
教室からこぼれ落ちたもの (その2)見えなかった理由
優衣が泣いた理由が、分からなかった。
私の数学の授業では、違和感はなかった。
静かにノートを取り、与えられた課題にもきちんと向き合っていた。
少なくとも、「授業が受けられない」と訴えるような様子は見えなかった。
だからこそ、分からなかった。
何が起きていたのか。
どこで崩れていたのか。
担任の後藤先生には、すでに伝えていた。
それでも、教室は変わっていなかった。
私は学年主任の平中先生に相談した。
「一度、授業を見てみましょうか」
そう言いながらも、その声に切迫感はなかった。
「よくあることかもしれませんが」という一言に、わずかな引っかかりを覚えた。それでも、何もしないよりはいいと思った。
時間を合わせ、二人で廊下に立った。こちらの姿が見えない位置から、授業の様子をうかがった。
後藤先生の英語の授業は、すべて英語で進められていた。
日本語は一切使われていない。
説明も、指示も、すべて英語だ。
理解できる生徒にとっては、整った授業だった。
だが——途中で、音が途切れた。
椅子を引く音。机に当たる足音。
小さなざわつきが、廊下まで漏れてくる。
平中先生と顔を見合わせた。
再び教師の声が続く。
だが、その間にも別の音が重なっている。
中心にいるのは、健斗だった。
中学校から「ADHD」と申し送りのあった生徒だ。
本来なら、関わり方や環境次第で落ち着いて学べるはずだった。
だが、この教室ではそれがうまく機能していない。
立ち上がる気配がある。
歩く音がする。
それに反応して、小さな笑いが起きる。
それでも、授業は止まらなかった。
止めなかったのか。
止められなかったのか。
その判断はつかなかった。
ただ一つ、はっきりしていることがある。
集中しようとしている側が、常に影響を受けているということだった。
その中に、優衣がいる。
「……もう、教室にいるのがつらいです」
あの言葉が、頭の中に浮かぶ。
静かに勉強したい。
それだけのことのはずだった。それなのに、その環境が保たれていない。
廊下に立ったまま、私は言葉を失っていた。
ようやく、見えてきた。優衣の涙の理由が。
※本連載は、学校現場での実体験に基づく物語です。登場する生徒の名前はすべて仮名であり、人物の尊厳とプライバシーを守るため、事実関係を損なわない範囲で設定の一部に改変を加えています。
※次回4月14日(火)17時公開 教室からこぼれ落ちたもの(その3)
違和感は、別の場所でも広がり始めていました。
そして、思いがけない名前が出てきます。