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アイノグラス《11》

    いっくんに迎えに来てもらったあの日以来、わたしの日常は変わった。

    スタバで夕飯を食べるのはやめて、仕事帰りにいっくんを誘って五右衛門に行くようになったのだ。

    お腹が空いてるわたしはいつも「明太子と辛子高菜の博多風パスタ」の大盛りを注文して、遠慮なく食べる。
    いっくんはそもそもパスタというモノはそんなに好きじゃないらしいけど、わたしがしつこく五右衛門を推すので付き合ってくれている。

    わたしたちは二週間に一回くらいの頻度で会う。

    明太子と海苔のからんだ麺を頬張りながら、その日あったくだらないことや、最近考えていることを話すのだ。いっくんはわたしの長い話に飽きずに相槌を打ってくれたり、たまに真面目に反論してきたりして、話は尽きない。

    恋愛する、しない、という選択肢をすぐに突きつけない関係性。
    どうでもいい話でお腹が痛くなるほど笑ったり、真面目なことをちゃかさないで話せる関係性。

    やわらかな水の中で手をつなぐような、そんな間柄が、こんなにも心地よいものだとは知らなかった。

    思い返してみればわたしは、湊斗くんとはほとんどまともに話しをしたことがなかった。湊斗くんの好きな色、尊敬する人、幼い頃になりたかった職業さえなにも知らないまま、ただ夜だけを一緒に過ごしていたのだ。
    湊斗くんは今頃別の子を抱いてると思うけど、わたしにはもうなんの関係もない。湊斗くんと別れたおかげで心の平穏が訪れたから、彼には「ありがとう」と「永遠のさよなら」しかない。

    一方マミナはというと、無事出産したという連絡があった。
    桜が散ってみずみずしい緑が芽吹く季節に生まれたのは、可愛い女の子だ。でも、思わず声が出るほど驚きの報告がマミナからあったのは、出産報告から約三ヶ月が経ったある日のことだった。

    【凛音ちゃん、久しぶり!元気!?】
    【旦那と離婚して東京の実家に帰ってきたから、あそぼー!】

    池袋にある実家で再会したマミナは、白いコットン生地のゆったりしたワンピースを着て、生まれたばかりの赤ちゃんを膝に抱いていた。
    わたしは感激して叫んだ。

    「ひゃあ〜、かわいいー!」

    赤ちゃんの顔はマミナに似て、全部のパーツが控えめでバランス良くまとまっていた。グーの形に握った手はまるまると膨らんでいる。わたしが指先でおそるおそる触れてみると、生まれたての肌はやわらかく弾んだ。

    「うぅ、たまらんっ」
    「ねっ、本当にもちもちだよね、赤ちゃんの肌って!」

    つい先週離婚届を出したばかりというマミナは、晴々とした顔をしていた。多少疲れてはいるものの、前よりも目鼻立ちがすっきりとして、憑き物が落ちたみたいに綺麗になっていた。

    「宮本さんいい人だと思ったんだけど、釣った魚には餌やらないタイプだったんだよね」
    「あー、それは嫌だね」
    「出産がんばった記念にブランドバッグ欲しいって言ったら、そんな高価なものいらないだろってキレられた」
    「うわぁ、女性の存在のありがたみを1ミリもわかってない発言」
    「ほんとそれ。でもさすがにこんなに早く離婚するとは、自分でもびっくり!」

    マミナはけらけら笑っていた。
    多くの人は離婚したら辛い心境になりがちなのに、マミナは本当にさっぱりした様子だった。ここでもやはりいっくんの予言は当たっていた。わたしと同じく彼女も、結局は男に従うことができない「ジャジャウマ」なのだ。

    「娘の親権は渡せって元旦那にかなり迫られたんだけど、断った。だってオムツの替え方もわかんないやつに子供育てられないと思ってさぁ」
    「それはたしかにそう」
    「私もともとは子供キライなんだけど、生まれてみたらやっぱり可愛いし」
    「うん」
    「離婚はしたけど、うちのお母さんとお父さんも孫と一緒にいられるし、今すごく親孝行出来てる気がするんだ。うちの両親、子ども大好きだからね」

    マミナは娘の顔をのぞきこみ、楽しそうにあやしている。マミナの横顔は、雨上がりの葉っぱのうえの澄んだ水滴みたいに綺麗だった。ジャジャウマくらいの馬力があれば、聖母にだってなれるのかもしれない。

    「そういえばターキチにも、東京に帰ってきたよって連絡したんだ」
    「そうなんだ。会ったの?」
    「ううん。出産おめでとうって言ってくれたけど、会ってはいない」

    マミナは、元カレ・ターキチとの今後の関係は特に決めてないみたいだった。会いたければ会うし、会いたくなければ会わないだろう。それがマミナだ。

    「そういえばターキチ、ドラマのオーディションに受かって今度テレビに出るらしい」
    「そうなの?!よかったね!」
    「まあモブの役だけどね」

    ふふ、とマミナは自分のことのように嬉しそうに笑った。彼女も彼女なりにターキチの幸せを願っているのだ。

    「凛音ちゃんは最近、イケメン出てきた?」
    「うん、出てきたと思う」
    「いいね。イケメンで、カネも持ってたら最高だね」
    「お金は普通だと思うけど、話せるって素晴らしいなって」
    「え?凛音ちゃん、それどういう意味」
    「恋愛するにしても、ただの恋愛以上の関係じゃないとダメだってわかったの」

    何それ、どういうことー?とマミナは首をかしげている。
    マミナの腕のなかでニコニコする赤ちゃんと目があって、わたしは微笑んだ。

    いっくんの大きな背中につかまっていたら、ひび割れた「器」のことなんていつしか忘れているだろう。
    彼には、きっとそういう力がある。

    わたしと彼は「親友」になるか、それともいつか「恋人」や「夫婦」と呼ばれるか。

    あるいはまだ誰も見たことのないような、「この世でたったひとつの奇跡みたいな関係」になるか。

    愛の形はひとつじゃないから、今は、ゆっくり一緒にいたいと思っている。


    〈了〉


     
     
    おとなの味がする恋愛小説を書いています。 物書きのお友達がほしいので、お気軽に話しかけてくださいー!

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