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【小説】To be continued ~第8話 溺れるはずのない恋が。~

    ぬるい夜風の中、歩き慣れたタンブリンガン通りを進む。
    最近のサヌールは、日本人を見かけることが少なくなった。

    数日前、昼間に訪れたカフェのすぐ隣に、その日本料理屋はあった。
    まだ開店したばかりで、外にはお祝いの飾りが残っている。

    夜の灯りに照らされた店構えは、ガラス張りで少し薄暗い。
    一見、バーのような佇まい。

    写真を撮っているとスタッフが笑顔で出てくる。
    予約画面を見せると中へ案内された。
    奥へ移動すると4人掛けテーブルに隣同士で座るカップルがいる。

    私もそうして座りたいな。

    とりあえず腰掛けるが全く落ち着かない。
    もう約束の時間。
    でも、このまま座って待てない。

    とりあえず、お手洗いに立つ。
    店員さんに連れられて店の外へ。

    再びぬるい風の中を歩く。
    ドアを開けると壁全体が少し錆びたようなゴールドで、大人な雰囲気。

    鏡に映る莉緒は、日本の莉緒とは違う。
    いつものロングストレートではなく、生まれたままの少しウェーブがかかったヘアスタイル。
    サヌールで買ったエメラルドグリーンのキャミワンピに、タイト目の黒いTシャツ。
    鏡の中をもう一度チェックする。

    大丈夫。

    だけど、胸の高まりは抑えきれない。

    再び外へ出る。
    駐輪場にその姿は、無い。

    壁沿いに歩いて、戻る。
    ……右側に、人の気配。

    ガラス越しに、彼がいた。

    私は、とっさに右手を大きく振る。
    スマホを片手に、笑顔で手を振り返してくれた。

    慌てて戻るとTheoコーチが、4人掛けのテーブルを指差して、
    『どこに座る?』と視線で問いかけてくる。

    まさかの隣!?

    「え!?いいの?」

    私を壁際の奥に座らせてくれて、Theoと並ぶ。

    ふわりとした温かさに包まれたみたい。

    「Why did you・・・・・・?」

    かつて仕事で英語を駆使していたはずなのに、ニホンゴモードから思考回路が切り替わらない。

    どうして今日、来てくれたの?と聞くはずが、
    なぜこの店を選んだの?になって、伝わってしまった……。

    私の国の料理だからって、うん、欲しかった答えと違うケド。いい。

    バーガンディーのポロシャツに、レッドラインが効いた、グレーのチェックパンツ。

    昼間のピラティススタイルは、無駄のない逞しさが溢れているけど、今夜の紳士スタイルも、すごくイイ。

    「普通のパンツ丈だと、コーチはハーフパンツになりますね。」
    英語を駆使したが、全く機能せず断念した。
    笑いを取りたかったのに。

    レッスンでは、見上げないと顔が見えないほどの身長差があるのに、座ると目線の高さが同じ。

    「座ると座高が同じだね」って話すと、
    「僕は足が長いです」の翻訳画面。
    思わず吹き出した。
    ……それは、認めるしかない。

    初めてのお店、小さな文字ばかりが並ぶメニュー。
    薄暗いし、全然分からない。

    「Google翻訳で調べたら」って。
    そっか、アプリのことをすっかり忘れてた。

    とりあえず、一番のオススメという焼き鳥、つくね、鯛の塩焼きに土鍋ご飯・・・あと、忘れちゃいけないビンタンビール、ブサル(大瓶)を注文する。

    「ビンタンありません。アサヒ、サッポロ・・・。」

    「えー!?ビンタンないのー!?」

    バリ島なのに、ビンタンが無いとは・・・悩んだ挙句、クラフトビールを注文する。

    「ホウジチャ。」

    Theoは、やっぱり筋肉一番大事だもんね。
    いつの間にお茶をチェックしていたんだろう・・・。

    バリ島へは、一人旅ばかりになって。
    夜は、基本、部屋でビンタンタイム。
    すごく気楽で自由だけど、実は淋しいと思う瞬間だってある。
    こうして誰かと食事をするのも久しぶり。

    外に目をやると、整備されたエントランスが照らされている。
    見慣れたサヌールじゃなく、どこか遠い場所にいるような錯覚すら覚える。


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    クラフトビールとほうじ茶で乾杯。
    ちゃんとお通しまで出てくる。

    会話は、英語と少しのインドネシア語で。
    翻訳アプリも介して。
    Theoが、英語を日本語に、私は、日本語をインドネシア語に。
    会話は、Theoがリードしてくれる。

    「What is your job?」

    そっか、私のことは何も知らないよね。
    「大学卒業してから仕事してるよ」と話すと、

    「What year did you graduate from university?」

    キター! 今日の山場がいきなり、来た。
    それにしても、早過ぎるわ。

    私は、ここに来るだけで精一杯。
    何を話すかなんて、考える余裕もない。
    ただ、いくつかのことだけ伝えたいと思っていた。

    卒業年度と48歳であることを伝える。
    彼の卒業年度から計算してみたら、15歳も年が違うのか……。
    そうだよね。
    彼の造形美は圧倒的だもん。

    ピラティスのコーチと生徒。
    でも気楽な感じとも少しだけ違う、翻訳画面を差し出す。

    「私は真面目です。誤解しないでください。気軽に食事に誘いません。
     昨夜は眠れませんでした。」

    彼は、画面を見つめる。
    それから、出身地や家族、仕事のこと。
    一つずつ確認するように話してくれた。
    私の年齢の話になっても、会話は途切れなかった。
    ただ素直に、すごいなって思った。

    日本人同士だったら・・・もっとうわべだけの当たり障りの無い、退屈な話ばかりが並ぶのに。

    大きな細長いグラスに、黄金色のクラフトビール。
    案外美味しい。 こんな1杯だけじゃ酔わないけれど、緊張が少しずつほどけてくる。

    カバンの中から取り出して、Excelで作った今回の旅程表をちらりと見せた。予定を間違えないように毎回これを作るのが好き。

    「バリ島は30回位、来ているよ。」

    Theoが、「すごいね、ちょっと見せて。」と言う。

    「What if the plans change?」

    一人旅だし。
    大抵は予約するから、あまり変更ないなと思って。

    「My plan is perfect.」

    英語で細かい意味が説明できなくて、少し違う答えを言ってしまう。

    「住みたい?ロングステイしたい?」と聞かれて、
    「Yes」とは言ったのだけど、
    言葉のキャッチボールができなくて、それ以上の答えを端折ってしまう。

    私がまだ夢見がちだった頃。
    この島に住みたいと思っていた。
    何度も通ううちに、住むことは難しいかもしれない、とも思うようになった。

    ただ・・・この島に恋してる。
    違う、サヌールが本当に大好き。
    自分の呼吸が出来る場所。
    それが今の答えだった。

    料理が運ばれてきた。
    やっぱりお腹は空いていない。
    最初に言えば良かったとは思うけど、それどころじゃなかった。

    「Nice!」

    隣に目をやると、きれいにお箸が持てている。

    「日本に興味があるよ」と彼。

    日本の気温、空港の場所、どんなスタジオがあるの、と続ける。

    その後、職場のことが頭をよぎり、出た言葉は、

    「日本人は、冷たいよ。」

    職場には、うつ病や人間関係の歪みがあること、ぽつりと漏らした。
    バリでは、人との距離が近い。
    でも、私とはお客さんとしての対話、そう分かってはいるけれど。
    温度差を感じずにはいられない。

    彼が翻訳画面に打ち込み始める、静かに。

    「インドネシアの政治には、絶望している。」

    ーー絶望。

    翻訳だから、こんな強い言葉なのかは分からないけれど。
    どんな深い意味を含むのか、それ以上、踏み込めなかった。

    この島に幾度も足を運び、その中でローカル生活を垣間見た時の思いが脳裏をよぎった。

    「賄賂で成り立つ仕組みはあるね。」

    少しずれた返事だったかもしれない。
    こう返すことが精一杯だった。

    そして、私が抱えている職場での絶望感をそこに静かに重ねた。
    正義を貫いても、報われないこともある。
    それは味わい尽くしてきた。

    彼の話し方は、とても落ち着いていた。
    私の方がちょっと年下みたい。

    すっかり忘れていた、ビールを一口。

    「Pacar berapa?」

    慣れないインドネシア語で、何人恋人がいるんだい?
    冗談のつもりで、問いかける。
    彼は、冗談ではなく、過去の交際人数と勘違いしたらしい。

    「Now」だよ、と伝えると、

    「Nothing.」

    「結婚にこだわらないで、長い時間をかけて関係を続ければいい。」

    そんな翻訳画面を見せてくれる。

    私も結婚にこだわるタイプでもなかったけれど、一つだけ難しいことがあると気付く。

    「独占欲」

    Theoは、翻訳画面を見つめたあと、少しだけ口元がゆるんで、
    肩をすくめた。

    「……たしかに、それはそうだね。」

    そう言って、笑って。
    少しだけ長く私を見た。

    どこの国でも、人を好きになるって案外面倒らしい。

    お腹は空いていないけど、焼き鳥をつまむ。
    つくねには、ちゃんと卵黄までついていて、お料理のお皿も日本仕様みたい。Theoのほうじ茶は、急須で出してくれていた。

    「お茶、どうぞ。」

    急須だよって伝えて、お茶を注ぐが、こぼす。
    私、おっちょこちょい、で。

    今夜、ひとつだけ話さなければいけないことがあった。

    「私、結婚しているの。夫はあなたの年齢に近いのよ。」

    少しの沈黙が流れ、彼の翻訳画面には、
    「それは、大事なことだ。いつかは話さないといけないことだから。」

    これを切り出すことは、必須だと思っていたから、
    もう一歩踏み込む。

    夫とは、積み重なった出来事で、限界が見え、
    長い間にもう同じ未来をみられなくなっていたこと。

    そして、私が原因不明で歩けなくなった日々があり、ようやくここまで立ち直ってきたことも・・・。

    Theoは普通に、静かに、受け止めてくれた。

    そして私は続ける。

    「あなたは若い女性を探した方がいい。」

    そう言うのが正しいと思った。
    私はずっと、そうやって生きてきたから。

    世間から見て正しいこと。
    誰かが納得する答え。
    波風の立たない選択。
    気持ちを押し殺して、我慢すれば・・・いい。

    責任感からやっていた仕事も。
    歩けなくなったあの日も。
    私はいつも誰かの正解の中で、生きてきた。

    「Why?」

    「親がそれを望むから・・・。」

    翻訳画面を見せる。

    彼は、少し考えて、文章を打ち始めた。
    何度か訂正をしながら、真剣な眼差しで。
    その沈黙がとても長く感じる。

    画面には、

    「君がそう言うのなら、それが正しいのかもしれない。」
    「私も、あなたの人生を応援します。」

    そんな意味の言葉が並んでいた。

    私は黙る。

    違う。
    全然、そうじゃない。
    そんな答えが欲しかったの?

    その言葉が胸の中で何度も鳴った。

    彼は間違っていない。
    私がそう言ったのだから。

    周囲の見えない期待や重圧で、感情を押し殺すことは普通だった。
    大人、でいなければいけない。

    でも、それは心からの・・・私の本当の気持ちじゃなかった。

    彼の返事に、動揺してる。
    うまく英語にならない。

    年齢差も事実。
    既婚であることも事実。
    全部事実。

    私は翻訳アプリに打ち込み始めた。
    彼は料理を少しずつ食べながら、静かに待っている。

    「私は、自分の気持ちに正直にしたい。
     もう誰かを好きにならないと思っていたから。驚いた。」

    「このままあなたに何も言わないで帰ることは、私は後悔すると思った。」

    翻訳画面を差し出す。

    胸の前で手を動かしながら、

    「The real is important, but my feeling is important.」

    もう翻訳アプリじゃなかった。
    口から勝手に出ていた。

    「I don't like you」

    言った瞬間、自分で驚く。
    違う。
    違う。
    ーーもっと違う。

    「I・・・」

    続かない。
    こんなことを言うつもりじゃなかった。
    言葉が出てこない。

    沈黙だけが残る。
    Theoは何も言わない。
    まっすぐ前に目線を合わせてる。
    その横顔を見ながら、 私はようやく続けた。

    「・・・ love you.」

    言葉は落ちたのに・・・。

    Theoは一瞬だけ視線を落としたあと、何も拾わなかった。

    店の奥で皿を下げる音だけが聞こえた。

    気づけば、店内には私たちしか残っていなかった。

    まだ料理が残っている。
    これ食べる?と指差ししてくれるが、もう入らない・・・。
    話に夢中になって、あまり箸がすすまない。
    少し濃いめな味付けの料理。
    ビールと少しのおつまみで満たされてしまった。

    もう食べられないことを伝えると、Theoが笑いながら、
    もう僕も限界だよ、って顔でもう一息頑張って頬張る。

    「どれどれ?」

    思わずTheoのお腹を触れると、笑ってさっと引っ込める。
    硬い筋肉も、はち切れそうだ。

    思わず右手を振って、もう食べなくていいよ、と伝える。

    そろそろ帰る時間かもしれない・・・、と思ったその時。

    「Let's keep in contact as friends.」

    そんな風に言われるとは予想すらしていなくて、驚いた。

    「じゃあ、メール送っちゃうよ。」

    スマホの送信の仕草で返事する。

    店の前に駐輪場はあるのに、少し離れた場所にバイクを止めてある、と言う。一緒に歩いて帰ろうって。

    「え!?」

    一緒に歩いて? でも、もう少し一緒にいられる。
    その時間が嬉しかった。

    会計を済ませ、店を後にする。
    ぬるい夜風の中に、冷たい風が混じる。
    この時間になると、歩くのに心地いい。

    彼は車道側を、二人並んで歩く。

    「Do you like walking?」

    「Yes!」

    さっきまで同じ目線だったのに。 時々、彼を見上げながら、話す。

    「Do you have any children?」

    「No.」

    それから、私は、何を話していいのかもわからなくて、
    急に映画の話をした。出発直前に見た映画。

    「エリン・ブロコビッチ」

    「Show that movie in English.」

    映画のヒロインは、馬鹿にされても、遠回りでも、自分の足で立った。
    それが格好良かった。
    「自分の人生を自分で選んでもいい」
    そんな当たり前のことを、あの映画は私に思い出させた。

    二人並んでゆっくりと歩いたその時間が、もうすぐ終わってしまう。

    少し先に、その場所は近づいてくる。

    戻れない夜だ。
    そう、気づいていた……。


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    理不尽な現実を生き抜く大人たちへ。海と風に人生をほどかれた覆面クリエイター。テーマは再生、旅、恋、そして人生の上書き保存。剥き出しの言葉で、人生が動く瞬間を描く。私と一緒に次の扉の向こう側へ行きませんか。

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