無職だった僕が、16年かけて学習参考書の著者になるまで
僕は無職だった。
20代の半ば、パニック障害になった。
当時はまだ、この病気に社会の理解がなかった時代だ。
やっと雇ってもらえたと思ったら、すぐに解雇される。
30歳になるまでに、それが4回あった。
呉服屋。個別指導のアルバイト。雇われの塾長。
最後は行政のお金でパソコン教室に通わせてもらった。
履歴書だけ見れば、続かない人間だと思う。
僕自身、そう思っていた。
そんな僕のところに、妻が娘を連れてきてくれた。
生まれたばかりの娘を抱いて、最初に思ったこと。
「生まれてきてくれてありがとう」じゃなかった。
「こんなお父さんのところに生まれてきてごめんな」だった。
そう思ってしまった自分が、恥ずかしかった。
その冬、娘をお風呂に入れてあげられない日があった。
米が買えなくて、小麦粉をこねて米の代わりにしたこともある。
だから僕は誓った。
お父さん頑張って、二人に恥ずかしくない人間になるからな。
無職の僕が、そのとき掲げた目標が「出版」だった。
今思えば笑い話だ。無職なのに、本を出すと決めた。
田中力磨という人間がこの世にいたことを、
娘や、その先の世代に残したかった。
「あなたのおじいちゃんは、こういう風に生きてた人やねんで」
いつかそう伝えてもらうために。
それから16年かかった。
個人で家庭教師をはじめた。
手書きのチラシを近所にまいて回った。
この時期には車も手放していたので自転車で配れるところまで配った。
そして少しずつ生徒さんが集まってきた。
と言ってもひとつきの収入は15,000円。
当時住んでいたボロアパートの家賃にもならなかった。
そして16年後の去年、出版社から連絡がきた。
僕の本を出せる、と。
学習参考書。今の僕の生業である教育の本だ。
家族に伝えたら「おめでとう」じゃなくて「よかったね」と言われた。
うちらしいなと思って、3人から4人に増えた家族で笑った。
失敗で終わるから、失敗なんだ。
続ければ、全部伏線になる。
無職も、解雇も、小麦粉の米も。
全部、この本の1ページ目より前の話だったのだと、今は思う。
田中力磨:滋賀県彦根市で総合学習教室ブリッジを運営。学習参考書『解答力』著者。
このnoteでは「無職から著者になるまで」と「個人塾を自動で回す仕組み」を書いています。
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