答えがあると思っていた
小学1年の土曜日、午前授業が終わって友達の家に遊びに行った。
玄関を上がると、足元がふかふかだった。
階段を登り、大きなリビングと食卓。
木の匂いがした。
友達の部屋にはクーラーがあった。
スイッチを入れると、低く音が鳴った。
しばらく遊んでいると、お母さんが現れた。
きれいな人だった。
膝をついて、私の目線まで降りてきた。
少し話して、「お父さんはどちらの大学?」と聞かれた。
高卒だと答えると、会話が静かに終わった。
お母さんの目線が、少し上に戻った。
お母さんは、立ち上がった。
「これから別荘に行くから、そろそろ帰りなさいね」
帰り道は、来た道と同じはずだった。
足元のアスファルトが、行きより硬く感じた。
ひとつの疑問が頭に残った。
なぜ、うちの親は大学に行かなかったのだろう。
小学校3年か4年のころ、友達の家に遊びに行った。
おやつの時間になって、棚を開けながらその子が言った。
「食べないで」。
泣きそうな顔だった。
「分かった」と小さく返して、外に遊びに行った。
私が通う学区内には、おやつに箱詰めの握り寿司が出る家もあった。
友達におやつを出すことが、当たり前ではない家もあった。
同じ学区の中に、それが両方あった。
同じ学区で育った友人と、大人になってからその話をしたことがある。
「そんなのお前だけでしょ」と笑われた。
たぶん、そうなのだと思う。
貧しかったわけではない。
親は懸命に働いていた。
ただ、いつも、上にいる誰かが見えた。
それだけのことが、私にはずっと引っかかっていた。
流行りのラジオも、ブランドの運動靴も、必ず先に持っているやつがいた。
授業中、同級生の作文が読み上げられた。
「旧軽井沢」を「いちにち軽井沢」と読み間違えて恥ずかしかった、と書いてあった。
軽井沢に別荘がある家のことだった。
あの疑問はやがて、ひとつの答えに育った。
稼ぐことが、勝ちだ。
その答えを抱えたまま、大人になった。
勉強では勝てなかった。だから人に会いに行った。
サークルの先輩を訪ね、OBの集まりに顔を出した。
スーツの着方を覚えた。話の聞き方を覚えた。
場の空気の読み方を覚えた。
マイナーな大学から、学内ではトップクラスの会社に入った。
一流大学を出た同期と肩を並べて働いた。
くすぶっていた大学時代が、嘘のようだった。
仕事が楽しかったのは本当だ。
社内では、自分の仕事に手応えがあった。
ただ、会社の外で人に話す時、何かが混じった。
会社名を言うたびに、相手の反応を確かめていた。
知っているか、知らないか。
それで、自分の勝ち負けが決まる気がしていた。
同世代が集まるホームパーティで、自己紹介が始まった。
誰も決めていないのに、出身大学と会社名を、みんなが言った。
自分の番が来た。
会社名を言いながら、隣の人の表情を、一瞬見た。
相手が、少しうなずいた。
それで、肩の力が抜けた。
抜けたあとに、また入った。
次の人の番が来ていた。
帰り道、少し酔っていた。
アスファルトを踏む足が、行きより軽かった。
浮ついた、軽さだった。
理由は、自分でもわかっていた。
数年後、父から声がかかった。
家族の食事会の席だった。
誕生日、父の日、母の日。
何かあれば集まるのが、当たり前になっていた。
孫の声で、座敷が賑わっていた。
食事が進み、座が落ち着いた頃。
父が、こちらを見た。
「戻ってこないか」と言った。
早いな、というのが正直な感想だった。
人手が足りないのかなとも思った。
あまり認めてくれる父ではなかった。
それでも、必要とされることが、少し嬉しかった。
戻ると決めて、最初に父の会社に出社した日。
父は、少し嬉しそうだった。
少し恥ずかしそうでもあった。
それから、口元が引き締まった。
厳しく当たるぞ、という顔だった。
三つが、同じ顔の中にあった。
後から聞いた話だが、父には不安があったらしい。
息子が楽しそうに仕事をしている。
もしかしたら、戻ってこないかもしれない、と。
ある日、提携の話が舞い込んだ。
誰もが知る大手だった。
最初の打ち合わせの席に、向こうは大勢で現れた。
名刺の数で、机が埋まった。
なぜうちに、と聞いた。
先方の担当者は、少し笑った。
「うちのような大手では出来ない商品を作っていらっしゃるので、御社の開発力と当社の販売網が組めば良い商品ができると考えています」
そう言われた。
打ち合わせを重ねた。
戸惑いの方が多かった。
決裁が、何段階もあった。
それでも、良いものを作りたい、というところだけは、揃っていた。
苦労して作った商品が、展示会でようやく日の目を見た。
これまでの自社ブースとは規模が違った。
自分たちの商品が輝いて見えた。
ブースに、車椅子の方が来てくれた。
商品を説明しようと、しゃがんだ。
同じ目線で話した。
展示会には、マスコミの取材が入った。
カメラが向くのは、提携先の担当役員だった。
それでも、雑誌や新聞の小さな記事に、自分たちの商品が載った。
小さな記事だった。
それでも、嬉しかった。
後日、社員から聞いた。自社ブースに来ていた大手企業の方が、立ち話で言っていたらしい。
「あの人、車椅子の目線に合わせてたね」と。
あ、そうなんだ、と思った。
言われて、初めて気づいた。
しばらくは、うまくいっていた。
大手との提携が軌道に乗る中で、自社の新製品開発に資金を注いだ。
試行錯誤の末、画期的な商品が生まれた。
コストが膨らんだ。資金繰りが行き詰まった。
資金繰りが行き詰まってから、強い酒を飲むようになった。
考えたくなかった。
朝、目を覚ますたびに、頭の奥が重かった。
それでも、夜になればまた飲んだ。
このまま進めるのか。
問いが立ち上がってきた時、すぐに酒で流した。
何度も流した。
ある夜、グラスを持つ手が止まった。
いつまで続けるのか。
続くのか。
続けるのか。
会社でひとり、パソコンの画面を見ていたら、視界がぐるぐると回り始めた。翌朝、早く目が覚めた。
二日酔いではなかった。
すっきりした頭で、リビングに座っていた。
窓の外がまだ薄暗かった。
問いが、また立ち上がってきた。
今度は流さなかった。
このまま続けて、意味があるのか。
話し合いはいつも、資金繰りの延長だった。
会社の応接室で、家族だけで、時に税理士を交えて、手形を落とすための算段をした。
机の上に、灰皿と書類があった。
父はスーツのまま、座っていた。
時間帯は、決まっていなかった。
昼のこともあった。夜のこともあった。
ある日、気づいたら口に出ていた。
これをいつまで続けるのか。
自分の声を、聞いた。
何も感じなかった。
父が、息を吐いた。
フッと、気が抜けたような顔だった。
そうか、という顔にも見えた。
それからの話し合いは、月に何度もあった。
父、母、自分の三人。
何度も話した。
清算という言葉を口にしたのは、しばらく経ってからだった。
父は反対した。
母も反対した。
ここまで苦労してやってきたのに、と。
同じ問いを、角度を変えながら繰り返した。
言い出した自分も、揺れていた。
本当にこれでいいのか。
社員はどうなる。
取引先はどうなる。
それでも、口にした言葉を引っ込めることは、できなかった。
初夏のある日、取引先との会合があった。都心のオフィスだった。
会合が終わり、ビルを出た。日差しが強かった。
駅までは、数百メートルだった。
歩くつもりで、足を進めた。
父が、後ろで止まっていた。
「タクシーに乗りたい」と父が言った。
言葉少なだった。
今のこの時期にタクシーか、と口に出た。
資金繰りが、頭にあった。
振り返って、父を見た。
顔色が、いつもと違った。
それ以上は、何も言えなかった。
手を上げた。
タクシーが、止まった。
数字を、見続けた。決定打は、新製品の値上げ交渉だった。
通らなかった。
作れば作るほど、赤字が膨らむことが判明した。
母が、口を開いた。
机の一点を見ていた。
「しょうがないのかもしれない」と母が言った。
声は、普段通りだった。
ずっと、揺れていた人だった。
父と、自分の間で。
理屈と、感情の間で。
その声には、決めた、という気配があった。
父が、分かった、と言った。
普段の父は、短気だった。机を叩くこともあった。
声を荒らげることもあった。
その日は、低い声だった。叩かなかった。
荒らげなかった。腹を決めた、という顔をしていた。
諦めたのか、受け入れたのか、その時はわからなかった。
その一言が出るまで、どれだけかかったか。
清算は、決めたら終わりではなかった。
社員への説明、取引先への説明、関係先への手続き。
書類を作った。頭を下げた。
淡々と、進めた。
昼間、それをやって、夜、酒を飲んだ。
勤めていた会社の話を、行きつけのバーのカウンターで、誰に言うともなく話していた。よく顔を合わせる人がいた。
何か、儲かりそうな話をしている社長だった。
何をしている人なのか、当時はよくわかっていなかった。
ふと言った。
「一度、会社に遊びに来れば?」
名刺をもらった。書かれている事業内容を見ても、横文字だらけで、頭に入ってこなかった。それだけだった。
でも、行った。
問いは、残ったままだった。
稼げるのか、という不安と、そもそもこれでいいのか、という疑いが、どちらも答えが出ないまま居座っていた。
それでも、多額の報酬を提示されると、心が動いた。
銀座や六本木で夜を過ごすことが増えた。
周りは、容赦なく仕事をする人ばかりだった。
M&A仲介を専業にする会社は、当時まだ少なかった。
会社の規模は大きくない。
それでも、動く金は大きかった。
昼間の会議が終わると、そのまま夜の席に流れた。
誰も帰らなかった。
終わった後、タクシーの後部座席で、窓の外を見ていた。
看板の光が、線になって流れていった。
ある朝、下血した。
トイレで一度、立ち止まった。
それから出社した。
体は、もう知っていた。
頭より先に、知っていた。
それでも、学ぶことは多かった。
ある会合で、株式公開を果たした社長たちと同席した。
儲け話が出るたびに、場の空気が少し変わった。
身を乗り出す人、静かに値踏みする人。
誰もが似たような顔をしていた。
最初のうちは、自分も同じ顔をしていた。
何度か同じような場に出るうちに、思った。
自分がその側に行けたとして、きっと同じことをしている。
そしてまだ足りないと感じている。
稼いでも、満足しないんだな。
答えがあると、思っていた。
M&Aの現場で、気づいたことがあった。
経営者やオーナーが、最後は独りで決めていた。
専門家はいる。法務、財務、それぞれの領域では頼りになる。
でも、経営者が本当に困っているのは、専門家が答えられない場所にあることが多かった。
誰かが「会社をたたもうか」と思い始める夜。
「息子に任せていいのか」と一人で抱えている時間。
そこに、役割なしで隣にいられる人間が、いない。
自分も、そうだった。
ランチは、社員と一緒が多かった。
たまに、一人で店に入った。
社員が来ない店を選んだ。
注文を済ませてから、メモ帳を開いた。
思いついた言葉を、書きつけた。整っていない文だった。
誰かに見せるためではなかった。
書いてから、閉じた。
料理が来ていた。
ある夜、経営をしている友人に電話した。
愚痴に近かった。友人は、「あなたならできるよ」と言ってくれた。
電話を切った後、嬉しさは少し残っていた。
悩みは、薄くなっていなかった。
話を聴く人が、いなかったのだと、後になって思った。
励ましでもなく、助言でもなく、ただ聴いてくれる人が。
だったら、経営をやってきた人間が、聴くことで専門家になればいい。
理屈は通っていた。
夜中に、パソコンの前で検索した。
聴くことを学べる場所を、探した。
カウンセリングの養成講座に通い始めた。平日のクラスだった。
会社は、必要な時に手伝った。
教室には、いろんな人がいた。
看護師、社会保険労務士、企業の人事担当者、学生。
話を聴くことの難しさを、毎週、知った。
会社の周りの人からは、よく聞かれた。
「カウンセリングで儲かるのか?」
以前なら、その問いに乗れていたはずだった。
乗れなかった。
何と答えていいか、わからなかった。
学べば学ぶほど、気づくことがあった。
自分が、答えを出したがっていることに。
都心の古びたビルの一室。
長机がひとつ、パイプ椅子が二脚。
他には、何もない。
冬の西日が、窓から斜めに差し込んでいた。
ノックの音がした。
「どうぞ」と返した。
扉が開いた。
入ってきた男性の顔が、一瞬、止まった。
「えっ」という顔だった。
それから、諦めたような表情に変わった。
なんで、という顔だった。
無言で、椅子に座った。
Yシャツにスラックス。
少しくたびれたジャンパー。
守秘義務の話を、ひと通りした。
就職の手順についても、形どおりに説明した。
男性は、こちらをあまり見なかった。
視線は、机の上にあった。
しばらく話して、男性が言った。
「あなたに話しても、就職は難しいのでは」
品定めされていた。
頭の中で、何かが動いた。
アドバイスは届かない。
この人は、受け取らない。
それなら、何ができるか。
答えを出しても、たぶん意味がない。
残るのは、聴くこと。
それしか、なかった。
仕事は、ありますか、と男性が言った。
一緒に探せます、と返した。
沈黙が落ちた。
男性が、口を開いた。
「結構ショックなんだよね」
事務的だった声が、少し変わっていた。
希望退職で外に出た仲間が大勢いる、と男性は言った。
皆で集まって、会社の愚痴を言い合い、慰め合っている。
でも、自分は違う、と。
「なんで、俺が」という思いが強い、と。
声が、少しずつ小さくなっていった。
話していいのか、迷いながら話している声だった。
たぶん、仲間には言えない話だった。
少なくとも、この人にとっては。
何も言わずに、聴いた。
途中で何度か、答えを伝えたくなった。
そのたびに、引っ込めた。
西日が、男性の顔に当たっていた。
光が、少しずつ低くなっていった。
終了時間を告げると、男性は視線を逸らした。
「話を聴いてくれて、ありがとう」
そう言って、出ていった。
ドアが、静かに閉まった。
何もしていなかった。
答えは、ひとつも出していなかった。
アドバイスもしていない。求人も、まだ紹介していない。
「ありがとう」と言われる理由が、自分の中に見当たらなかった。
部屋に、ひとり残った。
窓の外は、もう暗くなっていた。
椅子に座り直した。
あの時間、自分は何をしていたんだろう。
カウンセリングの仕事を始めた頃、よく言われた。
「話を聴くだけの人に、カネを払うのか」と。
M&Aの現場で世話になった社長にも、言われた。
経営者は、答えを欲している人が多かった。
独りで決めている夜があるのは、本当だった。
ただ、その夜を他人に話すことを、本人が選ばなかった。
弱った姿は、社員にも、家族にも、取引先にも、見せられなかった。
苦悩は、ある。
それは、見ていればわかった。
ただ、その苦悩の出口を、別の場所に求めている人が多かった。
答えをくれる場所に、流れていた。
答えがないことは、たぶん本人もわかっていた。
それでも、何かに頼りたかった。
ロジカルなアドバイスではなく、別の言葉が欲しかった。
自分も、占いに行ったことがある。何度かあった。
アドバイスより、別のものを求めていた。
若さも、あったと思う。
三十そこそこの人間に、経営の苦しみを話す経営者は、いなかった。
お金を出す人も、いなかった。
それでも、続けている。
今は、カウンセラーをしている。
聴くことから、離れてはいない。
形は、最初に思い描いたものとは違う。
それでも、続いている。
問いの立て方が、少し変わった。
稼ぐことが勝ちだ、と問うていた頃があった。
今は、違うことを問うている。
どう生きるか、と。
誰かの誕生日だった。家族で集まって、食事会をした。
清算の前は、自分と父は、顔を合わせるとすぐに言い合いになっていた。
家族はその度に、黙って食卓に座っていた。その日は、違った。
誰も身構えていなかった。集まった家族が笑顔で、父の話に頷いている。
食事が終わった後、ベランダに出た。
少しして、父も出てきた。
手にグラスを持っていた。
並んで、街の灯りを見ていた。
父がぽつりと言った。
「あの時は、ホント清算には反対だった。でも、こうして今家族が集まれて、幸せに生きていることを思うと、あの時あなたが言い出して、決断して良かった」
胸の底に沈んでいた何かが、少し溶けた気がした。
全部ではない。
でも、少し。
グラスの中で、氷が鳴った。
問いは、まだそこにある。
