
保育園で「息子さんのおやつはありません」と言われた日
我が子が通う保育園には、参観日の代わりに、保護者が半日保育士として子どものクラスに入る「保育体験」がある。
その日、私は保育体験を終えたら、すぐに仕事へ向かわなければならなかった。
「当初は一緒に帰られる予定だったので、息子さんのおやつはありません。」
先生のその一言で、頭が真っ白になった。
当初予定していた保育体験の日は、どうしても仕事の都合がつかなかった。日程を変更してもらったものの、その日も本当はかなり厳しかった。
当初は体験後に息子を連れて帰る予定だったが、結局、どうしても午後は仕事を休めず、数日前に「終了後も預かってほしい」とお願いしていた。
だから、息子のおやつは用意されていなかった。
仕事へ向かわなければならない私は、
「大丈夫です。私から話します。」
そう答えるしかなかった。
息子に話すと、いつも高田純二のように明るく、いい加減さを醸し出している息子が、珍しく硬い表情を見せる。
悲しみ。不安。戸惑い。
いろんな感情が入り混じった顔だった。
その表情が、私の胸をぎゅっと締め付ける。
「ごめんね。今度のお休みに、お母さんとおやつ買いに行こうね。」
自分でも、言葉が空回りしているのが分かった。
息子を保育園に残し、仕事へ向かう。
無理をして保育体験に参加したのに、最後に息子にあんな顔をさせてしまった。
胸の奥に、重いものが沈んでいった。
職場では、迷惑をかけたことを謝りながら、猛スピードで仕事を片付ける。
今の部署ではまだ新人で、半日の遅刻すら後ろめたかった。子どもの都合でよく休む分を取り返そうと、普段から限られた時間の中で、必死の努力で新しい仕事を覚え、なおかつ業務効率化にも取り組んできた。それでも、丸一日休むことはできなかった。
定時になると、また謝りながら職場を後にした。
帰りの車で、涙が止まらなかった。
私は、何をやっているんだろう。
大事な息子にあんな顔をさせて。
職場にも迷惑をかけて。
こんなに肩身の狭い思いをして。
息子も娘も、0歳から保育園に通っている。
ほぼずっとフルタイムで働いてきた。
仕事を辞めたいと思ったことは、ほとんどない。
でも、本当にこれでいいのだろうか。
母も、昭和の時代には珍しく、フルタイムの正社員だった。
働いたお金をすべて飲み代に使ってしまう祖父と、それに苦しむ祖母を見て育った母は、「女も、自分で生きていける収入を持つべきだ」という強い信念を持っていた。
高校卒業後すぐ役場へ就職し、当時は育休制度もない中、産後二か月で私を祖母に預け、仕事へ復帰した。
祖母に育てられた私は、最初、母になつかなかったらしい。食事のときも、自分から祖母の隣へ座っていたという。
そんな母が、私の保育園の発表会で使う赤いレッグウォーマーを編んだ。
発表会で一日だけ使うものだった。買ったものでも、間に合わせでも、何の問題もないものだった。
それでも、仕事で忙しく、手芸も得意ではない母が、時間を見つけて編んだ。
まだ三歳だった私は、それが手編みかどうかなど分かるはずもない。
もちろん、母の気持ちも。
それでも母は、自分で編んだ。
家に帰ってから、仕事を辞めることも考えた。
でも、どうしても、それでうまくいく家庭の姿が思い浮かばなかった。
私はたぶん、自分のアイデンティティの大半を仕事から得ている。
子どもたちを0歳で保育園へ預けたとき、「0歳でないと入園できないから」「子どもたちに不自由をさせたくないから」といろいろ理由を並べてきた。もちろん、それらは嘘ではない。
でも、それだけでもなかった。
私は、人より育児が苦手だ。
子どもは昔から好きだった。自分の子どもは、何よりも大切だ。命だって差し出せる。
それなのに、育児をしていると、人より劣っている自分ばかり突きつけられる。息子が生後二か月の頃には腱鞘炎になり、抱っこで膝も痛いと言えばみんなに笑われた。本当は、子どもたちと穏やかに笑い合う母親になりたい。それなのに、現実の私は、すぐ怒ってしまう。
もし仕事を辞めて、子どもたちと過ごす時間が増えたとして、本当にみんな幸せになれるのだろうか。
結局私は、自分のアイデンティティを守るために、育児より得意で、人から必要とされ、対価も得られる仕事を選んでいるのかもしれない。
それでも。
育児が苦手なことと、子どもを愛していることは、まったく別の話だ。
私はきっと、これからも仕事を続ける。
そして、罪悪感が消える日も、きっと来ない。
母があの日、赤いレッグウォーマーを編んだように。
それを、愛などという綺麗な言葉で片付けるつもりはない。
私もこれから先、心の中で、編み続けるだろう。
届く宛のない、真っ赤なレッグウォーマーを。