
わからないのではなく、めんどくさいだけですよね?
もしかして、私は一生、つけまつげを上手につけられないのかもしれない。
であるならば、つけまつげという文化を破壊する方が、手っ取り早いかもしれない。
そもそもルッキズム的観点から言えば、つけまつげなんて無くても、問題ないはず⋯。
しかし、悲しいかな、ルッキズムとは、見た目に対しての言及を避けるという意味であって、見た目で判断されない社会ではないことに気づき、やはりつけまつげは必要だという結論に至りました。
こんにちは、ラメは盛れ派 りおです。
今回は、私が今まで生きてきた中で、ずっとモヤモヤしていたことについて、書いていこうと思います。
それは、こんなシーンで、よく発生するモヤモヤです。
「えー、わかんなーい。代わりにやってよー」(上目遣い)
「まったく、しょうがねーなあ」
私は、これまで幾度となく、似たような光景を目にしてきました。
そして、ずっとモヤモヤしていたのです。
あなたは、モヤモヤしませんか?
そのモヤモヤは、そのような態度にイライラしているだけなのか。
それとも、ネコをかぶれない自分は、もしかしてトラなのではないか。
どうりで、最近、お肉が美味しいわけです。
モグモグ。
あっ、ネコも肉食でしたね。
それは置いといて、最近、そのモヤモヤしていたことが、何なのかわかりました。
リーチ・ザ・ゴール!
それは、「わからないのではなく、めんどくさいだけなのでは?」ということ。
もっと言えば、自分でやるのはめんどくさいから、代わりに誰かにやってもらおうとしてるだけではないか? ということです。
分からないことを分かっていないと、分からないことは分からない(ドラマ『テミスの不確かな法廷』より)、って誰かが言っていた気がします。
松山ケンイチさん、めっちゃ良い演技ですよね!
と、話がそれました。
ここでは、わかりやすくするために、具体的な例として、私の経験したことをざっくりとお話します。
それは去ること、数週間前。
とある人「このチラシの日付変えて欲しいんだけど」
私「(えー、めんどくさー)あー、それはご自身で直せますよ」
とある人「やり方が、わからないんだよねぇ」
私「(小学生か⋯)簡単ですよ、前に送ったリンクをクリックして、ログインすれば、あとはパワポみたいな感じで変更できます」
とある人「そのメールが見つからないんだけど」
私「(見つからないんじゃなくて、探すのもめんどくさいんでしょ⋯)じゃあ、再送しますね」
とある人「IT詳しくなくてさ」
私「(そのパソコンは、ファッショですか⋯)以前はチラシをパワポで作ってましたよね? あれと一緒です」(にっこり笑顔)
と言った感じ。
この後、私は、使い方を手取り足取り千鳥足で教えました。
そもそも、メールを送った時に、自分で変更できると書いておいたのです。
でも、メールを読んでいないというか、正確には文面を見なかったことにしたんだろうなあーって思っています。
人間ですから、見なかったことにする、無かったことにするというのは、よくあることです。
私も、過去の恋愛遍歴が記憶を探っても出てこないで、たぶん、脳が気を利かせて無かったことにしてくれているのだと思います。
私の脳すごい。
話を戻しましょう。
私はこの時、思っていたのです。
人には得手不得手があるから、仕方ないのかなあって。
人はそれぞれ皆、能力も違えば、性格も違うし、考え方も違います。
適材適所! ビバ! 多様性社会! というわけです。
確かにそうなのですが、それは状況によって、間違っているのではないか? ということに気づきました。
私がチラシを作るのに使っていたのは、Canvaというインターネットサービスです。
無料版でも十分な機能を備えていて、パワポみたいな操作感で使えるのが特徴。
本当に、めっちゃ簡単なんです。
ぶっちゃけパワポより楽ちん。
でも、とある方は、それを使うことを頑なに拒否していました。
それは、なんでだろう? と、ずっと考えていたのです。
最初に考えたのは、年齢の問題。
歳を取ったから、新しいことは覚えられないというやつです。
あえて言いましょう。
それ、本気で言ってます?
だって、東京では、電車の中でタバコを吸っている人、見ないですよ。
新しいルールに、みんなちゃんと適用してますよね?
それって、新しいことじゃないですか?
タバコを吸う人にとっては、吸える場所が無くなるというのは、ライフスタイルが変わる大きな出来事だったはずです。
でも、みんな、ブーブー言ったかもしれないけど、新しいルールを守ってますよね。
えっ、それとも高齢者は、新しいことを覚えられないから、電車でタバコを吸っても良いってルールでしたっけ?
違いますよね。
だから、私、思うんです、年齢関係ないじゃないかって。
ちなみに私は、22歳、大学を卒業したばかりという設定なので、新しいこともちゃんと覚えることができます(Vサイン)。
次に、ITが得意じゃないという可能性です。
確かに、人間には得意不得意があると思います。
私は、アップルパイを食べるのが得意ですが、イソギンチャクを食べるのは得意ではありません。
いや、これは好き嫌いでした。
そもそも、得意不得意ってなんでしょうね。
得意なことって、2種類あると思っています。
まず、元からできてしまうこと。
たとえば、運動神経というのは、どうしてもDNAの影響があることは否めません。
もう1つは、経験を積んだことによってできること。
そのジャンルの知識や体験によって、経験値を上げ、レベルアップしたことで、人間は得意になるのです。
これって、当たり前のことじゃないでしょうか?
多くの人が、様々な経験によって得意なことを、獲得しているのではないでしょうか。
私は、IT関連の会社にいたことがあります。
あっ、もちろん、22歳なので、あくまでインターンという設定ですよ。
で、IT業界にいたからって、ITが得意だったわけでも、大好きで仕方がなかったわけでもありません。
好きなのは、お金持ちで、見た目がイケてて、私に優しくて、美味しいアップルパイをくれる人です。
じゃなかった、もちろんITが好きな人もいます。
けれど、私もそうですが、多くの人は、ちゃんと時間をとって勉強して、知識と経験を得ているだけです。
自分が興味のある技術だったら、結構楽しいこともあります。
でも、好きなこと以外の技術についても学ばなくては、仕事になりません。
なので、私は正直、勉強めんどくさいなーって思うことも多かったです。
でも、勉強しないと、IT業界の変化は速いので、置いていかれてしまいます。
気付いたときには、婚期を逃しているなんて、ザラですよね。
それは私だけでした。
あっ、いや、22歳だから、まだ婚期は逃していませんでした。
すいません。
そして、勉強というのは、仕事だけの話ではありませんよね。
私は、つけまつげを付けるのが苦手です。自分、不器用ですから。
これまで観たYoutube、Instagramのつけまつげ動画は、数しれず、膨大な時間を費やしています。
そのおかげで、昔に比べれば、圧倒的につけまつげをつけるのが上手になりました。
これは言ってしまえば、勉強と一緒です。
最近では、磁石を使ったつけまつげがあるので、noteで人気者になったら、絶対に買おうと心に決めています。
なので、好きボタンお願いします(にっこり笑顔)。
他の業界だって、やれITやら、やれAIやら、ロボットやらで、変化していっていますよね。
だから、新しいことを覚えないといけません。
というか、昭和の時代から、ずっと同じことを続けている人っているのでしょうか?
もちろん、すべてが変化しているとは言いません。
でも、同じことって、かなり少なくなっているのではないでしょうか。
私はアップルパイが大好きであることを公言して、はばかりませんが、もしかすると、10年後には、アップルパイが嫌いになっているかもしれません。
なので、今のうちに、たくさんアップルパイを食べて後悔しないようにと思っています。
モグモグ。
と、話がアップルパイになってしまいました。
でも、アップルパイって本当に美味しいですよね。
すいません。話を戻しましょう。
今の時代は、特にAIが流行っていますよね。
様々な作業を効率化してくれたり、今まで他の人にお願いしないといけなかったことが、自分でできるようになったり、本当に便利になりました。
今では、かなり多くの方が、AIを使っているのではないでしょうか。
使わざるを得ない状況と言えるかもしれませんが⋯。
ただ、変化に対応していかないと、弱肉強食の現代では、サバイブできません。
だから、勉強して、AIを使っているわけです。
それにしても、最近は本当になんでもAI、AIで、本当にそれAI? ってものまでAIと名付けているように思います。
なにせ、恋人だってAIの時代です。
AIの恋人は、私がどんな人間だったとしても、優しく接してくれます。
もう3年も既読無視されている人がいるのですが、AIの恋人だったら、3年も既読無視をすることはありません。
ちょっと忙しくて、連絡しなくても、ガチで怒ったりしません。
本当にAIの恋人って、都合の良い恋人だなって思います。
ただ、残念なことに、アップルパイを食べることができないのが、致命的ですが⋯。
ああ、また、変な方向に。
本線に戻りましょう。
つまり、現代においては、勉強をしていかないと、時代の変化についていけないということを言いたかったのです。
それは仕事でも、日常生活でもそうでしょう。
というか、そもそも、昔だってそうだったんですよね。
ただ、勉強する人と、勉強しない人がいただけで。
で、勉強するのって、エネルギィ(森博嗣風)が必要だし、時間も必要です。
何か言いたいのかと言うと、勉強しない人って、単に勉強するのがめんどくさいだけですよね? って話。
あなたは、勉強するのがめんどくさくないですか?
私は、めんどくさいって思ってます。
ていうか、勉強って、めんどくさいものじゃないですか?
もちろん、自分の好きなジャンルの勉強は、楽しかったりすることもあります。
でも、めんどくさいことの方が多いかなって。
ここで、私は気づいたのです。
あー、そうか、勉強するのがめんどくさいから、わからないって言うんだと。
つまり、わからないのではなくて、勉強したくないだけ、勉強するのがめんどくさいだけなんじゃないかなって。
勉強するのがめんどくさいのを、ただ、わからないって言葉で、オブラートに包んでいるのか、それとも隠蔽しようとしているだけなのではないかなって。
前にも書きましたが、勉強って、時間もお金も労力もかかります。
当たり前です。
もし、サクッとすべてを記憶でき、何でもできるなら、どんなに素晴らしいでしょう。
でも、普通の人は、それができません。
私もできません。
なぜか、恋人ができません。
じゃなかった。
結局、その時間とお金と労力がとても大きいから、めんどくさいって思うし、それを自分ではなく、他者に支払わせようとしているだけなのではないでしょうか。
歳を取ると、新しいことを覚えるのに時間がかかります。
だから、新しいことを覚えなくて良いのでしょうか?
違いますよね。
そもそも、人は能力に違いがあります。
得意なこと不得意なこともあります。
だから、苦手なことを覚えるのは時間がかかるものです。
何が言いたいのかというと、歳だけじゃなくて、能力の違いもあるのだから、歳を理由にはできないということです。
逆に言えば、能力についても同じことが言えるのではないでしょうか?
一方で、その時間やお金や労力を、すべての人が支払うのは効率が悪いという考え方もあります。
おっしゃる通り。
特に、仕事においてはそうですよね。
ただ、仕事においては、組織における適材適所であって、そのような方針を皆が理解し、合意しているからこそ、成り立つわけです。
日常生活においても、それぞれが得意なことをする方が効率が良いですよね。
そういう方針をお互いに理解し、合意しているなら、問題はありません。
でも、実際は、そうじゃないですよね。
ならば、であるならば、そうであるならば、「自分でやるのはめんどくさいので、代わりにやってもらえないでしょうか?」とお願いするのが、正しい言い方ではないでしょうか。
「わかんなーい」ではなくて。
もちろん、世の中にはがんばっても理解できないこともあります。
たとえば、量子力学とか。
にっちもさっちもいきません。
神はサイコロを振らない!って言いたくなるのもわかります。
字面では理解していても、しっくり来てません。
なので、本当にわからないことってあると思っています。
でも、大概のことは、時間とお金と労力をかければ、理解できることばかりです。
かかる時間とお金と労力の量は、人によって異なるでしょう。
だから、ジャンルによって、必要な量が大きいことがわかるから、めんどくさいって感じるのです。
でも、そのジャンルの知識や経験がある、そのジャンルが得意な人というのは、それだけ時間とお金と労力をかけています。
一瞬ですべてを理解したわけではありません。
何が言いたいのかというと、そうやって時間とお金と労力を費やして得たことに、ちゃんと敬意を払った方が良いのではないか? ということです。
これはあらゆることに言えるのではないでしょうか。
勉強というと、学問だけに思えるかもしれませんが、たとえば、料理だってそうです。
ファッションだってそう。
つけまつげのつけ方だってそうなのです。
最初から、つけまつげが上手につけられる人なんて、そんなにいないでしょう。
おそらく、たぶん、そうあって欲しいというのは、私の願望ですが、でも、男性だったら、どうでしょうか?
つけまつげ、バッチリつけられますか?
もし、失敗したら、つけまつげのつけ方を調べますよね?
それって、勉強なんです。
勉強というと、ちょっとかたい言い方かもしれません。
学習という言い方はどうでしょうか?
人は、学び、習得することで、成長していくのです。
学ばなければ、成長はありません。
ずっと停滞したまま。
風の向くまま、気の向くまま。
マ・マーのミートソースは、ずっと美味しいまま。
そして、今気づいたのですが、ママーじゃなくて、マ・マーって「・」が入るんですね。
勉強になりました。
と、停滞の話でした。
ずっと停滞していることって、ダメなのでしょうか?
停滞したままだって良いじゃないか! という意見です。
でも、ちょっと考えてみてください。
停滞するということは、変化しないということで、つまり、何もしないことです。
SNSを観たり、ドラマを観たり、映画を観たり、マンガを観たりするのは、何かしていることになってしまいます。
なぜなら、そこから人間は勝手に何か知識を得て、変化しているから。
学んでいるのです。学んでしまっているのです。
人間というものは、そうやって脳に何か情報を送り込んでいないと、居ても立っても居られない生き物だったりします。
では、なぜ、SNSやドラマ、映画、マンガを観てしまうのか? と言えば、単純に、量子力学を学ぶよりも、情報量が少ないからです。
情報量が少ないから、脳が処理をしやすいと言えます。
ただ、それだけなのです。
脳が処理しやすいというのは、言ってしまえば、それまでの経験や体験の積み重ねでもあります。
そのジャンルについての知識があるから、新しい知識が増えたとしても、脳が処理する量が少ないのです。
しかし、まったくそのジャンルの知識がないと、知識の土台から学ばなければいけません。
つまり、時間とお金と労力をかけないといけない。
それが、めんどくさいってことです。
だって、Youtubeには、量子力学の動画とかもたくさんあります。
でも、動画だからって、誰も彼もが観るわけではないですよね?
その分野の知識がある程度ないと、そもそもおすすめに出てきても、タップすることはありません。
動画だから、観るわけではないのです。
脳が処理する情報量が少なくて済むから、選んでいるだけなのです。
その方が、楽だから。ラクダから?
ラクダから、何か書こうと思いましたが、話がそれすぎるので、やめておきます。
まとめると、「わからないのではなく、知識を習得するのにかける時間、お金、労力を支払うのがめんどくさいから、勉強したくないから、わからないという言葉を使って、他者にやってもらおうとしているだけ」なんだろうなーってことです
さて、私は、このことに気づいてから、わからないという言葉を使う時に、自分に問いかけるようにしています。
私は、本当にわからないのか?
ただ、めんどくさいだけじゃないのか?
と。
この結論に至り、私は先日、
「このネット申請のやつ、俺、よくわかんなくてさ、ちょちょっとやってよ。りお、得意でしょ?」
「それってさ、わからないんじゃなくて、めんどくさいだけでしょ? 私だって、得意じゃなくて、いろいろと勉強したの。あんたも自分で勉強して、自分でやってよ」
って、思わず言ってしまいました。
ザ・ワールド!
きっと、誰かが唱えたのでしょう。
時が止まった中で、私は思いました。
あー、こういうことを言っちゃうから、独りなんだなあーって。
私、めっちゃ、めんどくさい人になってるかもかもかもかも⋯。
遠くで、聞こえる祇園精舎の鐘の音は、京都じゃなくて、インドの話なので、きっと幻聴なのです。
しくしく。
※このエッセイはフィクションです。実在の人物とは一切関係が無いと思ってください。関係があったとしても、それは、偶然の一致であり、あくまで事実を参考に、思い浮かんだことを、筆の赴くままに書き綴っただけであることを、ここに宣言しておきます。