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【小説】To be continued ~第7話 胸のざわつきを、恋と呼ぶなら~

    翌日の火曜日

    Theoコーチのレッスンは、今日で最後。
    そう思うと、胸の奥が少しだけざわついた。

    朝食に、いつものトースト、ゆで卵、フルーツをいただく。
    「このヴィラも今日で最後か・・・。」

    誰もいないプールの青を眺めていると、この数日間の出来事が、水底に沈む光のように莉緒の心に浮かんでは消えていった。

    今日のレッスンは、10時から。

    コーチへのプレゼント。
    昨夜インドネシア語のメモを書いた旅ノート。
    忘れ物がないか確認して、バッグを閉じ、スタジオへ向かった。

    「Good morning!」

    ソファーには、70代だろうか、オージーのご夫婦。
    同じレッスンを受けるらしい。軽く挨拶を交わす。

    スタジオに入って、コーチを待つ。

    「カチャ。」

    「Good morning!」

    今日も、颯爽と現れる。
    コーチの通り過ぎた後は、中性的でエキゾチックな香りが残る。

    いつもの体調チェックと名前の確認から。

    「Rio-san!」

    「ハ、ハイ!」

    え!?
    昨日から確かに本名で呼ばれるようになったけど、リオサン!?

    嬉しい、けど。
    動揺が隠せない。
    心がパニックに陥ったまま、レッスンがスタート。

    オージーのお二人は、補助具を使いながら、ゆっくりした動きで参加している。旦那さんは、リハビリも兼ねている様子だった。

    ご夫婦と私の間には、リフォーマーがひとつ空いていた。
    Theoコーチは、その真ん中に腰掛ける。

    「Good.」

    小さな声で何度も励ましながら、ご夫婦の動きを見守っている。
    スタジオ全体を包むような、穏やかな空気が流れていた。

    Theoコーチは、私の方は見てくれないな・・・。
    仕方ない。
    ご夫婦のサポートが必要だもんね。
    そう、分かってる。
    でも、少しだけ寂しい。

    一生懸命、集中しようとするけれど、時計ばかり見てしまう。
    もう半分の時間が過ぎようとしていた、その時。

    冷たいTheoコーチの手が、私の両肩にそっと触れる。
    体の芯に、小さな電流が走った。

    「Inhale through your nose, and exhale deeply.」

    無情にも終わりの時間はやってくる。

    レッスンを終え、皆が荷物をまとめ始める。

    オーストラリア人の夫婦が先に出口へ向かう。
    旦那さんが笑顔で、「先にどうぞ。」
    そんな仕草をしてくれた。

    私は慌てて、「No, please.」
    と言いながら、出口の方へ手を添えた。

    二人がスタジオを後にする。

    扉が閉まる音。

    気付けば、スタジオの中にはTheoコーチと私だけが残っていた。

    胸がうるさい。

    今しかない。

    勇気を振り絞って、カバンの中から小さな包みを取り出し、そっと手渡す。
    プロテインバーと石けん。
    石けんは、私のお気に入り。

    「Thank you!! Is this soap for the face?」

    私は、背の高いコーチの顔の左右を見渡し、
    「コレコレ!」ニキビを指す。
    コーチは、少年みたいに大きく笑う。
    なぜこれが出来てるのか分からないよ、と。

    洗顔用に使って欲しいことを伝える。

    「The almonds were delicious! Thank you so much.」

    良かったー。
    あのアーモンドにして。

    そう言えば、試食、美味しかったもんな。
    ちゃんと食べてくれていた。
    それだけで嬉しい。

    「Today is my last day of lessons.
    I'm moving to Seminyak tomorrow,
    if you have some time, would you like to have lunch?」

    「today!?!?!?」

    Theoコーチは少し驚いたような顔をした。
    そりゃそうだ。
    いきなり今日だもん。
    私だって逆の立場なら驚く。

    そして、最後に付け足してみる。

    「If lunch is difficult, I'm also free for dinner.」

    「Of course!」

    え!?
    オ、オフコース?
    って言った??

    英語がもう出てこない。
    頭が追い付かない。

    そうだ!
    バッグを探る。

    ペンを挟んでいたページを開くと

    「Hari ini aku yang traktir ya, Theo!」

    ーー爆笑の渦。

    何と言うことだ。
    ”Theoコーチ、今日はおごりだぜ!”
    昨夜メモのページを開いてしまった。

    ーーということで、ディナーに行くことになった。
    か、かなり嬉しいけど。
    私、ダイジョウブだろうか。

    連絡先を交換しようとしたその時。
    スマホをヴィラに忘れてきたことに気付く。

    「スマホ、忘れた!」

    「スマホ?」

    通じない。
    スマホってなんて説明したらいいんだっけ。
    パニックに、更なるパニック。
    身振り手振りで、伝える。

    Theoコーチは、笑いながら、

    「Theo, hari ini aku yang traktir ya!」

    このメモのすぐ下に、連絡先を書き込んでくれた。

    「Actually, I came here in March too.」

    「Really?」

    「But another teacher's class.」

    「Ah!」

    気持ちが追い付かないまま、この空間が”レッスン”から、”ドキドキ”に変わっていく。

    コーチが、後でここに連絡をしてね、
    今夜のことはまた決めよう、と笑顔で話してくれて。
    私は手を振り、スタジオを後にした。

    外に出ると、強い日差し。
    自転車に乗り、ヴィラに戻るが、まだ現実と向き合えない。

    もう暑さで溶けそうだ。

    そうだ、お昼を買い忘れた。来た道をまた戻る。
    どれだけ動揺してるのか・・・。

    いつものワルンで、ショーケースから好きなおかずを選ぶ。
    ナシチャンプルのお供、大好きなサンバルマタもプラス。
    紙のボックスを自転車カゴに入れ、ようやくヴィラに戻った。

    日よけのパーカーを脱ぎ捨て、WhatsAppでメッセージを送信する。

    ーーはあ、食べ過ぎた。

    おかずの選択を誤ったのか、連日の慣れない暑さのせいなのか、今日に限って胃もたれを起こす。
    うーん。お腹いっぱい、胸いっぱい。

    メッセージの返信は、まだ来ない。

    この後は、いつものスパだ。
    再びのメール。
    ”スパが終わったらまたメールします”と送信して、出かけた。

    今日も、いつもの2人のセラピストが、笑顔で私を迎えてくれた。
    体と心を静かに委ねる。
    このスパも、今日が最後か・・・。
    いつものガールズトークを終え、「またね」で、ヴィラに戻った。

    メッセージは、まだ来ない。

    届いていないのかな?
    いや、オフコースはまぼろしか??
    じゃ、夕飯はまたナシチャンプルにするか???

    コーチは、まだ仕事中だと分かっている。
    分かっているのに、何度も画面を見てしまう。

    あ、まずい。
    今日はサヌール最終日だから、自転車を返さないといけないんだった。
    あの洗濯屋へ急いで向かう。

    店のある狭い通りを往復する度に、手を振り合うようになった洗濯屋さん。ここ、バリでは洗濯屋さんと自転車屋さんが同居していることが多いのだ。
    「スクサマ。」
    ありがとうね、笑顔で返した。

    歩いてヴィラに戻ると、Theoコーチから、メッセージが届いていた。
    良かった。
    安堵するが、お腹と胸はいっぱいだ。

    まだ時間はある。

    いつものルーティーンで、水着に着替え、プールに入ることにした。
    少し薄暗くなりかけた空の下、ひとりプールに入る。
    暑さで参った体でも、冷たさが身に沁みる。

    いつもの常連さんがどこからともなく現れた。

    「ダメダメ。今日のプールは、ケミカルが強いから。」

    流暢な英語で、プールから上がるよう親切に声を掛けてくれる。

    「Thank you!」

    確かにちょっと水が濁ってると思っていた。慌ててプールから上がり、シャワーで洗い流し、温まった。

    水着を干して、ベッドの脇のスマホに目を落とす。
    Theoコーチから、店の候補が届いていた。

    うん、雰囲気も良いし、問題ない。 
    なのに落ち着かない。
    私はスマホを置いて、またヴィラの階段を下りた。

    湿った風を感じながら、気持ちを鎮めるように歩く。

    プールを一周。
    また一周。
    何周目か分からなくなる。

    お腹を空かせたいのに、まったく空かない。
    胸ばかりが苦しい。

    涼しい部屋に戻って、タブレットに電源を入れる。
    杏里のピアノ曲が流れる。

    何気なく新しいタブを開いて、何気なく名前で検索する。
    スタジオのHPの後に、本人らしいプロフィールもあった。
    大学を出ているんだな。
    分かったのは、そのくらい。
    画面を閉じた。

    そろそろ時間。

    お店までは歩いていける。まだ少し早いけど出かけよう。

    一人旅で誰にも会わないはずだった私は、たった1枚しか持ってきていないエメラルドグリーンのロングワンピースに身を包み、髪を整えた。

    狭い道を抜けて大通りへ出る。
    夜のサヌールは、いつもと同じように賑わっていた。

    レストランの灯り。
    行き交うバイク。
    潮の匂いを含んだ風。

    さっきまでの不安が、少しずつほどけていく。

    小さなドキドキを胸に、オレンジ色の灯りに包まれた夜道を歩く。
    その足取りは、少しずつ軽くなっていった。

    視線の先に、その店がある。

    見慣れたはずのサヌールの景色。
    今夜はどこか違う異国のように見えている。

    莉緒は、そっと息を吸い込んだ。


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    理不尽な現実を生き抜く大人たちへ。海と風に人生をほどかれた覆面クリエイター。テーマは再生、旅、恋、そして人生の上書き保存。剥き出しの言葉で、人生が動く瞬間を描く。私と一緒に次の扉の向こう側へ行きませんか。

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