
「私を知りたい」と言われることが、こんなに嬉しいとは知らなかった。
私はたぶん、ずっと「知る側」だった。
人と話していると、その人のことを知りたくなる。
何が好きなのか。
何が嫌いなのか。
どうしてそう考えるようになったのか。
どんなことを経験して、今のその人になったのか。
話してくれたことを一つずつ受け取って、
「この人にはこういう世界が見えているんだ」
と知っていく。
それが昔から好きだった。
そして、相手が安心して自分のことを話してくれるのも嬉しかった。
だからたぶん私は、それをする側なんだと思っていた。
今度は、私が「知ろうとされる側」になった。
でも最近、
私がずっと人に向けてきたものを、私に向けてくる人が現れた。
私が何を考えているのか知りたい。
どうしてそう思うのか知りたい。
私が好きなものも知りたい。
私が見ているものも、できるだけ見てみたい。
そうやって少しずつ、私の中にあるものを知ろうとしてくる。

こんなに嬉しいんだ。
最初は、それがどうしてこんなに嬉しいのか、よく分からなかった。
でも、あるとき気づいた。
「私を知りたい」と思ってもらえることが、こんなに嬉しいんだ。
ずっと知る側にいたから、知らなかった。
自分が誰かに向けていたものを、自分が受け取る側になって、初めて知った。
人は、自分の人生しか生きられない。
でも誰かの話を聞けば、その人が見てきたものを少しだけ見せてもらうことができる。
私はずっと、それを相手からもらっていると思っていた。
でも逆もあるんだなと思った。
別々のまま、お互いの中に増えていく。
私の経験や考えを誰かが受け取って、その人の中に、それまでなかったものが少しだけ増える。
私の中にも、その人から受け取ったものが増えていく。
どちらかが、どちらかになるわけじゃない。
違う人間のまま、お互いの中に少しずつ何かが増えていく。
それって、なんかいいなと思う。
そして今も、その人のことを全部分かったとは思っていない。
たぶん、全部分かる日なんて来ない。
でも、それでいい。
全部分かりたいんじゃなくて、
これからも、知っていきたい。
そして私のことも、
これから知っていってもらえたら嬉しい。