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囚われのゴーストライターは復讐の御曹司に暴かれる 第八話

    「楓ちゃんのお父さんって人を殺したんだって」
    「違う……!」
    「ネットで見たけどこれ本当? お前殺人犯の娘なんだ。もう話しかけないで」

    そんな……やだ……!一人にしないで。

    「待って……っ!」

    切羽詰まった自分の声で、ハッと目が覚めた。

    勢いよく体を起こし、周りを見回せば、見慣れた自室だった。どうやら帰り着いてから、そのまま泥のように眠ってしまったらしい。極度の寝不足が続いていたせいか、深く眠れたおかげで、体が軽い気がする。

    だけど嫌な夢のせいで、額には汗が滲んでいた。

    「なんでこんな夢……」

    窓の外は真っ暗で、時計を見ると夜8時を過ぎていた。もはや日付の感覚すら曖昧だ。

    ふと枕元にあったスマホに手を伸ばすが、暁人からの連絡は入っていなかった。あれだけ激昂していたんだ、無理もない。

    「お腹すいた」

    ベッドからゆっくり立ち上がると、キッチンへと向かう。今から料理を作るのも億劫で、戸棚から適当なカップ麺を取り出し、ケトルに水を張った。

    そう言えばこの土日、文章を一文字も書いていない。こんなこと、一体いつぶりだろう。そんなこと考えながら、トクトクと沸いたお湯を注ぐ。

    暁人は今頃原稿を書いているのだろうか。このまま必要ないと判断されたら、私はまた一人ぽっちになってしまう?

    重たい過去を持つ私を、必要としてくれたのは暁人だけ。その事実は今も変わらない。

    「あ、やば……!」

    考え事に気を取られ、カップ麺の縁ギリギリまでお湯を入れてしまった。

    「満タンにしちゃった」

    情けない声が静かな部屋に響く。

    その直後、ヴーッと、着信を知らせるバイブレーションが鳴った。画面に表示された名前に息を呑む。暁人からだった。 恐る恐る通話ボタンをタップする。

    「も、もしもし」
    『反省した?』
    「え?」
    『今回のことはもういいよ。忘れよう』

    拍子抜けするほどあっさりとした声色に戸惑う。暁人は気にした様子もなく続けた。

    『でさ、父さんが楓に会いたいって。明日の夜、飯でもどう?』
    「え? お父様が?」
    『あぁ。7時にいつもの料亭に来てくれる?』
    「わかった」

    そう返事をすると、電話は一方的にプツリと切れた。あの成瀬和人先生が私に会いたいだなんて……。いったいどうしたんだろう。真っ暗な画面を見つめたまま、呆然と立ち尽くす。

    これまでも食事に誘われることはあったものの名指しで「会いたい」なんて言われたことはない。普段は暁人との打ち合わせがメインで、私は付き添いに過ぎない。

    御馳走を食べさせてもらい、憧れの成瀬和人先生の話を直で聞けて、私は天にも昇るような気持ちでその時間を楽しんでいたが、今回はなんだか違うようで緊張してしまう。それに、暁人との問題も何も解決もしてない。

    「はぁ……気が重い」

    すっかり伸びてしまった麺を心痛な面持ちですすった。

    ***

    昨日の出来事が頭から離れない。葉山楓は、なぜあんな横暴な男と付き合っているのか。

    痛がっている彼女を無理やり引っ張り回し、自分の都合で振り回しているようにしか見えなかった。あんな器の小さい男のどこがいいというのか。

    鏡の前でネクタイを締めながら、心の中で盛大に毒づく。結び目をキュッと首元まで引き上げたとき、部屋のドアをノックする音が聞こえた。榊だ。

    「響生さん、おはようございます」
    「ああ、おはよう」
    「車の位置が変わっていましたが、週末にお出かけになられたのですか? 響生さんご自身で運転されるなんて珍しい。右ハンドルは運転しにくいと仰っていたのに」
    「まあな。ちょっと色々とあって」
    「色々、とは?」

    榊が興味深そうに俺の顔を覗き込んでくる。彼がこの顔をする時は意外としつこいことを、俺は経験上よく知っている。仕方なく週末の出来事をかいつまんで話すと、次第に榊の口元が緩んでいくのがわかった。

    「なるほど。つまり、酔い潰れた葉山さんを担ぎ、この家にお泊めになったと。あらあら、随分とお優しいことで」
    「道端に捨てていくわけにはいかないだろう。不可抗力だ」

    むっとして否定するも、榊はどこかにやにやしている。こっちに言わせれば俺は被害者だ。挙句の果てに痴話喧嘩にまで巻き込まれる始末。今日出社したら、あの女を盛大にこき使ってやる。

    「その上、喧嘩の仲裁まで。響生さんがそこまで世話焼きだとは存じませんでしたよ」
    「だから、すべて不可抗力だと言っている」

    凄みを効かせてぴしゃりと言い切ると、榊が隠さずにクスッと笑った。何がおかしい。

    そういえばあの男、『俺が誰だか分かって言ってるのか』などと豪語していたが……知るか。どうせ、ポッとでのベンチャー企業の社長か、自称クリエイターかなんかだろ。

    だとすれば、なぜ葉山楓のような地味な凡人と付き合っているのか。そこがまた不自然だ。やはり葉山楓は、何か大きな秘密を隠している。そう疑念を抱かざるを得ない。

    「ですが、昔から変わりませんよね。葉山さん。あの従順というか、いじらしいほど素直なところは」

    榊の言葉に、ふと昔の記憶が脳裏を過る。素直、か……。確かに、幼い頃から店でかいがいしく親の手伝いをしていた姿が目に焼き付いている。

    両親に連れられて数回行っただけだというのに、狭い店内をちょこまかと動き回っていたあの小さな後ろ姿を、俺は今でも鮮明に思い出せた。

    ◇◇◇

    二十年前。両親に連れられ、俺は葉山楓の父親が営むしがない街中華に何度か足を運んだ。

    俺の父は実力一つでのし上がり、高良家の令嬢である母に見初められて婿入りした男だ。富と名声を手に入れた後も、父は自身を育てた下町の気取らない空気を愛していた。

    中でも葉山楓の親父が作る昔ながらのラーメンは、若き日に母と初めてデートした時や、仕事の成功を祝った時の思い出の味――父にとって特別な「原点」だったらしい。

    大企業の跡取りがうらぶれた街中華に出入りするなど、祖父母が許すはずもなく、俺たちはいつもお忍びでその店に通っていた。

    「いらっしゃいませ。ご注文は」

    ある日、俺たちのテーブルにちょこちょこと歩み寄り、お冷を配り始めた六歳くらいの女の子。それが、葉山楓だった。

    くりっとした大きな目に、色素の薄い柔らかな髪。愛らしいその姿を、両親は目を細めて見守っていた。

    「お手伝い? えらいわねえ」
    「うん。早く終わらせて、お父さんに絵本を読んでもらいたいから!」
    「まあ、可愛らしい」

    母が口元に手を当ててふふっと笑い、父も釣られるように相好を崩す。だが、当時の俺はそんな彼女を仏頂面で眺めていた。子どもが手伝いなど、足手まといで邪魔なだけだろう。生意気にもそんな歪んだ感情を抱いていたのだ。

    しかし、テーブルに並んだ料理は、俺の捻くれた感情をあっさりと裏切った。家の専属シェフが作る高級料理の方が美味いに決まっている――そう高を括っていた俺でさえ、その小汚い街中華の味には舌を巻いた。

    何度か通ううちに、俺もすっかりその店のファンになっていたのだ。

    そんなある日。食事を終えて席を立とうとした時、葉山楓が小走りでこちらへ寄ってきた。

    「これ、どうぞ!」

    短い腕を一生懸命に伸ばし、彼女はテーブルの中央に小さな器をコトリと置いた。

    「響生くんにって、お父さんから。杏仁豆腐だよ。すっごく美味しいよ!」

    満面の笑みでデザートを勧めてくる葉山楓を見た瞬間――ドクン、と心臓が大きく跳ねた。

    「よかったわね……って、あら、響生。お顔が真っ赤よ?」

    動揺する俺を、母がおかしそうにからかう。

    「あ、赤いはずないだろ! それに、俺は決められた時間にしかデザートは食べないんだ」

    ふいっと顔を背け、杏仁豆腐を手で突き返す。

    「そうなの? お金持ちってたいへんだね」

    肩を落とし、悲しげに眉を下げるその姿に胸がチクリと痛んだ。そんな顔するなよ。俺が悪いみたいじゃないか。

    「じゃあ、お父さんに返してくるね」
    「ま、待て。出されたものを残すのはテーブルマナーに反するって、マナー講師が言ってた。し、仕方なく食べてやる」

    苦し紛れの言い訳に、葉山楓はぱぁっと顔を輝かせた。

    「本当? よかったぁ!」
    「……っ、」

    そんなに俺に食べてほしいのか? なんでだ? まさか……俺のこと、好きなんじゃないのか!?

    幼い頭にそんな思考がぐるぐると渦巻き、ツルッとした冷たい杏仁豆腐がちっとも喉を通らない。おまけに両親も葉山楓もニコニコと俺を見つめていて、よくわからない羞恥心で憤死しそうだった。

    その日を境に、店に行くたび俺は葉山楓と話すようになった。お互いの学校のこと、習い事のことなど、他愛のない会話を楽しんだ。それなのにあの女……。再開しても、俺のことを一ミリも覚えていなかった。

    ◇◇◇

    「……初恋をこじらせている自覚は、おありなんですね」

    唐突に投げかけられた榊の言葉に我に返り、俺は彼をギロリと睨みつけた。

    「誰が初恋をこじらせているだ。俺はあの女を徹底的に苦しめなければ気が済まないだけだ」
    「そうですか、そうですか」

    榊はすべてを見透かしたような顔で、クスクスと肩を揺らして笑っている。こいつ……上司である俺を笑うとは。いつか絶対に埋めてやる。

    「無駄話はお終いだ。いくぞ」
    「はい、響生さん」

    まだ口元に微かな笑みを残している榊を鋭く一瞥し、これ以上の追及を無理やり断ち切る。

    テーブルの上に置いていたスマホを手に取り、画面に通知がないことを確認してからポケットへと滑り込ませると、榊を従えて足早にエントランスへと向かった。

    会社に着くと、ゲートをくぐり、エレベーターホールに向かう。月曜日ということもあり、すれ違う社員の顔はどこか浮かない。

    「榊、今日の予定は」 エレベーターが到着するのを待ちながら、榊に尋ねる。榊はタブレットに目をとしたまま、淡々と告げた。

    「本日は午後から経営会議のあと、海外支社とオンライン会議。16時より、財界のレセプションパーティーへのご出席となっております」
    「パーティーか……」

    その言葉を聞いて気が重くなる。 海外ではフランクに酒を交わしながらも、互いの実力を見極め、ビジネスの核心を突く有意義な会話ができる。

    社交や交渉の場として機能しているというのに、日本のそれは違う。 古臭い権力者たちが互いの腹を探り合い、無難な建前で機嫌を取り合うだけの息苦しい空間だ。

    そんな非生産的な場所に何時間も縛り付けられることを想像しただけで、ネクタイを締め直した首元が、急に窮屈に感じられた。

    打算的な笑顔に囲まれるくらいなら、あの不器用で鈍感な部下をからかっていた方がよほどマシだ。

    「すみません、乗りますっ」

    エレベーターのドアが閉まりかけた直前、焦ったような声と共に一人の女性が飛び込んできた。今まさに頭の中に浮かんでいた相手――葉山楓だ。

    「ありがとうございます。すみませ……あっ」

    周囲にぺこぺこと会釈をして顔を上げた彼女は、俺の存在に気づくと、驚いたように目を丸くした。

    「部長……おはようございます」
    「おはよう」

    げっ、とでも呟かれたらどうしてやろうかと思ったが、なんとか堪えたらしい。

    それにしても、なんだか今日は雰囲気が違う。シックな黒のワンピースに、髪も綺麗にまとめられている。勤務後に何か予定でもあるのだろうか。狭い箱の中でしげしげと彼女を見下ろしていると、葉山楓が「あの」と小さく口を開いた。

    「この前は、ありがとうございました」
    「ああ、構わん」

    他愛のない会話を交わしたところで、彼女はサッと視線を外し、真っ直ぐドアの方を向いてしまった。こういう他人行儀な態度が、無性に気に食わない。

    どうして俺のことを忘れている。どうにかして、その口から「あの時の響生くん!?」と言わせてやりたくなっている自分がいる。俺ばかりが覚えているのが癪で、もはや意地だった。

    「……杏仁豆腐は好きか」

    ぐるぐると渦巻く思考の果てに、唐突に口をついて出たのがその言葉だった。一瞬にして周囲の社員たちの視線が俺に集中したが、皆すぐにきまり悪そうにパッと目を逸らす。葉山楓だけが、きょとんとして俺を見上げていた。

    「え? 私、ですか? 好き、ですけど……」

    たどたどしい返答をしながら、開いたドアから彼女は自分のフロアへと降りていく。せっかく最大のヒントを与えてやったというのに、この女、まったくピンときていない様子。

    俺は迷わず、彼女の背中を追うように同じフロアへと足を踏み出した。榊が背後で肩を揺らしているが、俺はいたって真剣だ。

    「ぶ、部長? あの、ここは私の部署のフロアですが……」

    役員階に向かうはずの俺が降りてきたことに驚き、オロオロと戸惑っている。そんな彼女を見据えたまま、腕組みをし口を開く。

    「今日の夜、9時頃、あいてるか?」
    「え? 今日ですか?」

    大きな瞳をパチクリさせ、驚いたように俺を見上げる。9時頃ならパーティーからも解放されているはず。杏仁豆腐を食わせて、なんとしても思い出させたい。だが返ってきた返事は、俺の意図と反した。

    「今夜はすみません、外せない予定がありまして……。また資料まとめなどでしたら、指示くだされば明日やります」
    「なっ、ば、ちが……ッ」

    葉山楓の見当違いの返答に思わず天井を仰ぎ、両手を大きく広げ、アメリカ仕込みのオーバーリアクションを繰り広げる。

    なんで業務指示だと思ってる。この鈍感め!

    「始業時間なので、これで失礼します」

    恭しく一礼すると、葉山楓は総務部へと入って行く。その華奢な背中を見つめていると、榊がこそっと進言する。

    「響生さん。もっとストレートにお誘いしないと、気づきませんよ。これだから恋愛初心者は。それに、夜遅くに女性を誘うのはいささか非常識です」
    「う、うるさい! お前は黙ってろ」

    顔を熱くさせながら、吐き捨てる。思い出させる以前に、ただの面倒くさい上司としか認識されていない気がする。

    小中学校を飛び級し、かつては天才児と呼ばれた俺の完璧な頭脳が、葉山楓の前ではまったく役に立たない。しかも夜には予定があるだと?

    あの気合の入った装いを見る限り、ただの用事ではない。男と会うつもりなのかもしれないと思うと、急に腹の底から苛立ちが込み上げてきた。

    ……くっそ!

    上司の仮面の下で盛大に毒づきながら、俺は再びエレベーターへと乗り込んだ。

    ***

    仕事を定時で上がると、会社を後にする。だがその足はやや重たい。

    暁人との約束がこんなにも億劫になるのは、初めてだ。振り返ればここ最近の暁人の態度は、日に日に横柄になっていた気がする。一緒に小説を書き始めた頃は他愛のない話で笑って、たくさん話をしていた。

    それなのに、今では作品を媒介にしなければ会話もない。暁人にとって私は、都合のいい執筆マシーンでしかないのかもしれない。

    誰も知らない、二人だけの秘密のカンケイを終わらせたいと言ったら、暁人はなんて言うだろう。もちろん、今日同席する成瀬和人先生だって知らない。

    「楓!」

    指定された料亭前に着くと、暁人が店の前で待っていた。お店のエントランスは打ち水がされた石畳と、行灯のあたたかい光が灯っていて、暁人はそれを背景に、愛想のいい笑みを浮かべ手を振っている。

    いつも遅れてくることが多いのに、珍しいこともあるものだ。

    「仕事お疲れ。来てくれてありがとう」

    爽やかにそう言って近づいてくる暁人。部長を巻き込んであんなことがあったというのに、それを気にしている様子はない。

    「今日は早いんだね」

    何となく目が合わせられなくて、足元に視線を落としたままつぶやく。

    「まぁなんていうか。誤解されたままだったし、その件を先に話したいなと思って」
    「誤解……」
    「ほら、吉村さんのこと。彼女とは本当になにもないから。ただの仕事のパートナー。たまたま寝室で話し込んじゃったけど、あのあとすぐ帰ったし。信じて」

    珍しく必死に弁解する。そんなに私が離れて行くのが怖いの? 執筆してくれなくなるから? それとも、一人の女性として大事に思ってるから?

    喉元まででかかっているのに、なぜか詰まったように出てこない。

    「最近二人で出かけたりしてなかったしさ、週末デートしようか? 楓、どこいきたい?」
    「別に……特には」
    「遠慮するなよ。金ならあるんだし、たまにはパーッと遊ぼう」

    手振り身振りを交え、あからさまに私の機嫌を取ろうとしている。

    少し前までの私だったら、きっと喜んでいただろう。でも今は、彼の隣を歩いて笑っている自分が想像できない。

    「楓? 聞いてる?」
    「じゃあ……少し、休みたいかな」
    「え? 休みたいって、どこか泊まるってこと?」
    「違う。小説書くのを」

    ぼそっと蚊の鳴くような声で言えば、暁人の顔からスッと表情が抜け落ち、徐々に引きつっていくのがわかった。

    自分でもまさかそんな台詞が出てくるとは思わなかった。自覚している以上に、心はすでに限界だったのかもしれない。

    「な、何言ってるんだよ。休むって……」
    「ちょっと疲れちゃって。ここ数日何も書いてない日が続いてて、それが妙に嬉しくて。自分の時間も大事にしたいなって」
    「バカ言うなよ! じゃあ誰が書くんだよ!? スケジュール詰まってるんだぞ? そのくらいわかってるだろ!」

    夜の静寂を切り裂くような怒声。先程までの甘い声は消え失せ、焦燥と苛立ちを露わにした彼がそこにはいた。

    「暁人が書いて。仕事も忙しいし、私もうできそうにない」
    「仕事って……。誰にでもできる事務だろ? 何が仕事だよ。だいたい今さらそんな理屈が通用すると思ってるのか!? 今辞めたところで、お前も共犯なんだからな! 犯罪の片棒をかついでるんだぞ!」

    頭上から容赦なく暴言を浴びせかけられ、体がすくむ。暁人にこんなふうに激昂されたのは初めてで、恐怖で喉の奥がひゅっと鳴った。

    「だいたい俺が目をかけてやらなかったら、お前は今も一人ぼっちのみじめな人生を送っていたはず。本が売れて、評価されて、犯罪者の娘のくせに、俺のお陰でいい夢みられただろ?」

    犯罪者の娘……。その言葉が、頭の中でリフレインする。

    「楓を必要としているやつ他にいる? 俺以外いないだろ。俺らは二人で一つだ。ずっと手を取り合って生きてきたじゃないか。それを自ら手放すのか? 俺はこれからも楓といたい。結婚だって考えてる。父さんにもそう伝えてる。だから辞めるなんていわないでくれ」

    怒っていたかと思えば、今度は私の手を握り、すがるような目を向けてくる。
    「頼むよ楓」と泣きそうな顔で訴えかけられ、もう私の心はぐちゃぐちゃだ。

    孤独は嫌だ。それだけは、混乱する頭でもわかる。孤独の殺傷能力がどれほどのものか、私は知っている。昨日まで頭を撫でてくれていた近所の人々から冷たい目を向けられ、学校でも「犯罪者の娘」として透明人間のように扱われた。

    誰とも言葉を交わさない日々が何か月も続き、声の出し方を忘れるほどの圧倒的な孤独。社会全体から「お前は存在してはいけない」と否定され続ける絶望感。自分には生きている価値がないと、心が完全に壊れかけた日々。

    今はあの時と違って、仕事もあるし仲の良い同僚もいる。だけど、ゴーストライターだと告げたら? 犯罪者だと、瑞希も離れていく? 私を透明人間にする? 

    トラウマが蘇り、冷たい汗が背中を伝う。

    「昔行きたいって言ってたディズニーにも連れてってやる。海外だって。だから辞めるなんて言うなよ」
    「……」

    それは昔の話。どれも曖昧にされ、結局叶っていない。暁人はずっと執筆優先、自分の都合優先だった。

    最初は二人で一緒に書いて応募しただけだった。それがたまたま大賞をとり、デビュー。

    担当編集には正直に話した方がいいのでは?と言ったが、暁人は

    『正直に話したら受賞を取り消されるかもしれない。内緒にしておこう。だけどこの作品は間違いなく俺たち二人のもの。これからもずっと一緒にやっていこう』

    そう力説した。

    孤独だった私は、そんな彼の言葉に都合よく丸め込まれてしまった。自分を必要としてくれる「居場所」を失いたくなかったのだ。

    けれど、事態はだんだんとエスカレートしていった。最初は共同作業だったはずが、いつしか私がすべての原稿を書くようになり、気づけば完全なゴーストライターになっていた。

    読者を、出版社を騙している。耐えきれずに「打ち明けよう」と言うたび、彼は『今さら言えば詐欺になる。お前も犯罪の共犯者だぞ』と私を脅し、縛り付けた。

    そうして泥沼に足を取られ、もう自力では抜け出せなくなっていた。

     
     
    小説家・漫画原作者です。 「月と夫婦は満ちれば欠ける(集英社)」「俺様外科医の溺愛包囲網(双葉社)」「10000いいねのカラダ」など連載中。

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