡くしたあと、彼は、それまで使っていなかったSNSにアカウントを作った。

私は偶然、そのアカウントを見つけた。

長女が使っていた裏アカウントからつながっていて、そこに書かれている内容を読んで、彼だと分かった。

次女も、そのアカウントを知っていた。

でも私たちは、彼には言わなかった。

そこが、彼にとって、普段言葉にできないことを吐き出せる場所なのかもしれないと思ったから。

次女は途中から、見ることをやめた。

私は時々、見ていた。

彼自身、何も分かっていないわけではないことを、私は知っている。

長女を亡くしてから、もうすぐ六年。

そこに書かれる言葉を見ながら、私は何度も思った。

いつか、この人が少しでも前を向けたらいい。

いつか、自分自身と向き合うことができたらいい。

少しでも楽になれたらいい。

私は彼を、救いたかったんだと思う。

私が彼の人生を決めたかったわけではない。

ただ、何かひとつでも、視点が変わるきっかけを渡せたらと思っていた。

「これから自分はどう生きていくのか」

「これから何を大切にしていくのか」

「この出来事を抱えながら、どこへ向かうのか」

いつか彼自身が、そこにたどり着けたらいいと思っていた。

でも夜勤中、ひとりで彼の言葉を見た時、ふと思った。

「ああ、今も彼は変わってないんだ」

そう感じた瞬間、涙が出た。

それは、彼が何も感じていないと思ったからではない。

彼が苦しんでいることも、後悔していることも、私は知っている。

ただ私には、その言葉が今も、過去と自分を守るところに留まっているように見えた。

そこに、

「これからどうする」

という言葉が見つけられなかった。

私は毎年、信頼している人に彼のことを鑑定してもらい、その言葉とブレスレットを彼に渡していた。

その人は、「こうしなさい」と答えを決める人ではない。

違う角度から見えるものを伝え、最後の選択は本人に委ねる。

それは、私が相談の仕事をするときに大切にしていることとも似ている。

以前、その人から聞かれたことがある。

「彼は変わらないかもしれない。変わるかもしれない。それでも信じ続けられる?」

私は、

「はい」

と答えた。

誰かに「信じなさい」と言われたからではない。

変わる保証があったからでもない。

変わらない可能性もあると分かったうえで、それでも私は、自分で信じることを選んだ。

鑑定を渡していたのも、彼に「こうしなさい」と伝えたかったからではない。

親しい人の言葉より、第三者の言葉だからこそ届くことがある。

自分とは違う視点に触れた時、人は初めて、自分の内側を見つめられることがある。

その言葉が、彼にとって何かのきっかけになればと思っていた。

そこから先、何を感じ、何を選ぶのかは彼自身だ。

私は次女にも、似たことをしてきた。

親の言葉だからこそ、届かないことがある。

でも、他人の言葉なら届くことがある。

私はそれを知っていた。

だから、私とは違う視点に触れるきっかけを渡した。

その先を決めたのは、次女自身だった。

そして次女は、自分で考え、自分で選び、自分の力で立った。

だから私は、彼にも同じように、何かのきっかけが届けばと思っていたのだと思う。

長女を亡くしたあとも、私はずっと願っていた。

いつか彼が、長女のことと、自分自身のことに向き合える日が来ればいい。

気づくことで、少しでも彼自身が楽になれたらいい。

毎年渡していたものにも、そんな願いを込めていた。

願いというより、祈りに近かったのかもしれない。

でも今日、思った。

もういい。

気づくかどうかも、向き合うかどうかも、彼の人生だ。

私が代わりにそこまで連れていくことはできない。

私はずっと、いつか家族として、もう一度つながり直せたらと思っていた。

でもそれは、夫婦に戻るという意味ではない。

今年三月に書いた『私の思う家族のあり方』に、私はこう書いている。

夫婦としての関係は終わった。
けれど、親としての関係は終わらない。

姉を失ってしまった次女がどちらに気兼ねすることなく行き来できること。
何かあったとき、どちらにも頼れること。

その安心を守れる関係でありたいと思っている。

そして、

形が変わっても、
そこに大切に思う気持ちが残っているなら、

それもまた、家族のあり方の一つだと思う。

私はもう、形だけで家族を測らない。

📖『私の思う家族のあり方』

私が願っていた「もう一度つながる」は、夫婦に戻ることでも、昔の四人家族に戻ることでもなかった。

それぞれが、それぞれの人生を生きる。

次女が父親にも母親にも気兼ねなく頼れること。

そして、それぞれの場所から長女を大切に思えること。

形は以前とは違っても、同じ時間を家族として過ごした人同士として、いつか穏やかにつながり直せたら。

それが、私が願っていた家族の形だった。

でも、その未来へ誰かを連れていくことも、私にはできない。

それぞれが、自分のハンドルを握るしかない。

次女は、もう自分の人生を歩き始めている。

優しい子だから、父親を支えているところもきっとある。

でも、父親の人生まで背負ってはいない。

次女は次女のハンドルを握っている。

なら、私もそれでいい。

私は私のハンドルを握る。

次女は次女のハンドルを握る。

そして彼のハンドルは、彼に返す。

私と次女が分かっていれば、それでいい。

二年前の私は、

「あの時の自分が今の私なら――離婚という選択肢は、なかったかもしれない」

と書いた。

今は、少し違う。

あの時の私が今の私なら、もっと違う向き合い方はできたと思う。

でも、それで離婚しなかったかどうかは分からない。

関係は、一人では作れないから。

今日、手放したのは過去じゃない。

「いつか」という未来を待ち続けること。

そして、あの頃の自分を責め続けること。

誰かを赦した日でもない。

何かを忘れた日でもない。

ただ、ずっと握っていたものを、そっと手放した日。

「もういい」

そう思った。

信じていなかったから、手放したんじゃない。

出会ってから30年近く。

「この人なら、きっと」

そう信じてきたからこそ、手放すことは痛かった。

長い間持ち続けた祈りだったから、涙が出た。

でも、その祈りを手放した手で、私はもう一度、自分の人生のハンドルを握ればいい。

あの時の私は、精一杯頑張っていた。

間違えたこともある。

傷つけたこともある。

逃げたこともある。

それでも、あの時の私にできることを、あの時の私は精一杯やっていた。

今日、ようやく。

それでいいと思えた。

そして少しだけ、心が軽くなった。

読んでくださった方へ

人との関係の中で、

「いつか分かってくれたら」

「いつか気づいてくれたら」

そう願いながら、長い時間を過ごすことがあります。

大切な人だからこそ、幸せになってほしい。

苦しんでいるのを知っているからこそ、少しでも楽になってほしい。

だから、何かきっかけを渡せたらと思うこともある。

でも、その人の人生のハンドルを握れるのは、その人だけです。

気づくことも。

向き合うことも。

変わることも。

そして、変わらないことも。

最後に選ぶのは、その人自身です。

だから、自分のハンドルは、自分で握っていい。

誰かを大切に思うことと、その人の人生まで背負うことは、同じではないのだと思います。

今日の私の「もういい」は、誰かを嫌いになった言葉ではありません。

長い間握っていた「いつか」を、そっと手放した言葉でした。

手放す時は、痛いこともあります。

それはもしかしたら、どうでもよかったからではなく、それだけ大切に握ってきたものだったからなのかもしれません。

でも、手放して空いたその手は、

もう一度、自分の人生のハンドルを握るためにあるのかもしれません。

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