100人に素通りされても1人のあなたに届くなら、私はずっと書き続けたい。
「この本を生み出してくださり、ありがとうございます」
と、素敵な言葉をいただいた。
文学フリマという、文学作品の即売会イベントに出店したときのことである。私の本を試し読みし購入くださった女性が、その本を両手で抱きながら、冒頭の言葉とともにペコリとお辞儀してくださったのだ。
書き手にとって、これほど幸せなことが他にあるだろうか。
私はライターで、文章を書くことを仕事にしている。けれど、「自分の本をつくって届ける」ということにおいてはアマチュアかつ初心者だ。作品を愛してはいるけれど、人様に差し出すときにはいつもドキドキする。
勇気を出して、書いた本だ。
この本をつくってよかったのだろうか。
怖気づく瞬間が、ある。
この本は誰かの役に立つのだろうか。この本は誰かを幸せにするのだろうか。この本は誰かに評価されるのだろうか。この本は誰かに欲しいと思ってもらえるのだろうか。この本は誰からも見向きもされずにゴミになってしまわないか。この本は、誰か……誰か……
いつの間にか、見えない「誰か」の目を反応を気にしていた。「誰か」なんて言っている限り、誰にも届かないことくらい知っているのに。
そもそも、書きたいことを書きたいように書いた本だ。需要がなくてもカタチにする。そう決めたのは自分じゃないか。自己満足と言われても(実際に言われたことはないけれど)、やり遂げると約束したのは。
自分よがりなくらいじゃなければ、「まだ誰からも求められていない本」なんてつくれないよ、個人で。

過去の自分に書いた本。
17年前、母が他界したときの想いを、「あいうえお作文」で表現した詩集。今の私が、過去の自分のために書いた。もどかしい気持ちのまま離れ離れになった、かつての母娘のために。
同時に、過去の自分と同じような境遇にある人を励ましたい気持ちがあった。同じ境遇でなくても、親子関係に何かしら後悔やわだかまりのある人に。
それは「誰か」ではなくて、たった1人の「あなた」なのだ。

届けたかった相手に、届けられた。
購入理由をうかがったら、「ここ(文学フリマ)で見て気になって、試し読みして心が動いた」とこたえてくださった。「私も親とは、いろいろあって……」と。
あぁ、届けたかった相手に、届けられたのだ。
文学フリマの会場にはたくさんの人がいて、たくさんの本がある。そのなかで、たった1人と1冊が出会えるのは、どれほどの確率なのだろうか。
きっとこの先、何度も思い出すだろう。この本をつくってよかった、と心から感じられた瞬間を。
そして、私は書き続ける。書いたものを本にして、「あなた」に届ける努力を続ける。
出会ってくれて、ありがとう。
いいなと思ったら応援しよう!
読んでくださり、ありがとうございます。もしもこの記事があなたの心に響いたら、応援いただけると嬉しいです! いただいたチップは学びに使わせていただき、今後の発信に還元できたらと思います。