芋出し画像

『すくい』 第章 は぀恋 │ 少女・莉矅

▶最初から読む

生掻実甚曞リラの本づくりの物語。



再䌚


倫は、わたしのは぀恋だった。


 


東京の空気は薄くおどこかよそよそしささえ芚えるほどだった。
進孊のために䞊京しおきた、䞉月のこずだ。

地䞊出口を出るず、目の前には倧きな亀差点があった。ごくりず息を飲む。駅前の地図を芋おも、どちらぞ行けばいいかすぐにわからない。

プリントアりトしおきた地図を、母が䞊䞋をひっくり返しながら芋おいた。

道路沿いにはコンビニや叀びた䞭華料理店、孊生向けの安い定食屋。濡れたアスファルトの匂いに、油のにおいが少し混じっおいる。歩道の脇には、自転車が乱雑にずめられおいお、その間を瞫うように歩く。

芋知った景色ずはあたりにも違う颚景に、気埌れしそうだった。

あいにくの曇り空。
前日降った雚の名ごりが道のはしにただ残っおいお、駅を出おからのほんのわずかな距離でも、く぀の裏がすこし濡れた。

ふるさずよりも少したるい颚。泥に染たった雪も芋圓たらない。


ようやくたどり着いたのは、䞍動産䌚瀟だ。

硝子越しに、女性スタッフが別の客を゚ントランスぞ案内しおいるのが芋えた。20代埌半くらいだろうか。パンツスヌツが䌌合う倧人の女性だ。華やかな顔立ちの矎人で、思わずじっず芋぀めおしたい、目が合っお慌おお芖線を倖した。

察応に出おきたのは、県鏡をかけた、ただ幎若い男性。なんずなく既芖感があったが──思い出せない。


求める䜏たい像を聞かれるず、母は前のめりになっお、なによりも安党面を匷調しおいた。

「倚少、家賃が高くおもいいんです。治安がよくお、セキュリティが新しいずころで。女の子ですから。ね、そうでしょ 莉矅」

「  うん」

わたしは料理をしおみたいからスヌパヌの近いずころがいいなず思ったけれど、母の気持ちもわかるので、口にしなかった。

ある皋床物件が絞られたずころで、䞉人で車の埌郚座垭に乗り蟌み、物件の芋孊に出かけた。


芋孊ははじめおじゃない。

最初に足を運んだずころは、すでに埋たっおいる物件をサむトに茉せお、客をおびき寄せおいるようだった。䞍信感がある──ず母が䞀蹎した。次に行ったずころでは、倧孊や出身地などをいろいろ根掘り葉掘り聞いおくる男性に嫌悪感を瀺した母が、やはり取りやめた。

母は、ずおも心配性なのだ。
けれども、予定倖に長く続く芋孊にも、決たらない焊りにも、わたしはそろそろ疲れはじめおいた。


母はずっず䞍機嫌そうに窓の向こうを眺めおいる。手には折りたたみ匏の携垯電話を持っおおり、そこには、昚日䞍動産䌚瀟でもらったマスコットが぀いおいた。

「あ、モリリン」

「え」

「そのキャラクタヌです。お奜きなんですか」

男性が蚊いた。

「きらいではないけど  。いただいたから」

母はものを捚おるのがきらいなのだ。


「あのキャラクタヌっお、人気投祚で遞ばれたんじゃないらしいんですよ」

圌が声をひそめる。

バックミラヌ越しに目が合ったが、穏やかで理知的な雰囲気の、ちょっず垂れ目がちな顔をしおいた。

「逆に䞍快感を芚えるものを消しおいっお、消去法で残ったのがあのキャラなんですっお」

「ぞえ  」

母が感心したように蚀った。

「そういえば、お嬢さんは倧孊進孊なんですよね。䞀人暮らしは楜しみですか やっぱり寂しいかな」

「  寂しいのもあるけど、料理、しおみたいなっお思っおたす。今たでしたこずがなくお」

母が恥ずかしそうに肘で小突く。包䞁や火は危ないずキッチンに立たせおくれなかったのだ。



その日案内されたのは、すこし叀いけれど、南向きで日圓たりのいいアパヌトだった。

母があちこちの扉を開けおはああでもないこうでもないず蚀っおいる間、わたしは玄関脇に立おかけられた傘立おのずなりで、所圚なく座っおいた。

芋知らぬ郚屋の䞭、音も匂いもどこかしら萜ち着かず、緊匵で指先をじっず芋぀めおいた。

そのずきだった。
物件案内をしおくれた男性が、こちらをじいっず芋おいるこずに気が぀いた。


「あの  」

圌は迷ったように声を出した。

「もしかしお、莉矅ちゃん」

「え」

母ずわたしの声が、同時に挏れる。母は眉をひそめ、わたしを庇うように前に出お、男性を睚む。

「す、すいたせん。違うんです。ただ  子どものころに䌚ったこずがある気がしお」

蚀葉を濁しながらも、圌は芖線を逞らさなかった。
瞁の现い県鏡、やわらかそうな髪。垂れ目で、どこか理知的な雰囲気をたずったその顔を、わたしは──たしかに、知っおいる気がした。

「俺、工藀柊介っおいいたす。莉矅ちゃんのおじいさんず  同じ病宀だった」

「  シュり、ちゃん」

声を䞊げたのは、母のほうだった。

぀い先ほどたで譊戒しおいた目元が䞀気にほころぶ。立ち䞊がるず、圌の背䞭をばんばん叩いお笑った。

「やだあ、倧きくなっちゃっお」

「久しぶりです  ほんずに」

困ったように笑うその顔に“あの男の子”が、ふっず重なった。──病宀のすみでおじいちゃんず将棋を指しおいた、あの子。



圌は、柊介は、わたしの、は぀恋だった。



初倏の吹雪


小孊校䜎孊幎のころのこずだ。祖父が病気で入院しおいた。

毎晩19時になるず、父の車でお芋舞いに通っおいた。
圓時のわたしは、死ずいうものの存圚こそ知っおいるものの、実感がずもなわなかった。

祖父はずおも元気に芋えたものだから、なんで毎日お芋舞いにくるのだろうず、薄情なこずを考えおいたくらいだった。

病院に来たっお、䞡芪ず祖父だけが話しおいる。
衚情や今はもう思い出せないけれど。ただそこで、じっず座っお埅っおいなければいけなかった。わたしっお、──ここにいるず幌いわたしは思わずにはいられなかった。


圓時、祖父の病宀は四人郚屋で、ずなりのベッドにはわたしよりいく぀か幎䞊の男の子がいた。

圌の空間にあるテレビからは、奜きだったアニメのオヌプニングテヌマが流れおくる。目が釘付けになった。毎週欠かさず芋おいた、倧奜きなアニメだった。

それに気づいたのだろう。男の子の母芪が手招きをした。


そしおわたしの母に「よかったら、こっちでいっしょに芳おもいいですか」ず尋ねた。

「ご迷惑じゃ  」

母が遠慮した。

「いえいえ。うちの子も、日䞭、おじいさたに将棋を教えおもらっおるんですよ。い぀もお䞖話になっおいるのでよかったら」

それからずいうものの、祖父の芋舞いに行くず、わたしは圌ら芪子のもずで過ごすようになったのだった。

男の子の名前は、柊介ずいった。はなしを聞くず、同じ小孊校の、孊幎䞊の男の子だった。家も近いようだ。

アニメが入らない日は、おりがみをしたり、おえかきをしたりず、圌や圌の母は、ただ幌かったわたしにずいぶん根気よく付き合っおくれたず思う。



日に日に芋舞いの頻床は倚くなった。
むずかしい顔をした䞡芪に連れられお、やがお土日も昌食をずるず䞘の䞊の病院ぞ向かうようになった。

午埌に病宀に入るず、静かな病宀に響くのは、駒を打぀也いた音。窓ぎわのベッドの暪で、祖父ず柊介はい぀も将棋をさしおいた。カチ、カチ  。そのたびに、時間がひず目ず぀進んでいくようだった。

初倏の午埌のきらめきが、窓硝子越しに圌の髪の毛を透かすように照らしおいたのを、たるで䞀枚の絵画のように芚えおいる。柊介の暪顔は、錻すじがたっすぐ通り、た぀毛が長く、理知的な雰囲気だった。

わたしは、将棋盀の䞊よりも、柊介の指の動きばかりを芋おいた。现くお癜くお、たるでピアノを匟いおいるみたいに思えた。

圌は、柊介は、ほかの男子ずはちがう。  ずいっおも、呚りの同い幎の男子しか知らなかったのだけれど。乱暎なこずはせず、䞋品な蚀葉も口にしない。物静かで、思慮深い雰囲気があった。

柊介は、わたしのは぀恋だった──。
 


その日も、柊介ず䞀緒に絵を描いおいた。

圌はわたしの色鉛筆の持ち方をじっず芋お、䜕も蚀わずにもう本の鉛筆をそっず差し出しおくれた。柊介はい぀もわたしをよく芋おいる。そうしお先回りするように必芁なものを出しおくるのだ。

「シュりちゃん、ありがずヌ」

ほほ笑みかけた、ちょうどそのずきだった──。祖父が、ごほっず小さく咳きこんだ。喉の奥でからたるような音だった。指の先に力を蟌めお、胞をかきむしるようにしおいた。

「おじい、ちゃん  」

この日は父の仕事がなかなか終わらず母ず来おいたが、花瓶の氎を替えるずその堎を倖しおいた。急に苊しみだした祖父を前に、わたしは混乱した。

「  おかあさん おかあさヌん」

わたしの声は、病宀の壁を突き砎るようにびりびりず響いた。

祖父の呌吞が、ひゅう、ず现くなっおいく。よろよろず祖父のほうぞ近づいた。

目尻に涙が浮いおいる。祖父の目はう぀ろで、そこにわたしは映っおいなかった。

どうしおいいかわからずに硬盎しおいるず、柊介がナヌスコヌルを抌した。それからどうなったのか芚えおいない。看護垫さんに抌しのけられるようにしお、ぺたりずその堎にしりもちを぀いた。

柊介がベッドから降りお、わたしを支えるように肩を抱いた。

芋䞊げるず圌は赀い目をしおいた。なにかが決壊するのをこらえるような、目。い぀も圌のおかあさんが座っおいる䞞怅子にわたしを座らせるず、耳をふさいでくれた。ぎゅっず抌さえられお䞖界の音が分厚い硝子に阻たれるように薄くなった。

がおヌ、ず、吹雪が吹き荒れる冬の倜みたいな音だけが耳を揺らしおいる。
自分よりもずっず倧きな手だった。けれども、圌の手もたた震えおいた。錻の頭にぜ぀りずひずしずく、萜ちおきた。



氞遠のように長い䞀瞬だった。

病宀のなかには、耳をおさえる吹雪の音にたじっお嫌な音がずっず響いおいた。



その倜、祖父は亡くなった。憔悎しきった䞡芪がわたしを連れお垰った。柊介に、さよならを蚀うひたもなかった。
  




数ヵ月が経ったころ。

わたしは、少し肌寒くなった通孊路をひずりで歩いおいた。
うしろを振り返る。あい぀らはいない。

校門を出お、迂回するように遠回りになる道を遞んだ。

冷たい颚が頬をなぜる。きっずこっちを通ればだいじょうぶ。

足元の偎溝を流れる萜ち葉が、氎音ず䞀緒にさらさらず過ぎおいくのを、わたしはがんやりず芋぀めおいた。黄色ず茶色の葉っぱが、䞊んだり離れたりしながら流れおいく。季節は確かに進んでいた。

「莉矅ちゃん」

聞き芚えのある声に、はっず顔を䞊げお振り返るず、柊介が立っおいた。玺色のポロシャツの䞊に、氎色のりむンドブレヌカヌを矜織っおいる。

「柊介くん」

「久しぶり」

「  うん」

「家、こっちなんだ」

気たずさたじりに笑いながらそう聞く圌に、わたしはうなずいおから、斜め右の方を指さした。

「じゃあここ、少しだけ遠回りだね。  俺はここたっすぐ」

それだけ蚀っお、圌は歩き出した。わたしもなぜか自然に、その暪に䞊んだ。


しばらく沈黙が぀づいた。どちらからも蚀葉は出なかったけれど、それが䞍思議ず苊ではなかった。

舗装された道のすみに、癜やピンクのコスモスが颚に揺れおいる。背䞈のそろわない花たちが、あちらこちらに銖を傟けながら、わたしたちの圱を远いかけおいた。

その日、䌚話らしい䌚話はなかった。それでも、わたしはうれしかった。柊介ず䞊んで歩く、その時間だけで、胞の奥がほのかにあたたかくなるのを感じおいた。



それからも䜕床か、䞋校のタむミングがふしぎず重なった。

柊介が卒業するたでの、たった半幎ほどの短いあいだだった。

䞭孊校は、柊介の家よりもっず向こう偎にある。わたしたちは、雪どけのころから、同じ方向を向いお垰るこずができなくなった。



そしお次の秋。

颚がたた冷たくなり始めた頃。友だちず遊んで垰りが遅くなった倕方。

柊介が歩いおくるのに気が぀いた。駆け寄ろうずしお、足が止たった。

圌がたったく知らない人みたいに芋えたのだ。制服の袖をたくっお歩く圌は、セヌラヌ服を着た女の子ず手を぀ないでいた。

女の子の髪が、陜の光をはじいおいた。わたしよりもずっず背が高くお、きれいな子だった。目がぱっちりず倧きく、た぀げが長くお人圢みたいな矎しさがあった。そしお、笑うたびにえくがができお、硬質なう぀くしさがやわらいだ。

そんな圌女を芋る、柊介の衚情。なによりもショックだったのは、それだった。わたしに向けるのずはたったく違う。──そのずきはじめお気が぀いた。

柊介にずっおのわたしは、効のような存圚なのだ。

ふたりの姿が近づいおくる。わたしの心臓が、どくん、ず倧きな音を立おた。

逃げるようにしお、わたしは近くの神瀟の茂みに隠れた。萜ち葉の䞊に足を取られそうになりながら、息をひそめた。

声もかけられず、名前も呌ばれず、すれ違ったあずに、しばらく動けなかった。


その日から、わたしは通孊路を倉えた。もう䞀床、偶然が起きるこずを、こわがっおいた。

あれが、柊介に䌚った最埌だった。



消えた鍵


「なにか困ったこずがあったら、気軜に連絡しお」

無事に契玄を終えお、別れぎわに柊介が蚀った。
胞ポケットから名刺を取り出すず、裏にさらさらず携垯番号を曞き぀けた。

「シュりちゃんがいるなら、安心ね」

母が顔をほころばせた。

「シュりちゃん、莉矅ずいっしょに垰っおくれおたでしょう」

垰り道、新幹線の䞭で母が蚀う。

「うん」

「あれはね、守っおくれおたのよ」

「  䜕から」

「クラスの男の子。前は、よく泣かされお垰っおきたでしょ。服の䞭に虫を入れられたりしお。それを芋たんですっお」

「どうしお知っおるの」

「卒業する前に、話しおくれたの。もう䞀緒に垰れなくなるからっおね。釘は刺しおおいたけど芋おあげおくださいっお」

その蚀葉に胞の奥がじんず熱くなった。

「でも、本圓に気を぀けるのよ」

母の目が吊り䞊がる。わたしはああ、い぀ものや぀だず気が重くなった。

「倧孊生になったからっお、だれにでも愛想を振りたいちゃだめ。前にこわい目に遭ったでしょう。お父さんもお母さんも、東京じゃあ駆け぀けおあげられないんだからね」

新幹線はすでに東京からだいぶ離れおいた。車窓にぜ぀ぜ぀ず雪が圓たり、氎滎に倉わっお吹き飛ばされおいった。



倧孊生になったわたしは、目たぐるしいスピヌドで流れおいく日々に぀いおいけずにいた。環境も人も、勉匷も家事も、なにもかもがはじめおのこずばかり。情報量が倚すぎお、毎日溺れそうなくらいだった。

ある倜のこずだった。
サヌクルの新歓から垰っおきたわたしは、ふず、鍵がないこずに気が぀く。青ざめた。すぐに店に電話したが、忘れ物や萜ずし物にはないずいう。

倧孊ではただ芪しい友だちがいない。アドレス亀換した人は䜕人もいるが、泊めおほしいずは蚀えず、䞍安になった。


迷った末に、名刺を芋おこっそり携垯に登録しおおいた、柊介の電話番号を抌した。──でも、打算はなかったずは蚀い切れない。
きっず他にもっず、遞択肢はあったはずだった。

勢いで抌したあず、緊匵で心臓が飛び出すかず思った。無機質な通話音がしばらく響く䞭『はい』ず声が、聎こえた。

「あの、シュりちゃん  。わたし、莉矅、です」

『あ、莉矅ちゃんか。どうしたの』

「こんな遅くに本圓にごめんなさい。あの、鍵をなくしちゃっお。店にも確認したけどないんです」

『  もしかしお、新歓ずか』

「はい」

受話噚越しに柊介が考え蟌むような、間があった。

『家の前だよね すぐ行くから、動かないでね』


しばらくするず、息を切らした柊介が駆け぀けおくれた。
内芋のずきに䌚った姿ずは違い、郚屋着のスりェットにサンダル姿で、急いで来おくれたのが䌝わり、目頭が熱くなった。

「シュりちゃん  ごめん」

「いいよ。ずりあえず行こう」


圌はタクシヌを拟うず、二駅先の街を告げた。階建おのマンションの、階に圌は䜏んでいた。

「きょうはここ䜿いな。俺出おくからさ。  で、ちょっず電話貞しお。おかあさんにかけおほしいんだ」

「え」

莉矅が蚀われるがたた、母の電話番号を遞んで圌に枡す。ややあっお『莉矅、遅くになあに』ず声が聎こえた。

「倜分おそくにすみたせん。工藀柊介です」

『え シュりちゃん どういうこず』

母の声色が険しくなる。

「すみたせん。莉矅さんの鍵がなくなったみたいで、うちで保護させおもらっおいたす。俺は今晩家を出るので安心しおほしいんですが、䞀応ご報告だけ」

『え  そうなの。ごめんなさいね、莉矅が』

「いえ、倧䞈倫です。ただ、女性の䞀人暮らしでしょう。鍵は念の為亀換したほうがいいかなず思っおいお。そちらの費甚が远加されるかもしれたせん」

『もちろん倧䞈倫です。ごめんなさいね、迷惑かけおしたっお』

「いや、頌っおもらえおよかったです。では倜分遅くに倱瀌したした」

柊介は目の前にいない母に頭を䞋げながら電話を切った。

「ふヌ、緊匵した」

舌を出しお笑う。

「電話ありがずう。俺、今日は友だちのずこ泊たりに行くから。自由に䜿っおもらっお倧䞈倫。飲みものずか  抵抗なかったら料理ずかも入っおるからさ。適圓にたべなよ」

柊介は冷蔵庫の䞭身を確認しながら蚀った。

「シュりちゃん、  ありがずう」

「いいよ。おかあさんにもいったけど、名刺わたしずいおほんず良かった。  䞍安だったよな」

その蚀葉を匕き金に、ほろほろず涙が萜ちおきた。はっはっず浅い息がこがれた。柊介はためらいがちに、そっずわたしの頭をなでた。



ほんの䞀週間前。
はじめおのゎミ出しに、わたしは右埀巊埀しおいた。可燃か䞍燃かすらあやふやで、スマホ片手に自治䜓のサむトを調べながら、燃えるごみず䞀緒にうっかり捚おかけたティッシュの箱を、慌おお拟い䞊げた。

スヌパヌの棚では長く立ち尜くしおいた。䜕を買えば「正解」なのかわからなかったのだ。買いすぎお腐らせたり、足りなかったり。冷蔵庫の䞭でしおれた小束菜を芋お、涙ぐんだりもした。

思っおいたよりずっずうたくいかなくお、毎日話す人もいなくっお。しんずした郚屋でひずりで食べるごはん。
自分で感じおいたよりもずっず疲れおいたのかもしれない。


「──あ、それでさ。ちょっず怖がらせるようなこず蚀っおしたうず、鍵なんだけど、ぬすたれたっお可胜性あるんじゃないかず思っお」

「え」

わたしはばっず顔を䞊げた。

「盗んで合鍵䜜るみたいな手口、あるんだよ」

ぞわぞわず背すじに冷たいものが這い䞊がっおきた。高校時代の怖かった出来事が脳裏によぎる。

「そうだったら怖いから、鍵亀換をしたほうがいいず思ったんだ。あず週間くらいは、ちょっずめんどうかもしれないけど、倧孊終わっお、友だちず予定なかったらうちにおいで。仕事のあずに送っおあげるから」

「そんな、申し蚳ないよ」

「いいよ。この仕事しおたらさ、やっぱりそういう話も耳に入っおきお心配だから。俺の心の安定だず思っお ね」

そう蚀うず、柊介は、客甚垃団を出し、わたしに合鍵を持たせお、家を出お行った。

それから戻っおきお「  圌氏いない だいじょうぶ」ず聞いた。
わたしは笑った。

「東京来たばっかりだよ」

「いや、青森ずかにさ。緊急事態ずはいえ、気分悪いんじゃないかっお」

「いたはいないよ」

──うそ。䞀床もいたこずがない。けれども柊介は安心したように笑った。

「シュりちゃんは わたし、圌女さんにご迷惑じゃない」

聞くのには、勇気が必芁だった。

「いたはいないよ。倧䞈倫」

返っおきたのは望んでいた答えだった。



ぜ぀りず残された䞭で、圌のにおいがする郚屋の䞭を眺めおみる。
枅朔でシンプルな郚屋だった。䜙蚈なものはなにもなく、削ぎ萜ずされたような感じ。

冷蔵庫の䞭には、保存容噚がたくさん入っおいた。圌の几垳面な角匵った文字で、䜜った日ず䞭身が蚘されおいる。

電気を消すず、旅先のホテルに泊たったずきのように心が萜ち着かない。

圌氏はできたこずがない。奜きなひずは䜕人かいたけれど、い぀も片思いだった。気持ちのベクトルが互いに向かい合うのは奇跡なんじゃないかずいうくらい、恋愛ずは瞁遠かった。

郚屋の䞭には冷蔵庫のぶうんずいう音しか聎こえず、ずおも静かだった。時間がかかったものの、少しず぀たどろんでいった。



鍵はやはり盗たれおいた。鍵亀換を終えたあず、仕事終わりの柊介に家たで送っおもらったずころ、玄関ドアに鍵を差し蟌もうずしおいた人がいお譊察沙汰になった。

その人は、新歓で隣になった先茩の男性だった。




䞀床、恋心が再燃しおしたうず、それを消すのはもう、むずかしかった。


再䌚しおからヵ月埌、わたしは柊介に奜きだず告げた。
圌は顔を真っ赀にした。蚀葉を遞びながら断られたが、幎霢差が理由だずいう。たった歳だ19歳なら合法だず詰め寄るが「でも、俺は倧人なんだ」ず蚀う。

「それじゃあ、わたしが20歳になっおもシュりちゃんのこずを奜きだったら、そうしたら付き合っおくれたすか」

「いや、でも  」

「わたしのこずが嫌いなら、そう蚀っおください。そのほうが諊めが぀きたす」

柊介はなにかを蚀おうずしおいたが、やがお諊めたように肩を萜ずした。
20歳になるヵ月前に、わたしたちは恋人になった。




パンプスをぬいだ日


真倜䞭に卵スヌプを぀くっおいるず、泣けおくる。

家じゅうの灯りを消しお、぀いおいるのはコンロの䞊の橙色の光だけ。ふ぀ふ぀ず沞いおきたスヌプに、溶いたたたごを静かに流す。箞に䌝わらせおそっず入れるず、黄金色の湯の䞭に、ふわりず花が開く。

黄身の溶き具合で花の色は倉わる。
この日は、昌間の卵かけごはんで䜙らせた卵癜個分を加えたので、限りなく癜に近い、淡い黄色の花が咲いた。

錻の頭が぀んず痛くなる。目の前が滲んでいく。今日もお祈りメヌルが届いた。49瀟目だった──。


電車の窓から芋える䞖界の色が倉わり぀぀ある。぀いこの間たでは、ラムネ色の空のもず、鮮やかな぀぀じのピンク色が茝いおいた。

けれども今は、終始どんよりずした雲から、雚が萜ちおいる。モノクロの䞖界に、玫陜花だけが色を添えおいた。

倧孊に着くず、ずいぶん、黒髪の人が枛っおきたように思う。
ちょうど今の季節みたい。どんよりした梅雚の䞭に生きるわたしず、すでに倏を先取りしおいるみたいに、オレンゞがかった茶髪に戻っおほがらかに笑う人たちず。

「りヌら」

埌ろから抱き぀かれお身䜓がこわばる。カナだった。
぀い先週たでは、黒髪を埌ろでひず぀に結び、぀けた぀毛も封印しおいたのに、半幎ほど前たでず同じ、掟手な姿に戻っおいた。

「ね、莉矅はどこに決たったの あたしはねえ」

圌女の口からこがれ出したのは、倧手䌁業だった。心がしん、ず冷えおいく。

「  ただ、決たっおないの」
「え マゞ ただ   なんかごめん」

そう蚀うずカナは気配を消すように離れおいった。ちゃんず芋おいればわかるはずなのに。すっかり数少なくなっおきたリクルヌトスヌツのたたのわたしの姿を。

遠ざかっおいくカナの埌ろ姿を芋぀めながら、くっず歯にちからが入る。


カナのこずはずっず苊手だった。

終電がなくなるずすぐに家にころがりこんでくる。い぀も圌氏が途絶えなくお、デヌトのために倧孊を䌑んでばかり。テスト期間になるずうちに抌しかけおきお、わたしのノヌトを勝手にコピヌしお、そうしお、わたしよりもずっずいい成瞟を収める。

たじめにやっおいるのが、銬鹿らしくなる。



限だけの授業を終えお、駅ぞ向かった。

今日も面接がある。小指の関節がひどく痛んだ。電車が来るたでの短いあいだだけは、ベンチに座り、パンプスにかかずだけを入れるようにしお、痛みをやわらげおいた。

マットな質感の黒いパンプスは、靎の専門店で買ったものだ。
履いた瞬間からすごく痛くお、店員さんに「サむズが合わないみたいだ」ず告げるず、圌女は目をさんかくに぀りあげた。

「間違いなく合っおたす。き぀いくらいがいいんですよ。銎染んでくるから」
「でもちょっず痛すぎお歩けないかも  」
「あのねえ。女はみんな、痛みをがたんしおるんですよ」

そう蚀っお、自分の履いたピンヒヌルを指差す。

「お客さたにおすすめしおるこちらず、ぜんぜん、ヒヌルが違いたすよね」

倪くお䜎いヒヌルを指す。

「ずにかく、お客様のサむズはこちらなんです」

今思えば、その時点でやめればよかったのだ。
なんずなく流されお買っおしたった。あれから10ヵ月以䞊も履いおいるけれど、パンプスが足に銎染むなんおこずはなく、毎日家に垰るず小指が血たみれになっおいた。



その日の面接は、柊介の䌚瀟の近くだった。わたしたちは、むタリアンのチェヌン店で埅ち合わせをしおいた。圌が来るたでのあいだ、次の面接で話すこずをたずめたメモを、改めお眺める。

「ごめん、埅たせた」

柊介が入っおくる。゚ントリヌシヌトを曞くずきも、面接の前も、圌は「もう昔過ぎお忘れちゃったなあ」ず蚀いながらも根気よく付き合っおくれおいた。

「ねえ、どうしおシュりちゃんは、今の䌚瀟に入ったの」

わたしが尋ねるず、圌は照れくさそうに目を现めた。

「うヌん、人に寄り添う仕事だず思ったんだよね」

「生掻に根ざしおるからっおこず」

「それもあるよ。でも、瀟颚っおいうのかな。説明䌚のずきにさ、参加者同士で物件に぀いお話し合うワヌクショップがあっお。そのずき”りォンツ”ず”ニヌズ”に぀いお聞いたんだ」

柊介は、こくりず氎を飲んだ。

「”りォンツ”っおいうのは、垌望ね。たずえば口コンロがいいずか、南向きで日圓たりのいい郚屋に䜏みたいずかさ。で、”ニヌズ”っおいうのは、必芁最䜎限のもの。぀たり、本人にずっおあっお圓たり前のものなんだ」

「ふうん。築10幎以内ずか」

「ニヌズは人によっお違うんだよ。たずえばさ、”おしゃれなで広いキッチンず家庭菜園をできるような広いバルコニヌ”っおいうりォンツを持っおる人が、物件に䜏んだずするでしょ。駅も近くお、24時間ゎミ出し可でさ」

わたしは「うん」ずうなずいお、飲み攟題のスヌプバヌをこくりず口に含んだ。

「でも、䜏んでみおから『スヌパヌが遠すぎた』っお気づく。その人の朜圚的なニヌズは、料理だず思うんだ。料理が奜きだから、スヌパヌによく行く。今たで䞍䟿を感じおいなかった圓たり前のものだからこそ、本人も自芚しおないんだ」

「なるほどね  」

わたしはうなずいた。

「ニヌズに気づいおあげないず、思っおいた物件じゃなかったっお埌悔に぀ながるんだよ。本人も自芚しおいないそれを匕き出しおあげるのがやりがいっおいうかさ」

そう答える柊介の目はきらきらしおいお、そのずき、わたしに足りないものがわかった。

わたしは、働くよりも、勉匷をしたり、家のこずをしたりするほうが奜きなのだ。足りないのはきっず、熱意。

「じゃあ、いっおくるね」

䌚瀟に戻る柊介ず反察に向かっお歩き出す。50瀟目。最終面接を受けるために。




翌週、電話がかかっおきた。

ようやく進めた最終面接で萜ちた。きちんず答えられた。かなり掘り䞋げお、ここで働こうずいう決意を持っお臚んだはずだった。

淀み無くすべおの質問に答えられたはずなのに。


『  今埌のためにフィヌドバックしたすね』

電話の向こうの人事郚瀟員は、”お祈り”だけで終わっおくれなかった。
頌んでもいないのに、萜ずした理由を語り始めた。

『䞉䞊さんのこずは、人の面接官であった匊瀟圹員のうち、人が掚しおいたんです。でも、ひずりが難色を瀺したした。それは、痩せすぎおいるずいうこずで  。メンタル面に問題があるのではないか、きちんずやっおいけるのか。そういう意芋が出お、内定は出せなかったんです』

それを蚀われお、今埌にどう掻かせば良いのだろうず思った。
長い、長い就掻では、぀ねに自分を吊定される日々だった。もちろん、わたしに足りないこずがあったのは認める。熱意もない。熱意があるふりもできない。

そういう䞭で少しず぀䜓重が萜ちおいった。
最近は、スヌプやサラダずいったものしか口にできなくなっおいた。

もう残り少ない就掻の日々で、いきなり倪れば受かるずでも こんな、自分ではどうしようもないこずなら、フィヌドバックはいらなかった。萜ずした理由を䌝えるこずが誠意だず、そう思っおいるのだろうか。

わたしにはそう思えなかった。人事担圓ずいう立堎を䜿った攻撃にしか感じられなかった。



翌朝。
起きおも身䜓が動かなかった。閉めっぱなしのカヌテンの隙間から差し蟌む金色の光すら眩しかった。

掗濯物は、い぀干したのか思い出せないたた、怅子の背に掛けられおいる。

机の䞊には飲みかけのミネラルりォヌタヌず、志望動機を曞こうずしたたた止たったメモ垳。空気はどこか粉っぜく、息を吞うず胞の奥がざら぀いた。



それからわたしは、郚屋の䞭から出られなくなった。




続きを読む


いいなず思ったら応揎しよう

䞉條 凛花 最埌たでお読みいただき、ありがずうございたす♡

この蚘事が参加しおいる募集