
どうしても変えられなかった「物事の捉え方」から、自由になるまで㉚|「楽になるゴール」は、どこにあるのか
こんにちは、野村りなです。
第3章では、「どうすれば苦しまないか」という問いを、何度も手放してきました。整えようとすること、管理しようとすること、正解を探し続けること。その力が、どこで摩耗を生んでいたのかを見てきました。
では、整えなくていいのだとしたら、目指す場所はどこにあるのでしょうか。「楽になるゴール」があるとしたら、そこに到達すれば、もう揺れなくなるのでしょうか。怒らなくなり、不安も消え、迷いもなくなる。そんな状態が、どこかにあるのでしょうか。
仏教には「涅槃寂静(ねはんじゃくじょう)」という言葉があります。とても大きな響きを持つ言葉です。
けれど私は、それを特別な悟りや、遠い理想の状態としてではなく、もう少し身近な感覚として捉えています。
それは、何かがなくなることよりも、向いている方向が、ほんの少し変わること。苦を消すほうへ力を入れていた視線が、苦がある前提で立つほうへと、わずかにずれる。そのとき、出来事は同じでも、受け取り方の力の入り具合が変わります。揺れがなくなるわけではないけれど、揺れに対しての構えが変わる。
私は、それを「状態」というより、「方向」だと感じています。静けさは、つくり出すものというより、力が抜けたあとに、結果として現れるものなのかもしれません。
今日から始まる最終章、第4章では、完璧に整った状態を目指すのではなく、どこに立ち、どちらを向くのかという問いを、少しずつ見ていきます。
特別な悟りではなく、日常の中で、ほんのわずかに方向が変わる感覚。それが、どのように現れるのか。
もしよろしければ、みなさんの「楽になるゴールを探してきた」経験について、コメントで教えてくださいね。
マガジンのご紹介
この文章は、マガジン「どうしても変えられなかった『物事の捉え方』から、自由になるまで」の一篇です。
各回800字ほどの読み切りで、日常や仕事の中で生まれる感情や違和感を入口に、しがみついていた前提が少し外れる視点を、静かに言葉にしています。