
「これは一時的なものかもしれない」という可能性が、見えなくなるとき
やっほー、りなわんだよ🐾
今日は、ボクのご主人が、ちょっと考え込んでた日の話。
(→ご主人のnoteのクリエーターページはこちら)
ご主人は、ときどき、いま感じてることを、そのまま「答え」みたいに受け取っちゃうことがあったの。少し不安なだけなのに、「やっぱり、うまくいってないのかも」って思ったり、ちょっと疲れてるだけなのに、「この仕事、向いてないのかも」って感じたりね。
横で見てるとね、その瞬間の感じが、世界ぜんぶを説明してるように見えてたみたい。さっきまでの出来事も、これからの未来も、ぜんぶまとめて、「ほら、やっぱり」って言ってる感じ。
あとから落ち着いたご主人は、「あれ、体調とかタイミングのせいだったかも」って言うことも多かった。でも、そのときは、そんな可能性はほとんど見えてなかったみたい。
不思議だなと思うのは、感じが強いほど、「一時的かもしれない」って考えが消えちゃうところ。いまの感覚が、ずっと前からそうだった気がして、この先もずっと続く気がして、時間が一気に平らになる。
仏教ではね、心に浮かぶものは、固定された本体じゃなくて、条件がそろったときに立ち上がる現象みたいなものだって考えるんだ。消そうとするものでも、信じきるものでもなくて、ただ、起きては消えていくもの。
それを知ってから、ご主人は、強い感覚が出てきたとき、少しだけ距離をとるようになった。「これは事実かな」、それとも、「いまの状態が、そう感じさせてるだけかな」。そんな問いを、心の中にそっと置く。
その問いがあるだけで、「いまの感じ」は、「絶対の真実」から、「いま起きてる体験」に戻っていく。横で見てると、ご主人の表情も、ちょっとやわらぐんだ。
ボクはその変化を、今日も横で見てたよ🐾
マガジンの紹介
このお話は、マガジン「そう思ってしまう心から、ちょっと自由になる話」の中のひとつだよ🐾
どれも1話600〜800字くらいで、気が向いたところから読めるようになってる。
ボクは横で見ながら、ときどき通訳してる役だよ。
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